ついに引退? ロッシが成し遂げたコース外の偉業の数々

MotoGP最速ライダーの肖像 2021 ロッシ スペシャル②
西村章

『MotoGP最速ライダーの肖像』(西村章・著/集英社新書)発売記念として、今季のMotoGPと、そこで戦うライダーの実像をお届けしてきた短期連載のスピンオフ企画、バレンティーノ・ロッシ スペシャル。第2回となる今回は、ロッシが変えたレース界というテーマだ。四半世紀にわたるスーパースターは、レースの記録以外に何を遺してきたのか。それを紹介しよう! 

 バレンティーノ・ロッシは、2021年シーズン前半戦のパフォーマンス次第で今後の去就を決めたい、と以前から話していた。そのシーズン前半戦は6月27日の第9戦オランダGP、TTサーキットアッセンで区切りを迎え、レースは8月まで5週間のサマーブレイクに入る。第9戦オランダGPは第8戦ドイツGPからの2週連続開催となるが、この第8戦をバレンティーノ・ロッシは14位で終えた。

またも下位に沈んでしまったロッシ。いよいよ決断の時は近いのか?(写真/MotoGP.com)

 優勝を飾ったのは、マルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)だ。第3戦ポルトガルGPで復帰を果たしたものの、本来のパフォーマンスからほど遠い結果が続いていたマルケスは、相性の良いザクセンリンクサーキットで強みを存分に発揮して復帰後初勝利。581日ぶり、レース数では前回の優勝から22戦もの長い間隔を経て表彰台の頂点に立った。

同サーキット11連勝を喜ぶマルケス。右腕の負担が少ない上に、得意のコースとはいえ、圧巻の走りだった(写真/MotoGP.com)

 このレースウィークの走行初日、金曜日の午前と午後の練習走行を総合12番手で終えたマルケスは、セッション終了後の取材でこんなことを話していた。

「サーキットにいるモチベーションのひとつは表彰台を獲得し、勝つこと。それができなくなりトップを争えなくなったら、いろいろと考えることになる。(負傷した腕に)制限のある状態で走っている現在、自分の大きなモチベーションのひとつは、以前と同じように走れるようになること。過去に何度も勝って何度もタイトルを獲っていると、勝たないでいるときはさらに燃料が必要になる。勝利は、そのなによりのエネルギーとモチベーションになる。

 その意味で、バレンティーノは今の位置を受け入れてでも走ることを愉しめているようなので、すごいと思う。表彰台に上がる可能性がない状態でも走り続けることは、自分にはちょっと想像できない」

 誤解のないように申し添えておくが、マルケスのこのことばはあくまでも純粋に賞賛として発せられたものだ。ロードレースの歴史に残る数々の偉業(前回の記事<https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/14386>等を参照)を打ち立ててきたロッシだが、42歳という年齢で迎えた今シーズンは、かつてない苦戦が続いている。開幕戦から第8戦までの成績は、最高位が10位(第6戦イタリアGP)。チャンピオンシップポイントを獲得できたのは8戦中4戦で、計17ポイント。現在のランキングは19位、という状態だ。

 上記のマルケスの発言に対して、ロッシは「けっして今の状態を愉しんで走っているわけではない」と述べている。チャンピオン争いはともかくとしても、表彰台争いやトップファイブなど、もっと高いレベルで競うことができると考えればこそ現役選手として走り続けてきたのだ、と話した。

「16位でレースを終えて、愉しいと思うわけがない」

 2019年のロッシは、2位を2回獲得し、表彰台を逃したものの4位で終えたレースも4回あった。2020年は新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延で年間スケジュールが変則的になったシーズンだが、そんななかでも3位表彰台を獲得し、4位や5位で終えることもあった。

 しかし、2021年は上記のとおりの成績で、具体的にいえば開幕以来の成績は、12位―16位―転倒―16位―11位―10位―転倒―14位、というリザルトだ。前半戦でどこまで戦えるか見てから去就を判断する、と以前から話してきたとはいえ、この一連の成績と、現在の状態をよしとするわけではないという上記の発言から類推すれば、ロッシが下すであろう結論は、今週末の第9戦オランダGPの結果を待たずともおのずとひとつの方向を示しているように思える。

