被爆二世が歩んできた戦後に焦点を当てる本連載。前回に引き続き、放射線影響研究所(放影研)が着手したゲノム解析調査について取り上げる。
放影研は、1947年に設立されたABCC(原爆傷害調査委員会)時代から、遺伝的影響についての研究を続けてきた。新生児7万人以上を調べた出生時障害調査にはじまり、染色体異常や血液たんぱく質の突然変異、死亡率やがん罹患率といった調査を重ねてきたが、これまでに遺伝的影響を示す結果は得られていない。
時代ごとに活用可能な新しい技術を用いて研究を続けてきた放影研だが、近年注目を集めているのがゲノム解析だ。遺伝子として働く部分もそうでない部分も含めて、約30億対の塩基配列で示される「遺伝情報の総体」に迫る試みである。放影研は、父、母、子をトリオとして、約400家族の1400人前後のゲノムを調べた上で、親の受けた原爆放射線が子どものゲノムに影響を与えたか否か、より深く理解したい考えだ。
2021年4月の記者会見で「ゲノム解析」との言葉を放影研側から初めて聞いた私は、この計画を大きな期待を持って受け止めた。原爆放射線は次世代に影響を与えるのか否かという、積年の問いに「最終解答」を与えてくれるのではないかと思ったからだ。
しかし取材を進めるにつれて、その困難さと限界に直面するようになる。
「不安のありか」を考える
遺伝情報の総体であるゲノム。これに迫る科学的な調査が実施されれば、被爆二世を巡る状況は大きく変化するのではないか。そう感じた私は、2018年から24年6月まで分子生物科学部長を務めた野田朝男さんにインタビューを申し込んだ。分子生物科学部は、旧放射線生物学/分子疫学部と旧遺伝学部を合併して発足し、ゲノム研究の中核を担っている。
「不安のありかを考えないといけないんだろうなあ、と思いますね。多くの被爆二世の方が、健康への『不安』を口にしていらっしゃいますから」
2021年12月、広島研究所で初めて面会した野田さんは、新聞のスクラップを持参していた。そこには放影研の動向について伝える記事だけでなく、被爆二世の思いを伝えるインタビュー記事も挟み込まれている。私が執筆した記事もあった。肺がんを患った姉が、被爆者だった母親よりも先に亡くなったことから、遺伝的影響を疑い続けてきた男性の半生を聞いたものだ。
「被爆二世の方々にお話を聞いていると、2つの考え方があります。この方のように影響が『ない』という結論を望まない方もいれば、『ある』と言われることを喜ばない方もいらっしゃる。今後取り組んでいくゲノム解析の結果をどう読み解いていくのか、市民のみなさんも含めて対話を重ねる必要があると思います」
野田さんはそんな風に前置きした後、ゲノム解析の目的について説明し始めた。
「親子のゲノムを比較して、親にはなくて、子どもに新たに生じたDNA上の変化を探すことで遺伝的影響を調べたいと思っています」
2025年12月の会見内容を加味しながら、改めて放影研の計画について詳述したい。
加齢や喫煙……自然発生するDNA上の新たな変化
今回の調査で調べるのは、被爆者の子どもに生じた新たなDNAの変化の数だ。突然変異とは、親から子に遺伝情報が引き継がれる時に、A、T、G、Cで示される約30億対の塩基配列の中に変化が生じることをいう。両親または一方の親が、広島か長崎で高線量の被ばく(1000ミリグレイ以上)をした子どもと、低線量(10ミリグレイ未満)または被ばくをしていない親のもとにうまれた子どもで、DNAの変化の数を比較。このことによって、親が受けた原爆放射線が子どものDNA配列に影響を与えるか否か、基礎的知見を得たい考えだ。
ただし、注意しなければならないことがあるという。
「一般的な親子でも、平均して70個くらいの新たな変化が起こるんです。20、30個と少ない人もいれば、100個くらい生じる人もいる。特に、妊娠時の親の年齢、とりわけ父親の年齢が上がるほど、変化の数が増えることがわかっています。このように自然発生する変化もある中で、被ばくしなかった時と比べて変化が増えるのかどうかを推定しなければならないという難しさがあります」
かつては「突然変異」と呼ぶのが一般的だったが、近年では「variant(変異・多様性)」や「変化」と言い換える動きもある、DNA上の新たな変化。これ自体は、決して特別なものではないという。親の加齢だけでなく、喫煙歴や化学物質への曝露など、さまざまな要因が影響する可能性が指摘されている。放影研はこうしたことも踏まえながら解析を進めていく方針だが、変化が生じた原因が被ばくによるものか、個別に特定することはほとんど不可能だという。
