■ 直視しがたいものに触れたとき
塚本晋也監督の映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』を観に行った。一八歳で米軍の海兵隊に入隊しヴェトナム戦争に従軍したアレン・ネルソンが、帰還後にPTSDをわずらい、苦しみながら、そこから抜け出すことを目指して自らの戦争体験を語り出す——そんな内容だ。タイトルに掲げられている「あなたは人を殺しましたか?」という問いの答えは、劇中ではすぐ明かされる。ヴェトナムに赴いた彼は、はじめは戸惑いながら、やがて積極的に、ヴェトコン(南ヴェトナム解放民族戦線)と彼らをかくまう村の人々を容赦なく殺害していく。ときには村に残っていた老人や女性、子どもたちの遺体を、ヴェトコンの兵士たちをおびき出すトラップとして使ったりもした。
だから、ネルソンにとって戦争体験を語ることは自らの加害体験を語ることである。復員後、ネルソンが抱える精神的な問題[1]に立ち会う精神科医のダニエルズは、ネルソンに「話したいことは?」と言って戦争体験を語るように促し、ネルソンがあるていど語りを進めると決まって「あなたはなぜ人を殺したのか?」と訊ねる。「人を殺したのか」ではなく「なぜ人を殺したのか」という問いこそがこの映画を通じて描かれる問いであり、その答えと向き合うことこそ、ネルソンが前に進むためには必要なことだった。
ネルソンはあるきっかけから、息子の通うハイスクールでヴェトナム戦争の体験を語ることになる。治療の一環として精神科医とともに自らの体験を振り返るのではなく、なにも知らないオーディエンスに向けて自らの体験を語る。この経験が転機となり、ネルソンは自らの戦争体験をいろんな人たちの前で積極的に語るようになっていく。アメリカ各地で講演し、沖縄で講演し、そしてヴェトナムでも講演してくれないかと依頼が来る。ヴェトナム戦争終結から四〇年経っているとはいえ、ヴェトナムで子どもや老人でさえ容赦なく殺してきた自分を現地の人々はどんなふうに迎えるのだろうか。ヴェトナムの人たちを前にネルソンが語り出すところが、この映画のクライマックスだ。
アレン・ネルソンは実在の人物である。映画も、彼の自伝をベースに作られている。映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』が優れているのは、悲惨な出来事における「加害者の語り」が持ちうる普遍性を信じ、描き出したことにある。ネルソンは、沖縄の基地で訓練をしているときには現地の人々に暴力を振るい、力によって人を支配する快楽を味わった。そんな日々を彼は「テーマパークのようだった」と回想する。そしてヴェトナムでは、大勢を殺害した。つまりネルソンは、「加害者」として「被害者」に向けて語り続けたことになる。これは、非常に困難なことだ。
いま僕たちが生きる情報環境では、ある人が加害者なのか被害者なのかという判定は、対話を終わらせるために下される。加害者ではないと主張するための弁明はありえても、加害者である人間からの弁明には誰も聴く耳など持たない。反対に被害者は、自らが被害者であると証明し続けることを陰に陽に要求される。両者のあいだに対話の可能性はなく、誰が加害者で誰が被害者なのかをジャッジしようとする第三者の「考察」だけが氾濫していく。加害者から被害者に向けた語りは、僕らが生きる情報環境ではもっともありえないものとして位置づけられる。
ところが、ヴェトナム講演のシーンでネルソンと聴衆は加害者・被害者というそれぞれの立場を超越する。「戦場」の経験が普遍的なものとして立ち上がり、ネルソンはそれを生き直し、聴衆はそれを追体験することになる。聴衆はネルソンを睨みつけるのではなく、なんらかの共感を示しながら涙を流す。彼の語りは、加害者であるか被害者であるかという区別を超えて、そこにいる人々がともにひとつの「戦場」を眼差すように促すのだ。そのような語りでなければ、どうしてネルソンが沖縄やヴェトナムに赴き、現地の人々が耳を傾けるなんてことが起き得ただろうか。塚本晋也は、人々を感化させる「加害者の語り」がありうるのだという事実に触れ、それを観客にも信じさせる映画を撮ったのだ。