 情報によると、ロッシはすでに内心では肚を固め、来季は四輪の世界耐久選手権WECへKassel Racingからフェラーリで参戦する方向の調整を進めているともいう。フェラーリといえば、過去にはF1参戦の話も持ち上がり、ジョン・サーティース以来のWGPとF1のダブルタイトルも取り沙汰されただが、ロッシは二輪レースを継続する道を選び、現在に至る。

 とはいえ、それ以降も四輪への関心は続き、ラリーや耐久レースにたびたび出場をして話題を集めた。ドイツGPのウィークにも、二輪を引退すれば四輪レースへ参戦したい、と発言しており、上記のWEC参戦はおおいに現実味のある選択肢、といえそうだ。

 もちろん、MotoGPに残留するという可能性もある。ただ、その場合でもロッシのシートはほとんど残されていないのが実情だ。現在所属するPetronas Yamaha SRTは、チームプリンシパルのラズラン・ラザリが母国マレーシアのメディアに、来季は若い選手を選びたいという旨の発言をしている。ライダーは、今季Moto2クラスのルーキーながらすでに2戦で優勝しランキング2位のラウル・フェルナンデスが最有力候補だという情報もある。

 残る可能性は、自らがチームオーナーであるVR46のライダーとなることだ。しかし、このチームは2022年シーズンにドゥカティのマシンで参戦し、ライダーのラインナップはロッシの弟ルカ・マリーニと、現在Moto2のVR46アカデミーチームに所属しているマルコ・ベツェッキで確定しているようで、正式発表も近々に予定されている。ロッシ自身の参戦可能性については、過去にあれだけ苦労をしたドゥカティのマシンで成績向上が見込めるとは考えないだろうし、そんな状態でもなお現役生活を続けたいと思わないだろうことは、上記の発言がなによりよく示している。

 このように考えてくると、来シーズンのロッシの去就は、やはり先に示した結論へ落ち着くことになりそうだ。21世紀のMotoGPを象徴する最大の人物で、モータースポーツ界屈指のスーパースターだけに、来シーズンの参戦カテゴリーでも大きな話題になることは間違いないだろう。

MotoGPを引退後、四輪耐久レースへの転向が噂される。永遠のレース少年なのだろう(写真/MotoGP.com)

 

 前置きが少々長くなってしまったが、今回は様々な面でMotoGPを変えたといわれるロッシについて、先日刊行の『MotoGP 最速ライダーの肖像』に収録できなかったトピックなどにも触れながら、幅広く言及をしていくことにしよう。

 バレンティーノ・ロッシが登場する以前と、その以後とでは、MotoGPに関わるものごとはたしかに大きく様変わりした。それは、彼が改革者として何かを能動的に動かした結果というよりもむしろ、彼のような特異な性質を備えた選手がいままで二輪ロードレースの世界には存在しなかったために、その登場が一種の触媒のように働いて周囲に化学変化のような作用をもたらした、といったほうが妥当かもしれない。

 たとえばもっともわかりやすいのは、サーキットを訪れる観客層の変化だ。

 これは以前からよく指摘されることだが、ロッシはそれまで二輪ロードレースに興味のなかった人々を大勢サーキットへ引き寄せた、と言われている。アイドルやロックスターに対するような憧れの視線を送る若い年齢層のファンや、人気映画俳優を少しでも間近で眺めようとするかのような親子連れ、あるいは孫の活躍する姿を愛でに来たかのような年配層等々、以前ならおそらくサーキットに縁のなかったような人々が、バレンティーノ・ロッシの登場によって来場するようになった。2000年代をつうじてこういったカジュアルでライトなロードレースファン層が増加し、それがコアなレースファンや年季の入ったバイク乗りたちと渾然一体となって、超満員でごった返す観客席の風景になってゆく。

2012年のムジェロ・サーキット。まさに老若男女を大熱狂させている(写真/竹内秀信)

 このような新しいファン層の増加は、どんなスポーツや競技でも、突発的にスター選手が誕生した場合などに一過性のブームとして生じる現象ではある。しかし、ロッシの場合は、その「現象」が20年以上も続くという特異な状態が続き、それが結果として恒常的な風景になることで、もともと二輪ロードレースがスポーツ文化として根付いていた欧州でMotoGP人気がさらに大きく飛躍し、過熱する一因になった、ともいえるだろう。

