人文知の居場所 第1回

「令和人文主義者」はファシズムに抵抗できるのか? ―「ゆる言語学ラジオ」水野太貴インタビュー―

水野太貴×佐藤喬

今、人文知に、居場所はあるのだろうか。

とめどない大衆化・通俗化と商業化の中で、知性は追い詰められつつあるように見える。「知識人」は絶滅し、耳に入るのは、SNSの金切り声とポピュリストの怒号ばかりだ。

だが、若い世代のごく一部の層に限られるが、「人文知」や「教養」に関心を示し始めている人々がいることを見逃してはならない。かれらはポッドキャストやSNSを駆使し、今風の語り口調と爽やかな笑顔で教養を扱う。そういった者らによる潮流を「令和人文主義」と呼ぶこともあるようだ(※1)。

かれらは、人文知を復興させる救世主なのか? あるいは逆に、人文知にとどめを刺そうとしている、商業主義の尖兵なのだろうか。当事者たちとその周辺に話を聞き、「人文知の居場所」を探っていく。

まずは、「言語学」についての語りが人気を博しているPodcast・YouTube「ゆる言語学ラジオ」スピーカーで、雑誌編集者でもある水野太貴氏に登場してもらった。

【関連インタビュー:『なぜ「令和人文主義」者たちを名指したのか?哲学者・谷川嘉浩が目指す「届ける」ための語り口』

代表的「令和人文主義者」?

―昨年秋から今年の頭にかけて、ポッドキャストやYouTubeなどで教養を発信する若い人たちの潮流を指す「令和人文主義」という言葉(※1)が話題になりました。提唱されたのは哲学者の谷川嘉浩さん(1990~)だけれど、ぼんやりと、彼がおっしゃる「令和人文主義」に似た雰囲気を感じ取っていた人はいる気がしています。で、自分の場合、7年前に水野さんと知り合ったのがそのきっかけだったので、水野さんは僕の中で、代表的な「令和人文主義者」ということになっています。

水野太貴(以下水野):(笑)。僕が「ゆる言語学ラジオ」をはじめる前でしたよね。

―あと、個人としての水野さんが、すごく「令和人文主義的」であることもあります。今風のビッグシルエットの服を着こなしていることとか、ある種の器用さとか、政治性の薄さとか。

水野:(笑)。政治性が薄いというのはどういう意味ですか? 政治的イシューに対して意見を表明しないということでしょうか。

―それもそうなのですが、それ以前に、内部に政治的な強い価値判断があまり感じられない気がします。それは水野さんだけではなくて、「令和人文主義」と名指されている人たち一般に感じますね。

水野:うーん、「令和人文主義」をめぐる議論を見ていても感じたことなのですが、政治性が薄いといって批判する人たちが考える「政治性」と、「令和人文主義」にくくられる人々が考えるそれが、食い違っていると思うんですよね。少なくとも僕は政治的な思想は持っていると自認してますし、もちろん、選挙にも行きます。ただ、ネットで政治性をそのまま出しても誤解を生んだり、読者や視聴者を限定してしまうから、出し方を考えているってだけで。

―それは哲学者の谷川嘉浩さんに同様の質問をしたときに、「政治的な表明をしないではないけれど、SNSでは党派性に回収されないように気をつけています」とおっしゃったこととも重なりますね(※2)。

水野:ですね。たとえば僕は今、フェミニズムについて色々勉強してるんですけど、ちょっと動画で触れただけでも反発があったり、発信するハードルがけっこう高いんですよ。だから、エンタメとして上手く表現できないかと思ってます。だから、政治性はあると思うんですけどね。というか、佐藤さんが質問している「政治性」ってなんですか?

―政治について、水野さん固有の問題意識をどこまで持っているか、でしょうか。意地悪な言い方をすると、今の水野さんが所属している、若くて高学歴なホワイトカラーの階層だと、フェミニズムは一種の「公式」になっているじゃないですか。谷川さんも「令和人文主義者の多くはフェミニズムに共感を持っている」とおっしゃっていました(※2)。

「令和人文主義」の「若さ」

水野:ああ、そういう意味だと、僕固有の問題意識はまだ弱いですね。僕が社会的な構造によって強く傷つけられたり、挫折した経験がないからですかね。あと、僕を含めて「令和人文主義者」は世渡りが上手い人が多いこともあるかもしれません。

―あとは、皆さんが若いことも共通点ですね。

水野:そうそう、僕が思うのは、その人が人生においてケア労働を経験しているかどうかって、すごく大きな影響があるんじゃないかということ。親の介護でも子どもの世話でもいいんですけど、「優先順位の一番上に、自分じゃない存在を置く」という経験をした人と、したことがない人では、話がかみ合わないと思うんですよね。その辺も、自分は薄っぺらいなーと思っちゃいます。

親の介護も必要なくて、ケアする相手もいなくて、いわば「全身全霊」でやりたいことに注力してるって、ちょっと安直な気がするんです。そんな安直なやつをいろんな人が持ち上げてる状況って、大丈夫かな? と思うことはあるかもしれません。

―それは、水野さんに限った話? それとも「令和人文主義」全般ですか?

