『恋する仏教 アジア諸国の文学を育てた教え』 石井公成著

「遊びごころ」こそ文学の真骨頂

小峯和明

著者石井公成と言えば、華厳教学の先鋭的な仏教学者で大蔵経テキストデータベース運用の先駆者、聖徳太子論でも通説を覆し続けるマルチ型研究者として知られる。矢継ぎ早に瞠目すべき成果を次々と公表し、その発信力は止まることを知らない。口も早いし筆も速い。何より『東アジア仏教史』(岩波新書、2019年)は、東アジアの広範な視野から仏教史をとらえた力作で、金文京『漢文と東アジア』(岩波新書、2010年)と並ぶ東アジア研究の必読書となっている。これに加えて、『〈ものまね〉の歴史 仏教・笑い・芸能』(吉川弘文館、2017年)では仏教と芸能史と笑いの問題を提起し、あらたな地平を開拓している。

 本書は、いわば前著の『東アジア仏教史』と『〈ものまね〉の歴史』を結合させ、さらに恋愛の物語を軸に東アジアの古典文学を読み換えようとする意欲作である。いわゆる仏教文学ではなく、文学総体がいかに深く広く仏教と連関しているか、しかも恋物語にこそ仏教表現が横溢することを、小気味よく摘出していく。巻末の文献リストに明白なように、著者はすでにこの種のテーマで個別の論文をたくさん公表しており、それらをまとめるだけでも優に大著に結実しそうだが、本書は既成の論文をもとに平明に解きほぐして読者に提示しようとしている。

 本書の構成は五部からなり、インド、中国、韓国、日本、ベトナムそれぞれの地域ごとに部類され、多彩に検証される。文字通りインドから端を発して東アジアにひろまった仏教の展開と恋物語との関連を浮かび上がらせている(日本だけ恋物語だけでなく、『古今和歌集』などを中心に恋歌も対象になっている)。結果として、評者の構想する東アジアの〈漢字漢文文化圏〉もしくは共有の〈東アジア文学圏〉の縮図そのものとなっていて、読みながら快哉をあげ続けた。

 本書の最大の特徴は仏教の豊穣な知識をもとにしつつ、決して水準を下げずに、ですます調で実に分かりやすくかみくだいて滔々と論じていることだ。まさに快刀乱麻を断つ趣がある。何より著者自身が恋愛物語をネタに笑いを取りながら講釈、説法している印象で、読後感はむしろ爽快である。著者が〈ものまね〉芸と合わせて、かなりの物語好きであることを彷彿とさせる。 

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プロフィール

小峯和明

(こみね かずあき)
立教大学・名誉教授。文学博士。専門は、日本古典文学・東アジア比較説話。一九四七年、静岡県生まれ。一九七七年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。著書に『今昔物語集の形成と構造 補訂版』『説話の森 │中世の天狗からイソップまで』『中世説話の世界を読む』『今昔物語集の世界』『『野馬台詩』の謎 歴史叙述としての未来記』『中世日本の予言書—〈未来記〉を読む』『シリーズ〈本と日本史〉 ② 遣唐使と外交神話 『吉備大臣入唐絵巻』を読む』『世界は説話にみちている 東アジア説話文学論』など多数。

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