バチェラーが会社にやってきた
現実世界とリアリティーショーの境界線がなくなりかけている。
それは、基本的には怖いことなのだが、使い方によっては可能性も感じる――。
といったことを、この連載を通して述べていくのだが、まずは「リアリティーショーが現実を侵食している」と感じた僕の体験談を2つ紹介するところから始めていきたい。
2019年10月。僕の勤めている会社で内定式が行われたその日、小柳津林太郎の入社が発表された。
小柳津林太郎とは、Amazonが配信する恋愛リアリティショー『バチェラー・ジャパン』の2代目バチェラーである。才色兼備かつ社会的地位を確立した男性=バチェラーを女性出演者20名ほどが奪い合うという米国で人気を博した恋愛リアリティショーの日本版が2017年から作られており、小柳津はその第2弾の出演者だったのだ。当時、ちょうど『バチェラー2』の配信から1年が経った頃で、既に“有名人”だった。
内定式の後は、社員が十数名ずつにわけられ、飲食店で懇親会が行われる。そこで、僕は小柳津さんと同じグループにされていた。女性比率が9割を越える会社がゆえ、そのグループの男性は小柳津さんと僕のみだった。
表参道の小洒落た雰囲気のレストランに着くと、既に浮ついた空気の女性社員たちの姿があった。
「小柳津さんと一緒だね!」
「何話せばいいのかな?」
相談の結果、十数名が囲める長方形型の広いテーブルの、いわゆるお誕生日席に小柳津さんに座ってもらおうということになり、他の女性社員に「霜ちゃんはそこね」と、お誕生日席の右横の角の席を指定された。僕は瞬時に、自分の役割が坂東工であることを察した。坂東工とは、バチェラーシリーズにおける司会進行の役割であり、もちろん出演者と恋仲になることはない。
全員が席についた頃、小柳津さんがやって来た。高身長イケメンなのはもちろんのこと、カメラに映され続けてきた経験がある人独特の、場馴れした落ち着きを纏った方だった。自分が主人公であることを確信している人のみが放つことができるオーラと言ってもいいかもしれない。
内定式のために着飾った女性たちが、小柳津さんを迎え入れ、小柳津さんは躊躇なくお誕生日席に座った。僕から見えるのは、小柳津林太郎を取り囲む、20代~30代の女性たち十数名という構図であり、眼前で“リアル・バチェラー”が始まったようだった。
その雰囲気から、ほとんどの女性たちが『バチェラー』を見ていると察したのか、自己紹介はなく、自分のことを知っている前提で話は始まっていく。僕自身、小柳津さんとは初対面にも関わらず、不思議と、もとからの知り合いのように話を聞くことができた。バチェラーの裏話から、その後の日常の変化、モテる秘訣など、僕がきっかけとなる質問をふると、小柳津さんは気さくに、そして饒舌に答えてくれた。その度に、女性たちが感嘆の声をあげたり、深く頷いたり、質問を重ねたりする。出てくる著名人の名前も、動かしているお金の額もスケールが大きく、小柳津さんがひとりそこにいるだけで、話題には事欠かなかった。
小柳津さんは、“その日会社に入った人”ではなく、“バチェラー”としてそこにい続けた。まるでリアリティーショーの延長を見ているようで、その影響力の強さを改めて思い知った。僕自身、いつも一緒に働いている女性たちの、見たことのないリアクションや表情も発見できた。
90分ほどが経ち、高揚感というのは目に見えるものなのだとわかった頃、小柳津さんは、この後バチェラーシリーズの出演女性たちと『バチェラー3』の配信を家で見る会があると言って、懇親会の終了予定より少し早めにその場を去っていった。
バチェラーは、会社でもバチェラーをしたあと、帰宅後もバチェラーを続け、そしてバチェラーを見るのだった。
リアリティーショーは、画面の向こう側だけの世界ではなかった。出演する側も、観ている側も、「あれはテレビの話でしょ」といったように強く境界線を引くことはなかった。それが、芸能人と接するときとの違いなのかもしれない。2つの世界は地続きだった。
