被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世 第13回

「究極の個人情報」から遺伝的影響に迫る

【放影研 ゲノム解析開始(前編)】
小山 美砂(こやま みさ)

 被爆者の子どもとしてうまれてきた、「被爆二世」と呼ばれる人たち。本連載では、「被爆者が感じてきた出産や子どもへの不安」ではなく、「被爆二世‟自身”が歩んできた半生」に焦点を当て、その多様な声や戦後の歩みを伝えてきた。
 今回は、被爆二世の健康影響をめぐる最新の調査について取り上げる。被ばくした人の子孫に影響はあるのか――それは広島と長崎に原爆が投下される以前から重要視されてきた問いの1つで、いまだに最終的な結論は得られていない。そのため、調査・研究の対象とされてきた被爆二世たちも、さまざまな思いを抱えて揺れている。
「究極の個人情報」ゲノムに迫る試みは、積年の問いに答えるのだろうか。

ゲノム解析が開始

 緊張と期待、周到な準備を重ねてきたことへの自負。これらが入り混じった穏やかなほほえみの中から、その重大計画は発表された。2025年12月23日、放射線影響研究所(放影研)の神谷研二理事長は広島市内で開いた会見で、こう述べた。

「慎重な準備と厳格な倫理審査を経て、全ゲノム解析によるトリオ調査を開始することといたしました。放影研は、原爆放射線が被爆者と被爆二世の健康に及ぼす影響を解明することを目標に、調査研究に従事して参りました。このたびの調査を通じましても、原爆放射線がゲノムに及ぼす影響の基礎的知見が集積され、放射線影響のより深い科学的な理解が進み、今後の遺伝的影響の解明に寄与することを期待しております」

 外見、体質、病気のかかりやすさ――私たち人間の「個人差」をうみだすもとになっている全遺伝情報、ゲノム。人間は約30億文字からなる塩基配列を持ち、人種や地域にかかわらず99.9%は共通しているものの、残る0.1%が人類の「多様性」をつくっているとされる。病気や体質に関わり、その情報は血縁者とも共有されている場合があるため、まさに「究極の個人情報」だ。近年、急速に発展している領域で注目を集めている。

 神谷理事長が会見で発表したことをもって、放影研のゲノム研究はスタートし、2026年3月からは次世代シーケンサーを用いた解析も始まった。解析の対象となるのは、約400家族の1400人前後。父、母、子の3人(トリオ)を1組としてDNAを解析し、親にはない新たなDNAの変化の数をまずは調べる。その次に、高線量の被ばくをした親のもとにうまれた子どもと、そうでない子どものDNAの変化の数を比較することで、親の受けた原爆放射線が子どものゲノムに影響を与えたか否か、より深く理解するための基礎的知見を得る狙いだ。

「究極の個人情報」に踏み込むならば、遺伝的影響の有無という積年の問いにも、ついに答えが出るのではないか――ところが、答えは「ノー」である。研究責任者の内村有邦さんは、会見でこう述べていた。

「本研究は、被爆二世の方々がある種の病気にかかりやすいとか、そういったことを解明できるような性質のものではありません」

 では、何のために実施し、何を明らかにしようとしているのだろうか? 放影研がゲノム解析に至るまでの道のりを辿りつつ、詳しい内容を見ていきたい。

そもそもゲノムとは?

 放影研は、前身のABCC(Atomic Bomb Casualty Commission:原爆傷害調査委員会)が設立された当初から、遺伝的影響を主な研究課題の1つと位置づけ、時代ごとに活用可能な新しい技術を用いた研究を続けてきた。設立からおよそ80年に及ぶ長い研究史の中で、近年注目を集めるようになったのがゲノム解析だ。

 そもそもゲノムとは何だろうか。一言でいうと、人が持つ遺伝情報のすべてである。

 私たちのからだを構成する約37兆個の細胞のほとんどには、DNA(デオキシリボ核酸)が存在する。DNAと聞くと、二重らせん構造を思い浮かべる人も少なくないと思われるが、この構造が明らかになったのは1953年のこと。この発見によって、遺伝情報がどのようにして親から子へと受け継がれていくのかという、根源的な問いに対する扉が開かれた。

 DNAは4種類の物質が長く連なってできており、その並び順はそれぞれの頭文字を取ってA、T、G、Cの「塩基配列」で示すことができる。DNAの中には、遺伝情報を持つ領域があり、これがよく知られている遺伝子だ。この情報に従って、体内では主にたんぱく質がつくられているため、遺伝子は「生命の設計図」ともいわれている。

 今回問題となっているゲノムとは、遺伝子として働く部分もそうでない部分も含む、すべての遺伝情報の総体だ。およそ2万個ある遺伝子だけでなく、約30億対の塩基配列すべてを読もうという試みが、ゲノム解析なのである。

