対談

「分断と対立のSNS文化」を終わらせる新技術とは?

『テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITY(プル…
田中優子×李舜志

 世界は支配する側とされる側に分かれつつある。その武器はインターネットとAIだ。シリコンバレーはAIによる大失業の恐怖を煽り、ベーシックインカムを救済策と称するが背後に支配拡大の意図が潜む。人は専制的ディストピアを受け入れるしかないのか?
 『テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?』(集英社新書)の著者、李舜志氏(法政大学社会学部准教授)と、江戸研究の第一人者である田中優子氏(法政大学名誉教授)が、最新の「デジタル民主主義」のテクノロジーと、江戸文化の意外な接点について語り合った90分。分断と対立を煽るSNS文化を終わらせる、新たなデジタル技術とは? 3回にわたりこの対談をお送りします。その2回目。

構成=高山リョウ 撮影=岩根愛

プラットフォームの権力を抑止するMIDs

 田中先生が江戸研究を始めた頃、江戸の文化を研究対象にすることは、清水の舞台から飛び降りるくらいの勇気が要ることだったと著書に書かれていました。当時は江戸研究って冷遇されていたんですか?

田中 まず、学者としての江戸研究者ってあまりいなかったんです。江戸研究は好事家の世界というふうに明治以降ずっと言われてきて、好きな人が趣味でやっているものとされていた。戦後は研究者たちが出てきますが、数は少なかったですね。それからもう一つ、賞を取った時にパーティーなどで言われたのは、「あなたはナショナリストですね」と。「昔の日本を研究する人はみんなナショナリスト」みたいな偏見もありました。

 たしかに江戸時代って、「鎖国していて、封建的な身分社会で、民衆は抑圧されていて暗い」みたいなイメージが先走っていますが、先生の御著書を読めば、決してそうではなかったことがわかります。びっくりしたんですけど、江戸時代は経済成長率がイギリスに次いで世界二位だった。

 だから西洋のような近代化、すなわち資本主義化をしないと経済成長はできないというのは、江戸時代を見ると「そんなことはない」とわかります。江戸研究というと、「純粋な日本を再発見する」みたいに受け取られますけど、田中先生は『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫)で「世界のなかでの江戸」について論じています。中国やオランダの東インド会社など、海外との積極的な経済交流、人的交流があり、江戸時代の日本は全面的に鎖国しているわけではなかった。江戸を研究することは、「海外のネットワークの中に江戸があった」ということを発見する営みだと思うんです。

田中 本来、人と同じように、国というのもネットワークの中で存在するはずなんです。それを否定してしまうのがナショナリズムであり、今トランプがやろうとしていることはそれに似ている感じがする。EUからイギリスが離脱するような動きもそう。「ネットワークを切っていくと問題が解決する」と思っている。それはないだろうと私は思いますが。

 だから「第三の道」であるPlurality(プルラリティ)というのは本当に面白くて、しかも実際に試みられていることとか、具体的に提唱されていることが、この本には幾つも挙げられている。例えばCOST(Common Ownership Self-assessed Tax, 共同所有自己申告税)の制度とか、これはまだどこでも実施していないですね。

 そうですね。ただ、台湾では孫文がこれに近い制度を提案しました。COSTの理念である「財産の共同所有」の思想は、ヘンリー・ジョージという百年以上前の人が提唱して、ジョージズムとして受け継がれています。アメリカでも最近、公平な富の分配のため、「どうすればいいか」という議論が注目を集めています。

田中 それから、MIDs(Mediators of Individual Data 個人データの仲介者たち)。今はプラットフォームが寡占的に個人データを集めているから、ものすごく乱暴なやり方だと思います。公正を期すためには、そこにデータを取り継ぐ「仲介者」が必要で、これも前回お話しした江戸文化の「あいだ」の問題なんです。二項対立的な構造に「あいだ」をつくっていくという発想はやはり大事で、しかも新しいと思うんですね。

 個人とプラットフォームの「あいだ」って本当に大事で、たとえばプラットフォーム上でヘイトスピーチがそのままになっているとか、フェイクニュースが蔓延しているとなった時に、現状ではプラットフォームに規制をお願いする形になる。トランプが政権に就く前は、一応プラットフォーム側も規制していたけれど、そのことによって結局、プラットフォームの権力が肥大化していた。ですから、プラットフォームの権力の肥大化を防ぎ、人々の「フェイクニュースなんてもううんざりだ!」という声が届く仕組みとして、個人とプラットフォームの間に仲介者の機関を置く必要があります。

田中 このMIDsという仲介者のイメージですが、巨大プラットフォームではないとすると、仲介者として働くデータ労働者がいると考えていいんですか?