そして、この日わかったことは、リアリティーショーに出演するということは、そこそこ売れている芸能人になるのと等しいと言っていいほどに、人生を有利に動かすことができるということだ。いや、内面やプライベートな情報まで知られているという意味では、下手な芸能人以上かもしれない。ちなみに小柳津さんは取締役待遇での入社だった。それまで、サイバーエージェントのいち社員だったことを考えると、バチェラー出演がなければその待遇での入社はなかったはずである。近年では、女優や女性アナウンサーが企業の社外取締役に就任するといった例も珍しくなくなってきているが、その類似ケースだったといっていいだろう。“知られている”ということのアドバンテージは想像以上に大きかった。
そして、もうひとり、僕にリアリティーショーと現実の境界線の融解を感じさせてくれた人との話を紹介したい。時間は更に6年前、僕の入社時に遡る。
「人生全部コンテンツ」のインフルエンサーに自分をアップされ続ける日々
2013年2月。僕は会社員生活初日を迎えていた。全社員に向けた挨拶が終わり、席に戻ると、ひとりの女性がこちらにやって来た。
はあちゅうだった。はあちゅうとは、インフルエンサーの草分け的存在と言ってもいい女性で、当時は“ブログの女王”といった呼称で呼ばれていた。彼女は大学生だった2004年に“クリスマスまでに彼氏を作るブログ”をはじめ、それが大きなアクセス数を記録して書籍化。それをきっかけに、スポンサーをつけて、世界一周をし、それをブログに綴るといった活動をしていて、同世代にはよく知られた存在だった。その姿は、まだYouTubeもない時代に、ブログでセルフリアリティーショーを始めた人と言っていいだろう。
はあちゅうの僕への第一声は「写真撮っていいですか?」だった。
名乗らないということは、自分のことを知っている前提なのか? まあ知ってるけど……などと考えながら、「あ、はい大丈夫です……霜田と申します」と答えた。はあちゅうさんはすぐに近くにいた社員にスマホを渡し、入社祝いの花輪の前で、僕と一緒にカメラに収まった。「ブログに上げても大丈夫ですか?」と確認され、快諾すると、すぐに自分の席に戻っていった。時間にして1分ほど。ほぼ事務的会話しかしない初対面だった。
夜、帰宅してはあちゅうブログを見ると、僕の入社の様子がきれいにブログにまとめられていた。とても仲がよい2人で、あたたかな雰囲気の会社に見えた。その早さ、そして演出力の高さに素直に感嘆した(ちなみに、後から聞いた話だと、ブログ記事の執筆は当時の会社の上層部の指示だったという。当時の僕は一般人としてはフォロワーの多い方。無職だったにも関わらず就活本を2冊書いているという少し変わった経歴も、採用広報に適任と判断されたようである。さすが、今もSNSマーケティングの第一線を走る会社である)。
そんな初対面だったが、半年ほど一緒に過ごすうちに、同い年だったこともあり、徐々に打ち解けるようになっていった。
ある日、会社の休憩室で2人で喋って盛り上がっていると、はあちゅうさんが「これ、動画回そう」と言い、2人の会話をスマホで録画しはじめた。はあちゅうさんは、それを『ゲスアワー』と題してYouTubeにアップしていった。すると、程なくして、それがコンスタントに数万回以上再生されるようになった。芸能人ではない、会社員同士の会話としては画期的な数字である。ちなみに、まだYoutuberという言葉などない時代の話だ。
同時期に、僕が蛍光緑のパーカーで出社すると、はあちゅうさんが「これはヤバい」と面白がり始め、その後毎日、ぼくの私服を撮影し『今日の霜田』と題して、ブログにアップするようになっていった。
元々の知り合いの中には「霜田がはあちゅうのおもちゃにされている」といったようなことを言う人もいたが、僕はこの、はあちゅうさんのセルフリアリティーショーに巻き込まれていく状況をむしろ面白いと思っていた。
1年後には、一緒にイベントをすると100人程度が一気に集まるようになっていたし、街中で声をかけられるといった謎の現象も起き始めた。大手カード会社から依頼があり、CM出演女優とコラボ動画で共演する話まで舞い込んだ。本を書いているだけでは起きなかった変化である。
