対談

第2回 トルコとマレーシア 「西洋化」とどう向き合ったのか

101歳のマハティールが日本に伝えたいこと
内藤正典×久志本裕子

101歳を迎えたマハティールの思想をまとめた集英社新書『マハティール 百年の思想 イスラーム、日本、脱植民地主義への道』。刊行記念対談の第2回では、植民地化を免れながらフランス型の世俗主義を取り入れたトルコと、イギリスの植民地支配を経たマレーシアを比較する。イスラームと近代化、西洋化をめぐり、両国はなぜ異なる道を歩んだのか。中東学者の内藤正典氏と本書の編訳者の久志本裕子氏が、それぞれの歴史と社会から考える。

構成:村田活彦

内藤正典氏 撮影:内藤サトル

トルコが取り入れた「西洋」とは何だったのか

内藤 1990年代にイスラームの復興がトルコにも影響を及ぼしていくなかで出てくる、福祉党というイスラーム主義政党があります。1990年代半ばに一度政権を取るんですが、軍に潰されてしまいます。当時の首相、ネジメッディン・エルバカンの参謀たちは、おおむね欧米の大学で博士号を取った理系の人たちでした。エルバカン自身もドイツで学んだ機械工学者です。彼らはヨーロッパのいろんな国をすでに比較していたんですね。イスラーム主義者のほうが。

 ところが、トルコに陣取る世俗主義者のほうは、自分たちはヨーロッパ人だと言いながら、ヨーロッパの何たるかを本当に知らなかった。

 ではフランス式の世俗主義を導入したトルコ人はフランスの風に当たっていたかというと、当たってないんですよ。そもそも植民地になってない。ところが言葉の中にフランスの語彙がものすごく入っているんです。自動車の部品は全てフランス語です。なぜかというと、フランスの自動車メーカーが最初に入ってきたから。だから、ハンドルはディレクション、クラッチはデブリアージュ・・・

 大学の学長はドイツ語でレクトール、学部長はドイツ語でデカンですが学部というのはファキュルテ、フランス語です。教授はプロフェスールですからフランス語。工学部はミュハンデスリッキ・ファキュリテスですからアラビア語とフランス語をくっつけています。とにかくいろんな言葉を混ぜているんです。

 だから、フランスの世俗主義が特段に良いと思ったわけでもない。とにかく全面的に政教分離しているのがフランスだったから、それを入れたんでしょうけど、そういう極端なことをした結果、悲劇がその後百年続くんですね。

軍が支えたトルコの世俗主義

内藤 私がアンカラ大学の政治学部に研究員として行った1990年代初め、先生たちはヒジャブをつけた学生の受講は認めないと明言していました。私は「自分の国の国民にそんなことを言っていたら、いつか倒されますよ」と言ったんです。すると先生たちもジャーナリストも、みんな同じ反応でした。最後は軍が何とかしてくれる、と。

 軍に依存して、民主化などできるわけがありません。私の感覚はむしろアジア的で、かつて日本が支配した歴史があるわけですから、その支配が何を意味するかを知っています。軍が与えてくれる民主化や自由化などあり得ない。だから私は世俗主義者に批判的でしたし、案の定、軍が政治に介入する体制はその後ひっくり返されました。

久志本 今のトルコでは、世俗主義という言葉はどう受け止められているんですか。世論を二分するようなものに……。

内藤 ならないですね。次の大統領選でも、もう争点にはならないでしょう。

 トルコの憲法は第2条、第3条で国の骨格を決めていて、たとえば共和国であるとか、首都はアンカラであるとか。そこにライック(世俗的)な国という表現が出てくる。ただしライクリッキとは何かの定義は書いていないんです。憲法第2条に「ライックな国家」とあり、第4条には「前2条の規定については改正も改正の発議も禁止する」という条文がある。つまりそのことをいじれない。政府はずっと「軍政下の憲法をやめて、民政下の憲法につくり替えるんだ」と主張していて、憲法改正の委員会もあるんですけど、具体的に何を変えるかということは言わないですね。まだ言えないんでしょう。現憲法が残っているわけですから。

 政権がイスラーム一色に変えたかというと、そんなことはありません。たとえばアルコール。税金はじわじわ上げていますが、日本の酒税と比べてもたいしたことはない。販売を禁止したわけでもなく、エルドアン政権になってからのほうが、ワインもラク(トルコの蒸留酒)もビールも種類が増えて、消費量も増えているんです。

 もっとうまいやり方もしています。アルコールを売っているお店は大手のスーパーマーケットが多い。フランス系のスーパー、カルフールはかつてアルコール販売の牙城でしたが、イスラーム系のスーパーに買収されて、あっという間に酒売り場が全部ソフトドリンクに変わった(笑)。国がやったわけではないし、禁止したとも言っていない。唯一ある法的な規制は、学校の周囲では酒を売ってはいけないという程度で、日本やアメリカの規制と比べてもきつくないんです。

 世俗主義者の側は、「エルドアンがまたこんなことをした」と盛んにアピールします。ただ私がいけすかないと思うのは、それを国民ではなくてヨーロッパに向けて言うことです。