 そうです。

田中 もう出てきていますか?

 データ仲介者という考え方自体は、インターネットに関する法律の中で出てきています。ただ実装するにあたっては、やはりデータの扱い方の問題など、まだまだ考える余地は残っているという感じです。でも動き始めてはいます。

対立と分断を無効化するPol.is

田中 Pluralityの中で、実際に動いているなと思ったのがPol.is。検索してみたら、日本でもPol.isというツールを使って、実際にアンケートを取っている。でも、日本語版がまだないから、英語版の翻訳を使っているとのことでした。

 そうですね。Pol.isは合意形成のためのソーシャルメディア・ツールで、台湾では2015年にウーバーが進出する時、受け入れ議論のために導入されました。議題について「賛成」「反対」「パス・不確定」の3つの選択肢のいずれかをクリックすると、投票として集計され、マップ上にグループごとに分かれたアイコンとして表示されます。

 Pol.isが面白いのは、反対派と賛成派の「あいだ」の領域が存在するところです。マップ上に各種グループの代表的な発言が表示されるだけでなく、自分たちと他のグループではどこに主要な相違点があり、どこに歩み寄りの余地があるかも可視化されます。確かに「賛成」と「反対」のグループで対立しているけれど、でも「ここは妥協できるよ」というところを見つけられる。それがすごく大事なポイントです。

 というのは、ここ数年ずっと、「分断」が政治を語る上での主要なキーワードになっていますが、意見や立場が違っても、実はお互い「協調し合えるポイント」というのはあるんです。でも現代のSNSに代表される巨大プラットフォームは、対立を顕在化させることによって利益を上げている。

田中 アテンションエコノミーにするために、そうなってしまう。

 そうなんですよね。でも実は人々の中で妥協し合える部分とか、共通している利益の部分はあるんです。それを「いかに見えるようにするか」という意味で、Pol.isの取り組みは非常に大事だと思います。

田中 対立を顕在化させず、インターネット上でも熟議ができるという仕組みですよね。これは実際に台湾でやっていて、英語版があるから、私たちもやろうと思えばできるということですね。

 そうですね。今はまだPol.isと言っても、ITに詳しい人とか、一部の専門家しかわからないと思うんですけど、これから日本語版ができて普及していくと、ネット上で議論できる場が生まれてくると思います。今のSNSに見られる対立や分断ではなく、いろいろな人が自分の意見だったり、利害関係というものを建設的に表明できる場にはなるのではないかと思います。

 また、去年の東京都知事選に出馬した安野貴博さんという方が、今、Pol.isに近いようなプラットフォームを製作中なので、それも実用化に向けて動いていくと思います。

田中 そういった新たな場ができると、今まで無理だと思っていたことができるようになってくる。そうすると、たとえばPol.isが導入されて、私も社会運動をやっていますから、そこに議題を投げかけてみることはできる。だけど、それが実際の政治に反映するかどうかというところがよくわからない。

QVという分散型投票システム

 実際の政治に反映されつつあるものとしては、Pol.isよりむしろ、QV(Quadratic Voting 二次の投票)という投票を分散させるシステムですね。従来の選挙はひとり一票のシステムですが、QVでは市民一人ひとりに、投票用の予算である「ボイスクレジット」が与えられて、クレジットの平方根にあたる数の票を購入することができます。

 たとえば環境問題に強い関心がある人は81クレジットで9票を買うことができるし、環境問題より少子化問題の方に関心がある人は、16クレジットで環境問題に4票、64クレジットで少子化問題に8票というふうに購入して、自分の持っている票数を、複数のイシューに振り分けることができます。

 このQVは、アメリカのコロラド州で民主党の議員団が実施しています。ただ投票結果による提案を、最終的に州知事が受け入れない可能性もあります。ですから、QVを政治に即反映するということは難しいかもしれないけれど、他方でQVによって「民意」というものが可視化されるので、それを無視するのは、首長としても結構な説明責任が生じると思います。

