酒場から酒場へ 第12回

菊の司(きくのつかさ)

南條竹則
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 「(かく)()ち」という言い方は近頃流行(はや)りだしたので、わたしも初めて知ったけれど、飲み屋ではなく酒屋の店先で一杯やることを意味する。
 言葉は知らなかったが、そういう飲み方をする人々の姿は昔から見て来たし、自分でやったこともあった。

 それについて真っ先に思い出すのは、原宿の豆腐屋さんだ。
 例のにぎやかな竹下通りを駅から下りて行って、しばらくまっすぐに進むと、道はちょうど全体の真ん中辺で、少し右の方に折れ曲がる。東郷神社の裏口がある細道と交わるあたりだ。
 我が家が原宿に引っ越した一九七○年頃、その折れ曲がるあたりに酒屋があった。のちに、竹下通りで初めてのコンビニが出来た場所だ。
 その酒屋に毎日来る豆腐屋のお(じい)さんがいた。
 この人はもう随分な年齢(とし)だった。ヒョロリと痩せていて、面長で、髪は真っ白く、目は小さく、ちょっと役者の(りゅう)()(しゅう)を思わせた。
 毎日夕方になると、自転車にも乗らず、天秤(てんびん)(ぼう)を担いでラッパを鳴らしながら、豆腐を売りに来る。我が家でもよく買った。
 その時代離れした姿があまりに珍しいから、わたしは――当時中学生だったが――こんな人がいますと読売新聞に投書した。すると、さっそく取材に来て、写真入りの小さな紹介記事が載ったのである。
 このお爺さんのラッパの音は良かった。わたしはそれが欲しくなって、家の前へ来たお爺さんに、そのラッパはどこへゆけば売っているのかと訊いてみた。
「ドーデンです」
 とお爺さんはこたえた。
「ドーデンへお行きなさい」
 ドーデンとは一体何のことか最初はわからなかったが、漢字で書くと「道伝」という、その種の品物を扱う業者の名前だった。
 お爺さんは紙に住所を書いてくれた。
 そこはお茶の水の堀端の小さいビルで、寒い風の吹く日に訪ねて行ったけれど、ラッパはもう売っていないと言われた。あの素敵な音色はとうとうわたしの物にならなかった。
 この豆腐屋のお爺さんは、我が家からは少し遠い、明治通りの方に店を持っていたらしい。けれども、一日一回、決まった道筋を一まわりして、帰りに竹下通りの例の酒屋でコップ酒を飲むのが楽しみだったそうだ。わたしはそのことを我が家のお手伝いさんに聞いた。
 実際に酒を飲むところを見たわけではないけれども、あの、人の()い老人が、仕事の終わったセイセイした顔で、その日の一杯をキューッと飲み干す姿が目に浮かぶようだった。


 自分でも立ち飲み酒をやってみたのは、大人になってよほど経ってからのことである。
 渋谷の東急プラザの裏に「渋谷古書センター」という古本屋のビルがあり、絶版になった文庫本を置いてある店が入っていて、わたしはよく通った。
 その並びに「遠州屋」という酒屋があった。
 ここには結構広い立ち飲みの場所があり、白昼からおじさんたちが柿の種や缶詰をつまみにして飲んでいた。
 その様子がいかにも楽しそうだったので、わたしも中に入って、鮭缶(さけかん)で日本酒を一杯やった。
 柱に貼ってあるつまみの値段表を見ると、格段に高価(たか)いタラバガニの缶詰が高貴な光を放っているように見えた。こういう飲み方も良いものだと知ったけれど、なにしろ飲み屋で飲む方に忙しかったから、ここでは一、二回昼酒をしたにすぎない。


