平成消しずみクラブ 第13回

ボンクラ、その後

大竹まこと

 問題は妹尾である。

 彼は大学に進んだのだが、いつも私の近くにいた。

 高円寺近くのアパートにも一緒に住んだ。私が勝手に転がり込んだのだが、仕事で一カ月の巡業を終えて帰って来た時、そのアパートを妹尾が引き払ってしまい、もう他人が住んでいた。

 妹尾が親からもらった車の教習所の教習料を二人で使った。もちろん、私のも二人で分けた。

 二人で遊んでいるうち、妹尾は大学をやめて、私たちの劇団にシンパシィを感じ、「空間演技」という劇団に入った。

 確か、岡本喜八監督の『ダイナマイトどんどん』で、まあまあの役を演じるのだが、その後は続かなかった。

 私が借りた祐天寺の駅から三分の、家賃一万八千円のボロアパートに、今度は妹尾が勝手に住み始める(後に、このボロアパートに七人が住むことになる)。

 妹尾は、何かの事情で東京にいられなくなって、大阪に逃げた。その大阪でも、もめ事を起こして、先に逃げていた私の知り合いの五郎と、五郎の女と東京に舞い戻った。私のアパートに。

 二度結婚したが、二度別れた。

 岡山県にも住んだが、また東京に戻ってきた。夏の陽炎もたつような、暑い日。

 太陽を背に、ボストンバッグ一個を持ち、ジーパンにビーサン、サングラスをかけて、私の前に現れた。指をパチンパチン鳴らしながら、「真(まこと)、昔のようにやろうぜ」と叫ばれた時、私は腰から崩れた。

 それが十年前の話である。妹尾はもう五十八歳であった。

 しかし、妹尾は誰からも憎まれない愛嬌があった。

 いくら責めても、最後には皆、彼を許した。

 私は、二年C組の最後の大物と呼んでいる。

 

 そいつらと今日、自由が丘で会う約束をしている。

 長田はフィリピンにいて来られないが、妹尾は日払いのアルバイトをしているから、いつでも空いている。大谷がニューヨークから戻ってきている。

 京都の鴨川の堤防から五十二年。死んだ仲間たち、太田、小林、日向。そして、病に倒れている岡田。

 きっと、皆、集まっている。

 

 

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平成消しずみクラブ

連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。

プロフィール

大竹まこと

おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。

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