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』は反戦映画として、そして映画として素晴らしい作品だと思う。しかしながら、ネルソンがPTSDに苦しみ過去がフラッシュバックする描写や戦場で行われた虐殺のシーンには直視しがたい部分もあった。このような作品に触れたとき、僕のなかにはしばしば二つの相矛盾する想いが芽生える。ひとつは、「戦争をめぐる歴史的な事実を知り、戦争の是非について考えさせる力を持った素晴らしい映画なのだから、みんな観るべきだ」といういささか独善的な想い。もうひとつは、「暴力や精神疾患についての描写が強烈だから、むやみやたらとひとに薦めるべきではない。とりわけ、心構えが不十分な子供相手には慎重になるべきだ」という配慮からくる想いだ。
ある映画が「戦争の是非について考えさせる力」を持つことと、その作品におけるひとつひとつの出来事の描写が強烈なことは、しばしば同じ魅力の表裏である。エンターテインメントにおける不思議な事実のひとつに、人はわざわざそれを鑑賞することで不快な気分になるような作品を好む、ということが挙げられる。ホラーやグロテスク、胸くその悪い展開など、その瞬間には恐怖や不快感を抱かせるようなものを、僕たちは文化として養い育て続けてきた。趣味嗜好の範囲に留まっているうちは、わざわざ好まない人に薦められることはない。しかし、それが社会の構造や歴史を反映するものと位置づけられた途端、それらは「個人の好み」の膜を突き破って「知るべきもの」に変わる。今回の連載では、悲惨なイメージはなぜ「知るべきこと」として僕たちに迫ってくるのか、そしてそこで言われている「知ること」とはどのような経験なのかについて考えてみたい。
■ 悲惨なイメージは見る「べき」ものなのか
広島平和記念資料館が、二〇二八年に新設する小学五年生から中学生向けの展示コーナーに「選択展示」を導入することがニュースになった。該当コーナーには、原爆の被害で傷つき苦しむ人々の写真や絵が掲載されたパネルを避けて進むことのできる順路が設置される。もちろん、それらのパネルを回避しても原爆やその被害について学ぶことは可能だが、原爆被害の悲惨さをそのまま表す資料は見なくてもよいことになる。武田肇の記事によれば[2]、選択展示を検討するきっかけとなったのは修学旅行で広島市を訪れた小中高生に向けたアンケートだったそうだ。新展示の検討段階では、展示によって受けたストレスからくる恐怖や悲しみは、年齢が低いほど長く続く傾向にあるといった調査結果も提出されている。
このような方針に対しては、当然異論も出てくる。被害の凄惨さまで含めなければ、核被害について伝えたことにはならないとする被爆者の意見もある。個人的には、年代を絞ったコーナーでひとりひとりに「選択」させることには、展示を鑑賞する際の能動性を高める効果もあるのではないかと思う。仮に悲惨な展示を「見ない」という選択をした人であっても、このパネルの向こうにはさらに惨いものがあるのだ、という想像を経由することは、その後の興味関心にも繋がってくる。資料館を訪れない、展示の存在にすら気づかない人たちが増えてしまうくらいなら、少なくとも現地でその子自身が選択できるようにする、という方針は望ましいものではないだろうか。
議論を追っていると、多くの人のなかに、過去の歴史について学ぶときに悲惨なイメージに触れるのは意義あることだという前提があることに気づく。たとえ子どもであっても、いや子どもの時分だからこそ、ときに悲惨なものを直視しながら学び続けていかなければならない[3]。僕自身も、いつからかそのように考えている。しかし、悲惨なイメージに触れることにはさまざまな困難も伴う。それを踏まえてなお、僕たちは悲惨なイメージを経由する「べき」だと主張したくなるのはなぜなのだろうか。
批評家のスーザン・ソンタグは、リンチによって手足を切断され吊るされた死体を背景にポーズをとる人の写真が展示された出来事に触れて、次のような問いを発している。
このような写真を展示する意味は何だろうか。怒りをかきたてるため? 「嫌な」気持ちにさせる、つまりぞっとさせ悲しませるため? 哀悼させるため? ここにある恐怖がもはや懲罰のおよばぬ遠い過去のものであることを考えれば、これらの写真を見ることが本当に必要なのだろうか。このような映像を見ることで、われわれはそのぶん善良になるのだろうか。それらの写真は実際にわれわれに何かを教えるのだろうか。それはただわれわれがすでに知っていること(あるいは知りたいと思うこと)を単に確証するだけではないだろうか。[4]
ソンタグの問いかけは、広島平和記念資料館の選択展示にも結びつけて考えることができる。悲惨なイメージに触れることで激しい感情を喚起させられたら、それだけ僕たちは善良な存在になれるのだろうか。あるいは、悲惨なイメージはあらかじめ僕たちが学習していたことよりも多く、その出来事について教えてくれるのだろうか。いずれの問いに対しても、否定的に答えることが可能だ。であれば、戦争の歴史について学ぶときに悲惨なイメージを経由する必要などないのではないか。
