台灣無事行 イントロ ~路上の声から考える~ 第一回

現代台湾の「蔣経国現象」に見る台湾人のリアリズム

前川仁之

現代台湾に通じる初速度

台湾の中央、埔里。錫葉藤が満開だった。

 台北を出発して4日目のことだった。山間部へと進路を変え、むきだしの岩山が荒々しい稜線をつらねる中を走り、南投県の埔里に入って間もなく、満開の錫葉藤を見せてくれる農場にさしかかった。夫人と連れ立って花を見に来ていた60歳の学校教師の男性は、閩南系の漢族と言うから、台湾人のマジョリティに属する。彼は「もっとも尊敬する人物」を一気に5名、記した。順に、蔣経国、張忠謀(1931~)、李國鼎(1910~2001)、孫運璿(1913~2006)、そして李登輝だ。

 このラインナップは、彼が蔣経国のどこを評価しているのかを示している。李國鼎と孫運璿はいずれも蔣経国を補佐した技術官僚であり、政治家だ。台湾の工業化と科学技術の発展に大きく寄与した。新竹のサイエンスパークは彼らの提案で実現したし、半導体を国の基幹産業に据え、うまく離陸させたのも孫運璿だ。そしてそのための技術移転を達成すべく、孫が招へいしたのがアメリカで半導体事業のエキスパートとなっていた張忠謀(モリス・チャン)だった。台湾にやってきた張はやがてTSMCを設立する。いまや熊本県にも工場を持つTSMCの盛名はご存知のとおり。

 つまりここで名前の挙がった3名は、科学技術、特に半導体が強い現代の台湾の礎を築いた人々だ。ついでに言うと孫運璿は早くから環境保護にも目を向け、国家公園設置計画を進めた。冒頭で述べた墾丁の国家公園はこうして指定されたものだ。100人アンケート全体で張忠謀は3票、孫運璿は2票を得た。

 ちなみに私はこれらの人々について、はじめからすべて頭に入っていたわけではない。アンケートの相手に教わったり、その夜宿についてから調べるといった形で学習しながら旅をした。台湾の歴史に関する本5冊分のメモで埋めた小さなノートを持ってきているので、道中それを読み返して「あ、孫運璿ってこの人か」と知りなおすケースもある。もちろんWi-Fiの使えるところなら、スマートフォンで調べることもある。

 そしてこういう浅学の身なればこそ、出会った人々からの教えが時をおいてつながる快感も味わえるのだと思う。たとえばこの初老の学校教師に孫運璿らの話を聞いたその前の晩に、実は小さな伏線が引かれはじめていたのだった。その晩は宿の近くの音楽バーに出かけ、飲みながら何人ものお客さんと話をしたのだが(ちなみにアルコールを摂っていたのは私だけだった。他はみな、スクーターで帰るので、ノンアルカクテル同然の多様なお茶で楽しんでいたのだ)、そのうちの一人、兵役のさなかで外出許可をもらって仲間と歌いに来ていた25歳の男性・黄さんは、「台湾について最も誇りに思うことはなんですか?」というアンケートの質問に「晶片」と答えたのだった。

 未知の単語だった。けれどもそこは漢字文化圏のありがたいところで、ピンときた。半導体チップのことだろう。それまでにも、台湾の科学技術を誇りにあげる人は若干名いたが、具体的な製品にまでふみこんで答えたのは黄さんが最初だった。その翌日に、孫運璿、李國鼎、張忠謀を尊敬する人として挙げる初老の男性教師にめぐりあったわけで、するとこの人たちは、将来国の誇りとなる産業を育てた先駆者というわけだな、と知識に情をのせて学習されるのだ。

 そうしてこれらの人材をぞんぶんに活躍させたのが蔣経国というわけだ。適材適所のできる独裁者といったところ。

 なお、「台湾について最も誇りに思うことはなんですか?」の質問に、科学技術に関する回答をくれた人は100人中9人おり、そのうち5人はピンポイントに「台積電(TSMC)」の社名をあげた。科学技術、特に半導体に台湾の人々がよせる信頼の強さがうかがえる。

台湾東部、花蓮の町。

 若い世代の蔣経国評もお届けしよう。

 東海岸の花蓮近郊の物産館で働く30代の女性は、やはり蔣経国を尊敬すると言う。

「台湾経済をより良いほうへ導いてくれたからです」と生まれる前のことを確たる調子で話す。同僚の、私と歳の近い40代前半の女性もやはり蔣経国一択で、「台湾の十大建設をおこなったから」と具体的なプロジェクト名を出した。

 蔣経国は行政院院長だった1973年から総額64億ドルを投資して、台湾の現代的なインフラ整備を推し進めた。それが台湾十大建設(当初は九大建設)だ。総統となった70年代後半から80年代初頭にかけてそれらの開発計画が次々達成されてゆくさまは壮観だ。いくつか挙げると、桃園国際空港、南北高速道路、基隆―高雄間の縦貫鉄道の電化と緑化、台中港の国際港化など。さしずめ台湾島改造計画だ。「当時、彼の先見の明と迫力がなければ、のちの経済的飛躍や工業品生産のレベルアップは、絶対にあり得なかっただろう」と、経国の人物と業績を是々非々で詳細に論じた伝記作家の江南は評している。

