対談

第2回 事実を語ることが罪とされた

誰が「スパイ」とされるのか?思想統制と防諜体制、沖縄戦、そして現代日本
荻野富士夫×林博史

「米が足りない」と言っただけで処罰

 防諜体制がいかに強化されてきたかを法律の問題として整理してみたんですが、おそらく防諜法制には、やはり治安維持法が前提としてあると思います。治安維持法の下で、1941年に作られた国防保安法が重要です。

 国防保安法は、軍機の保護だけでなく、さまざまな国家機密に対象を広げたものです。当時の国会での提案理由説明でも言っています。41年1月30日、衆議院で司法大臣の柳川平助(陸軍中将)が、「軍機保護法など軍事の秘密を保護する法規は現にあるが、広範囲な国家の重要機密を保護する法規や、外国の行う宣伝、謀略を防止すべき法規が残念ながら不備だ」と言って、国防保安法を作ったのです。

 この法の条文には「外国と通謀して治安を害すべき事項を流布したり、国民経済の運行を著しく阻害するおそれのある行為をなしたとき」というものがあります。たとえば、当時は米が配給制になっていましたが「米が足りない」と言だけでも「経済の運行を著しく阻害する行為」とされてしまう。

 国防保安法は、諜報対策と謀略対策をあわせ持った法律だったのです。これを両方兼ね備えた法律はこれが最初だと思います。

 41年には国防保安法ができただけでなく、刑法も改正されて「人心を惑乱させることを目的として虚偽の事実を流布したる者」などが処罰の対象に加えられました。つまり人の心を乱すような流言飛語、噂話などを処罰する。そして41年12月に「言論出版集会結社等臨時取締法」が施行され、「時局に関し流言飛語を
したる者」は2年以下の懲役・禁固刑とか「時局に関し人心を惑乱すべき事項を流布したる者」は1年以下の刑、などということが決められた。

 この臨時取締法が特にひどいのは、議会の提案理由説明で、「(現行法では)真正なる事実及び意見、信仰、臆説等の流布は処罰し得ない」と言っているんです。つまり「事実をしゃべったとすれば処罰できないから困る」たとえ事実をしゃべっても……。

荻野 真実であっても……

 そう、「事実をしゃべっても、それが人心を惑乱させるなら、処罰するんだ」というメチャクチャな法律を作った。本当のことを言っちゃいけないんです。

――今イラン戦争によるホルムズ海峡封鎖で、日本でも原油やナフサが不足しているせいで、企業が「ポテトチップのパッケージ印刷を白黒にする」と発表したら、内閣官房から「売名行為だ」と批判されたり、石油元売り各社が加盟する石油連盟の幹部が、「早いタイミングでの需要抑制策検討を政府に要望する」と日本テレビの取材に答えたら、政府から連絡がきて「政府の発言と齟齬
そご
がある場合は発言を控えるように」「今後は報道機関の取材に応じないように」と圧力をかけられ、翌日には発言を訂正するコメントを発表したことなどを思わせますね。

 「真実であっても人心を惑乱させるようなことを言ってはいけない」という、まさに今の問題です。

荻野富士夫氏と林氏

大政翼賛会ができた1940年、国民を相互監視させ、戦争に動員する防諜体制も完成した

 ですから、1941年の国防保安法を頂点として、新しい立法で言論・集会・結社などの臨時取締法を作るし、既存の刑法も改悪するし、他の既存の法律もここで活用されるようになったと思います。たとえば警察犯処罰令(1908年公布)の中に「人を誑惑せしむるべき流言浮説、又は虚報を
したる者」は30日間勾留か罰金を科すというのがあるんですが、これはもともと防諜とは全く関係ないものでした。作られたのが1908年、つまり明治41年ですから。しかし、これもかなり適用されてくる。

 それから同じく明治41年に作られた陸軍刑法の99条、海軍刑法の100条「戦時または事変に際し軍事に関し造言飛語を為したる者は三年以下の禁固に処す」というものも適用されてくる。