田中 たとえば今動いている社会運動として、審議にかける間際に来ているのが、選択的夫婦別姓問題。アンケートなどを取ると、「選択的なんだからいいでしょう」と言う人は相当いるわけです。相当いるんだけれども、自民党内で賛否が割れていますから、「審議にかけられません、議案になりません」という話になってしまう。

 それで、反対している人の考え方が言葉として伝わってくるのですが、言葉の意味がよくわからない反対理由なんです。「日本の国体がなくなる」とか、ほとんど意味がわからないですよ。だからその言葉の奥に、実際には何が潜んでいるのか? 本音のところにはどういう恐怖感があるのか? そういうものをもっと感じることができれば、それに対して「いや、そんな怖いものじゃないんですよ」とも言えるんだけれども、現状では本当に表面的な言葉でやり取りしてしまうことになるので、熟議ができない。

 おっしゃるとおりで、たとえば自分が選択的夫婦別姓を支持している場合でも、反対している人たちを、「あいつらはおかしい」と言って一蹴するのは、民主主義国家の成員として間違っています。そこで、「どうやって自分と意見が違う人たちの意見を知るか?」という問題が出てきますが、SNSは対立を顕在化させるだけで、全く使い物にならないじゃないですか。

田中 そうなんです。言葉が遊んでいるだけで、真意がわからない。議論にならない。

 なので、やはりいろいろなテクノロジーを活用する必要があって、例えばPol.isだったら、「ここは賛成派、反対派の間でも共通している部分だよね」というところが見つかれば、そこをきっかけに、賛成と反対の立場を超えて、夫婦別姓そのものについて話し合うことができるかもしれない。

 そしてアンケートで賛成している人は多数なのに、選択的夫婦別姓がなかなか審議されないという田中先生のご指摘は、現状では「選択的夫婦別姓」というイシューがそこまで優先されていないからだと思います。「それよりもまず経済、インフレ対策」みたいに、緊急性のある問題に埋もれてしまっている。

 QVはイシューごとに自分の持っている票を配分できるから、選択的夫婦別姓によって害を被る人たち、主に若い女性が多くの票を投じることが可能になります。今の選挙システムでは、選択的夫婦別姓について賛否を問うというより、「自民党か野党か」みたいな選択肢しかないんですよね。

田中 そうそう。それしか選択肢がないって変よね。

 選択的夫婦別姓に賛成する人って、結構若い人が多いと思うんですけど、若い人たちは選挙に無力感を覚えています。選択的夫婦別姓を含めた、いろんな個別のイシューに対して意見はあるんだけれども、投票しても変わらないし、ある問題に関して支持している候補者がいたとしても、「でもこの人は選択的夫婦別姓は反対しているんだよな」となると、「もういいや」となってしまう。そこをどうやってエンパワメントするかということで、今回の本で紹介しているテクノロジーが使える時代が、来るのではないかとは思います。

 そしてQVが大事なのは、ボイスクレジットという投票のポイントがあるので、たとえば選択的夫婦別姓に全部のポイントを使ってしまうと、他の政策には投票できなくなるんです。ポイントが限定されていると思うと、「選択的夫婦別姓には8票、残りの4票をどの政策に投票しようか」という具合に、他の政策もチェックするインセンティブが働きます。「もっと公教育に力を入れてほしいから教育問題に2票、インフレ対策もやはり大事だから経済対策にも2票」みたいな感じで分散的に投票できるし、いろいろなアジェンダに接する良い機会にもなるんです。

仮想現実で「老い」を体験してみた

 あと、これは少し未来の話になってしまいますが、本の中でも紹介した「ポストシンボリックコミュニケーション」という、言語的なシンボルを介さず、他者の身体感覚を体験できるテクノロジーがあります。選択的夫婦別姓に反対する人たちの「恐怖」とか「不安」って、感情なので共有できないじゃないですか。でも、それを疑似体験できるような未来があるかもしれません。

 たとえば脳の神経細胞が発信する電気記号をコンピューターに伝える、脳コンピュータインターフェース(Brain Machine Interface BMI)。考えるだけでマウスやキーボード操作などを可能にし、将来的には思考、感情、経験といった「心」を他者の「心」へ直接共有できるようになると言われています。

