中国が緑化を進める背景には「不動産バブル崩壊」も
実際に現地で暮らしている人は北京の環境の変化をどのように捉えているのだろうか?
日本の大手企業に勤める40代男性のAさんは、最初に赴任した2008年と比べて「空気は大きく改善された。街の快適度がどんどん上がっている」と話す。公園を散歩するのが好きだというAさんは、北京の街に公園や緑地が増えていることも実感している。自宅近くの公園で、休日に子供と遊ぶのが楽しみで「今や北京は、日本の都市で暮らすのと変わらないレベルで生活できます」とAさんは言う。
北京に住む中国人の30代女性のBさんも大気汚染の改善を実感しているという。「中国人の価値観がただ経済成長すれば良いというものから、生活環境も大事だというふうに変わってきている」とBさんは話す。ただし公園や緑が増加していることは好意的に受け止めるが、街の中の樹木が春に飛ばす花粉が年々増加していることは辛いと訴える。「春の花粉シーズンは本当に目が開けていられないほど辛いです。これだけはどうにかして欲しい」
2010年代半ばには「世界最悪」とも言われた北京の大気汚染が、急速に改善されたことは間違いないだろう。興味深いのは、社会主義市場経済(「中国の特色ある社会主義」)である中国の公害問題への対処法である。北京の大気汚染についてのレポートを執筆したジェトロ(日本貿易振興機構)北京事務所副所長の森永正裕氏は次のように指摘する。
「私が前に北京に駐在したのが2014~2017年、そして2023年に再び北京に来ましたが、これが北京かと疑うような変わりぶりです。この急速な大気汚染改善のポイントは『政府の強制力』が日本では想像がつかないくらい強いということです。例えば、北京には優良な石炭の産地があり、主に製鉄用にその石炭が使われていましたが、2014年に北京市内では石炭の使用が完全に禁止されました。それと同時に石炭を使っていた製鉄所も強制的に全部操業停止になりました。新日鉄などの日系企業も、北京産の石炭を使って鉄を製造していたので困ってしまったんです」

先に紹介した3000もの工場を移転させたり、10年で1億本以上の木を植えたりすることも、政府の強制力がなせる荒業だろう。
この中国政府の環境対策について、どう評価すべきだろうか? やりすぎだと感じる人もいるかもしれない。しかし、市民の健康を害するような大気汚染は改善し、青空が戻ってきたし街は緑で溢れるようになった。
経済思想家の斎藤幸平氏は「環境問題については、国家による経済計画や市場規制は、効率がよい」と主張している(『人新世の黙示録』)。なぜならば環境問題の「最適解」は「汚染物質を出さない」、「CO2排出量を減らす」、「樹木を増やす」など科学的に明確であるからである。しかし、誰もが最適解をわかっていながら
、利潤最大化を目的とする資本主義社会では、汚染物質やCO2を排出しながら生産を続けたり、樹木を大量に伐採して建造物を建ててしまったりする。だから国家の経済計画により市場を規制する、社会主義的な方法が有効だという。
私はこの主張には一理あると思うが、歴史が証明しているように社会主義的な国家の強制力は、個人の利益や人権の侵害などを伴う全体主義に結びつきやすいことには注意を払うべきだ。
例えば北京で大気改善策が行われた時、北京市に隣接する河北省の小学校では代替設備のないまま強制的に石炭ストーブが撤去され、真昼でも気温0℃の寒さの中、多くの児童が霜焼けや凍傷を患ったという(2017年10月16日日刊工業新聞、2017年12月8日産経新聞)。
また、暖房用燃料を石炭から天然ガスへ強制的に切り替えさせられた河北省の農村部では、都市部より貧しい農村部の人々が、石炭よりも割高な天然ガスを使用しなければならないので、困窮しているという。農民たちは割安な石炭を使って暖を取りたいが、村の幹部や監視カメラ、ドローンなどによって、石炭を使用していないか見張られている。氷点下10℃以下に達することもあるという冬でも、寒さを我慢しながら生活している(2026年1月17日東京新聞、2026年3月11日時事通信)。
「北京の青空」の代償を、子供や貧しい農民という弱者が支払わされているのだ。これでは誰のため何のための環境改善であったのかわからない。
ジェトロの森永氏はまた、習近平氏が猛烈な勢いで進める緑化政策の背景には、大気汚染改善以外の理由もあると言 う。「北京に限らず、中国全土で緑化政策がとられているわけですが、その背景には国民の幸福度を高める狙いもあると思います。住んでいる人の幸福度、満足感を高めたいという政策は年々強くなってきています」
たしかに緑豊かな公園を増やして多くの人が使えるようにすれば、とくに都市部の国民の生活満足度は向上するだろう。例えば北京市は、すべての市民の自宅から500m以内に公園や緑地があるようにする目標を立てている(2024年6月17日人民網日本語版)。
政府がこうした福祉的な政策に力を入れる理由としては、中国経済が厳しい状況にあることが挙げられると森永氏は指摘する。日本でも大きく報道されているように、中国の国内経済は不動産バブルの崩壊などによって苦境にある。2026年4~6月期の実質GDP成長率は前年同期比で4.3%増となり、1~3月期5.0%から落ち込んだ。政府が目標として掲げる4.5~5.0%を下回っている。
なかでも内需が低迷しており、2026年5月には小売りの売上高が、新型コロナウイルス禍にあった2022年12月以来のマイナスに落ち込んだ。若者の失業率は18.9%(2026年8月)と過去最悪の水準にあり、住宅販売や自動車販売も落ち込んでいる。
こうした中で、国民の習近平政権に対する信頼は揺らぎ、不満や不安は高まっている。しかし、かつてのように急速な経済発展を遂げ、国民が豊かになり、消費にもお金を使うという循環はもはや築けない。そこで公園や緑地を充実させ、国民感情を和らげようというのだ。

