映画『Black Box Diaries』で伊藤詩織さんが向き合うべきこと。

ヤンヨンヒ

アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされたことで、国内外で一躍大きな注目を集めた映画『Black Box Diaries』(以下BBD)。
監督を務めたジャーナリストの伊藤詩織さんが、本作品中で許可を得ていない映像を使用していることなどが是非の議論を生み、いまだ国内では劇場公開されていません。
この件に関して、『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』『かぞくのくに』『スープとイデオロギー』といった作品で知られる映画監督のヤンヨンヒさんは、X(旧Twitter)で積極的に意見を発信しました。
その真意について、『BBD』のほんとうに問題だと考えていることを、同じドキュメンタリー監督の立場から綴ります。

ジャーナリストとしての責任と倫理

伊藤詩織監督作品「Black Box Diaries」(以下BBD)の日本公開についてのその後の詳細が聞こえてこない。国内での公式見解発表は、2025年2月20日の外国人記者クラブでの記者会見を体調不良でキャンセルした後際に発表されたステートメント(声明文)に止まっているが、今も海外でのBBD上映と配信は続いているし、伊藤氏は海外の映画祭や授賞式、トークイベントには参加しているようである。

伊藤氏は2月のステートメントで、「BBDの中で問題提起されている映像の修正と、海外での上映と配信に対する差し替えを行った上で日本公開の準備を進める」と確約した。しかし3月以降のフランスでの公開やニューヨークでの上映会では修正なしのオリジナルバージョンを上映しながら、日本公開についての質問には「日本バージョンはアップデート中です」という説明に止まっている。その後の香港での上映はどうだったのだろう。修正はいつまでに完成し、海外での配信の差し替えはいつから始まるのか。すでに映画は、自身との電話のやりとりやホテルの映像など、無断で録画、使用された映像は、人権上、倫理上に問題があるので差し替えて欲しいと言う元代理人の西廣陽子弁護士の許諾を得られていない中、2024年1月のワールドプレミア以降、世界57カ国で上映および配信されDVD Boxまで出回る中、すでに遅すぎる感は否めない。忍耐強く修正版の公開を待ち続ける寛大な日本の観客たちへの誠意ある報告が待たれている。

BBD制作過程において提起されている様々な問題については既に多く書かれているので、詳細についてはここに提示するリンク記事を読んでいただきたい。

ドキュメンタリー映画と倫理的責任 性被害サバイバーでも映画監督として免責されない | 週刊金曜日オンライン
海外での行動との矛盾どう説明するか? 伊藤詩織監督作品アカデミー賞逃すも依然として記者会見が必須な理由 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
伊藤詩織監督『Black Box Diaries』未許諾問題、映像の現場で闘ってきた女性2人が思うこと(ヤンヨンヒ,西山 ももこ,蓮実 里菜) | FRaU

「伊藤さんは性暴力被害者だから見守ろう」という“優しい”声もあるが、伊藤氏が映画監督としての新しいキャリアをスタートさせたことを尊重すべきではないか。そしてリスペクトすればこそ、海外でのトークで「私はジャーナリストとして」を強調してきた伊藤氏の矜持も含め、映画監督及びジャーナリストとしての責任と倫理が問われるべきだと思う。私は特に、伊藤氏が海外でのインタビューやトークで話してきた日本でBBDが上映されない理由について触れたいと思う。この件については日本のメディアも「海外での伊藤氏の発言は偏っている部分がある」と緩く指摘はしてきたが、一般的に英語での記事や動画を確認しにくいことを考慮し、具体的な例を共有し検証したい。