何より「人生全部コンテンツ」を座右の銘として、日常の中でネットにアップできるものを探し続けるはあちゅうさんの感覚は時代の先をいっていて、彼女自身がその生き方で成功を収めているだけあって説得力があった。この人の背中に乗っていれば新しい景色が見える。そんな感覚で、とても楽しい日々だった。
もちろん、楽しいだけではない。毎日の私服アップに加え、一緒に話をしたり、旅行をしたりしていても、いつ切り取られるかはわからないので気は抜けない。入社がブログにアップされた瞬間から、僕にも“アンチ”がつき、はあちゅうさんが炎上すれば一緒に叩かれるようなこともあった。ある日『こいつ顔デカすぎワロタ』という2chのスレッドを開くと、自分のこれまでの写真が十数枚まとめて貼り付けられていたこともある。
その期間、僕は半身がネット上に接続され続けているような感覚だった。
はあちゅうさんが退社するときにも、一緒にYoutubeを撮り、それがニュース化もされた。その後もはあちゅうさんは、しみけんさんとの事実婚やその解消、子どもとの日々などプライベートな出来事もアップし、“セルフリアリティーショー”を続けている。
退社後10年以上経った今は、さすがに直接会う頻度は減ったが、会う代わりにインスタライブで会話をしたりと、仲良くさせてもらっている。ときに、2人でLINEをしていると、「このやりとりアップしていい?」と聞かれ、LINEのスクショがはあちゅうさんのインスタに載る――なんていうこともある。はあちゅうさんと一緒にいることで、ネットと身体が接続されることの利点と危険性を体で感じられるようになったのである。
映画『トゥルーマン・ショー』が現実化している
これが、僕が現実とリアリティーショーの境界線がなくなっていると考えるきっかけになった話である。この2つの話に、東京のちょっと特殊な会社だから起きた話だと距離をおいて考える人もいるかもしれない。たしかに、そのような環境にいることで、僕自身が、早く体験できたという点は否めない。だが、現実とリアリティーショーの境界線の消滅は、今の日本の様々な場所・局面で起こっていて、今後よりその傾向が強くなっていくものだと考えている。
それは、言うならば、映画『トゥルーマン・ショー』が現実化する世界である。
『トゥルーマン・ショー』とは1998年に公開された米国の映画である。ジム・キャリー演じる主人公トゥルーマンの生活は、24時間生中継でテレビ番組『トゥルーマン・ショー』として放映されているのだが、本人はそのことに気づいていない。街には多くのカメラが仕掛けられていて、街の人々はその番組の“出演者”である。だが、ある日、自分の生活が中継されているのではと疑念を抱きはじめ、その世界からの脱出を試みる―というストーリーだ。
僕自身は、当時中学1年生だった、この映画の公開当時に劇場に見に行っている。その設定に「『電波少年』のなすびみたいな話かな」と興味を惹かれたのである。だが、当時人気だったテレビ番組を想起したように、その時点ではこの映画を、一種のファンタジーとして見ていた。現実には起こり得ないと思っていたからこそ、楽しめていた側面がある。
それから四半世紀が経った。時代とともに『トゥルーマン・ショー』の世界は現実化してきているように思う。
今やネットを通じて、24時間何かが中継され続けるというのは、珍しい話ではない。芸能人のスキャンダルや会見は“リアリティーショー的に”消費される。その構造に気づいた政治家は、選挙を“リアリティーショー的に”演出し、得票を集めようとする。
それは何も、政治や芸能といった特殊な世界に生きる人々だけに関わる話ではない。
インターネットに接続された世界に生きる以上、僕たちはこの状況から逃れることはできない。程度の差はあれ、自らSNSに何かをアップすることは、セルフリアリティーショーを開始することを意味する。自らアップしなくても、友人や同僚などのリアリティーショーの“登場人物”になる可能性も大いにある。