 とはいえ、この来場観客層の変化は、世代別や男女の構成比などについてじっさいに定点観測をしたわけではない。また、これらの変動や推移を裏付ける統計データのようなものがあるわけでもない。いわば、あくまで日々サーキットで取材活動をする傍らに多くの観客を眺めつつ感じた、雑駁な印象にすぎない。あるいは考え方によっては、この現象は、MotoGPを運営するドルナスポーツ社がこの世界最高峰の二輪ロードレースを興行として年々洗練させ、多くの人々が気軽に愉しめるスポーツイベントとして様々な国の幅広い世代へ訴求するビジネス戦略が成功したために、各国各会場の動員数増加に応じて「普通の人々」の占める割合も増えていった、という説明もできるだろう。

 ただし、この「普通の人々」をサーキットに呼び込む大きな誘因のひとつとして、全世代的に幅広く支持されるバレンティーノ・ロッシというスターの存在が大きく作用したこともまた、間違いのない事実であるように思える。

 つまり、バレンティーノ・ロッシというライダーがMotoGPのメジャースポーツ化に大きく寄与し、MotoGPの人気向上がさらにロッシの存在感と人気を高めてゆく、という、競技と選手が互いに正のフィードバックとして機能することで相乗効果を与えあう好循環を生み出していったのが、この20年間だった、ともいえる。たとえば、ロッシ以前に圧倒的な強さを誇ったライダーや人気を集めていた選手とロッシを比較すれば、その人気のありようや支持のされかたの違いがはっきりとわかる。

 

 ロッシ以前にグランプリ界に君臨していた最強ライダー、といえば、誰しもすぐに思い浮かべるのはミック・ドゥーハンだ。1994年から98年までホンダで無敵の5連覇を達成したドゥーハンは、その牙城を脅かす強力なライバルが不在だったこともあって、当時は文字どおり王座に君臨し続けた。ドゥーハンの無慈悲で容赦ない強さは、21世紀前半に全盛期を誇ったロッシと同様の無敵状態にあった。

1990年代ホンダ最強時代を作り上げたドゥーハンとチーフメカニックのジェレミー・バージェス(左)(写真/竹内秀信)

1990年代前半に負傷した脚の大ケガから復活して王座を獲得。引退するまで誰も寄せ付けなかった(写真/竹内秀信)

 たとえば、ドゥーハンは5連覇を達成した94年から98年の5年間に全71戦で44勝を挙げている。ロッシが2001年から2005年まで5連覇を達成した期間は全81戦で51勝。勝率はドゥーハンが61.97パーセント、ロッシは62.96パーセント。ともに2戦に1回以上、というよりもむしろ、3回レースをやればそのうちの2戦で勝つ、というほどの頻度で優勝している計算になる。

 ドゥーハン、ロッシともに、その絶頂時代はまさに向かうところ敵なし、という状態だったことがよくわかる数字だ。

 だが、その圧勝の5年から受けるイメージは、ドゥーハンとロッシではまるで異なる。それはおそらく、ふたりがそれぞれに醸し出すキャラクターの違い、という要素もある程度は影響しているだろう。現代風の表現を用いれば〈陰キャ〉と〈陽キャ〉の違い、とでもいえばいいだろうか。

 ドゥーハンの勝利に対する貪欲で厳しい姿勢には、どうしても求道者のような雰囲気がつきまとう。だが、ドゥーハンを応援する人々には、その姿こそが魅力的に映っていたのだろう。容赦なく勝利を追い求めて勝ち続ける彼の姿は、熱心なロードレースファンやむくつけきバイク乗りたちに訴えるものは大きかったとしても、カジュアルでポップにレースを愉しみたいライトなファン層にとっては、やや敷居が高く間遠に感じる存在だったのではないか。

 誤解のないよういい添えておけば、これはけっしてドゥーハンが「暗い」性格だということを意味するわけではない。ただ、あくまでロッシと比較してしまえば、どうしても陰陽の対照で捉えられてしまう面があるのもやむを得ない、というだけの話だ。とくにロッシの場合は、前回にも紹介したとおり、優勝後のウィニングランで中小排気量時代から数々の面白おかしいパフォーマンスを披露してファンを喜ばせてきた経緯があり、そのパフォーマンスの愉しさを観客席に伝播させてゆく天性の〈華〉のようなものが備わっている。

