ロッシ引退!発表までの葛藤と26年間の思い出を語る

MotoGP最速ライダーの肖像 2021 ロッシ スペシャル④
西村章

『MotoGP最速ライダーの肖像』(西村章・著/集英社新書)発売記念として、今季のMotoGPと、そこで戦うライダーの実像をお届けしてきた短期連載のスピンオフ企画、バレンティーノ・ロッシ スペシャル。第4回は、ついに引退を発表したロッシの記者会見速報をお届けする。

 おそらく、そこに驚きはなかっただろう。

 しかし、世界の多くの人々は「できればこの発表を聞きたくはなかった」「もしも願いがかなうなら、そうであってほしくはなかった」という思いを気持ちの奥底に秘め、心を千々に乱しながらも、地球上のそれぞれのタイムゾーンで彼が口を開く瞬間を待ち受けていたのではないかと思う。

 5週間のサマーブレイクを挟んでMotoGP2021年後半戦が始まる第10戦オーストリア・スティリアGPのタイムスケジュールが発表されたのは、レースウィークの1週間前、7月30日だった。バレンティーノ・ロッシは、この5週間の長い夏休み期間で今後の去就についてじっくりと考えたい、と以前から何度も話していた。しかし、このタイムスケジュールにロッシに関する発表や会見の予定は入っていなかった。

 ひょっとしたら、地元のミザノで9月に行われるサンマリノGPまで待って、その際に何らかの発表を行うつもりなのかもしれない、そんなふうにも思えた。いずれにせよ、何らかの会見を行うのであればその内容はあえて訊くまでもなく明らかで(現役活動を継続する方向なのであれば、会見の場を設ける必然性は低いのだから)、それを順延することは結論の先送りでしかないのだが、とはいえ、世界的スーパースターの去就発表を行う舞台設定として、そのような判断もひょっとしたらありえるようにも思えた。

 だが、第10戦の走行前各種イベントや取材活動等が始まる8月5日(木)の欧州時間午前に、MotoGPを運営するDORNAの関係者からこの日の各種スケジュールなどに関する最新情報が届いた。そこには、現地時間16時15分からバレンティーノ・ロッシが特別記者会見を行う、との旨が記されていた。ほどなく、同内容の告知がSNSなどでも発表され、情報は世界中に広がっていった。

 この告知で、世界中の多くの人がそこで告げられるであろう内容を察知したはずだ。

 そして16時15分に、バレンティーノ・ロッシはPetronas Yamaha SRTのチームウェア姿で会見場にあらわれた。

 壇上の中央にひとつだけ据えられた腰高の椅子に座り、

「ここに自分ひとりだけ、というのは、なんだかちょっとバツが悪いね……」

 そういって少しはにかんだような笑みを泛かべた。

 そしてためらうことなく単刀直入、かつ明快にこの会見の要旨を述べた。

終始穏やかに語るその顔に、涙はいっさいなかった(写真/Petronas Yamaha SRT)

 サマーブレイク明けに決断を下す、とずっと話してきたとおり、今年の末で現役を終えることにした。これからの後半戦は、MotoGPライダーとして最後のシーズン後半戦になる。なにしろ30年近く走ってきたので、ライダーではなくなることは寂しいし、来年は生活が少し変わることになるけれども、この長いながい旅路をとても愉しんできた。チームや一緒に戦ってきた人々との思い出は、数えきれないほどある。いまは多くを語る必要はない、ただただ、寂しい。

 

 そう語る42歳のロッシの表情には、そのことばと裏腹に湿っぽさはかけらもみられない。今後の活動予定や数々の思い出のいくつかを述べる際も、終始穏やかな笑みをたたえていた。

 今回の決断に至るまでには、自らが率いるVR46チームで来シーズンに参戦を継続することも考慮した、ともいう。

「自分のチームから、正式なオファーはあった。真剣に継続するかどうかも検討した」

 と、冗談めかして笑いながら明かし、

「(VR46チームは)Moto2やMoto3ではうまくいっているし、自分自身が250cc時代を走っていた1998年や1999年に担当してくれたメカニックもいる」

 そう話す一方で

「様々な事情を考慮して、やはりやめておくことにした。1年だけの参戦なら、良いことよりもリスクのほうがむしろ大きい」

 と、弟ルカ・マリーニをチームメイトとして現役を続ける選択肢を排除した理由を説明した。ロッシはこの会見の冒頭に「どんなスポーツであれ、結果がすべて」と引退を決意した事情を簡潔に述べている。今シーズン前半9戦を終えてランキング19位、チャンピオンシップポイントを獲得できる15位以内の入賞はわずか4回で獲得ポイントは17、という現実がつきつける意味を、だれよりも自分自身が冷厳に受け止めている、ということなのだろう。去年や2年前なら、まだ全力を尽くして結果を出そうと思っていたので引退を決断するのは難しかった、といい、