たとえば、人生で一度でも、おでんをツンツンしたり、スシローの醤油の蓋を舐めたりすると、半永久的にネット上でネタにされ続ける。おでんツンツン男の場合は、子どもまで学校で「ツンツン」と呼ばれているという。2025年の春には、殺人の様子が生配信されるという事件まで起きた。
街中には防犯カメラが設置されている。それは公共によるものだけではない。不名誉なことに、僕の住む街は、住民たちが自主的に設置した防犯カメラで撮影した映像を、警察に提供するという先駆事例を作ってしまった。別段、悪いことはしていなくても、夜、帰宅の道の途中で、防犯カメラの動く音に、映されている実感を覚えるのは心地よいものではない。様々な手段で、誰かが僕たちを記録している。
記録されるのは外見だけではない。検索履歴や購買履歴をもとに、趣味嗜好が把握され、それにあった広告が表示されるのは、内面まで監視されているようでもある。これらのことを避けるためには、ネット環境のない離島に行って人と関わらずに生活をするくらいしか手段はない。
私たちは、全員が『トゥルーマン・ショー』の登場人物になる世界を生きているのだ。
その世界において、自分は主人公として生きるのか、モブキャラとして生きるのか。
その世界で消費されないために、どう生きるのか。もしくは、自覚的に消費される生き方を選ぶのか。できる限り目立たないように生きるのか、目立つことで思うように人生を進めるのか――考えるべきことは山ほどある。
本連載を読み始めたあなたは、ちょうど、自分がリアリティーショーの出演者であることに気づき始めたトゥルーマンなのである。
リアリティーショーの面白がり方を知ることの意味
一方で、日本人はリアリティーショーの観客としての性質も強く持っている。一般人が出演する形式のリアリティーショーは1992年に米国MTVで放送された『リアル・ワールド』が始まりと言われており、その後90年代後半から2000年代前半にかけ、多くの類似番組が作られるようになっていく。
だが、リアリティーショーという言葉が浸透する前から、日本人はドキュメントバラエティという形で、その形式にずっと触れ続けてきた。その代表例が90年代に人気を博した『電波少年』である。『電波少年的懸賞生活』というコーナーでは、なすびという当時無名の芸人が、全裸で生活をしながら懸賞で生計を立てようとする姿が放送され、高視聴率を記録した。実はそれが、2023年になって米国で配信され大人気になっている。
また、2000年代の前半に放送された『マネーの虎』は、出演者が起業家たちにプレゼンをし、出資を募る番組である。日本では2年半で放送が終了したが、その後番組フォーマットが輸出され、この20年以上の間に世界50の国と地域で放送されてきた。
リアリティーショー発祥の地・米国よりも、実は四半世紀ほど先にいくと言ってもいい、世界屈指のリアリティーショー大国が日本なのである。
リアリティーショーを面白がる土壌を日本人は持っている。2010年代以降、日本でもリアリティーショーという言葉が定着し、今やテレビ局だけではなく、配信会社や芸能事務所、Youtuberや一般企業までもがこぞってリアリティーショーを制作している、リアリティーショー大国である。
といっても、見たことのない人にとっては想像がつかないかもしれない。どんなものがあるのか、まずは大きく3ジャンルに分けて紹介していこう。
代表的なものは恋愛リアリティーショーだ。前述した『バチェラー』シリーズなど他国で人気のフォーマットを持ってきたものも、日本で定着。さらには『テラスハウス』『あいのり』『あいの里』など日本オリジナルのものも数多く制作されている。また、ひとくちに恋愛リアリティショーと言っても
・出演者が全員男性(ボーイフレンド)
・出演者の中に元カノ・元カレがいる(ラブ トランジット)
・相手の顔が見えない(ラブ・イズ・ブラインド)
・スマホを没収された上で海外での偶然の出会いを強要される(オフライン・ラブ)
・出演女性が全員セクシー女優(ピュアな恋しちゃダメですか?)
