ガザの声を聴け! 第43回

2018年7月「なんのために苦労してきたのか」

清田明宏
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Clip to Evernote

もちろん戦闘行為の終わりが平和の始まりではない。再建の始まりでさえない。7年に渡る内戦による被害は甚大だ。人的被害のみならず、経済的な活動も大きく影響を受けている。内戦がどのような形で終わるか、国際社会がどのようにそれを判断し、支援するか、不明の要素がとても多い。ダマスカスの静寂がいつまで続くかといった保証はどこにもない。

 

では、シリアにいるパレスチナ難民にとってはどうであろうか?

 

実は、シリア人と状況はかなり違う。「終わりの始まり」でもなく、「始まりの終わり」でさえないのだ。

 

ダマスカスのUNRWA「ウンルワ」のシリア事務所の隣には、ダマスカス職業訓練校がある。高校を出てから2年間勉強する訓練校だ。ここは2012年にヤルムークキャンプが戦火に巻き込まれた時、臨時の避難所になった。多くの難民がヤルムークから避難したのだ。今は避難所ではなくなったが、その中にUNRWA「ウンルワ」のクリニックがある。

 

その診療所を訪ねた。元々は職業訓練校の生徒とシリア事務所の職員のためのクリニックで、こぢんまりとしたものだったが、ヤルムークからの避難民が今も多く通院するので現在改築中だった。1階部分は終わり、2階の改築が進んでいる。

 

この診療所も、アレッポのネイラブキャンプと同様、家庭医制度をすでに導入していた。2018年夏には電子カルテを導入する予定で、その準備が進んでいた。全ての患者のデータを電子カルテに入力中で、将来的には全て電子化され、紙のカルテは廃止される予定だ。

 

職員と仕事以外のことも色々話した。生活のこと、家族のこと、いまの状況を色々聞いた。内戦8年目のシリアだ。生活は決して楽ではない。しかし、職員は皆元気だ。

 

その一人が、看護師のナジュワさんだ。40代前半で、子供もいる。彼女が、自分の父親の話を始めた。

 

このクリニックの職員の大多数は、内戦前までずっとヤルムークキャンプに住んでいた。難民キャンプと言っても、すでに70年。建物はテントではなく、普通の建物だ。彼女の家族も一生懸命仕事をしてアパートを建てた。そこに両親、家族・兄弟と住んでいた。

 

2012年12月にヤルムークで紛争が始まり、ナジュワさんと家族はダマスカス市内に避難した。幸い、ダマスカス市内に海外に移住した親族が住んでいたアパートが空いており、そこに全員で移った。今もそこで暮らしている。

 

ただ、彼女の父親は絶対にヤルムークを離れない、と言って残った。何故彼女の父親はヤルムークを離れなかったのか。その背景にはパレスチナ難民が持つ、複雑な、そして非常に真摯な思いがある。

次ページ  シリアにいるパレスチナ難民
1 2 3 4 5
 第42回
ガザの声を聴け!

1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。

プロフィール

清田明宏
1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。
 
集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル

プラスをSNSでも

Twitter, Youtube

2018年7月「なんのために苦労してきたのか」

;