■ 悲惨さが到達しうる普遍性
ソンタグは同じ著作のなかで、悲惨なイメージが果たしうる役割について次のようにも述べている。
〔悲惨なイメージは〕既存の勢力がもたらす巨大な苦しみへと注意を向け、考え、知り、調査をする契機以上のものではない。この写真が示すものをもたらしたのは誰か。誰の責任であるのか。これが許される口実はあるのか。不可避のものなのか。今までわれわれが受け入れてきた状況のなかに、疑問を呈するべきものがあるのではないか。こうした疑問のすべてと、同情のごとき道徳的怒りは行動を方向づけることはできないという認識を、写真は喚起する。[5]
「契機以上のものではな」く、「行動を方向づけることはできない」というソンタグの言葉は、非常に控えめなものに思える。彼女は、悲惨なイメージに触れたときに生じるさまざまな感情や疑問は、それ自体でなにか特定の行動や政治的なアクションへと僕たちを促すものではないと述べているのだ。あるイメージの享受と、ある主張や運動を直結させる選択肢は慎重に排除されている。ソンタグの言い方のうちに、悲惨なイメージがすぐさま善良なものや正しいものへと僕たちを導くといった「教育的効果」を幻視する人々への批判的態度さえ読み取ることができる。
だとすれば、彼女の言明にはイメージとアクションを直接結びつけてしまうような態度を退ける以上の積極的なものは見出せないのかといえば、そんなことはない。彼女がそこに見出す「契機」という役割を、悲惨なイメージ以外のどんなものでも担うことができるようなものとして軽く見てはならない、と僕は考える。出来事についての情報ではなく、悲惨なイメージだからこそ担うことのできる役割があるのではないか。ソンタグは次のように述べている。
残虐な映像をわれわれにつきまとわせよう。たとえそのような映像が象徴に過ぎず、それが言及している現実を到底網羅していなくても、それらはなお重要な機能を果たしている。映像は語りかける。人間はこんなことまでやるのですよ、熱意をもって独善的に、進んでやろうとさえするのですよ。覚えておきなさい。[6]
ソンタグの記述は、なぜ悲惨なイメージに僕たちが触れる「べき」なのか、という問いに対するひとつの答えを構成している。悲惨さは、それを被った者にとって固有で唯一無二の出来事でありながら、その固有性を超えて人々に訴えかける力を持つ。僕たちはそこから、固有の出来事について新しく何かを知るわけではない。しかしながら、それは「人間はこんなことまでやるのですよ」と訴えかける。悲惨なイメージは、その唯一無二性を反転させて、人間そのものについてのより普遍的な認識へと僕たちを導く。
もちろん、悲惨なイメージであれば必ず普遍的な認識をもたらすというわけではない。したがって、悲惨なイメージであればすぐさまそれが見る「べき」ものになるわけではない。悲惨なイメージであってもなお、「個人の好み」や「選択の自由」といった制約を超えて提示されるに値するとしたら、それは普遍的な認識へのパスになりうる力を持っているはずだ、ということをここでは論じている。
もういちど、アレン・ネルソンのことを思い出そう。あくまで塚本晋也が撮ったイメージの話をしていることには注意を促しておくが——ネルソンがヴェトナムの聴衆の前で語ったとき、そこで起きたのは「悲惨な事実の伝達」ではない。祖父母や父母を殺害した人間が目の前にいて、その壮絶な体験について語っている。そこでなにが起こりうるのか。聴衆はネルソンの語りを通じて、出来事としては知っていたはずの「戦場」に連れ出される。聴衆とネルソンは、ともにその戦場を生き直す。彼の語りが加害者と被害者の区別を超えうるのは、それが「知るべき事実」を一方的に示したからではなく、語る者と聴く者が同じ経験のなかに入っていく普遍的な認識の場をひらくからだ。
このような意味で、塚本晋也によって描き出されたネルソンの語りは、ソンタグが「契機」と呼んだものにほかならない。知ることがたんなる情報の受け渡しに留まるかぎり、同情は萎れ、僕たちはうんざりして冷笑的になっていく。しかし、悲惨さの語りやイメージが僕たちを「人間」へと接続しうるのだとしたら、そこにはたしかに知ることの倫理的な意義も生じてくる。僕たちが悲惨なものを「知るべき」だと感じるのは、知ることが僕たちを善くするからではないのだ。
■ 知ることと「善くある」こと