これは非常に説得力がある見方だと思う。これまでの旗印だった「高い経済成長」がもはや望めない中、習近平氏にはそれに変わる新しい旗印が必要だろう。緑地や公園の拡充は、派手さこそないものの、着実に国民の満足度を上げられる施策かもしれない。
こうした様々な思惑から緑化を進めていると見られる習近平氏だが、トップダウンで環境重視の改革を進める姿勢は危うさをはらむ。
中国研究者でジャーナリストの田
輝
氏は次のように指摘している。「ある中国の環境NGOのリーダーが来日した際に、『習氏はあなたたちNGOを守るのか?』という趣旨の質問をしたところ、おそらく15秒くらいだろうが、かなり長く感じる沈黙があり、その後絞り出すように『やっぱり信じないといけない』と答えていたことも記憶に残っている。その長い沈黙は、環境NGOのリーダーが、習氏の環境重視は自分たちの活動を支持するわけではなく、あくまで『上からの改革』にとどまるものであることを理解しているからだと感じた」(2023年4月7日現代ビジネス)

現在の気候危機に立ち向かうためには、様々な政治システムの下で、環境対策を進めていかなければならない。習近平政権が進める「上からの改革」はそのひとつの形として評価できるものの、個人の思想や個人の力に頼ると、指導者が変わった時に、すべてひっくり返されてしまう危険性がある。
アメリカでは気候変動を否定するトランプ氏が大統領になった後も、ニューヨークやカリフォルニアなどの自治体では、優れた環境政策が継続されている。それは市民からのボトムアップの運動があってこそだろう。
今後の中国の課題は、政府がトップダウンで圧倒的な規模とスピードで緑化を進めながらも、同時に市民の意見を聞き、市民が主体となって緑を増やしていく取り組みを進めることではないだろうか。トップダウンとボトムアップ、両者がかみ合って初めて、気候危機という大きな課題の解決への糸口が開けるのである。
プロフィール

(おおさわ さとる)
テレビ東京で「WBS(ワールド・ビジネス・サテライト)」など報道番組の記者・ディレクターを担当。現在はジャーナリストとして活動。明治神宮外苑の再開発に近隣住民として反対し、新宿区に対する樹木伐採許可取り下げ訴訟の原告団長を務める。X(旧Twitter)フォロワー3.9万人「ミド建築・都市観測所」(https://x.com/Mid_observatory)を運営。早稲田大学第二文学部卒、京都大学公共政策大学院卒。1983年生まれ。
大澤暁





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