 一方、軍機保護に関しては、軍機保護法や軍用資源秘密保護法、要塞地帯法などがある。ですから、国防保安法を頂点とした法体系ができて、既存の法律も全て防諜の論理で解釈し適用していく仕組みが1941年に作られて行ったのだと思います。

 その前年の40年。内務省は各地にいろいろな防諜組織を作っていましたが、これらを40年に警防団に一元化しました。

荻野 防諜団とか、防諜連盟とか、防諜委員会などが1938年頃から作られたんですが、ほとんど活動実態がなく、作って終わりというようなもので。それをもっと実体化するために一元化したんです。

 一元化して内務省が統制できるようにする、というのと、部落会、町内会の整備もした。つまり隣組的に近隣住民を相互に監視させる。国民をそういう形で全部組織化していって、それと関連して警防団を地域に作っていった。

 1940年というのは、大政翼賛会ができた年です。つまり政党、労働組合や、そういう自主的な組織を全て解散させ潰した上に、上から全部一元的に組織化する体制が出来上がる。1940年というのは、そういう防諜組織の一元化とか、国民を組織化し、相互に監視させ、戦争に動員していく体制の整備ができた年だと言えるでしょう。

大政翼賛会のポスター

荻野 そういう意味で、1938年頃から「国民防諜」という言葉が憲兵隊の『憲友』という雑誌に出てきますが、それはすぐには定着しなかった。先ほど言ったように、官が指導した組織はたくさんできたけれども、ほとんど機能しなかった。それが40年になると「国民防諜」という言葉自体が、普及してきた。翌41年と42年には「防諜週間」が設定されます。国防保安法の施行に合わせて防諜週間を1週間、作ったんです。

 先ほどの林さんのお話で、やはり防諜法、軍機保護法だけじゃないというのは確かにそのとおりなんですが、たとえば軍機保護法にしても、具体的に軍機と何か、その内容や範囲については、漠然としていますので、施行規則定めたわけです。その施行規則は、陸軍省令とか海軍省令という形でできるので、国会で議論せずに、両省で定め、都合のいいようにそれを拡充していった。たとえば「写真を高所から俯瞰して撮ってはいけない」というのは、最初、東京や大阪などいくつかの地域に限られていてスタートした。そういう施行令を2、3回改正し後では全国に適用されるようになった。そして何にも撮れない、スケッチもできないということになった。

 戦時中の呉を舞台にしたアニメ『この世界の片隅で』(2016年公開)では、主人公の、すずが丘の上で絵を描いていると、憲兵が「こらっ!」と言って叱りつける場面が出てきます。ちょうど船が出て行くところで、それを絵に描いていたので処罰される。

 ただ、あのアニメでは、すずがそんなことをするなんて、と家族が笑う、というような場面があったと思います。その当時は、丘の上から海の絵を描くことがスパイ行為に当たる、というような認識は一般の人々には、まだ広がっていない。でも、だんだんそういうのが一罰百戒的な形で、多くの人々に理解されるようになってくる。

――戦争が進み、年を経るごとに処罰が厳罰化されたり逮捕や拷問になる場合もあったのでしょうか?

 いや、ちょっと違う印象ですね、治安維持法が適用された場合とは。

 軍機保護法や防諜法の場合は、先ほど荻野さんが言われたように、特定の主義主張を持っているとか社会運動をやっているんじゃなくて、たまたまポロッとしゃべったとか、見てしまったとか、写真を撮ったという市民が対象なので。拷問はなかったという断定は難しいんですが。

 庶民を捕まえて脅して「おまえ、こんなことをやるな、しゃべるな」などと脅しはしますが、ほとんどの場合、釈放されている。検察に送致されることも少ないですし起訴されるのはもっと少ない。ただ一般庶民にとっては、警察に捕まって取り調べられるだけですごい脅威で「こんなことをやったらまずい」と思うので、そういう威嚇・脅しとして使った、と考えた方がいいんじゃないか。起訴されたケースも、いくつかはありますが。