 かたやドゥーハンは、ウィニングランで観客に手を振ったり、あるいはなにかの記念的な勝利の際に国旗などを掲げて走ったりする程度だ。とはいえ、それがこの当時はあたりまえのパフォーマンスだった。他の選手たちの喜びを爆発させる感情表現にしても、派手なウィリーを見せたり、ステップの上に立ち上がって両拳を天に突き上げる、といった仕草くらいがせいぜいのところだった。

 ダッチワイフや鶏の着ぐるみをウィニングランで後ろに乗せて走ったり、トイレ休憩やスピード違反などの小芝居で皆を笑わせたりするパフォーマンスはたしかにわかりやすく愉しいが、レース後にそのようなものを披露するほうが、ありかたとしてはむしろ突飛だともいえる。だが、中小排気量時代からそのような行為が許されていたのも、ロッシが類い希な〈陽キャ〉の持ち主だったからだろう。

 

 ロッシとドゥーハンの関わり、ということでいえば、ロッシは最高峰の500ccクラスへステップアップしたとき、ドゥーハンのチームクルーを引き継ぐような形で昇格をしている。ドゥーハンはホンダファクトリーチームのレプソル・ホンダに所属していたが、ロッシの昇格時には独立したサテライトチーム、ナストロアズーロ・ホンダというチームが結成され、ドゥーハンを支えてきたクルーチーフのジェレミー・バージェスやメカニックたちがそこに合流することになった。

 バージェスやメカニックたちとロッシは即座に強い信頼関係で結ばれ、ロッシがホンダからヤマハへ移籍したときも、バージェス以下のクルーほぼ全員を帯同することが条件になった。バージェスとメカニックたちは、ロッシがヤマハからドゥカティへ移籍し、その後またヤマハへ復帰した際にも行動をともにしている。移籍を受け入れる側にとっては、ライダーだけではなく、もれなくついてくるクルーチーフや彼らメカニックたちの契約手続きや出費も別途必要になる。つまり、当時のロッシはそれだけの手間と金をかけてでも欲しい人材だった、ということだろう。

 ロッシ以前の時代にも腕を買われてチームを移りかわるスタッフはいたし、ロッシ以後の時代にも、たとえばケーシー・ストーナーとクリスチャン・ガッバリーニの信頼関係のようにクルーチーフを帯同して移籍する例はある。だが、家族ぐるみで何度も引っ越しをするような大がかりな〈民族大移動〉移籍は、ロッシの後にも先にもなかったことだ。

 

 さきの〈陽キャ〉について少し話を戻すと、過去のライダーでは1993年の世界チャンピオン、ケビン・シュワンツはまちがいなくこちらの分類に入るライダーだろう。1980年代からグランプリシーンはもちろん鈴鹿8耐でも活躍し、そのキャリア初期から日本にも多くの熱狂的ファンを持つライダーだ。現役のMotoGPライダーたちの間でも、シュワンツのファンであることを公言する選手は多い。ロッシももちろんそのひとりだ。そのシュワンツとロッシは、ライディングの華やかさ、勝負の印象深さ、記憶に残る鮮やかな勝ちっぷり等々、いずれも際だって特徴的で、グランプリ史に残る2大〈陽キャ〉チャンピオン、といっても過言ではないだろう。

バイク少年たちの永遠のアイドル。ウェイン・レイニーとの数々の激闘も忘れがたい(写真/竹内秀信)

シュワンツの代名詞・バイクナンバー34は、MotoGPクラスで永久欠番になっている(写真/竹内秀信)

 だが、ファンからの支持のされ方は、ロッシとシュワンツではやや違いがありそうだ。

 シュワンツに惚れるのは、男女を問わず根っからのレース好きやバイク乗りがそのほとんどを占めているように見える。これも統計データなどに基づかない雑駁な印象論にすぎないのだが、シュワンツひと筋というスズ菌保菌者や、ケビン・シュワンツvsウェイン・レイニーの数々の激闘を見て熱狂的ファンになった、という人々はよく見ることがあっても、「レースやバイクのことはよくわからないけどシュワンツの見た目がカッコいいからファンになった」という声はあまり聞いたことがない。