 もちろんこのような剛腕は、個人や市場の自由を制限しうる開発独裁だからこそ発揮できたのだろう。また、上に述べた江南が、『蔣経国伝』出版直後にアメリカで暗殺されている(1984年)事実も、蔣経国がまとう黒いイメージを上塗りするものだ。

 彼を尊敬すると答えた9人の方々だって、特務の親玉としての蔣経国を知らないわけではないだろう。それでも豊かな台湾にみちびいてくれた人と考え、敬意を寄せているのだ。

理念を重視しないメンタリティ

 民主化のすすんだ台湾では、かつての独裁者はのきなみ人気を失っているとなんとなく思っていたのだが、どうもそういうわけではないらしい。

 これは非常に興味深く、またうれしい発見だった。というのも--。

 またもやスペインを例に引くと、私が初めて訪れた2009年にはもう、かつてどの街をも走っていたはずの「フランコ元帥通り」は改称され、フランコやその党をたたえるモニュメントの類は撤去が進んでいたし、彼の時代を直接体験していない世代の人々が、かつての総統をほめるとか尊敬するといったことはまずありえなかった。EUの末席を占める民主国家スペインにあって、フランコは日常的な踏み絵にさらされているかのようだった。ところが日本にいた頃は反フランコの共和国シンパだったはずの私は、よろこぶよりも、かえって彼に対する評価を改めるはめになったのだ。

 ひとつには、ホームステイで世話になった父親(ホストファミリーの)をはじめ、実際にフランコ時代を生きてきた人々の口から「あの頃はけっこうよかったぜ」という本音を聞けたから。それに加えて、1945年の敗戦を境とする価値観の手のひら返しを経験している(伝え聞いている)日本人の一人として、たとえばフランコ政権初期に第二次大戦への参加を防いだ事実や、後期の経済成長さえも功績として認めないような全否定へと歴史観を極端に変えるのは、率直に言ってこわいと感じたのである。なにがこわいって、再びスペインの人々の間に反動から断絶が生じることが。

 スペインで私が見て取った、過去との向き合い方を仮に――少々手厳しくなるが――理念先行型と呼ぶとしよう。独裁はぜったいいけない。人権侵害、思想弾圧はぜったいいけない。これら、まったくの正論で、非の打ち所がない理想が先に立つことで、ほんとうはもう少し複雑に、是々非々で見直されるべき過去を断罪してしまう。実際はそれほど単純ではなく、内戦期および独裁政権下の個々の犠牲者とその遺族らの名誉回復や補償の必要があってこその話なのだが、ここでは簡潔にすます。

 もしも台湾の人々がこのような理念先行型で歴史をとらえていたら、蔣経国もおそらくフランコ同様に嫌われていただろう。それどころか、彼が属する国民党までまとめて、台湾最大の悲劇である二・二八事件をはじめとする膨大な人権侵害を重ねてきた咎で全否定されていたかもしれない。

 けれども現実には、30~40代の人までちゃんと、蔣経国を評価している。かつて蛮行のかぎりをつくした国民党は、二大政党の一翼をになっている。これを裏返せば、台湾の人々は、過度に理念を重視しない、と考えられはしないか。敗戦後間もないわが国で唱えられた「憲法よりメシ」ではないが、「理念よりも暮らしの豊かさ」というゲンキンな本音が込められている気配がしないでもない。

 そしてこれが私にとってうれしい発見だったというわけは、さっきも述べたように、理念先行型がこわいからだ。崇高そうな理念や、それを表すうつくしい言葉は、目標をつくってそれに向けて自分や環境をかえてゆくはずみとなるメリットがある反面、時に人を酔わせ、極端に走らせる危険を持つ。

 ましてや現在の台湾をめぐっては、とりあつかいに細心の注意を必要とする理念が、言葉が、あったではないか。

 ほかでもない、「独立」がそれだ。

 100人アンケートでは「あなたが考える、中国との最良の関係は?」という質問も行った。非常にセンシティブな問いなので、半数でも答えてくれたら上出来だ、くらいに構えていたのだが、無回答や「わからない」は100人中9人にとどまり、ほかの人々ははっきりと自分の希望を打ち明けてくれた。次回はこの質問に対する回答の数々を紹介し、中国に対する思いを探っていきたい。

(続く)

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台灣無事行 イントロ ~路上の声から考える~

平和を実践するためにスペイン、韓国など世界の大地に自転車を走らせ、亡命者や難民との邂逅を通して思考をめぐらし続ける──。 ノンフィクション作家の前川仁之氏は『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』など、他者との共生と平和の希求をテーマに、独自の世界観を持つ作品を発表してきた。 前川さんが今回赴いたのは、台湾。台湾有事が叫ばれる今、この島の人々は何を思い、暮らしているのだろうか。自らのルーツでもある琉球弧をつたい、台湾の路上の人々の声を集め、その無事の未来を考える短期連載。

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プロフィール

前川仁之

まえかわ さねゆき

ノンフィクション作家。1982年、大阪府生まれ。埼玉育ち。東京大学教養学部(理科Ⅰ類)中退。人形劇団員、警備員等を経て、立教大学異文化コミュニケーション学科卒。2014年、スペインの音楽家アントニオ・ホセの故郷を訪ねてその生涯を辿った作品で開高健ノンフィクション賞の最終候補となる。著書に、亡命者や難民の境遇を追った『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』(小学館)、『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』(インターナショナル新書)、『浄土真宗「道場」の四季 北陸・福井に残る真宗信仰の古層』(宗教問題)などがある。

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