 最近では、汚職で捕まったイスタンブールの元市長がいます。イマムオウルという人ですが、彼が欧米のメディアを通じて出てくると、エルドアンに対抗する民主化と自由の旗手のように見える。しかし彼は祖国党(ANAP)という90年代の中道保守政党の出身で、それは汚職まみれで潰れた政党です。公共事業の入札で賄賂を取るという、もう典型的な古いパターンでした。

 結局、世俗主義を掲げてきた最大野党は、相手に攻撃されたからではなく自滅していった。いわばオウンゴールです。ヨーロッパに一番近くて、教条的な世俗主義、西洋の思想をとったはずのトルコで、しかしそれは実現できなかった。それが今のところの私の結論です。

 マハティールのようなことをトルコの政治家が言っていたら、もっとすんなり受け入れられたはずです。でも軍を前にして、マハティールのような政治家は出ようがなかった。トルコは、アタテュルク(*1)と軍がつくった国ですから。

*1 本名ムスタファ=ケマル。トルコ共和国の初代大統領として近代化を推進し、後に「父なるトルコ人」を意味する「アタテュルク」の称号を贈られた。

ムスタファ=ケマル(1881~1938)

植民地にならなかった国の「精神的植民地化」

内藤 トルコへのフランスの影響ということの一因として、オスマン帝国に反対した「統一と進歩委員会」はフランスにも支部を持ち、ヨーロッパとの行き来が盛んでした。その意味で、一部の人たちが精神的に植民地化されてしまった。ただ、本人たちはそのことに気づかなかったんです。完全にオリエンタリズム的な視点を自分のなかに取り込んでしまった。

 たとえば日本でも、明治維新で急激にヨーロッパのものを受け入れようとしましたが、特定の国には絞らなかった。農学にはアメリカからクラーク博士が来ましたが、実際に本土の農業に影響を与えたのはドイツのお雇い外国人でした。法律では一時フランスのボアソナードなどを招いたけれど、定着しませんでした。いろんな国から入れてみて、どれが適しているかを後で選んでいるんですね。医学も法学もドイツが残りました。イギリスは意外にもあまり残らず、ダーウィニズムもほとんど関心を持たれていない。ソーシャル・ダーウィニズムとして入ったときには影響を受けますが。ともあれ取捨選択しながら、明治国家の骨格に沿う形で取り入れてきた。

 トルコはどこの植民地にもならなかったことを誇りにしていますが、その割に精神的植民地化は進んだのではないか。

 マレーシアでは世俗主義という感覚はあるんですか?

久志本 少なくとも今は、イスラーム教徒のあいだで世俗主義という言葉はもうあり得ないですね。世俗主義を信条とするイスラーム教徒は、いないと思っていい。世俗派と宗教派の対立はイスラーム世界のどこにでもありますが、マレーシアにはないんです。強いて言えば、ナショナリズムを前面に出すか、イスラームをナショナリズムより大事にするか。それが統一マレー人国民組織(UMNO)と汎マレーシア・イスラーム党(PAS)の対立軸だったはずですが、汎マレーシア・イスラーム党もナショナリズムを否定しているわけではないので。

内藤 前回、土着か純粋なイスラームかという議論をしないというお話でしたね。

久志本 土着のイスラームみたいなものを想定して、それをナショナリズムと結びつけるみたいな言説が生まれなかったんです。なぜかと言われると、それは研究の余地がありますが。他とは違うマレーシア独自のイスラームがあるべき、という発想は基本的にありません。歴史的にマレーシアの人々がイスラームについて学んできたマレー語の宗教書の古典などを見ても、独自の議論をしているつもりはなく、元ネタは当然、全部アラビア語の文献で、それをマレー語に翻訳してきただけ、という言い方が一番定着しているという。

内藤 なるほど面白いですね。これは学生から教わったのですが、先ほどのプサントレンというイスラーム寄宿学校について。インドネシアではこのプサントレンが各地域にあって、地元の有力者などが所有している。あまりに根を張っているので、それなしにはインドネシアのイスラームを説明できないと。

久志本 そうですね。それはすごく面白いところです。最近わりと調査に行きますが、インドネシアのプサントレンの人がよく強調する「マンディリ」という言葉があります。自立という意味です。国の独立ではなく、精神的に自立するという意味の「マンディリ」をすごく強調する。このプサントレンという組織には独自の文化があって、独自の考え方があるんですね。政府と対立している意識はないけれど、独自の教育システムがある。

 それはグローバル・タイドにも乗るけれど、西洋の教育システムでもない。たとえば一番有名なゴントルというプサントレンがありますが、学内の公用語がアラビア語と英語です。インドネシア語を使っちゃいけない。それでグローバルに活躍できる人材を育成すると言いつつ、でも自分たちの文化はすごく独自なんだということにとても自信を持っています。

 そういう独自性や自立をそこまで強調できる場所はマレーシアにはない。これだけイスラーム的な開発をする、イスラーム的な独自の道を歩むということを言うんですが、何かそういう独自性への意識は全然ないというか。それがインドネシアとマレーシアの雰囲気が大きく違うところです。

