映画『Black Box Diaries』で伊藤詩織さんが向き合うべきこと。

ヤンヨンヒ

監督が忘れてはならない「自戒」

私は、2024年7月末に伊藤氏と直接会って話した時、ホテル側にも、連名でサインした元代理人である西廣弁護士にも許諾を得ずにホテルのCCTV映像を使い、西廣弁護士も納得していないと本人から聞いた(西廣弁護士との会話を無断で録音し、西廣弁護士の声を意図的に編集し映画に使ったことまではこの時点では知らされていなかったが)。驚いた私は初対面ではあったが必死にアドバイスをした。「もし心配な案件があるならば、電話やメールではなく、直接相手に会い、率直に話し合うしかない。後になって公開が滞ったり裁判になったりすると取り返しがつかない。作品は配信販売もされ、世界中で評論や論文、記事にもなる。楽観せず、最悪の場合を想定して対処した方がいい」と話した。過去に悪質な剽窃トラブルに巻き込まれた実体験からの私の言葉だった。

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ドキュメンタリーの出演者は「演者」ではなく、語られる話は事実で、実生活が映されることへの「許諾」は前提である。監督はこの「許諾」のために撮影開始後も膨大な時間とエネルギーを費やす。なぜなら、人の気持ちも関係性も変わるからだ。「被写体」の語り、監督の説明と確認が繰り返される過程で、関係性に変化が生まれる。それは共闘のような共犯のような暴き合いのような駆け引きのようなもの。「共」とは言ったものの、決して同じではなく対等でもない。あくまでも「撮る側」は編集権を持つ確信犯であるゆえ、自身のエゴのためにカメラという暴力的な装置を持って他人の実生活に土足で踏み込んでいると自覚すべきだ。作品が存在する限り、監督はこの自戒を忘れてはいけない。忘れた時、問題が起こる。

伊藤氏は「権利や許諾の問題はあってもまずは作品を見てほしい」というが、商業映画として世に出している以上、上映できる状態にしてこそ見てもらえるというものだろう。「作品を見て批判するべき」は、作品を無事に上映できた後の、作品内容について議論する上での前提である。

人々の日常は、たとえ一瞬の断片であっても、誰かの作品のために存在しているのではない。作家のエゴのために、人生の一部を断りもなく“見せ物”にされたり“品評”されたりする謂れは誰にもない。にもかかわらずカメラを受け入れてくれる「被写体」の寛大さと勇気の前で、監督は謙虚であるべきである。だから「被写体」側の方々に作品を見せる時、監督はどんな大きな映画祭や審査よりも緊張する。内包されていた問題が浮き上がるからだ。

性暴力被害を訴え闘ってきた伊藤氏は、誰よりも「同意」について考え、尊厳を踏み躙られた人の苦しみをわかっているはずだ。なぜ映画制作の過程で人々の人権を蔑ろにしたのか。自分が署名した誓約や「被写体」との約束を守らなかったのだから、トラブルが起こるのも当然だろう。日本語と英語を使い分け、日本と海外で上手く立ち回ったようでも、結局は謝罪と修正を約束する結果になった。問題に対して率先して矢面に立とうとせず、周囲から抗議されるまで対処しようとしなかった監督の倫理が問われているのに、日本とアメリカの法律を比べたりフェアユースを例にとっていては問題の解決になるはずがない。「私ならあの映像を使う」と外野が言うのは簡単だが、結果的には上映が滞り、作品を守れない事態になっている。今はドキュメンタリー監督の意志だけで暴走できる時代ではないのだ。そしてここでの問題は使ったことで揉めているのに監督がその紛争に丁寧に向き合っていないことだ。

私もまた「加害」している

偉そうに言っている私も、ドキュメンタリー制作において加害的なことをしていると日々自覚している。私の監督デビュー作である「ディア・ピョンヤン」(2005)を例にあげよう。今は亡き父を主人公に、日本と北朝鮮で暮らす私の家族を1995年から10年間撮影し作品にした。日本で暮らす両親には、国内外で放送や上映の可能性があり、映画を見た人から嫌な事を言われる可能性もあるがモザイクはかけないし名前も出すと説明した。それでもカメラを受け入れてほしいと頭を下げた。