水野:僕に限った話かな。他の人の事情を把握してないので。僕や僕以下の年齢でも、家族とか他人のケアをしている若者やヤングケアラーはいっぱいいますからね。

―そうですね。ただ、やはり若いほどケアと遠い傾向があるのは間違いない。良くも悪くも、「令和人文主義者」の「若さ」はもっと注目されていいと思いますね。

水野太貴氏

小峰ひずみは、カッコよかった

―たとえば、批評家の小峰ひずみさん(1993~)が2025年11月末に発表した文章「『令和人文主義』に異議あり! その歴史的意義と問題点」(※3)以降、ネットでいっちょかみの「令和人文主義」批判(?)が盛り上がったけれど、その「若さ」はあまり問題になってなかった気がします。

水野:ああ、小峰さんがnoteに書いた「令和人文主義」批判は、当時なんとなくあった「令和人文主義っていいよね」みたいな空気に反旗を翻した点ですごいと思ったんですけど、それに続いて出てきた言説は、なんか芯を食ってないものが多かったというのが正直な感想です。

―たしかに、SNS上で議論している人たちのほとんどが全然「令和人文主義」の本やコンテンツに触れていないなあと思いました。

水野:そうそう。まあ、地方に行ったら誰も令和人文主義の話なんてしてないですから。

しかし、ひずみさんカッコよかったですね。僕も呼んでもらった、「令和人文主義者」が集まった今年1月のイベント「いま人文知の現場はどこにあるのか? 『2020年代の時代精神』を模索する一日。」(※4)に単身、やって来て登壇してましたからね。僕はそのセクションには出席できなかったので議論には参加していないんですが、いわば敵地に一人で乗り込んだわけで、僕もひずみさんみたいな部分を持ってないといけないと思いました、本当に。

―僕もあの不器用さと気骨は、反「令和人文主義」的だと思いました。

『会話の0.2秒を言語学する』の批評性をめぐって

―ところで、水野さんの初の単著『会話の0.2秒を言語学する』(新潮社)、とてもよかったです。文章はすごく読みやすいし、構成がプロの商業ライター並みに綺麗で、まいりました。30歳でこれを書かれたのは、僕にとってけっこうな脅威でした。

水野:本当ですか? それはメチャ嬉しいです。毎週更新してる「ゆる言語学ラジオ」と本業の仕事がトレーニングになってるんだろうな……。

―ただ、反面、自炊に挑戦してみたら、なぜかレストランで出てくるような料理ができてしまったときのような、微妙な物足りなさもあったんです。家庭料理だけに許される「いびつさ」がないというか、綺麗すぎるというか。別の表現をすると、「批評性が弱い」というやつかもしれません。

水野:それは賛辞として受け取ります(笑)。プロの料理に例えてもらえるのはすごく光栄ですよ。ただ、その「批評性」ってなんですか?

―1つは、「令和人文主義」全般に言えることかもしれないけど、価値判断に距離を置くことかな。終章ではそれを出していましたけど、あえて嫌味ったらしい表現をすると、その価値観はとても大事だけれど批判される可能性はほぼないものですよね。

水野:まあ、「それは間違っています」と言われることはない内容ではありますね。でも、それは僕が正しいと思っている思想を言葉にしたまでです。そして、そこに、僕なりの批評性を宿したつもりです。

―わかりますし、主張には同意です。ただ、批判されにくい価値観を出すことには、批評性はないと思います。

水野:うーん、たしかに微温的というか「ぬるい」結論ではあったかもしれないですよ。でも、それを、会話にかかる心理的なタスクと関係づけて示した本は、僕が読んだかぎりは見たことがありません。そこには新規性があると自負しているんですけど。

―もちろんそうだし、そこに至る構成も見事です。でもその、「新規性」「差別化」みたいなことを考えられる時点で、まだ余裕があるように感じてしまいます。

水野:いやいや、本を書くってそういうことなんじゃないですか? 