など設定も様々だ。
恋愛以外にも、オーディション番組も大人気である。JO1、NiziU、BE:FIRSTなど、現在人気を獲得している多くのグループが、2020年以降に“サバ番”と呼ばれるリアリティーショーを通して作られたグループである。その波には乗ってこなかったジャニーズ事務所も、2024年に『timelesz project -AUDITION-』(通称:タイプロ)というかたちでオーディション番組を配信し、大きな話題となった。
また、オーディション番組に限らず、リアリティーショーの出演と、人気の獲得は切っても切り離せない関係にある。山之内すず・生見愛瑠・莉子らはABEMAの恋愛リアリティショー『オオカミには騙されない』シリーズの出身者だ。中高年がテレビで見て、何で売れたかわからないと感じているタレントはだいたいこのシリーズの出身者かTikTokでバズったか、もしくはその両方だと考えていいだろう。
若者に人気のタレントだけではない。2006年から2019年にかけて、14年連続でジャニーズ事務所のタレントがNHK・紅白歌合戦の司会を務めたあとに司会を務めた男性は大泉洋と有吉弘行の2人だけだ。そう、2人とも黎明期の“リアリティーショー出身者”なのである。ジャニーズの中でも国民的アイドルと呼ばれる位置の人に匹敵するほどの、“国民的”な位置に立ちうるのが“リアリティーショーをうまく使うこと”でもあるのだ。
さらに、先述した『マネーの虎』のようなビジネス系のリアリティー番組も健在だ。事業立ち上げを目指す男女6名の若者が、3ヵ月間の共同生活をするYoutube番組「nontitle」も人気だ。アパレル企業としては最短期間での上場を果たした株式会社yutoriは『ゆとらない日々 アパレル企業の裏側』として社員が企画が通らず泣く姿や、社内恋愛の様子まで公開しているが、それこそが“リアリティ”があるとしてPR効果を持つ時代なのである。
2013年頃には企業の社員を使ったPRとして、AKB48の『恋するフォーチュンクッキー』を社員みんなで踊ってYoutubeにアップするのが流行ったが、今それをやれば「社員がかわいそう」「胡散臭い」と炎上しかねない。数年前に流行ったTikTokを使った社員によるPRも、もはや“やらされている”感が出ると、宣伝としては機能しなくなる。リアリティーショーの仕組みは、何かを売り込みたい・仕掛けたいと思っている人にとっては無縁ではいられないはずだ。
ここまで、ざっくりとではあるがどんなジャンル・番組があるのかを紹介した。だが、日本はこれだけ多ジャンルにわたって多くの番組が視聴されている“リアリティーショー大国”でありながら、その“面白がり方”が広く浸透しているとは言いづらい。2020年には『テラスハウス』の出演者が、SNS上の誹謗中傷を苦に自殺するという悲しい事件も起きた。この事件は、これだけリアリティーショーが人気の国でも、リアリティーショーをうまく楽しめていない人が大勢いることを明らかにしたと言ってもいいだろう。
しかし、それはリアリティーショーに限った問題なのだろうか。これは、“リアリティーショー”を楽しめていないというだけではなく、“リアル”も楽しめていないということではないだろうか。リアリティーショーとの距離感をうまく取れない視聴者が、実生活で人や情報との距離感が適切に取れているのかは、甚だ疑問である。別の言い方をすれば、リアリティーショーのよい視聴者ではない人々は“リアル=現実”の視聴者としても良質とは言えないだろう。
それでは、リアリティーショーを上手に楽しむとはどういうことなのだろうか。
先に結論めいたことを言ってしまうと、リアリティーショーを楽しむとは“リアリティーの中にリアルを見つける”ということである。
だが、それだけ言われても今はその感覚がわからないかもしれない。本連載では、具体的な番組やシーンなどを事例にしながら、色々なリアリティーショーの中にある“リアル”を見つけていくことで、その楽しみ方を探っていく。
また、この問題は、メディアに溢れる情報をそのままリアルとして受け取って反応していいのかということと裏表でもある。例えば、近年は、芸能人のSNSでの炎上は日常茶飯事である。実際には何が起きたかはわからないまま、人々は不倫などのスキャンダルを“リアリティーショー的に”消費する。企業はタレントのSNS上での評判を気にし、降板が決まっていく。引退や活動休止に追い込まれるタレントも多く、ショーの生贄は短期間で入れ替わっていく。“リアル”の悪質な視聴者は、一面的な情報に踊らされ、彼らの不祥事に対してまるで“リアリティーショーを見るように”接してしまっているのだ。さらに、これも連載の中で詳述していくが、人々がリアリティーショーのように見る対象は、芸能人の不祥事だけではなく、企業の会見や選挙など、時代とともに広がりを見せている。