田中 御著書の中でも、高齢者の感覚を体験する話が出てきましたね。あれはどこでやっているんだっけ。

 お台場にある、日本科学未来館という科学を体験する博物館です。外国からのお客さんもたくさん来られるんですけど、そこに「老いパーク」という仮想現実の体験型展示があります。足におもりをつけて、前かがみでカートを押す姿勢で歩いていく。そうすると、仮想空間の信号が、横断歩道を渡っている途中で赤になったり、歩きスマホの若者が突進してくる。こっちは足がすごく重いのに……。あれを体験すると、本当に世界の見方が変わります。僕はもう、目の前でお年寄りの人がゆっくり歩いていても、全然イライラしなくなりました。

田中 すごい効果だ。

 「ああいう状態だったらしょうがないよな」と、お年寄りの方のつらさがわかった。老いパークは他にも、視野が狭くなる、記憶力が悪くなるという体験型展示があり、僕はどれも効き目がありましたし、他人のことを想像する手段として、手っ取り早いと言えば手っ取り早いんですよね。

 言語を介さない仮想的コミュニケーションがこれからも進歩していって、高齢者だけでなく、違う文化とか違う宗教を信じている人たちとの共感とか、ロシアとウクライナのように戦争をしている国の人同士でもエンパシー(共感)を高めることができる。そういう未来は来るのではないかと思いました。

 「エンパシー」って、今とても重要なキーワードで、なぜかというと、イーロン・マスクが「エンパシーこそがアメリカを滅ぼす感情だ」みたいなことを言っている。「共感なんかするから不法移民がアメリカに居ついている」みたいに言っているんです。

田中 私はもう高齢者だから「老い」は体験しなくてもいいんだけど、でも、本当に全く違う立場の人、全く違う状況で生きている人、それから病を持っている人だとか、いろんな方への共感というのが、私たちの世代だと文学なんですよ。やっぱりそれは言葉なんですね。

 文学を通じて他者と共感している。李先生とも現在、石牟礼道子研究会を一緒にやっていますが、石牟礼道子は標準語ではなくて、方言を使って書いていますね。言葉として目に入るだけではなくて、耳でも聞こえてくるような気がする。方言というのは作られた言語ではないからです。生活の場で話されてきた言語だから、より共感性が高くなるということを、読書を通じて経験してきています。

 他者の感覚をデジタルの技術で体験できるというのは一番「早い」かもしれないけども、やっぱり言葉の持っている共感性の襞の「深さ」を超えることは、なかなか難しいかなという気はしますね。

 おっしゃるとおり、標準語は人工的な言語で、決して「東京弁」ではないですね。ですから方言で書かれた石牟礼道子の文章を読むと、やっぱり脳みそだけじゃなくて体に来る。

田中 そうなんですよ。

 文字がもたらす「シンボリックなエンパシー」は確かにあるので、新しいテクノロジーがあるから、文字の記憶はもう要らないとなると、もったいないなとは思います。ただ、これまでのメディアとかテクノロジーの歴史を見てみると、なぜか古くなったメディアって、そのまま消えないんです。

田中 そうそう。不思議ですね。

 たとえばラジオなんかも、テレビができて、インターネットができて、ラジオなんて誰が聴くんだ?と思いきや、むしろ今の若い人ってラジオを聴くんです。ですからこの先メディアとかテクノロジーが進歩していっても、文字は消えるのではなくて、文字にしかできないこと、文字にしかできない共感の形というのがより浮彫りになってくるのではないでしょうか。石牟礼道子は、文字による共感を突き詰めた人として、これからもずっと残っていくのではないかと思います。(後編につづく)

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関連書籍

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プロフィール

田中優子

(たなか・ゆうこ)
1952年、神奈川県横浜市生まれ。法政大学社会学部教授、同大学総長などを経て、同大学名誉教授、同大学江戸東京研究センター特任教授。専門は日本近世文学、江戸文化、アジア比較文化。『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)、『遊廓と日本人』(講談社現代新書)、『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神 』(集英社新書)、『江戸の想像力』 (ちくま学芸文庫)ほか著作多数。

李舜志

(リ・スンジ)
1990年、神戸市生まれ。法政大学社会学部准教授。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。学術振興会特別研究員、コロンビア大学客員研究員などを経て現職。著作に『ベルナール・スティグレールの哲学 人新世の技術論』(法政大学出版局)。

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