問題はピョンヤンで暮らす私の兄たちとその家族だ。北朝鮮では、報道や映像作品制作の撮影に政府の許可が必要である。肖像権に関する許諾も個人が出せない。自分の家族を描くために政府の許可を乞うなんてナンセンスだと、私は政府の許可は無視した。兄たちにカメラを向けながら「ホームビデオでもあるけれど、いつか映画にするかもしれない」とやんわり本心を匂わせていた。但し10年間隠し撮りやヤラセは無く、全ての映像は北朝鮮出国時に税関で早送り再生しチェックを受けている。

2005年8月、同年10月に開催される韓国・プサン映画祭で、「ディア・ピョンヤン」とタイトルをつけたばかりの初監督作品が上映されることになった。兄たちに映画完成を報告せず、停戦協定中の韓国で上映するわけにはいかない。そんな時、9月に北朝鮮への家族訪問ツアーがあると知った。朝鮮総連に申請をし、「マンギョンボン」号に乗って、作品を世に出すという最終的な許諾を得るため北朝鮮に向かった。兄たちがどういう答えを出すか。私が兄の立場なら?と考えると絶望的だったのだが。

ピョンヤンで次兄の前に座った私は率直に話した。

「映画が完成してしまった。来月にプサン映画祭で上映されることが決まり、私は監督として招待されている。政府の許可を取らず制作された、北朝鮮を賛美しない作品に家族が協力したという因縁でお兄ちゃんたちが罰せられる可能性があるのもわかっている。ナレーションの言葉も細心の注意で選んだけど、この国に対する私の正直な気持ちも込めている。家族が収容所に送られるとしても映画を作るのか?と自問自答を繰り返したけれど、諦められなかった。私のワガママに巻き込んで申し訳ないが、せめてプサン映画祭だけでも許可をくれないだろうか。プサン以降は止めて欲しいと言われれば、言葉に従う」と兄に話し、深く頭を下げた。

しばらく黙ったあと、兄が話した。

「ヨンヒが、社会や同胞のために映画を作ったとか、そんな下らんことを言ったなら俺は絶対にオーケーしない。でもお前がやりたいんだろ。頑張れと言うしかないさ」と言った。兄は笑っていた。やっと言いやがったな、という笑顔だった。

「ディア・ピョンヤン」発表後、私は映画に対する謝罪文を書くように朝鮮総連に言われた。当然拒否。その後、北朝鮮への入国が禁じられた。家族に会えなくなって20年になる。

ドキュメンタリー監督はカメラを通して「被写体」を凝視しているつもりかも知れない。でも実は、「撮る側」こそ凝視され試されているのだとつくづく思う。そして作品は、監督が実在する人生とどう向き合ってきたのかを映し出してしまう。

私は伊藤氏を性暴力被害者ではなく、意志を持ったドキュメンタリー監督として見ればこそ、会話を無断録音し無断使用した相手である西廣陽子弁護士に対して頭を下げて「隠し録音していました、ごめんなさい。先生を裏切ってもこの編集で映画は上映します」と海外公開前に宣言をすべきだったとXで書いた。そして監督として這ってでも外国人記者クラブでの会見に来るべきだと発信した。体調不良だけが理由なら、再度会見の日程を変更したいと懇願するのではないだろうか。

映画は、監督が映らなくても、スクリーンから監督が溢れ出てしまう。だから面白い。そして怖い。映画に対し、スクリーンの前で、謙虚さを忘れずにいようと思う。そして、あらゆる映像制作の陰で人権が踏み躙られるケースが少しでも減るように願う。

自戒を込めて。

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プロフィール

ヤンヨンヒ

映画監督。1964年、大阪市生野区鶴橋生まれ。コリアン2世。米国・ニューヨークのニュースクール大学大学院コミュニケーション学部メディア研究科で修士号を取得。2005年、デビュー作のドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」を発表。2009年、ドキュメンタリー映画「愛しきソナ」を発表。2012年、初の劇映画「かぞくのくに」を発表。2021年、「スープとイデオロギー」を発表。著書に『兄 かぞくのくに』(小学館文庫、2013)、『朝鮮大学校物語』(角川文庫、2022)、『カメラを止めて書きます』(CUON、2023)がある。

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