本屋はヘイトとどう向き合うべきか

木瀬貴吉×仲川啓介 『本づくりで世の中を転がす』刊行記念イベントリポート
木村元彦

「言論のアリーナ」論に反論する

 最後は、仲川の著作の中で提起され、それをテーマとして提唱者の福嶋聡氏(ジュンク堂書店)との対談が行われた「言論のアリーナ」論について議論が交わされた。

 ヘイト本を書店から外さない。その理由は対峙させるものとして同じアリーナ(書店)に上げるというものであるが、仲川はこれに明確に異を唱える。ヘイト本を他の言論と対等なものとして扱うとその対抗の過程でヘイトがばらまかれ、結果的に差別扇動が進んでしまうのではないか、という主張である。

 私は「相撲のルールを無視して暴れる者を土俵に上げるようなもので取り組みにしてはいけないものだ」と発言。重要なエビデンスを無視し、デマを土台にして差別を煽る言論を対抗言論として認めるのは、足の裏以外が土俵に付いたら負けということを知らない人間を国技館で力士に戦わせるようなものである。

 例えば、①「朝鮮人が井戸に毒を入れた」②「セルビア人がアルバニア人の子どもに犬をけしかけて水死させた」③「ロヒンギャの男が、仏教徒の女性をレイプしている」――。これらは、すべてデマであったが、流された直後に、歴史的に大きなジェノサイドに繋がっている(①1923年関東大震災、②2004年コソボ暴動、③2017年ロヒンギャ危機)。

 特定の民族を差別し溜飲を下げることを目的に最初から、虚偽という反則をしている者に言論闘争の場を提供するのは、寛容でも多様性でもなく、自分は安全な場所で高みの見物を決め込めるマジョリティの傲慢である。私が「言論のアリーナ」論を嫌悪するのは、あたかもヘイト本を置くことで、本屋が言論のレギュレーター(規制者、管理者、運営者)としての使命を果たしているかのように見せかけていることだ。

 レギュレーターの側面も無くはないが、そもそもが本屋は小売業であり、何を売って商売をするのかという倫理は問われる。資料提供の場としての価値を語るならば図書館で十分である。社会を壊していくヘイト本を置いて利益を得ることを、もしも正当化するなら「言論のアリーナ」よりもむしろ、「客が欲しがる本を売って何が悪い」と言われた方が潔い。

 私はまた、福嶋氏の著作『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』に書かれていることに大きな異議があったのでその顛末をここに記す。『明日、ぼくは…』には、私が企画しMBSの斉加尚代ディレクターに書いてもらった新書『何が記者を殺すのか』に言及する章がある。そこでは、ドキュメンタリーの調査報道を賞賛された後になぜか、それが「言論のアリーナ」論の補強に利用されていくのである。曰く「斉加の闘いに共感し、参戦していくならば、そのことを戦略に組み込まない手はない」「ぼくが、書店を『言論のアリーナ』と呼ぶ所以である」そして結語が「大きな勇気を与えてくれた、斉加尚代に倣って」である。

 全くの心外とはこのことである。私も斉加さんも「言論のアリーナ」論の対極にあらねばという意志で『何が記者を殺すのか』の制作に向かったのである。記者は価値を相対化するための両論併記に逃げるのではなく、旗幟鮮明に常に非対称の弱者の側に身を置くべきであるというのが、あの本の趣旨である。

 記者はレギュレーターではなく、プレイヤーとして存在する。「言論のアリーナ論」の真逆の主張として私は企画し、プロの記者として「沖縄の基地反対派が救急車を止めた」などのデマを取材してきた斉加さんに執筆を依頼し、構成と編集に携わって来た。福嶋氏がなぜ、あの本を読んでなぜそのように思えたのかは、いまだに理解できないが、『何が記者を殺すのか』は少なくともアリーナ論を否定している本だ。

 そもそも斉加さんが苦しめられたのも事実認定の議論よりも先に気に食わない記者は叩け、という首長などの扇動、ルール無視者の土俵入りである。記者を殺している要因の一つが「言論のアリーナ論」なのだ。もしも斉加尚代に倣う気があるならば、やることはまずアリーナ論の撤回であると言いたい。

 論考において『何が記者を殺すのか』のあのような使われ方は困惑以外の何ものでもなく、許せない旨を私は電話で直接、福嶋氏に伝えたのであった。福嶋氏も理解してくれた。福嶋氏は人望も厚い人格者であるが、それと議論は別である。

戦争が本屋から始まる?

 仲川はイベント終了後、自身のSNSで発信した。

「マイノリティの人々を傷つけ、制度上の差別や暴力、虐殺をも生むヘイトスピーチに罰則がないという、そもそもの法整備の問題もありますし、差別が利益に繋がる市場の構造や社会状況があるという問題もあります。まずは、実効性のある法律により、差別をしっかりと違法化することが必要だと思いますし、差別でお金を儲けることを許さないという合意を、社会全体で形成していく必要もあると思います」

『戦争は教室から始まる』(北村小夜)と言われたように、本来はあらゆるものから独立性が担保されていないといけない教育が今は、再び政治圧力によって歪められている。同時にまた、「戦争が本屋から始まり」かけていないか。教員である仲川がヘイト本の問題に声を上げたのは頼もしい。

 差別に対してはゼロトレランス(不寛容)だ。FIFA(国際サッカー連盟)でさえそれを掲げて、キックオフ前に弾幕を掲げている。

 私にはコソボやボスニアで嫌というほど見せつけられて来た光景がある。

「あんな馬鹿げた言説は教育のない者がやっていること。無視をしておけば良い」と看過していくうちに火がつくと、そこから仲の良かった隣人同士が悲惨な殺し合いを始めるまであっという間だった。

 差別は人の心を殺し、身体を殺し、やがて戦争につながる。

 愛すべき出版の世界でそれが扇動されてはならない。その合意を前提として著者たちは、イベントを締めた。

執筆/木村元彦
撮影/李信恵

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プロフィール

木村元彦
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『オシムの言葉』(集英社文庫)、『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(ともに集英社新書)、『争うは本意ならねど』『コソボ 苦闘する親米国家』『労組日本プロ野球選手会をつくった男たち』(すべて集英社インターナショナル)など多数。
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