──しかも、その西・中部・東・南部の人口比が1 : 2 : 10 : 100というのが、説得力がありました。
北野 それぞれの国の特質だけでなく、その国の大きさまでを理解することで、構造が全部説明できると思ったんです。こういう話を部分的に言っている人たちはいても、体系的には誰も説明してこなかった。そもそもデータでも説明できるものではないので、物語という形式を使って、なるべくわかりやすく伝えるしかないと思ったんです。
──『天才を殺す凡人』の舞台である「企業」が抱える行き詰まりとか、そこで働いている人の悩みは、『分断を生むエジソン』で語られる世界の構造や資本主義がもたらす歪みとはかけ離れているように見えるけど、実は根は同じだということですよね。自分の生活や家族を重視する人たち、つまり南部(凡人)の人口は圧倒的に多いにもかかわらず、世の中も企業も、彼らとは関係ない(秀才の)ロジックで議論されてばかりいる。
北野 最近よく論じられているGAFAの考え方や、日本の経済は危ないという本、あるいは『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』 (NewsPicksパブリッシング)の安宅和人さんの考え方などは僕も好きですし、すごく大事だとも思います。でも、これらの本は西と中部と東の考え方であって、南部の人たちは興味がない。
東の人たちは、既存の経済によって外貨を稼ぐべきと主張しますが、一方でスタートアップ企業の人が多い西の国は、10〜20年後には今の経済が終わるはずなので、今の仕組みは早くなくなった方がいいと考えている。でも、霞ヶ関で働いている人をはじめとした中部の人は、全体のバランスを見つつ、公益性や公共性を考えているので、西も東も両方必要という見解なんですね。ビジネス書での取り上げられている見解は、結局この三者のどれかによるものなんです。残った南部の人からすると、その三者の議論ですらどうでもよくて、家族とか趣味とか、それこそ自然とかのほうが大切。
──南部の人からすると、他の三者と重視するものが全く異なるので、その議論は遠い世界の話に感じますよね。
北野 例えば、GDPの目標を年間2、3%伸ばすみたいな話がありますが、人口が減少している現状では、1人当たりのGDP成長率を考えると、すごく高い目標を立てていることになります。企業で「来年、従業員は10%減らしますが、売り上げは5%伸ばします」と社長が宣言したら、社員は「それは無理でしょ」と反応するでしょう。それと同じことなんです。そういう全体像を説明できるフレームワークを『分断を生むエジソン』では表現したつもりです。
ただ、先ほど抽象的という話がありましたが、この概念はちょっと難しすぎたと思っています。だから、この価値が分かるのは5年から10年後ぐらいになるかもしれない。
──そもそも世界がこのような構造になった始まりは、大航海時代ではないかと思います。その時代がなくて、各地が独自に栄えてのんびりやっているままだったら、世界はそれなりに共存して平和でいられたかもしれません。
北野 その大航海時代の構造が、現在でも資本主義という一神教の支配みたいな形で脈々と行われているわけです。
──その意味では、昔の日本は八百万の神。平和な多神教ですね。
北野 そうだと認識しています。日本は他者との共存が比較的成り立ちやすい社会だとは思うんです。でも、そんな日本のなかでも、東京はある種の宗教を信じて働いていますよね。たとえば、東京では、誰もが頑張って働かなくてはいけない、経済的に右肩上がりでなければならない、そして、誰もが自分の弱さを見せてはいけない、という宗教に近い。ちなみに、鎌倉みたいなところは、東京から近いんだけど、異なる宗教を持ち得る可能性のある都市だと思います。
ただ、東京みたいな場所もあっていいとも思うんです。でも、経済だけの人が目立つと、どうしても一神教であることが前提になって、これしか善ではない、それ以外は悪という考えになる。これは相当きつい戦いになるんですよね。
善悪というか好き嫌いには、僕は2種類あると思っていて、ひとつは身体的な好き嫌い、もうひとつはイデオロギー、つまり思想的な好き嫌いです。前者は、ほぼお金で解決できます。例えば、満員電車に乗りたくないなら、タクシーで行くとかお金があれば解決できる。
でも後者のイデオロギーの好き嫌いは、お金があっても解決できない。もう絶対衝突し続ける戦いなんです。例えば、部活でめちゃくちゃ頑張らないといけない“努力教”みたいな考えと、“部活だから楽しくやればいいんじゃない?”という考えは、永久にぶつかり続けます。交わることは絶対ないし、基本的には和解し合えない。
