『はじめての公共訴訟 社会を動かす、私たちのツール』刊行記念リレーエッセイ第2回は、CALL4共同代表でクリエイティブディレクターの丸山央里絵さん。ある収容施設で起きた事件との出会いを通して、「遠い問題」が切実な現実へと変わった経験を綴ります。公共訴訟が問いかけるのは、制度の是非だけではなく、人の尊厳そのものです。

——I’m dying!
2014年3月30日19時14分。狭い個室に、死にそうだと叫ぶ声が響いた。暗闇の中、ベッドから転がり落ちて床でもがく男性。その姿を、収容施設の監視カメラ映像は淡々と映し出す。
水を求める悲痛なうめき声。強い喉の渇きがあるようだ。最初の叫びから何時間が経っただろう。苦しみ、無機質な床を転げ回る彼を、監視員は外部からビデオで時折観察している。この時、動静日誌に記録された彼の状態は「異常なし」。部屋の扉は暗く固く閉ざされたまま、ついに誰も彼に水を与えようともしなかった。いつしか動かなくなっていた彼は、翌朝に発見される。
これは、どこかの国の絶滅収容所での話ではない。私たちの暮らす、現代の日本で起きた出来事だ。
彼はカメルーン人男性のWさん。半年前に成田空港で上陸を拒否され、そのまま茨城県牛久市にある入国者収容施設に収容された。糖尿病の治療中で、1ヶ月ほど前から体調不良を訴えていた。享年43歳だった。
5年後の2019年、私は偶然にも、Wさんのご遺族が提訴した「カメルーン人男性死亡事件国賠訴訟」からこの事件の存在を知り、また監視映像の一部を見て、強いショックを受けた。仮にも国が管理している施設の中で、「水をくれ!」と叫びながら亡くなった方がいることに。私がコーヒーを口にして寛ぐ今このときにも、同じ国で、人の尊厳、究極的には人の命が奪われている、そのことに。義憤に駆られ、彼の最後の尊厳を守るためにたたかっている弁護士がいることに。これが、私と公共訴訟との出会いだった。
Wさんの命は戻らないものの、弁護団は国に彼の死の責任を認めさせ、収容制度を変えさせようとしていた。しかし、弁護士たちはいわゆる手弁当でその裁判をたたかっていた。こんなにも尊い仕事が、お金がないという理由で継続できないことが起こり得るなんて。「日の目を見てほしい」という思いから、私は公共訴訟の発信をすることを始めた。訴訟の背景やそこに込められた思いを、かつての私のように、どこか遠く感じている人々に届けるために。
それから各地で取材をした。沖縄では、ご先祖の遺骨が学術標本とされ、いまだに返還されないことを訴える人々の、尊厳を削られてきた積年の思いを聴いた。仙台では、16歳の時に何も知らされずに不妊手術を受けさせられ、国に補償を求めて20年以上も声を上げ続けてきた人の苦しみを聴いた。結果としてその声は、優生保護法という差別的な法律、その被害を世に知らしめることになった。
私は長い間、法律を日常的に意識することがなかった。意識せずにいることができた。けれども、足を運んだ現場には、この社会の制度の狭間で苦しみ、変化を求める人々の声があった。ともにたたかう弁護士の使命感があった。誤解を恐れずに言えば、私は、それを美しいと思った。
ちょうど1年前の2025年6月、Wさんの訴訟は終結し、日本で初めて、入国管理施設での収容者の死において国の責任を認める画期的判決が確定した。しかし、入国管理施設での痛ましい事件はなおも続いている。
他方で今も、自分の街の不公正と思われる行政手続きに、若者の政治参加を阻む選挙のルールに、身の回りのおかしいと思うことに、公共訴訟という手段を通じて声を上げている人々がいる。権利を守るたたかいは、この社会で受け継がれている。一進一退ではあれども、心ある道だ。そう信じて、今回の共著『はじめての公共訴訟』を書き上げた。読み終えたとき、公共訴訟を、そこで問われているものを、あなたにも近しく感じてもらえることを願っている。
プロフィール

(まるやま おりえ)
クリエイティブディレクター・認定NPO法人CALL4共同代表。リクルート『ゼクシィ』編集長・アプリプロデューサーを経て、2018年に独立。2019年に公共訴訟支援プラットフォーム「CALL4」に参画し、2023年11月より共同代表として訴訟の背景や人々の思いと物語を届ける。公共訴訟の専門家集団「LEDGE」には創設(2023年10月)からクリエイティブディレクター兼キャンペーナーとして関わる。2026年5月、共著『はじめての公共訴訟 社会を動かす、私たちのツール』(集英社新書)を刊行。
丸山央里絵





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