 いわゆる「角打ち」で飲んで、こころゆくまで酔い()れたのは、旅先でのことである。
 もう随分前のことだが、大変な猛暑の夏に、青森県の大鰐(おおわに)温泉へ行くつもりで、上野から新幹線に乗った。盛岡で高速バスに乗り換え、大鰐温泉で下車するのである。
 盛岡に着いてバス乗り場へ行ったら、高速バスはたった今出たばかり。次のバスが出るまで、たっぷり二時間ほど間がある。
 それでは酒を飲もうと思い、タクシーに乗った。
 わたしは不案内な土地で酒が飲みたくなると、いつもタクシーの運転手さんにお薦めの店を訊くことにしている。そうすると、たいてい、そんなに悪いところへは連れて行かれない。インターネット全盛の今でも、自分にとってはこの方が確実なやり方だと思っている。
 この時も、運転手氏にこう言った。
「どこかで酒を飲みたいんだけど、いいところへ連れてってくれませんか」
「ふーん。酒ね」
 運転手氏は考えながら車を緩々(ゆるゆる)と出し、やがて橋を渡って風情の良い町へ入った。盛岡には良い料理屋があると聞いていたから、期待した。
 やがて車は川のほとりの裏道に停まった。道の左側は白壁の大きな蔵のような建物だ。その向かいに一軒の酒屋がある。車はその前に停まったのだ。
「酒屋じゃアないんだよ。ちょっと気の利いたつまみでも食べて、一杯やりたいんだ」
 わたしはそう叫んだが、運ちゃんは平然として、
「お客さん、ここは『菊の司』だよ」
 とこたえる。
 わたしはその意味が()み込めなかったが、言われるままに車を降りて、酒屋へ入ってみた。
 大きい立派な酒屋で、壁一面に冷蔵庫がある。
「あの、ここで飲めますか」
 と言うと、人当たりの良い、上品なおかみさんが、
「どうぞ」
 と言って、傍らの椅子を勧めた。
「何をお飲みになりますか」
 とたずねる。
「どういう酒があるんでしょう」
 話してみると、道の向かいの建物は地元で有名な「菊の司」という酒の蔵元で、この店はそこから酒を仕入れているのだった。
 では、それを飲もうということになったが、同じ「菊の司」にも色々種類がある。おかみさんの薦めるものをまず一合、冷やで試してみた。
 すると、喉ごしが良い。
 ()きが良いのである。
 御存知のように、清酒はナマモノで、同じ容器で仕込んだ酒でも、(びん)などに入れてからの流通経路や日数や保存状態によって、大分味が変わって来る。活きの良い酒は喉をスーッと通る。それでこそ魂を洗われる感じがする。
「ああ、あの運ちゃんは正しかった。南無、運転手大明神、運転手大明神ーー」
 わたしは歓喜雀躍(かんきじゃくやく)し、例のごとく缶詰と乾き物をつまみに、本腰を入れて飲みはじめた。
 今度は、冷蔵庫で保冷してある特別な酒を四合壜で一本もらった。吟醸酒だったか古酒だったか憶えていない。おかみさんを話し相手にその一本を()ける頃には、雲の上を行く心地になって、またタクシーに乗った。


 酒屋といえば、こんなところもあった。
 これも随分前に、鳥取県の岩井温泉へ行って「岩井屋」という旅館に連泊した。
 この温泉の共同浴場はもう建て替わったろうが、当時はかなり古さびていて、しかし、天井が高く気持ちが良かった。
 昼間、この風呂に入って、喉が渇いたから何か飲もうと近所を歩いていたが、(ひな)びた町は閑散として、開いている店は見あたらない。
 酒屋があったので、
「飲めますか」
 と訊いてみると、おとなしそうなおかみさんが、
「どうぞ」
 とこたえた。
 そして、店の奥にかかっている白いカーテンをスルスルと引き開ける。向こうにはカウンターがあり、椅子が三つ四つ横に並んでいる。まるで秘密の特別室だ。
 そこに坐ってビールを頼むと、大壜の栓を開けながら、
「ご旅行ですか」
 とおかみさんがたずねる。
「湯治です」
「それは御苦労様です」
 遊んでいてそう言われて、なんだか恐縮したのだった。

 第11回
酒場から酒場へ

今はない酒場、幻の居酒屋……。酒飲みにとって、かつて訪ねた店の面影はいつまでも消えることなく脳裏に刻まれている。思えばここ四半世紀、味のある居酒屋は次々に姿を消してしまった。在りし日の酒場に思いを馳せながら綴る、南條流「酒飲みの履歴書」。

関連書籍

人生はうしろ向きに

プロフィール

南條竹則
1958年東京生まれ。作家。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。学習院大学講師。『酒仙』(新潮社)で第5回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞。他の著書に『吾輩は猫画家である ルイス・ウェイン伝』、『人生はうしろ向きに』(集英社新書)、『ドリトル先生アフリカへ行く』(集英社)、『怪奇三昧 英国恐怖小説の世界』(小学館)、『中華料理秘話 泥鰌地獄と龍虎鳳』(ちくま文庫)など。訳書に『タブスおばあさんと三匹のおはなし』(集英社)など多数。
 
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