──そのイデオロギーという言葉は、美意識に置き換えてもいいかもしれませんね。「私とは違うけれど、あなたはこれが美しいと思うのね」と容認する。自分の考えを押し付けたり、自分のほうが正しいという一種のマウンティングが一神教、特に秀才の東の国ではずっと行われている。
北野 そうですね。大きな会社や組織になると、人が人らしく行動をとれない構造が東の国で特にあると思います。
──このまま人が人らしく行動できない状態が続くと、いずれ社会が破綻する可能性だってありますよね。でも、社会が変わるというのは、すごく大きな価値観の変換を求められるし時間がかかりますよね。そんな現実のなかで、北野さんができること、やっていくことは、なんだと考えていますか。
北野 自分なりの理想の世界はありますが、論だけを言っても絶対伝わらないので、自分の書く物にはユーモアを入れたり、物語で描いて説得力を持たせていかないといけない。でも、僕の考えを本で出し続けたとしても、50代、60代の人の考え方は今からでは変えられないと思うんです。それは、先ほどいったイデオロギーの問題もありますから。では、自分ができることは何かというと、これを10年ぐらい続けることだと考えています。
そして、今の20代、30代の人たちが経済のど真ん中に来たときに、他の世代の人たちに「これが僕らが考える理想的な多様性ある社会だよ」という、多神教的な社会を作る手助けをするのが自分の役割の一つだと考えています。
──長い戦いですね。今までだと、そのような考えの人は資本主義の中で勝てない感じでした。理想主義と捉えられがちでもありますよね。北野さんには、この戦いの指針というか、ロールモデルがいるんでしょうか。
北野 渋沢栄一さんですね。彼がすごく格好いいと思うのは、経済において勝負どころでは勝つ強さを持っていたからです。この部分は、僕たちの世代は、絶対身に付けないといけないことだと思っています。理想とか公益性は大切だけど、それだけでは、絶対にビジネスはスケールしないんで、勝負どころでは勝たなければいけない。優しいだけでは勝ち抜けない。
もう一つ大事なのは、『天才を殺す凡人』に書いているのですが、誰でも少なからず「天才」を生かす技術を持っています。それには「人が持つ才能をいつの間にか否定しないようにする」ことが必要なのですが、これは他人の天才的な部分を生かすときも、自分の中にある天才要素を生かすときにも同じことが言えるんです。
でも、その天才を生かす技術と、ビジネスをスケールさせるための技術は、全く別のものなので、それらをしっかり使い分けていくことが大事な戦略だと思います。
──どのように使い分ければいいんでしょうか?
北野 「原液は一人で作り、カクテルはみんなで作る」ことだと思います。原液、つまり天才のアイディアは最初からあるわけではないので、作り出さないといけない。それはもう死ぬほど孤独で誰も助けてくれない作業なわけです。
でも、一度作った原液を元にカクテルを作るときは、みんなの知恵を借りたほうがいい。そうすることで、天才を生かしつつ、スケールのある戦略が組めるようになる。結局、最終的にはチームを組んで戦っていくことは必要なんです。
──そうは言っても、今幅をきかせている秀才を相手に戦うのは疲れるし、無駄なんじゃないかと思ってあきらめそうになります。
北野 秀才、つまり再現性を重視する人は、実はすごく単純なんですよ。論理的で過去の事例のように説明できたら、「ああ。なるほどね」という人が意外に多い。オセロみたいなものなんです。成果を出せばひっくり返ります。そういう部分を狙いながら向き合っていくのが、秀才以外の人たちの戦術だと思うんですよね。
──北野さんの本の読者で、このような戦術を使っていく人が少しでも増えていくと、今の一神教の世界から、多様性のある社会に変わっていくかもしれませんね。ありがとうございました。
取材・文/上月大輔 撮影/五十嵐和博 取材協力/林裕人
プロフィール
兵庫県出身。神戸大学経営学部卒。博報堂へ入社し、経営企画局・経理財務局で勤務。その後、ボストンコンサルティンググループを経て、2016年、株式会社ワンキャリアに参画。執行役員として事業開発を経験し、現在、同社の最高戦略責任者、子会社の代表取締役を兼務。テレビ番組や新聞、ビジネス誌などで「職業人生の設計」「組織戦略」の専門家としてコメントしている。
著書に『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法』(ダイヤモンド社・2018年)『天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ』(日本経済新聞出版社・2019年)『トップ企業の人材育成力──ヒトは「育てる」のか「育つ」のか』(編著、さくら舎・2019年)『分断を生むエジソン』(講談社・2019年)『OPENNESS 職場の「空気」が結果を決める』(ダイヤモンド社・2019年)