「いまは気持ちもおだやか。適切なタイミングでの決断だった」

 と述べることばが、そんな彼の心境をよくものがたっている。

 1996年に125ccクラスでデビューしてから現在まで、彼がMotoGPの世界で戦い続けたのは世紀を跨いで26年間に及ぶ。印象的な出来事は数え切れないほどある、と話した。そんななかでも忘れがたい年として挙げたのは、2001年、2004年、2008年、の3シーズン。

 2001年は、2ストローク500ccのマシンで戦う最終年に、最高峰クラスのタイトルを初めて獲得した、記念すべき1年だ。

記念すべきホンダ500勝を鈴鹿サーキットで達成した2001年の開幕戦日本GP(写真/竹内秀信)

 2004年は、ホンダからヤマハへ電撃移籍を遂げた年だ。最初のレースで劇的な優勝を遂げてそのままチャンピオンを獲得し、いまも語り草となっているシーズンだ。

南アフリカ・ウェルコームサーキットの2004年開幕戦、ホンダからヤマハへ移籍した初戦で劇的な優勝を達成(写真/竹内秀信)

 そして2008年を選ぶ理由については、

「すでにこのときは、けっこうな年齢になっていた(29歳)。それまで5年連続タイトル(2001―2005)を獲得して、次の2年は勝てなかった。ふつうのキャリアなら、ここで終わっている。でも、この2008年はタイヤをブリヂストンに換えて、ロレンソやペドロサ、ストーナーたちと戦ってタイトルを獲得できた」

2008年初開催のインディアナポリスGP。決勝は台風が直撃する悪天候だった が、ロッシが優勝を飾った(写真/西村章)

 そう説明した。

(やや宣伝めくが、これら3シーズンの詳細については、拙著『MotoGP 最速ライダーの肖像』で詳細を紹介している。ご興味のある方はぜひご一読を願いたい)

 多くの選手たちも、ロッシの引退発表という大きな出来事をそれぞれの思い出とともに受け止めた。

 現在、チャンピオンシップをリードするファビオ・クアルタラロ(Monster Energy Yamaha MotoGP)は22歳。最高峰クラスは3年目で、年齢はロッシの半分程度である。

「バレンティーノは、ぼくが生まれたころ(1999年)は、すでに2回チャンピオンになっているライダー。来年、彼がいない開幕戦はとても寂しく感じると思う。子供時代に彼を見てMotoGPライダーになりたいと思ったし、チームのホスピタリティの前で出待ちをして写真を撮ろうとしていた。レジェンドだしアイドルだし、(彼の偉大さは)ことばではちょっと説明できない」

最高峰に昇格した2019年開幕戦でロッシと初めて同じレースを戦ったことは忘れられない思い出、と語るクアルタラロ(写真/MotoGP.com)

 現在はKTM陣営のテストライダーを務め、今回のスティリアGPに引退以降初めてワイルドカード参戦をするダニ・ペドロサは、ロッシよりも6歳年下ながら、2018年でレース活動から退いている。その彼が最高峰クラスにデビューした2006年に、ロッシはすでにチャンピオンとしてMotoGPの頂点に君臨していた。

「彼はすごく高いレベルでずっと走り続けてきたので、できれば、これは起こってほしくなかった。寂しいけれども、いつかは誰にも訪れることでもある。良い思い出はたくさんあるし、自分(の現役時代)はいつも彼に追いつこうと思って走ってきた。今回の引退については、リスペクトのひとことのみ」

ペドロサが125ccクラスでチャンピオンになった2003年、ロッシはすでに最高峰クラスの世界王者だった。そのペドロサは今回、ワイルドカードで参戦(写真/MotoGP.com)

 MotoGPという舞台をバレンティーノ・ロッシと共にしてきた選手たちには、それぞれに宝石のような数々の思い出があるだろう。500cc/MotoGPという最高峰クラスで22年、125ccと250ccという中小排気量クラスまで含めれば26年の世界選手権キャリアである。そんな彼の業績と奇跡、歴史的な偉業の数々については、「バレンティーノ・ロッシ特別企画」第1回(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/14386)、第2回(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/14491)、第3回(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/14708)も、それぞれご参照をいただきたい。

 また、『MotoGP 最速ライダーの肖像』でロッシについて述べた章の最後でも触れたとおり、彼はここまでの最高峰クラスで獲得した優勝回数は89、表彰台には199回登壇してきた。今週末からカウントダウンが始まる彼にとって最後の現役活動となる日々で、これらの数字をはたして更新することができるのか。2021年の残り9戦は、そのひとつひとつがかけがえのない貴重なものになるだろう。彼に訊ねてみたいことも、まだいくつもある。歴史はまだ、終わっていないのだ。

関連書籍

MotoGP最速ライダーの肖像

プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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