―少なからぬ編集者は、著者が「余裕」を失う瞬間を待っている気がします。少なくとも、商業的でない文学や批評の世界では。

『会話の0.2秒を言語学する』は紀伊国屋じんぶん書大賞2位にランクイン。8万部を突破した。

商業主義を受け入れるリスク

―あと、『会話の0.2秒を言語学する』みたいに学術的な内容を扱っている本は、著者が研究者でないと出版社で企画が通りづらいんですが、その点でも珍しい。

水野:そうですよね。しかも、連載をまとめたわけでもなくて、書き下ろし。

―つまり、研究者ではない水野さんが書いたこの本が世に出たのは、水野さんがフォロワーという「数」を持っていて、出版社に経済的な安心感を与えられたから。その意味で、商業主義を乗りこなさないとスタートラインに並べなかった、という面でも「令和人文主義」の時代をよく象徴していると思います。

水野:うん、フォロワーの数を見られる時代ではありますよね。

―みな、商業主義に批判的であろうとしているのは理解していますが、一方で部分的にそれを受け入れてもいる。そのリスクが将来、顕在化しないかは心配しています。

水野:どういう面でリスクがありますかね?

―たとえば、商業的な伝え方のなかには「感動して震えた」「泣いた」みたいな表現をたまに見ますよね。しかし、それを発している人は本当に震えたり泣いたりしているだろうか。自己について嘘を書く習慣は、自己欺瞞のはじまりではないか。商業主義を乗りこなすなかで、それに取り込まれていくリスクはたしかに存在するとは思います。

水野:たしかに、本の褒め方にしても、表現が大げさになってしまうところはあるかもしれません。

他にも、たとえば、SNSだと怒りを演じることがすごくインプレッションにつながるんですよね。だから、本当は大して関心もないテーマに対して、怒った演技をして投稿したり喋ったりする。そういう、「アルゴリズムに作られた怒り」が飛び火して広まっていく光景を見ているのは辛いんですけど、これも自己欺瞞ですよね。

まあ「令和人文主義者」に関して言うと、「喜怒哀楽」の「喜」「楽」を使ってはいることが多い印象ですが、それを強調しているという点では演技している面はありますね。

水野大貴に「怒り」はあるか?

水野:それと繋がるかわからないんですけど、僕、あまり怒った記憶がないんですよ。

―たしかに。じゃあ、もう少し社会性を持たせて、「憤り」は? 政治とか社会構造に対する。

水野:それも、あまりない。典型的な「さとり世代」なんですよね。

もちろん、学生のころは政治家や官僚のスキャンダルのニュースを見て腹が立ったりはしましたよ。でも、「どうせ誰に政治を任せても一緒だし、ニュースを見てイライラするだけ無駄だよな」という方向に行っちゃう。

―なるほど。

水野:あと、僕ってすごくナイーブに、接触したものに影響される面があるんですよね。ネットで嫌韓とか嫌中が流行った時期には小林よしのりを読んでちょっと影響されちゃったし。というのも、学校の歴史の授業以外で歴史に関する議論に触れるのは、それがはじめてだったから、カモの雛がはじめて見た物について行っちゃうみたいに、影響されてしまった。

―(笑)。でも、小林よしのりは中国や韓国などへの「憤り」を掻き立てる人ですよね?

水野:ところが、僕はそもそも社会への不満があまりないので、「中国のせいだ」みたいな考えは持てなかったんです。普通に韓国人の友だちもいたし、外国批判には全然共感できず、だから間もなく離れましたね。

……いや、その前段階がありました。中学生の時に通ってた塾の先生がすごい右翼的な人で、授業中に「日本の景気が良かった時期は、戦争と重なっている。だから戦争すべきなんだ」とか言うわけです。で、その説明が、当時の僕にとっては「わかりやすい」もので面白かったんですよ。

―そういう言説を聞いて、水野少年はどう思ったんですか?

水野:「すごーい! そうなんだ」と思いました。

―(笑)。書き込み自由な「空白の石板」なんですね。

水野:(笑)。

―それが、最近の水野さんが動画やインタビューでたまに言う「自分は戦争に反対できるだろうか」という問いにつながっていくわけですね。

佐藤喬氏

「令和人文主義者」は超国家主義に抗えるか?

水野:そう、自分の適応力の高さからすると、もし自分が属している国家の政府が戦争を始めることにして、反対したら弾圧される空気になったら、僕ってメチャ賛成しそうだと自分で思うんです。思想が弱いから。

―「思想が弱い」というのは?