内藤 隣同士だけど、むしろ違う。

久志本 何か我々は独自だという意識の強さを、インドネシアに行くと強く感じます。

内藤 マレーシアはかなり穏やかな感じですよね(笑)

久志本 穏やかですね。少なくとも今のマレーシアには、たとえば「グローバル・ユニバーシティ・ランキング」のようなものには100%乗っていく雰囲気があって。「独自のイスラーム的なオルタナティブはどこ行ったの?」みたいなところがあります。

久志本裕子氏 撮影:内藤サトル

「物質と精神のバランス」を選んだマレーシア

久志本 マハティール政権が始まった1981年は、世界的なイスラーム復興の時代でした。西洋モデルの発展ではなく、自分たちが主導する社会をつくろうという機運が世界中に広くあった。そのなかでマレーシアは、「物質的な発展と精神的な発展のバランスを取る」ということを、あらゆるところで組み入れていくんですね。

 この言い方はマレーシアで非常に定着しています。今でも、たとえば教育政策、今後10年でこう発展させますというときに、冒頭にこの言葉が出てきます。

内藤 面白いですね。トルコは今まで二項対立、二律背反型で、これから変わるんじゃないかと思っているんですけど。二つの間でバランスを取るというのは、マハティールにもありますね。

久志本 マハティールがつくった言葉ではなく、むしろ彼の片腕だった現首相のアンワルや、アンワルが率いていたマレーシア・イスラーム青年同盟(ABIM)が使ってきた言い方です。イスラーム的なものと、経済的発展や社会の発展とのバランスを取る。政治にとって必要なバランス、という言い方が繰り返されてきました。

内藤 マレーシアは文化に対してはどういう姿勢を取ってきたんですか? 影絵芝居などもありますが、そういう土着のものに対して、イスラーム党はやはり駄目と言うんでしょうか。

久志本 東南アジアの歴史は、イスラーム化の前にヒンドゥーや仏教的なインドの影響が大きくありました。その文明の層の上にイスラームが来たという構成なので、土着性の問題というのは「みんながイスラームだと思っているこの習慣は、実はヒンドゥーの名残でイスラーム的じゃない」ということですね。それを排除していこうというのが一つの決まりのパターンです。

 影絵芝居もインド文明から入ってきたもので、ストーリーの中にラーマーヤナとかマハーバーラタとか、インド的なものが入っている。そのインド的な部分は抜かなきゃ駄目だという主張が、イスラーム復興の中で出てきて、従来の影絵はやっちゃいけないということを汎マレーシア・イスラーム党が言い出す。「もっとイスラーム的なものにするならいいけれど」と。

内藤 イスラーム的な考え方からしたら、人形で偶像を作っちゃうのはかえって矛盾しません?(笑)

久志本 そうですね。偶像というか、イメージ自体を禁止するような規律は少なくともマレーシアにはないので、それが社会的に議論になったことはないです。人形は駄目とか、子供に人形を与えるなとか、そういうのはない。

 もともとあった影絵芝居が周縁化されていくという問題はあって、そういった研究には汎マレーシア・イスラーム党にいじめられている状況も出てくると思います。でもそれが社会を二分するような問題になるかというと、土着のものを守ろうとする勢力がない。それで周縁化されてしまうことはありますね。

 結婚式の儀礼には結構ヒンドゥー的な要素と言われるものが残っています。その中で、イスラームと矛盾しないものはそのままでいいとされています。新郎新婦に水をかけて祝福する儀礼というのがあって、水差しでパッパッパッと手に水をかけて「おめでとう」と言う。1980年代には、それがヒンドゥーの影響だからやめましょうと言われて、半島部でほとんど見られなくなりました。ところがサバ州に行ったら普通にやっていて(笑)。

 ただ、最近は逆に半島部で、いつの間にかそうした習慣が復活していたりもします。イスラミックじゃなきゃいけないという規範はいろんなところに定着していますが、そこになにか自信が出てきたのか…。みんなお金持ちになってきているので割と商業的に、結婚式は派手なほうが楽しい、というような。別にうるさく言う必要ない、そんなに議論するようなポイントではないという感じですね。

2025年8月7日、福岡で久志本裕子氏の取材に応じるマハティール氏
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プロフィール

内藤正典

(ないとう・まさのり)
1956年東京都生まれ。同志社大学大学院教授。一橋大学名誉教授。中東研究、欧州の移民社会研究。『限界の現代史』『プロパガンダ戦争』(集英社新書)、『トルコ』(岩波新書)、『となりのイスラーム』(ミシマ社)他多数。共著に三牧聖子氏との『自壊する欧米 ガザ危機が問うダブルスタンダード』(集英社新書)等。

久志本裕子

(くしもと・ひろこ)
上智大学総合グローバル学部教授。専門は東南アジアのムスリム社会、文化人類学、比較教育学。マレーシア国際イスラーム大学専任講師を経て、2019年より上智大学。共著に『東南アジアのイスラームを知るための64章』(明石書店)等。

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