海外でのスピーチ内容に疑問あり

2025年2月1日にフランスのFIPA国際ドキュ映画祭(FIPADOC)授賞式での伊藤氏のスピーチがわかりやすいので引用する。

「この賞は私にとっても映画にとっても大きな意味があります。なぜならこの映画は日本で上映がされていません。世界ではすでに57カ国以上で成功裡に上映されています。それでも日本では未だ上映されていません。それは性暴力についての内容だからでしょうか? それとも私が権力に対して声を上げているからでしょうか? もし私が男性の監督なら何か違ったでしょうか? 女性監督だからでしょうか? 私にはわかりません。今夜この場に立ちながら、映画の力と連帯の大切さを再認識しています……。フランスに到着して、私の映画のためにフランスの方々が署名を始めてくださっていることを知らされました。日本の劇場と配給会社に対して、この映画が日本で上映されるよう求めるものです。本当に驚きました。とってもフランスらしいですね。ありがとう」

性暴力など人権問題に対する日本社会の未熟さは否定しないが、性暴力問題を描いたから、もしくは伊藤氏への政治的な圧力によってBBD上映が阻止されているのではない。日本で上映されない理由を語るなら少なくとも「許諾の問題でクリアできていない部分があるので」くらいの一言はあるべきではないか。あえていうが、日本でも性暴力問題を扱った映画、女性監督の作品、政治の腐敗を描いたドキュメンタリーは上映されている。

日本では試写会があった昨年の7月以降、権利や許諾の問題が未解決で配給会社も手を拱いていると囁かれていた。劇場関係者は、どういう状況なのか、配給からの説明が欲しいというところだ。しかし、海外では上記のような伊藤氏のスピーチが続いたが、これら英語でのトークやインタビューが日本で紹介されることは殆どなかった。

伊藤氏は、ホテルのCCTV映像の入手方法を海外のインタビューで聞かれ「自分が買い取った」「難しかったがなんとか手に入れた」と答えている。その一方で海外の配給は、日本ではBBDが上映禁止になっているとまでSNSに書きながら署名運動を呼びかけている。言い回しや文脈の問題とは言えないだろう。ホテルの映像は裁判以外には使用しないという誓約書に、当時代理人であった西廣弁護士と連名でサインがなされていたにも関わらず、それを無断で破ったままであるから抗議されている。伊藤氏の海外でのスピーチや広報内容は虚偽と言われても仕方がないレベルではないか。

このような広報内容は伊藤氏個人が思いつきで勝手に喋っているのか、映画への支持者を増やすための制作チームの作戦なのか、それとも伊藤氏が心からそう考えているのか。どれをとっても問題だが、観客やインタビュアに対してあまりに不誠実である。

伊藤氏の発言に疑問はまだある。「日本バージョン」とは何だろう。日本向けにだけ修正することに方針を変えたのだろうか?

そして一体、BBDの完成バージョンはどれなのか。許諾や肖像権の問題が指摘され、監督も認め謝罪し修正を約束したとなると、世界中で上映されてきたオリジナルバージョンは完成版と言えないだろう。米アカデミー賞のHPを見ても、出品できるのは権利の問題などをクリアした完成版であること、作業進行中は申請できないとある。常識的に考えて問題発生を予想できる作品を映画祭や審査には出さない。不安要素があるにも関わらず提出したのはなぜか。問題がバレないだろうと楽観したのか、被害者が黙るだろうとタカを括ったのか、それとも外部から指摘されるまで制作側が問題点を認識できていなかったのだろうか。

次ページ 監督が忘れてはならない「自戒」
1 2

プロフィール

ヤンヨンヒ

映画監督。1964年、大阪市生野区鶴橋生まれ。コリアン2世。米国・ニューヨークのニュースクール大学大学院コミュニケーション学部メディア研究科で修士号を取得。2005年、デビュー作のドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」を発表。2009年、ドキュメンタリー映画「愛しきソナ」を発表。2012年、初の劇映画「かぞくのくに」を発表。2021年、「スープとイデオロギー」を発表。著書に『兄 かぞくのくに』(小学館文庫、2013)、『朝鮮大学校物語』(角川文庫、2022)、『カメラを止めて書きます』(CUON、2023)がある。

プラスをSNSでも
Instagram, Youtube, Facebook, X.com

映画『Black Box Diaries』で伊藤詩織さんが向き合うべきこと。

集英社新書 Instagram 集英社新書Youtube公式チャンネル 集英社新書 Facebook 集英社新書公式X