「なので、統計的に見ていくことになると思いますね。例えば、非被ばく群では変化が10%の範囲で発生しているのに対して、被ばく群では30%だった、ということになれば、それは原爆放射線の影響かもしれない……という議論ができるようになるわけです」
つまり、これによって何がわかるのだろうか。説明された内容を整理しかねていると、野田さんはさらにかみ砕いて話をしてくれた。
「ゲノムは構造的な話です。変化が直接、健康に影響してくるかどうかは別の問題で、さらに調べていく必要があります。ただし、これまで放影研が実施してきた調査では、遺伝的影響が観察されていません。この理由について、ゲノム解析をすることでより深く理解できるようになるだろう、と期待しています」
「結論は出せない」――科学調査の限界
私は、ゲノム解析というものをやや勘違いしていたかもしれない、と思った。ゲノム解析は、遺伝的影響を巡る「謎」のすべてを解明してくれるもの、というイメージを抱いていた。これまで見えていなかったものが見え、過去の調査結果が根底からくつがえされることもあるのではないか――そう思っていたのである。
「遺伝的影響がない、という結論を出すことは可能なんでしょうか」
そう聞くと、野田さんは丁寧に解説をしてくれた。
「影響がない、と結論づけることは科学的には大変難しいです。今回調べた集団についてはこんな結論でした、という言い方になると思いますね。遺伝子の研究はまだ途上で、わかっていないこともあります。ただし、今後の科学技術の進歩によって、ゲノム全体に対する放射線の影響を理解することができると期待されます」
「影響がない」と結論づけられない理由として、別の研究者は統計学的に説明をしてくれた。
「調査する側に与えられた命題は、得られた結果と被ばくの間に関連性があるか否か、というもの。その答えは二つしかありません。統計学的に有意な関係が見られればイエス。ノーの場合は『関連性がない』という意味ではなく、『関係があるという命題は支持されない』ということだけ。影響がないと断定することは、科学的には非常に難しいのです」
科学的な調査の「限界」ともいえるだろう。放影研としてゲノム解析に着手すると発表した2025年末の記者会見で、研究責任者の内村有邦さんは慎重に言葉を選ぶようにして、こう述べていた。
「本研究は、被爆二世の方々がある種の病気にかかりやすいということを研究できるような性質のものではありません。親の受けた放射線が子どものDNA配列に影響を与え得るかといったことを理解するための、非常に重要な基礎的知見が蓄積されるものだと考えられます」
ゲノム研究は確かに重要だし、急速に進化を続けている。1990年に「ヒトゲノムプロジェクト」が始まった当時は、1人の塩基配列を調べるために約100億円かかり、10年以上の歳月を要したという。現在では、1人あたり5~10万円程度で実施できるようになり、期間も数日程度に短縮された。病院でも、診断や治療方針を決める際にゲノム検査の結果を利用するケースが増えている。
野田さんは言う。「原爆の遺伝的影響について、これまでよりもかなり詳しい話ができるようになると期待しています。さらに、調査に協力してくださった被爆二世に対して、健康管理に役立つフィードバックができる可能性もあるでしょう」
それは確かにそうなのかもしれない。だが、胸につかえるものがあった。ゲノム研究は、被爆二世やその周辺にいる人々の幸福につながるのだろうか? この問いを深く考える機会が、2024年4月に訪れた。
(次回【後編】更新は5月中旬予定です)

広島・長崎に投下された原子爆弾の被害者を親にもつ「被爆二世」。彼らの存在は人間が原爆を生き延び、命をつなげた証でもある。終戦から80年を目前とする今、その一人ひとりの話に耳を傾け、被爆二世“自身”が生きた戦後に焦点をあてる。気鋭のジャーナリスト、小山美砂による渾身の最新ルポ!
プロフィール

ジャーナリスト
1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。


小山 美砂(こやま みさ)





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