 ところがロッシファンの場合は、「レースはよくわからないけど好き」「ロッシを知ってからレースに興味を持つようになった」ということばを聞くことがけっして少なくない。このような、レースプロパー以外のところにファン層を持つことがロッシの特徴であり、彼以前のライダーにはおそらくありえなかった支持のされ方でもある、ともいえるだろう。

 ロッシ以降の世代のライダーでは、たとえば現在KTMのテストライダーを務めるダニ・ペドロサは、ある程度以上の年齢層の人々や子供たちに人気が高いライダーだった。また、マルク・マルケスもとくにスペインでは幅広い年齢層から、非常に篤く広く応援されている。とはいえ、たとえば現在のマルケスの人気が国籍や地域を超えて全盛時のロッシのそれに匹敵するものであるのかどうかは、正直なところよくわからない。だが、熱狂的なファン層はともかく、世界的な薄く広い支持(世間の知名度と言い換えてもいい)に関する限りは、ロッシのほうがやはり上であるようにも思う。

 

 カジュアルなファンの多さは、キャラクターグッズなどにも反映される。

 ロッシといえば、イメージカラーである黄色をベースにしたTシャツや、〈ドクター〉というニックネームに由来してマスコットが聴診器を下げたキャラクターを配した各種グッズなど、多くの商品がある。サーキットにはこれらの商品を扱うショップがかならず店舗を構えている。選手のキャラクターやスポンサーロゴなどをあしらった応援Tシャツなどの類いは、ロッシ以前の時代にも存在した。だが、それらはどちらかといえば、普段着に適したデザインとはあまり言いがたいものが多かったように思う。

 サーキットで周囲の人々に対して、自分は誰のファンであるのか、ということを誇示するような役割に限定すれば非常に目立ってわかりやすいが、街歩きなどで着て歩くにはかなり特殊な風合い、とでもいえばいいだろうか。ドゥーハンの場合はコアラのキャラクターがあるにはあったが、後年のロッシキャラクターと比べるとあまり広くは訴求しなかった。一方、ロッシ以降の時代になると、たとえばペドロサのベビーサムライやマルケスの蟻のキャラクターなど、洗練された図案を用いたデザインのモチーフにしたグッズは増えている。

 ロッシの場合は、たとえばキャラクターTシャツひとつとっても、それがアパレルとして「街でふつうに着ることができる」デザインである、という点で他の選手たちの関連グッズとは大きく異なっていた。黄色を基調としているためにたしかに派手で目立つが、デザイン性が高いために突飛さがなく、街の風景にも自然に違和感なく馴染む。MotoGPやレースとは関わりのない時期などに、パリの地下鉄やバルセロナの街中などでもロッシTシャツを着た人々を見かけたことが何度かある。

Tシャツばかりか、こんなものまで!(写真/西村章)

 ファッションに関連したことで言えば、意外なところにロッシファンがいて驚いたことがある。ファッションデザイナーのポール・スミスだ。

 レースとは関係のない仕事で氏にインタビューをしたとき、話が少し横道に逸れてバイクの話題になった。MotoGPにも話が広がり、「では、誰か特定の応援しているライダーはいるのですか」と訊ねたところ、「もちろん、ロッシ選手ですよ」と愉しそうな表情で即答が返ってきた。ロッシは一時期ロンドンに住んでいたことがあり、それもあって親近感を抱いているのだ、とスミス氏は話していた。

 幅広いカジュアルなファン層を持つ、というのはおそらくこういうことなのだろう。

 そういえば、これも何年も前のことになるが、クアラルンプールのチャイナタウンで、ロッシ関連グッズのコピー商品が、欧州の有名サッカーチーム商品と並んで展示されていたのを見かけたことがあった。店員に尋ねればきっとホンモノだと答えたのだろうが、ともあれ、ロッシグッズはそれくらい人口に膾炙したブランドであるということでもあるだろう。近年の東南アジア諸国では本場欧州に匹敵するほどMotoGPの人気が高まっていることは『MotoGP 最速ライダーの肖像』の冒頭で軽く紹介したとおりだが、このコピー商品のケースなどもその象徴的な事例といえるだろう。

