プラスインタビュー

加害者家族という〝被害者〟、そして被害者遺族をも苦しめる、日本を覆う第三者という〝正義〟

長塚洋

2025年はオウム真理教のサリン事件から30年となる。当時、教祖・麻原彰晃の三女アーチャリーとしてマスコミに晒された松本麗華さんは、あれからどのような人生を送ってきたのか。その彼女に6年以上も密着したドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』が公開されるということで、監督の長塚洋氏をインタビュー。加害者家族という〝被害者〟がどんな過酷な人生を送らざるを得なかったのか、何が彼女を苦しめるのか、この映画は日本が今抱える問題点をいろいろな側面から描き出している!

『それでも私は Though I’m His Daughter』は6月14日から新宿K’s cinemaにてロードショー他全国順次公開  © Yo-Pro

――観賞する前に119分という上映時間を見たときは「少し長いかな……」とも思ったのですが、実際に映画が始まってみると終了まであっという間でした。非常に興味深い内容で、簡単には割り切れないとても重いテーマを投げかけられた、という印象を持ったのですが、作品の主役である松本麗華さんも、この映画を完成後に観ているのですよね。

長塚 そうですね、ほぼ完成に近い0号試写の段階で見てもらいました。

――麗華さんの感想はどうだったんですか?

長塚 観る前はものすごく緊張していて、思い詰めたような表情で「これを世に出してもいいんでしょうか……」と言っていました。で、観た後の感想がとても面白くて「つまらなかった」と言うんです。「自分が知っている自分の姿が出ているにすぎない、と感じたのだろう」と後日に自己分析していたので、それはもしかしたらドキュメンタリーにとって褒め言葉なのかもしれませんね。この作品は私(長塚)のものだけど、全力で応援したい、と言ってくれています。

ながつか・よう 10代から小型映画を制作し、早稲田大学文学研究科(大学院修士課程)で映画学を学ぶ。民放キー局で事件報道に従事。後年はテレビや映画、さらに近年はWebなどの場で、人間と社会の在り方を問うドキュメンタリーを発表。2005年からフリーランス。テレビの報道やドキュメンタリーの現場から、社会的弱者の姿を伝え続けてきた。
犯罪を繰り返す高齢者の更生を記録した『生き直したい』(大阪ABCテレビ、2017年)で坂田記念ジャーナリズム賞。ここ10年ほどは、死刑制度を題材とした映画制作に取り組む。そのうちの一本、『望むのは死刑ですか オウム“大執行”と私』は、2022年にアメリカのThe Awareness Film FestivalでMerit Award of Awareness(気づきの功労賞)を受賞。

――そもそも、長塚さんが松本麗華さんを題材にしたドキュメンタリー作品を世に問おうと思ったきっかけは何なんでしょう。

長塚 いくつか理由があるんですが、ひとつは保険金殺人(半田保険金殺人事件:1979年)で弟を殺された犯罪被害者の原田正治さんが2018年に「麗華さんに会ってみたい」と私に声をかけてきたんです。 私は以前に『望むのは死刑ですか 考え悩む”世論”』というドキュメンタリー作品を撮った関係で、原田さんとはコンタクトを持っていたんですが、あるときその上映会に麗華さんが来てくれたことがあったので、彼女とも面識がありました。

 原田さんは自分でも本を出していて(『弟を殺した彼と、僕.』ポプラ社)、弟さんを殺された当初は「極刑しかない」と言っていた感情が、やがて犯人と面会して対話を重ねるにつれ、「なぜそんなことになったんだ」ということを知りたい気持ちが強くなって、執行に反対するようになっていきました。

 にもかかわらず、犯人は処刑された。そんな彼が、我々の同時代で最も憎まれている死刑囚の家族であり、加害者家族という〈忘れられた被害者〉でもある麗華さんと会うことになったので、対談を撮るという了承をふたりからもらい、その後も麗華さんを撮り続けました。撮り続けているうちに麻原彰晃(松本智津夫)の死刑がどんどん迫ってきて、結局、2018年7月に刑が執行されました。

 その時期までは、彼女を追いかけようとしていた監督やジャーナリストは何人かいたんです。でも、ほとんどの人が、父親が死刑になったところで離れていった。つまり、彼らは父親の死刑と闘う彼女を撮ろうとしていたんです。でも、たとえ父親が死刑になって世の中にとってはカタがついたとしても、その先も彼女の人生はずっと続いていて、うちなる苦しみもあるし、外から差別される苦しみもある。〈究極の加害者家族〉である彼女の姿を伝えたいと考えたことが、この映画を作ることに繋がっていきました。

――『望むのは死刑ですか』の上映会で最初に麗華さんと出会った、というわけですね。

長塚 当時、彼女はフォーラム90という日本最大の死刑反対団体に参加していました。その団体の若手グループが開いた上映会で、観た人たちが順番に感想を述べていくときに、「実は私は当事者で……」と言葉を詰まらせた女性がいました。当時の私は彼女と面識がなかったので、「あれ、誰だっけ……」と思ったのが最初です。麗華さんが名前と顔をカミングアウトした自叙伝『止まった時計』(講談社)を刊行してから間もない頃だったと思います。

――〈アーチャリー〉と呼ばれていた時代、あるいはそれ以前の少女時代に彼女との接点は?