 1977年にDNA配列を読む技術が開発され、放影研は1985年にDNA調査に着手。研究に協力する被爆者家族から採取した血液試料を用いた研究を続けてきた。

 こうした中、30億対に上るヒトのDNAの塩基配列をすべて読み取ることを目指す「ヒトゲノムプロジェクト」が、1990年に発足。アメリカが主導し、イギリスやフランス、ドイツ、日本や中国の研究機関や研究者たちも参加した。解読完了には15年かかると予想されていたところ、2003年4月に92%の解読が完了。2022年4月の科学誌『Science』で、残る8%についても、アメリカ国立ヒトゲノム研究所などが解読したと発表された。これにより、塩基配列を読み取るという点では、ヒトゲノムの全体像がついに明らかになったのだ。

 ゲノム解析の進歩は、生命の仕組みを深く理解し、病気の原因特定や治療法の開発にも寄与するだろう。それと同時に、「究極の個人情報」である遺伝情報の扱いを、社会全体で問い続けなければならない時代が始まったことも意味している。

ELSIの視点で検討を重ねる

 さて、放影研がゲノム解析に乗り出す出発点となったのは、2015年3月、放影研の研究プログラムを審査する科学諮問委員会が出した勧告だった。「ゲノムデータをしっかりと解析し、適切なゲノム技術を利用することが最も重要である」と助言されたことを受けて、準備を開始。特に、倫理的・法的・社会的な影響(ELSI:エルシー。Ethical, Legal and Social Issuesの略称)に注意を払いながら、幅広い学術分野の専門家や、被爆者や被爆二世、そして市民との対話を重ねつつ、研究計画を用意してきたという。

 実際に放影研は、ゲノム解析を視野に入れた3つの外部諮問委員会を立ち上げている。2018年、血液や尿などの保存試料を用いた研究のあり方を考える外部諮問委員会の設置を皮切りに、「被爆二世ゲノム配列解析」と「試料利用」に関する外部諮問委員会も、2021年と2023年にそれぞれ設置した。国内外の専門家を招いてELSIについて検討するワークショップやシンポジウムも開催し、メディア向けの説明会も複数回実施。後述する「市民公開講座」も、広島と長崎で開催した。

 これだけ手厚い検討と広報を重ねてきた背景の1つに、「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」(2021年3月)がある。ここでは、「地域住民等の固有の特質を明らかにする可能性がある研究を実施する場合には、研究対象者等及び当該地域住民を対象に、研究の内容及び意義について説明し、研究に対する理解を得るよう努めなければならない」という、研究者たちの責務が示されている。今回のケースでいえば、研究に協力する被爆者や被爆二世はもちろんのこと、研究に参加しないその他大勢の被爆二世のことも、視野に入れる必要があるだろう。

 ABCC時代に受けた厳しい批判の声も、念頭にはあった。放影研の研究者の1人は、調査への倫理的な意識の変化を、こう語る。

「ABCCの時代は、被験者の人権という観点が全体的に乏しかったのは間違いないと思います。特にアメリカから来日した研究者は、限られた滞在期間に結果を出すためには、倫理など眼中に置けなかった人の方が多数派だったのかもしれません。しかし、ゲノム解析が可能になってゆく過程で、倫理的な意識は徐々に変わってきたのではないでしょうか。血液の提供者は『共同研究者』と考えるべきという気風もうまれてきたように感じています」

 2024年2月の記者会見では神谷理事長が、「社会に受け入れられる研究でなければならない。必要な情報を発信し、理解していただく環境をつくりたい」と述べていた。ただ科学的な成果を追い求めるのではなく、社会の中の科学という位置づけを意識しているように受け取れる。ELSIの視点で様々な課題に向き合うために、約10年の歳月を費やしてきたのである。

 私が放影研から具体的に、「ゲノム解析」との言葉を聞いたのは2021年4月のこと。ABCC時代の出生時障害調査を再解析した結果について報告する記者会見で、さらに詳しい調査を進めるための手法として、ゲノム解析が挙げられたのだ。

 当時の丹羽太貫理事長は、放影研として着手するか否か問われて、こう答えている。

「やらなければならないと我々も思っていて、そのためにどういうことをしなければならないか議論している」

 慎重に言葉を選びながらも「これまで以上に明快な答えが出てくる可能性がある」と、期待を語った。会見を聞いていた私も、ゲノム解析に強い関心を持った。それがどこか、「最終解答」を与えてくれるもののように思えたからだ。

 だが取材を進めるにつれて、その限界と困難さを目の当たりにするようになる。

(中編へ続く、次回は4月中旬更新予定です)

 第12回
被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世

広島・長崎に投下された原子爆弾の被害者を親にもつ「被爆二世」。彼らの存在は人間が原爆を生き延び、命をつなげた証でもある。終戦から80年を目前とする今、その一人ひとりの話に耳を傾け、被爆二世“自身”が生きた戦後に焦点をあてる。気鋭のジャーナリスト、小山美砂による渾身の最新ルポ!

関連書籍

「黒い雨」訴訟

プロフィール

小山 美砂(こやま みさ)

ジャーナリスト

1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。

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「究極の個人情報」から遺伝的影響に迫る

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