水野:戦争に反対するとして、その理由を自分の体験知みたいなところまで落とし込めていないんです。口先だけ。だから人文学を勉強したいんです。

あるいは、特定の外国から来た方々への差別に反対するとします。ところが、まさにその国から来た人の一人に、僕の家族が傷つけられたとしましょう。そのときに、僕が「外国人差別、反対」と言い続けられるか、すごく考えるんですよ。言い続けたいけれど、強い、確固たる思想がないと、言い続けられないと思う。

誰でも、差別的な感情が湧き出てしまうことはあると思うんですよ。でも、それを正面から認めた上で理性の力でキャンセルするのが、本当の意味で「差別をしない」ということだと思う。差別的な感情を見て見ぬふりをするのではなく。

―なるほど。

水野:だから僕は、人文学を勉強したいんです。戦争や差別がいけない、ということの理屈をたくさん知って、体感的に理解して、きっちりと口で説明できるところまで勉強して、はじめて具体的な行動に結びつくと思っているので。

―政治的に正しそうなことを言えても、それを本当に内面化するのは簡単ではないですよね。もし1930年代の日本に「令和人文主義者」がいたら、超国家主義に抗えたかな?とは考えてしまいます。

人と社会の手触りを知っていく

―『会話の0.2秒を言語学する』では、水野さんの、人間性みたいなものへの目覚めが出ていましたね。昔の水野さんは、社会とか人を、機械として見るところがあった。質的な手触りにあまり関心がないというか。

水野:そうですね。すごく機械論的というか、「体温」みたいなものを捨象して考えたいという気質はありましたね。人によって定量的なものと定性的なもの、どっちに説得力を感じるかが分かれると思うんですけど、僕ははっきり前者で、n=1の話よりもデータを見たいタイプでした。

そんな僕が「ゆる言語学ラジオ」をやってきて、ヒューマニティーみたいなものを獲得してきた感じはあるかもしれないですね。

―それがとくに終章の最後には強く表れていたのが感動的でした。

水野:読んでいて僕固有の質感はありました?

―質感はありました。ただ、それが水野さん固有かどうかを判断するには、まだ若すぎる気がします。

水野:なるほど。しかし、今回の話、どんな記事になるんですか? 雑談ばっかりで、よく聞かれる「学問の話でどうしてあんな再生数がとれるんですか?」とか「視聴者を楽しませるために工夫していることは何ですか?」みたいな質問が一回もなかったんですけど、大丈夫ですか。

―ここでそういう事を聞かれたかったですか?

水野:いえ、あんまり……(笑)

―「令和人文主義者」あるあるだけど、インタビューがイマイチ面白くないことが多いと思う。インタビュアーの行儀が良すぎるのか……。

水野:答える方も優等生を演じがちですしね。

―「令和人文主義者」は、がんばってそれを演じている人と、生まれながらの「令和人文主義者」に分かれると思うんだけれど、水野さんは後者ですね。

水野:(笑)

※1

谷川嘉浩「深井龍之介、三宅香帆…新世代が再定義する教養「令和人文主義」とは」朝日新聞、2025年9月11日

https://digital.asahi.com/articles/AST982GY9T98ULLI001M.html

※2

谷川嘉浩、聞き手・佐藤喬「なぜ「令和人文主義」者たちを名指したのか?哲学者・谷川嘉浩が目指す「届ける」ための語り口」集英社新書プラス、2026年1月9日

https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/tanigawa_sato/32989

※3

小峰ひずみ「「令和人文主義」に異議あり! その歴史的意義と問題点」文学+WEB版、2025年11月27日

https://note.com/bungakuplus/n/n7f809eebf081

※4

「いま人文知の現場はどこにあるのか? 「2020年代の時代精神」を模索する一日。」Loft Plus One West、2026年1月11日

https://www.loft-prj.co.jp/schedule/west/339330

人文知の居場所

SNS以降の情報環境の変化、旧来型メディアの衰退、世界の政治状況の混沌……そのような時代の人文知はどのような形で存在しうるのか?ライター・編集者の佐藤喬氏が、新しい「知の居場所」を作ろうとしている人々に話を訊く。

関連書籍

プロフィール

水野太貴

みずのだいき 1995 年生まれ。愛知県出身。名古屋大学文学部卒。専攻は言語学。出版社で編集者として勤務するかたわら、YouTube、Podcast チャンネル「ゆる言語学ラジオ」で話し手を務める。同チャンネルの YouTube 登録者数は 36 万人超。Podcast「神保町で会いましょう」のパーソナリティ。著書に『会話の0.2秒を言語学する』(新潮社)、『復刻版 言語オタクが友だちに 700 日間語り続けて引きずり込んだ言語沼』(バリューブックス・パブリッシング)、『きょう、ゴリラをうえたよ 愉快で深いこどものいいまちがい集』(KADOKAWA)がある。

佐藤喬

さとう・たかし フリーランスの編集者、作家。「令和人文主義」周辺の仕事としては、『歴史思考』(深井龍之介、ダイヤモンド社)、『QuizKnock 学びのルーツ』(QuizKnock、新潮社)、『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極寿一・鈴木俊貴、集英社)などを手掛けた。著書に『1982』(宝島社)など。1983 年生。X:@SatoTakash1

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