集英社新書から発売された『本づくりで世の中を転がす』著者で出版社ころから代表の木瀬貴吉さんと、ころからから発売された『差別のない本屋に通いたい。』著者の仲川啓介さんとのトークイベントが先日行われた。出版社、書店から見えるヘイト本との向き合い方を、書き手の立場からノンフィクションライターの木村元彦さんはどう見たのか。白熱の議論が交わされたイベントをレポートしてもらった。

ヘイト本の定義が分からない?
4月26日、大阪は谷町六丁目の隆祥館書店にて『本づくりで世の中を転がす 反ヘイト出版社の闘い方』著者・木瀬貴吉と『差別のない本屋に通いたい。本好き教師の冒険の記録』著者・仲川啓介によるトークイベントが行われた。それぞれの本のタイトルも長いが、イベントのテーマもまた長かった。題して「なぜ本屋によって、ヘイト本が並んでしまうことがあるのか? 本屋は、本来、人と人をつなぎ、生きるための言葉を得られる希望の場であるはずなのに」
なぜ本屋にヘイト本が並んでしまうのか? それを私たちはどう捉えるべきなのか。小学校教師であり、本屋が大好きという仲川によって立てられたこの問いについて、数々の反ヘイト本を出してきた出版社ころから代表の木瀬とともに議論していくという形で進行していった。
まず、仲川は教員らしく、パワーポイントを駆使して差別の構造について説明する。なぜ差別が起こるのか、なぜ差別がいけないのか。さすが、30代後半の教育者で、このあたりの解説は見事である。非常に分かりやすい(しかし、ヘイト本についての議論で、ここから説明しないと進まないというのももどかしい)。
そして、仲川は『差別のない本屋に通いたい。』を書いたモチーフに入っていく。
自分は、本も、その本が並べてある本屋も大好きで、かつてそこは心躍る知識のワンダーランドだった。しかし、それがいつの間にか、特定の国や民族への差別や偏見を煽るヘイト本に棚が占拠されていってしまった。なぜ、こうなってしまったのか。仲川は落ち込む間もなく行動を起こす。ヘイト本を目立つところに置かないように直接、書店に頼んだり、オンライン署名を集めたりした。その経緯を詳細に記したものがこの一冊の本になったのである。
対して木瀬は、版元としての立場から、ヘイト本の問題に切り込んでいく。木瀬は、昨年来、すでに自著の刊行イベントを数多くこなしてきた。その都度、繰り返し語って来た言葉がある。「いまだに業界関係者から『ヘイト本の定義がまだよく分からないのですね』と言われて脱力するのですよ」
ヘイトスピーチ解消法(2016年)が制定されて10年も経っているではないか? 日本も批准している人種差別撤廃条約を出版関係者はなぜ注視していないのか? という嘆きである。法務省のHPにも記載がある。“ヘイトスピーチとは、特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に、日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動であり、例えば、①特定の民族や国籍の人々を、合理的な理由なく、一律に排除・排斥することをあおり立てるもの、②特定の民族や国籍に属する人々に対して危害を加えるとするもの、③特定の国や地域の出身である人を、著しく見下すような内容のものなどが、それにあたるとされている”
木瀬の年齢での出版界への参入は、一般的な編集者よりも遅いが、そこに至るまでのNGOの活動などで被差別の現場を数多く歩いてきており、生身のマイノリティと触れあった体験も少なくない。編集部のデスクと書店の空間しか知らない編集者や書店員とはそこが違う。故にヘイト本の氾濫を切実な問題として捉えており、版元として、ヘイト本へのカウンターは責務として担っている。ころからは、『NOヘイト!』や、『さらば、ヘイト本! 嫌韓反中本ブームの裏側』などを刊行している。
この反ヘイト本の刊行をきっかけに20社ほどの出版社の有志が集まり、「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」が立ち上がっている。
アイヒマンは他にいる
本の流通の発信者(版元)と、カスタマー(読者)の二人がそれぞれの立場でヘイト本にどう抗って来たのかが報告されると、司会者である二村知子が、書店の立場から、「自分は本屋として人の嫌がる本、特定の民族をデマで扇動し中傷する本は置かない」と発言。そう決めたきっかけとして在日コリアンのライターで本イベントの撮影を担当している李信恵さんの言葉を挙げた。
「信恵さんが、うちのイベントに来られたときにこう言われた。『私も本が大好きでしたが、ある日、ヘイト本の並んだ棚の前で立ったときに心臓を刃物でえぐられる気がした』と。私もショックを受けました。先代の父は、本は毒にも薬にもなるから、気をつけなあかんと言っていましたが、マイノリティの人にすれば、差別扇動の言葉は刃物なんですね。それをすごく肝に銘じています」
想像力を働かせてみよう。日本人が米国で生活した際、『広島、長崎に原爆など落ちていない。東京大空襲もでっちあげである』『日本などいらない』などと書かれた書籍や雑誌がうずたかく積まれていたら、どう思うのか。
かつて外相時代の宮沢喜一は、「わが国は兵器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれてはいない」と国会答弁で発言したが、この矜持を版元にあてはめるのであれば、本来、一ツ橋や音羽のメガ出版社は、「ヘイト本で稼ぐほど、落ちぶれてはいない」ということになるが、すでにその禁も武器輸出同様に破られつつある。
私はヘイト本は、取次を介して見計らい本制度などで一方的に送られてくる本屋よりもそれを制作して大きな利益をあげている版元の責任の方が圧倒的に大きいと考えている。膨大な量が配本される本屋に内容の吟味を義務付けて流通に加担するなと言うのは、酷であり、小売業として売れれば置かざるを得ない。ただでさえ、弱い立場の書店は年々廃業に追いやられている。なので、ヘイト本が置かれた本屋の書店員をひとくくりにして「アイヒマン」と蔑む永江朗氏の言説には、本屋に一方的に責任を押しつけて本質をぼやかしているものとして、全面的に反対する。アイヒマンは他にいる。
進行していく中で、ヘイト本の製造責任の追及の仕方として、作家の柚木麻子氏のことが紹介された。「週刊新潮」で差別的な内容のコラムが掲載された後、その問題の解決がなされておらず、これに対して柚木氏は、世界的なベストセラーとなっている自身の小説『BUTTER』の出版権を新潮社から河出書房新社に移した。作家として、自分にできる具体的なアクションを考えた末、「新潮社様における複数の版権のうち、一作を他社へ移動するという選択に至りました。これは現時点での、私なりの最大限の意思表示です」と語っている。
私も一度、類似のケースで自著を引き上げかけたことがあるが、その際は、対抗言論として同じ発行元の月刊誌での「沖縄ヘイトニュース事件の真相」の寄稿スペースを確保してもらった。

プロフィール

木村元彦






亀石倫子×朱喜哲



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森 功