今や、社会全体がリアリティーショー化している―そう言ってもいいだろう。
そして、リアリティーショー化する社会の中では、うまくリアリティーショーを楽しめるということはより重要になっていく。それは、社会の様々な情報や出来事に適切な距離で接するスキルに直結していく。そのスキルとはリテラシーと言い換えてもいいかもしれない。“リアリティーショーを楽しく見る練習”は“きちんとリアルを見る練習”でもあるのだ。
これもまた先に結論めいたことを言ってしまうが、メディアを通して見るものは、すべて“リアル”ではなく“リアリティー”である。それがマスメディアかネットメディアなのか、番組なのかどうかということは関係ない。その“リアリティー”の中に潜む“リアル”を自らの目で見極める力が、リテラシーである。だが、そのリテラシーが不十分なまま、社会全体がリアリティーショー化していくのはとても危険な状況でもある。
リアリティーショー化する社会の中では、「自分はリアリティーショー出演者ではないから誹謗中傷と無縁だ」と高を括ってもいられない。情報に踊らされず、叩く側にも叩かれる側にもならないために、その距離感を掴み、リテラシーを会得することは現代社会を生きる必須スキルと言ってもいい。
ここまで述べたことを一旦まとめておこう。今の日本に生きる私たちは、自分たちがリアリティーショーの世界の住人であるということに気づかずに、番組のみならず、全てのことをリアリティーショー的に楽しんでいるという状況である。“出演者”であり“視聴者”なのだ。だが、“出演者”としてはもちろんのこと、“視聴者”としてのリテラシーが高いかというと、お世辞にもそうは言い難い。
本連載では、リアリティーショーの面白がり方を知っていくと同時に、このリアリティーショー化する社会の構造を知ることができるように論を進めていく。その構造を知れば、少なくとも、この世界に飲み込まれないように生きていくことはしやすくなるだろう。そこからヒントを得て、この世界の構造をうまく使おうという人も出てくるかもしれない。
どちらにしろ、その面白がり方を知ることは、自分というリアリティーショーを面白がるため・面白く進めるためのヒントになるはずだ。
本連載は『リアリティーショー化する社会=トゥルーマン・ショー的な世界の歩き方』である。その歩き方は、楽しみ方と捉えてもらってもいいし、大げさに言えば、生き残り方と言ってもいいものなのかもしれない。
(次回へ続く)

いま世界中でさまざまなヒットコンテンツが生まれている「リアリティーショー」。恋愛、オーディション、金融、職業体験など、そのジャンルは多岐にわたり、出演者や視聴者層の年齢も20代のみならず50代・60代以上にも開かれつつある。なぜいまリアリティショーが人々に求められているのか。芸能コンテンツの批評やウェブメディアの運営を行ってきた著者が代表的な番組を取り上げながら、21世紀のメディアの変遷を読み解く。
プロフィール

しもだ あきひろ
エンタメライター、編集者。1985年生まれ、東京都出身。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニオタ男子」。大学在学中に執筆活動をはじめ、3冊の就活・キャリア関連の著書を出版した後、タレントの仕事哲学とジャニー喜多川の人材育成術をまとめた4作目の著書『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書・2019)を発売。3万部突破のロングセラーとなり、今も版を重ねている。カルチャーWEBマガジン「チェリー」の編集長を務めるなど、エンターテインメント全般に造詣が深く、テレビ・ラジオをはじめ多くのメディアに出演・寄稿している。また、音声配信サービス・Voicyでの自身の番組『シモダフルデイズ』は累計再生回数250万回・再生時間 20 万時間を突破し、人気パーソナリティとしても活躍中。近刊に『夢物語は終わらない ~影と光の”ジャニーズ”論~』(文藝春秋)。