 

 さらに、古いファンの間ではすでに周知のことだが、コーナー進入時にイン側の足を出してぶらぶらさせる〈走法〉は、ロッシが始めたことから一気に広まった。これもいまとなっては10年以上のも前のことなので、年若いファンのなかにはその経緯を知らない人もいるかもしれない。

コーナリング手前でイン側の足をマシンから離す姿は、確かに今ではよく見られる(写真/竹内秀信)

 この脚出し動作は、いまではMoto3の若い選手たちの間にも普及しているくらい珍しくもなんともない光景だが、ロッシがこれを始めた2009年頃当時には「あの動作にはいったい何の意味があるのだ?」と様々な憶測を呼んだ。ロッシ自身は、ステップ(フットペグ)から足を外すことで荷重のフィーリングが変わる、等と説明をしていたが、データ的な裏付けなどの実証性があるわけでもなさそうで、何度か質問されるたびにことばではそのフィーリングをうまく説明しきれていなかったような印象がある。

 そうこうするうちにやがて他の選手の間にもこの方法が広がり、いつしか「そういうもの」として特段大きく注目されることもなくなっていった。同じコーナーでもライダーによってこの足出しを行う選手とそうではない選手がおり、同じ選手でも右は足出しをしても左では出さないなど、まさにケースバイケースだ。時速350kmからのブレーキングを経験したことのない身としてはその〈フィーリング〉は想像するより方法がないが、おそらくはテクニックとクセの間にあるなにか、ということなのだろう。ライダーたちのこれらの動作をいままであまり気にせずに観戦していた諸兄諸姉も、この機会にその部分にも少し注目すれば、レースの見方に少し彩りが増えるかもしれない。

 

 2021年シーズンのロッシは、周知のとおり長年所属してきたヤマハファクトリーチームを離れ、サテライトチームに移籍した。チームの名称はPetronas Yamaha SRT (Sepang Racing Team)。マレーシアの国営燃油企業をタイトルスポンサーに抱え、チームプリンシパルは、しばらく前までセパンインターナショナルサーキットのCEOを務めていたラズラン・ラザリ氏。チーム名称にはセパンの名称も織り込まれており、名実共にマレーシアのナショナルチームであることがよくわかる。

 毎年10月に開催されるマレーシアGPを17万人の観客を動員する大スポーツイベントに育て上げたのは、ラザリ氏の大きな功績だ。氏のセパンサーキットCEO時代には、ロッシ応援席をチケット1万8000枚分用意したという。

「マレーシアや東南アジア諸国には、たくさんのバレンティーノファンがいます。バレンティーノ応援席のチケットはキレイに完売しました。去年まで彼はヤマハファクトリーチームに在籍していましたが、今年は我々のナショナルチームに加入しました。これはマレーシアのファンにとって感無量で、すごくエキサイティングなことなのです。マレーシアや東南アジアのバレンティーノファンにとって、こんなに感動的なことはありませんよ」

 それだけに、ラザリ氏としては今年秋のマレーシアGPはなんとしても開催してほしいところだろう。だが、現在のマレーシアはつい先日もクアラルンプールでロックダウンが実施され、新型コロナウイルス感染症の蔓延状況はまだまだ予断を許さない状態が続いているようだ。とはいえ、マレーシアGPでマレーシアのチームに所属するバレンティーノ・ロッシがマレーシアの観客の前で走るという千載一遇の機会なのだから、秋までにはワクチン接種などが行き渡って状況が改善したセパンで、ロッシにはぜひとも切れ味のよい走りを披露してほしいものである。

 

 その秋をロッシはどのような形で迎え、ロッシファンはどんな気持ちで彼を見守ることになるのか。今週末の27日にはオランダ・TTサーキットアッセンで第9戦オランダGPが行われる。そして、冒頭にも記したとおり、ロッシはここまでの9レースを終えてシーズン前半戦のパフォーマンスを検討し、いよいよ出処進退を決めるという。

 この第9戦を終えて彼がくだす去就の結論は、その内容がどのようなものであれ、正式発表がいつになるのかはまだ不明だが、きっと誰からも祝福をもって迎えられるだろう。

 

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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