ここまで、享受するかどうかは「個人の好み」で選択するべきものと思われる悲惨なイメージが、社会や歴史と結びつくことで「知るべき」ものと見なされる理由について考えてきた。悲惨な出来事やその実態について知ることが、ただちに僕たちを善良なものにするわけではない。しかし、その悲惨さが、自らも属する「人間」というカテゴリーへの想像力を拡張することがあるのだ。
とはいえ、知ることはいかなるときにも僕たちが「善くなる」ことと切り離されなければならないのだろうか。たとえば、社会のなかで構造的に虐げられてきた人々の状況について知ること、あるいは、自らが置かれている困難な境遇を他者に訴えるための言葉や振る舞いについて知ることは、それ自体が僕たちを「善くする」ものではないだろうか。次回の連載では、このような問いをもとに、社会生活を営むなかで「知っておくべき」と言われる知識と僕らの関係について考えて観たい。注目したいのは、そうした事柄を知ることを「アップデート」と見なす立場だ。リベラルな価値観や配慮の在り方について知ることを「アップデート」と表現することには、つねに現在が過去よりも優れていると見なす姿勢をはらんでしまっている。そうした点も踏まえながら、知ることと「善くなる」ことの関係について考えていけたらと思う。
(次回へつづく)
[1] ダニエルズとネルソンの対話は明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療に向けたものだ。しかし、PTSDという診断そのものがヴェトナム戦争の復員兵たちが訴える症状を研究するなかで生まれたものであり、二人はまだ、自分たちが何をどうやって治療しようとしているのかを知らない。ネルソンがダニエルズとの対話を始めたのは一九七〇年のことであり、精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)にPTSDという名称が登場するのは一九八〇年のことである。
[2] 武田肇「被爆の怖い展示、子どもは見なくても? 原爆資料館の新方針に賛否」『朝日新聞デジタル』二〇二六年五月二七日(https://www.asahi.com/articles/ASV5V3CM8V5VPITB00RM.html)、最終閲覧:二〇二六年九月二四日。
[3] たとえば塚本晋也は、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』について「子どもたちの鑑賞を意識していたか」と問われた際、次のように応じている。「この映画を子どもに観て貰いたいと思っているので、レイティングも結果PG-12となりホッとしていますし、子どもたちの視線もいつも意識しています。僕らがいま語らなければ、子どもたちが戦争に行くことになりかねないのが現状。なので、僕自身が『はだしのゲン』を見て強烈なインパクトを受けたように、映画で仮のトラウマを体験してもらい、疑似体験の傷から防御膜を張ってもらえればと思っています」(『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』劇場パンフレット、キノフィルムズ、9頁)。
[4] スーザン・ソンタグ(二〇〇三)『他者の苦痛へのまなざし』北條文緒訳、みすず書房、九〇—九一頁。
[5] スーザン・ソンタグ(二〇〇三)『他者の苦痛へのまなざし』北條文緒訳、みすず書房、一一七頁。
[6] スーザン・ソンタグ(二〇〇三)『他者の苦痛へのまなざし』北條文緒訳、みすず書房、一一五頁。

生成AIの登場によって、人類はより情報や知識にアクセスしやすくなった。それゆえ、「知識があるだけの人間は意味がない」「いっぱいものを知っていることより、創造的なアイデアを持っている人のほうがいい」といった言説も流通し始めている。人間にとって「知る」ことの意味とは何か。そして、現代の「知る」ことの困難とは何か。 哲学・批評・クイズ・ビジネスの領域で活動し続ける田村正資氏が、さまざまな分野を横断しながら、「知る」ことの過程をひもといていく。
プロフィール

たむら ただし 哲学者。1992年生まれ。東京都出身。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は現象学とモーリス・メルロ゠ポンティ。著書に『問いが世界をつくりだす メルロ゠ポンティ 曖昧な世界の存在論』(青土社)、『独自性のつくり方』(クロスメディア・パブリッシング)など。
田村正資




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