平成消しずみクラブ 第14回

病んで候う

大竹まこと
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 やっと文字が書けるほどになった。

 指の震えは止まったが、左足にはまだ痺れが残っている。

 範囲は随分とせまくなってきた。始めのうちは左足の脛から親指の先まであったのだが、今は足の甲から指先ぐらいに縮まってきた。

 だが、運の悪いことに、腰痛の手術後、病室と家の台所で二度ばかり転倒し、痺れの残る左足首を捻挫してしまった。原因がしばらくわからなかったのだが、それらは痺れをとる薬のせいであった。

 たぶん、無意識のうちにかばったのだろう。倒れた時に、右手で足の甲あたりをしっかり押さえていたのがいけなかった。

 足の痺れは温めなくてはいけないのだが、捻挫は冷やす。

 さて、私は、厚い靴下をはいて温めるほうを選んだ。

 医者にも伝えたのだが、「骨折もしくはヒビなら、もっと腫れてくるはずだ」とレントゲンも撮ってくれなかった。

 

 この歳までどんな薬を飲んでもそんなことが起きなかった私は、目眩の原因を突き止められず、不安におびえた。いくら椅子からゆっくり立ち上がっても天地が大きく回り、その場から動けない。

 目を閉じて左手で何かにつかまり、すこし時を過ごせば目眩は治るのだが、必然的に動きは緩慢になった。

 この症状はいつまで続くのか。

 医者に伝え、目眩の起こりづらい薬に替えてもらったが、それでは痺れがとれない。

 しかも医者は、筋肉が落ちてしまうから歩いたほうがいいと言う。

 私は医者の助言に従った。左手に杖を持ち、足を引きずりながら家の近くをうろうろと歩いた。

 疲れたら右手をその辺の電柱で支えた。

 九月の夕方とはいえ、まだ陽が強く、額や胸に汗が吹き出す。右手の杖を離すわけにはいかない。電柱を支える右腕に顔をなすりつけた。あまりうまくいかない。

 人目になるべく触れぬように、細い裏道を選んだのだが、それでも人はいて、私よりは年上であろう老女が怪訝な顔をしながら通り過ぎてゆく。

 

 入院していたのは術後一週間くらいであったが、その時は車椅子で移動した。エレベーターも利用するのだが、車椅子を利用する人間を人がどんな目で見ているのかが初めてわかった。

 いろいろな人の目が私に注がれる。様々な事情が読み取れた。ちゃんと歩ける、速足で歩ける人々は特に、私が、いや車椅子が目に入っていないように、追い越していった。私が透明になってゆく。

 エレベーターの中では誰一人気にするものはいなかった。

 遅まきながら、その経験を体に刻むことができた。よかった。皆、とても忙しいのであろう。

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平成消しずみクラブ

連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。

プロフィール

大竹まこと

おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。

 
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病んで候う

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