長塚 直接はありません。当時の私は、テレビのワイドショーなどで事件報道に携わっていました。オウム関連の様々な事件が次々に起こって1995年に一斉逮捕されるまではデスクといわれる仕事で、特に1995年の一時期は不眠不休に近い状態で若いスタッフに指示を出して現場へ送り出していました。上九一色村で彼女たちを取り囲んでいたメディアの中には、私が指示を出していたスタッフもいたのですが、私自身は現場には行っていません。当時の〈アーチャリー〉は目に小さく線が入っているものの、ほぼ顔がまるわかりの状態で、それをメディアが平気で載せているのを見て、いささかショックを受けたことは記憶にあります。

――あの頃のメディアは狂騒曲のような報道合戦になっていました。成人の教団幹部たちと同様に、彼女も〈アーチャリー〉という名前で顔が大々的に晒されていましたが、拙劣だった当時のメディアの人権意識やコンプライアンスが、現在の彼女の人生に及ぼした影響は大きい、と思わざるを得ません。

長塚 それは間違いなくあるでしょうね。あの時期は時代が古かったというよりも、「悪いことした人間がプライバシーを晒されるのはしょうがない」というような感覚がオウム事件をきっかけに一般化し、大義名分を与えてしまったようにも思います。

――メディアは、自分たちの拙劣な人権感覚が「〈加害者家族〉という被害者」状況を作り出した要因の一つになっていることを、意識していると思いますか?

長塚 この作品の試写をご覧になった人の中にはメディアで長く仕事をしてきた方々もいて、彼らがものすごく考え込んで帰って行く姿も目の当たりにしました。だから、「本当にあれでよかったのか」という意識をお持ちの方も結構いるのだろうと思います。

 映画の中でも言及しましたが、これをテレビのドキュメンタリー番組として放送する企画を出した時の反応が典型的でした。たとえば麗華さんと同年代、もしくはそれよりも若い記者やディレクターは、「なぜそんな苦しい人生になっているのか、それを是非知りたい」と関心を持ってくれます。しかし、放送するかどうかの決定権があるような50歳代くらいの人、つまり、オウム事件の時期に若手だった人々に言わせると、「松本麗華は犯罪をやっていてもいなくても、主人公にしちゃいけない人間なんだ」という反応が多いんです。

――それではドキュメンタリー番組の価値や意味を認めていないのと同じですね。

長塚 松本麗華に反感をおぼえる人が、この作品を見てもなお反感があるとしたら、その人は「あの苦しんでいる姿を見ても、自分は彼女を許せない。それはなぜなんだろう」と自分の反感について考えると思うんです。反感も視聴者にとっては気づきだから、それはそれでいいし、そういうことも視野に入れて私はテレビ局に企画を提案していました。

 今のテレビ界はクレームが来ることは全部ダメで、その傾向は私がワイドショーで仕事をしていた時代よりも酷くなっています。しかもそのクレームにしても、事件の被害者からというよりも、きっと視聴者だったり、場合によってはスポンサーだったり、そういう傾向が強いでしょうね、特に民放の場合は。

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プロフィール

長塚洋

(ながつか・よう)

10代から小型映画を制作し、早稲田大学文学研究科(大学院修士課程)で映画学を学ぶ。民放キー局で事件報道に従事。後年はテレビや映画、さらに近年はWebなどの場で、人間と社会の在り方を問うドキュメンタリーを発表。2005年からフリーランス。テレビの報道やドキュメンタリーの現場から、社会的弱者の姿を伝え続けてきた。
犯罪を繰り返す高齢者の更生を記録した『生き直したい』(大阪ABCテレビ、2017年)で坂田記念ジャーナリズム賞。ここ10年ほどは、死刑制度を題材とした映画制作に取り組む。そのうちの一本、『望むのは死刑ですか オウム“大執行”と私』は、2022年にアメリカのThe Awareness Film FestivalでMerit Award of Awareness(気づきの功労賞)を受賞。

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