荻野 そうですね。そのうちの例外的な事例が宮澤・レーン事件(*1)です。開戦時の「非常措置」として北海道大学の学生と英語講師がスパイとして逮捕され、懲役15年という重い判決を受けた。

*1 1941年12月8日、日米開戦の日に、北大生の宮澤弘幸は、大学での師であり、家族とも親交のあった米国人英語講師ハロルド・レーン夫妻のことを心配し、彼らの家を訪れたところを特高に逮捕された。宮澤は網走刑務所に送られ、逆さ吊りなどの壮絶な拷問を受けた。

 15年の刑とは、異例の長さですね。

荻野 ええ。拷問を受けていますしね。宮澤さんは戦後釈放されましたが、この時の拷問がもとで亡くなってしまった。あれは冤罪事件だと考えていいです。

 しかしこの宮澤青年は、むしろ、どちらかというと国家主義的な考え方の人で、当時としては一般的な愛国青年でした。ただ非常にアクティブで、根室の飛行場を見に行ったり、当時日本領だった南樺太(*2)でアルバイトをしたり、千葉の習志野で戦車隊の軍事演習に参加したり、満洲に行ったり、各地を直接自分で見に行っていました。その見聞を、自分が通っている北大で英語を教えていた外国人教師レーンさんに話したということが軍機漏洩の軍機保護法違反とされました。

*2 日露戦争後、1905年の講和条約でロシア領だったサハリン島の南半分を日本が領土とし、南樺太と呼んだ。

――「何でも見てやろう」という感じの、好奇心が強く行動力のある若者だったけれど、それが仇になって逮捕されてしまった、と。愛国的青年なのに……

 しかも話した相手の講師が、アメリカ人だったので。

 ただ、このケースは治安維持法的な発想で取り締まられ、拷問されたもので、軍機保護法の適用事例としては例外的だと思うんです。「ひどい」という点ではその通りですが……。

荻野 軍機保護法と軍用資源秘密保護法で検挙されたものでしたが……。

 あの事件自体は、1985年に国家秘密法案が出た時に、いわば発掘された事件です。自由法曹団の上田誠吉弁護士が、この事件を発掘して(*3)。ちょうど国家秘密法案が自民党により国会で上程される時で「国家秘密法の本質は何か?」ということで、この事件が非常に大きく取り上げられました。

*3 上田誠吉著『ある北大生の受難 国家秘密法の爪痕』(花伝社)に、宮澤氏と、この事件について詳述されている。上田氏のもとに、宮澤氏の妹の夫から手紙がきたことが執筆のきっかけだった。ほかに『国家秘密法の周辺 人間の絆を求めて』(花伝社)もある。

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プロフィール

荻野富士夫

(おぎの ふじお)

1953年、埼玉県生まれ。小樽商科大学商学部教授を経て、2018年に定年退官。同大学名誉教授。専門は日本近現代史、とくに治安体制・思想統制史。主な著書に『特高警察』(岩波新書)、『よみがえる戦時体制――治安体制の歴史と現在』(集英社新書)、『検証 治安維持法――なぜ「法の暴力」が蔓延したのか』(平凡社新書)、『「国体」とは何か――教育勅語から八紘一宇へ』(地平社)、『治安維持法と「国体」』(大月書店)等多数。

林博史

(はやし ひろふみ)

1955年、神戸市生まれ。現代史研究者。関東学院大学名誉教授。主な著書に『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書)、『沖縄戦と民衆』『沖縄戦が問うもの』(大月書店)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』『米軍基地の歴史 世界ネットワークの形成と展開』『帝国主義国の軍隊と性 売春規制と軍用性的施設』(吉川弘文館)、『朝鮮戦争 無差別爆撃の出撃基地・日本』(高文研)、『BC級戦犯裁判』(岩波書店)、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(花伝社)等多数。

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