プラスインタビュー

世界の人々を巻き込みアートを生み出す画家 ミヤザキケンスケが注目を集める理由 第1回

ミヤザキケンスケ・画家
ミヤザキケンスケ

昨年、ウクライナのキエフで日本・ウクライナ国交25周年を記念して描かれた絵。

 

 鮮やかな色彩で描かれる、どこか懐かしいユートピアのような世界。満開の花々、笑顔の人びとと動物たち。争いも悲しみもない、目にすれば心がホッとする「Supper Happy」な壁画を、世界中で制作している日本人アーティストが注目を集めている。

 ミヤザキケンスケは2006年から十数年に亘り、国内外で壁画を制作してきた。2006年、2010年、2015年にはケニアのスラム街の学校で、2011年は東日本大震災直後の被災地で、そして2016年にはアジアで一番新しい国・東ティモールの国立病院で。

 ミヤザキの壁画は、絵柄にその土地の文化を取り込み、そこに住む人々との交流の中で、共同で作られる。だからこそ、場を変容させる力を持つ。

「ぼくがある程度描いた下絵に、子どもも大人も描きたい人が描きたいだけ、色ぬりをする感覚で参加してもらいます。ぼくは壁画を、足し算で作っていくんです。右に花が多すぎたら左にも足し、寒色が増えすぎたら暖色を加えてバランスをとる。描き上がるまで、どうなるのか分かりません」

2016年、東ティモールの病院の壁に絵を描く。見舞いに来た子供たちが手伝ってくれた。

 

 土地の人々とともに、長い時間を生きる壁画。一枚の壁画が、それぞれの人にとっての「壁」を越える力となるように──ミヤザキが単身で現地に飛び込み行ってきた活動は、徐々に多くの人を巻き込み「 Over the Wall 世界壁画プロジェクト」として広がりを見せている。

 昨年2017年は、紛争のつづくウクライナが舞台となった。2014年のウクライナ騒乱以降、国内避難民を受け入れているマウリポリ市では、UNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)と連携し、「City of Solidarity(連帯都市)」を宣言、多様な人々の共生や平和復興に取り組んでいる。

 しかし数キロメートル先では今も戦闘が行われている警戒地域に変りはなく、マウリポリ市にも町のあちこちに、戦闘による砲弾の痕が残る。

その紛争で銃撃されたビルの壁面に、みなで絵を描く。苛烈な太陽の下、10メートルもの高い足場によじ登って絵を微調整し、全体を見るために地面へ駆け下る。その繰り返しに、ミヤザキの足はいつのまにか傷だらけになっていた。

「町に着いた日は大雨の中、生々しい砲弾の痕を見て不安を感じました。でも子どもたちが遊びにきてくれ、町の人と片言の会話を交わすうちに、恐怖は薄れていきました。ぼくは幸運にも本当に危険な目に遭わずにすみましたが、ほんの少し前には、紛争で実にたくさんの人々が亡くなられたそうです」

 壁画のモチーフには、ウクライナの民話「てぶくろ」を採用した。日本でも親しまれているこの民話は、雪の降る寒い日、おじさんが落したてぶくろの中に、ねずみ、かえる、うさぎ、きつね、おおかみ、いのしし、くま……たくさんの動物たちが入り、仲良くあたたかさを分け合うという内容だ。

壁画の大きなてぶくろの中には、ウクライナの様々な地方の人々と世界中の民族が、ギュッといっしょになって笑っている。てぶくろの上には、命の象徴であるカラフルなたまごと生まれたてのひよこ。

 

「人々の温かい心が希望の卵を孵し、未来を切り開いていくメッセージを込めて描きました」

 世界中の困難を抱えた地域や、難局にいる人々を、絵の力で応援したい。「Supper Happy」をテーマに、ぬくもりと輝きが詰め込まれた壁画はいつか、その土地に生きる人々のランドマークとなるかもしれない。

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プロフィール

ミヤザキケンスケ

1978年佐賀市生まれ。筑波大学修士課程芸術研究科を修了後、ロンドンへ渡りアート制作を開始。「Supper Happy」をテーマに、見た瞬間に幸せになれる作品制作を行っている。2006年から始めたケニア壁画プロジェクトでは、100万人が住むといわれるキベラスラムの学校に壁画を描き、現地の人々と共同で作品を制作するスタイルが注目される。現在世界中で壁画を残す活動「 Over the Wall 」を主催し、2016年は東ティモールの国立病院、2017年はUNHCR協力のもと、ウクライナのマリウポリ市に国内難民のための壁画を制作した。2018年はエクアドルの女性刑務所で制作予定。

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