21世紀のテクノフォビア 第10回

機械音痴1.0から機械音痴2.0へ(その3)

速水健朗

スマホ、AI、電気自動車……あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。
第10回はダニエル・クレイグ版『007』や『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』のテクノロジー描写から、「若者ほど機械に強い」というイメージの源泉をたどる。

■「テストが不十分」な特殊装備

最終作『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』にこんな場面がある。装備担当のエンジニアQが、ボンドに秘密装備を渡すこのエピソードで登場するのは、電磁パルスが発生し周囲のバードワイヤー回路をショートさせるための腕時計型デバイスだ。ただし、何のための装備で、どのタイミングで使うのか、どこを触ると装置が起動するのかなどの説明はない。

ボンドはQに「どれだけの強さがある?」と、この道具について尋ねている。この装置が何のためのものかわかっていないのだ。それでもボンドは強がっている。多分聞いてもわからないけど、一応聞いてみるという態度なのかもしれない。ボンドが実は機械音痴なのではないかと思わせるに十分な対応だ。これへのQの返答は「テストが不十分で」というもの。素人が理解するのは難しいということを含んでいる。質問へのはぐらかしというよりも、会社の高齢男性管理職へのごく一般的な対処法なのだろう。新しいツールについての詳細を説明しているほどの暇は現場にないのだ。

『007 スカイフォール』からQの役は、ナード風の若者として描かれ、ダニエル・クレイグよりも下の世代のベン・ウィショーが務めている。ボンド=機械音痴路線が明確化されたのはこのタイミングだろう。かつてのQはもっとおじさんが演じる役回りだった。

■ハードウェア中心の時代からソフトウェアの時代へ

「テストが不十分」なまま運用される特殊装備は、現代のテクノロジー商品の特徴を示したものでもある。実際、説明書も十分ではないままに出荷されていくのは現代では当たり前のこと。

特に、ウェブサービスでは、ベータ版からの運用が当たり前だし、まずはかって最初にソフトウェアのアップデートから始めなくてはならない製品も少なくない(スマホ、パソコン、ゲーム機、テレビ関連機器などの大概の製品)。現代の商品の多くの部分をソフトウェアが占めているからだ。スマホでも出荷後のアプリのダウンロードを前提とした商品だ。また、OSはアップデートしていくということが、世間の常識になっている。この時代に説明書は、機械と人間の間に入る唯一の存在ではなくなったのだ。

『スパイダーマン:ファーフロムホーム』で、アイアンマンにもらったサングラスを介して接続される「E.D.I.T.H.」を、ピーター・パーカーは、まるで仕組みを理解せずとも、まずは試してみて、その使い方をつかみ取っていた。装着すると、システムが立ち上がり、チュートリアルが始まる。このメガネでできることは、Q&A形式で、AIとの会話によって理解していくのだ。例えば、この装置を使えば、他人のオンライン上のやりとりを傍受することができる。ピーターは、同じバスに乗っているガールフレンドの私信(チャット)の中身を盗み見ようという下心が生まれるが、とっさの判断でそれを回避した。ヒーローである自分が、そんな私的な関心事で特別なテクノロジーを使うべきではない。その辺りのモラルも含め、ピーターは「E.D.I.T.H.」の機能を一瞬で把握し、使いこなしている。その後、サングラスのデザインが自分に合わないことを気にして、これを気軽に人に譲ってしまったことが、映画では大きな災いにつながっていく。どちらにせよ、ピーターは21世紀のユーザー・インターフェイスに慣れ親しんだ世代なのだ。説明書を読まずとも装置の扱いをつかみ取っていた。

■過剰適応とイノベーションのジレンマ

銃や車の扱いであれば誰にも負けないであろうジェームズ・ボンド。だが、それゆえに彼は、21世紀に機械音痴になったのかもしれない。20世紀の機械に彼は、過剰適応していた。「イノベーションのジレンマ」は、すでにその市場をリードする企業であればあるほど、次の新しい技術革新の台頭に対応できず、市場からの退場を余儀なくされていく理由を説明した理論だ。

なぜリードする企業が敗れるのか。新しい市場の芽が出てきた際に、それが”取るに足らない些細なこと”に見えてしまう。その分野は、ユーザーが少ない、ライバルに足る企業が参入していない、将来性もなさそうだなど、それを”些細”だと理解する理由はいくらでも作り出すことは簡単だ。だが、気がついたときには、その取るに足らない分野が次の市場の中心に成長しており、そこへの対応を怠った旧弊の大企業は、駆逐されていく。20世紀の機械に適応しすぎたジェームズ・ボンドが機械音痴になっていくのも仕方がない。

最終作の『007 ノー・タイム・トゥー・ダイ』で描かれたボンドの最後の活躍の場所は、東西冷戦時代の旧ソ連のミサイル基地だった。ボンドの最後の場所としてこれほどふさわしい場所もない。この最後の活躍は見事だった。機械式の開閉扉のレバーを引く瞬間は、ボンドもいきいきとしていた。冷戦時代のレガシーシステムであれば、彼は手慣れたもの。冷戦時代に生まれたスパイは、その時代のテクノロジーに囲まれながら最後の仕事を全うしたのだ。

(次回へ続く)

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21世紀のテクノフォビア

20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利なはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。 なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。

プロフィール

速水健朗

(はやみずけんろう)
ライター・編集者。ラーメンやショッピングモールなどの歴史から現代の消費社会について執筆する。おもな著書に『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)『1995年』(ちくま新書)『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』(朝日新書)などがある。

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