■「予定」を生むテクノロジー
現代では、スマートフォンを通じて事前に予約する機会が増えている。
たとえば映画を観に行く際には、スマホで日時と座席を予約してから出かけるのが当たり前になった。席の空き状況をリアルタイムで確認しながら、自分の好きな席を選ぶ。もちろん、今でも当日窓口での発券は可能だが、人気の時間帯では希望の席を確保するのは難しい。先に予約で埋まっている状況では、当日券はどうしても不利になる。
かつては、まず劇場に足を運び、その場のポスターで鑑賞作品を選ぶというスタイルの映画ファンもいたが、それも過去の話だ。現代の映画好きには、まず見かけなくなった行動である。予約と発券の仕組みも日々進化しており、当初は必要だったネット予約後の現地での発券も、今やQRコードをかざすだけで入場できるようになった。
ホテル、レストラン、美容院など、もともと予約が一般的だった場所でさえ、スマートフォンやPCによるオンライン予約が導入され、その利便性は飛躍的に向上した。事前予約は、すでに社会のインフラとしての役割を果たしているといっていい。
そして、こうした事前予約の日常化の流れに決定的な拍車をかけたのが、2020年に拡大した新型コロナウイルス感染症である。感染リスクを抑えるため、「密」を避ける行動が社会全体で求められ、テーマパークや動物園、銀行や行政窓口、さらには日常的なラーメン店にまで、予約制が一気に広がった。その結果、以前はふらりと立ち寄れた場所でも「ご予約はお済みですか?」と問われる社会へと変貌した。一部の学校では、運動会や卒業式といったイベントへの保護者の参加にも事前登録制が用いられ、定着しつつある。
こうした社会のありようを、ここでは「事前予約社会」と呼ぶことにしたい。
■いのち輝く事前予約万博
1970年の大阪万博では、パビリオンに展示された月の石を見たり、迷子救護用のテレビ電話に驚いたりする記憶と同じくらい、あるいはそれ以上に強い記憶として、入場時の行列のことを人々は記憶にとどめている。その光景は、万博を知らない世代にもニュース映像などを通じて共有されている。列に並んで会場に入ること、それ自体が万博を訪れた「体験」の一部として記憶されているのだ。
のちのちまで印象に残る「体験」とは、目的地や目当てのものそのものではなく、その行き帰りの道中で起きた出来事など、あらかじめ想定していなかった身体的な経験や記憶を指すことが多い。
2025年の大阪・関西万博では、この”万博名物”の大行列を回避するために、ゲートスルーのためのテクノロジーが導入された。チケットを前売り制にし、入場はスマホをかざすだけでスムーズにゲートをくぐれる仕組みが考案されたのだ。いわば「人類の進歩と調和」の実践である。
来場前にまず「万博ID」を取得し、来場日・時間帯・入場ゲートを選択、発行されたQRコードをスマホで提示する。パビリオンの予約もすべてスマホ上で行い、段階的に設けられた予約枠にアクセスする。
では、この万博の来場者たちは「待ち時間が減る」という「体験」を、強い記憶として持ち帰ることができただろうか。
むしろ、SNSなどで多く見られた万博の感想は、「アプリが使いにくい」「Wi-Fiが不安定」といったものだった。意地悪な見方をするなら、来場者たちは、スマホ画面と格闘するという別種の「体験」を味わうことになった可能性が高そうだ。本来、高度に発達した「事前予約社会」であれば、予約の手間もスムーズに処理されるのだろうが、始まってまだ間もないこの社会派、まだまだ過渡期ゆえ、軋轢のほうが目立ってしまったということだろう。
■予定と通知で細切れにされた人々の時間
かつて、人気のレストランでも現地で順番を待つのが当たり前だった。もちろん重要なイベントなどにおいては予約が必須のものではあったが、それはやや特別なときというニュアンスがあった。予約は「確実に席を取りたい」ときの手段にすぎなかった。ところが現在では、多くの飲食店で入店前に「ご予約はお済みですか?」と確認される。事前予約は、もはや前提とされるようになったのだ。
一方で、数ヶ月〜半年待ちとされる人気店では、電話やオンライン予約を受け付けず、「来店時のみ予約可能」という形式をとる店も少なくない。これは、一度きりの利用者よりも、繰り返し足を運ぶ常連客を重視したいという店側の意思の表れだ。誰でも予約さえすれば足を運べる店が、飲食店経営において最善とは限らない。いつも電話やオンラインで予約が埋まっている開かれすぎた店は、客筋の安定しない店になってしまう。簡単には予約できないことが、客層の選別とサービス水準の維持に一役買っているケースがある。このやり方も、誰もが気軽に予約をして店舗を訪れる社会への対処の一つと考えるべきだろう。
基本的には事前予約は事業者にとっても多くの利点をもたらす。来店者数の予測、事前決済による業務効率化、混雑の緩和といったメリットに加え、予約制の標準化によってサービスの品質を安定的に維持しやすくなる。
しかし、すべてが予約制になることで、突発的な利用や「飛び込み」の自由は失われる。思いつきで出かける、ふと立ち寄るといった行動の自由も減少する。そもそもレストランも映画も、わざわざ予約をするのは、基本的には、レベルの高いレストランを求める人々、映画が好きな人たちである。こういう人々は、予約の手間を余計な手間とは思わないはずだ。ただ、気軽にレストランで食事をしたい日もあるし、映画はたまに気が向いたときに見に行くといったくらいの温度感で生きている場合もある。こうした何気ない日常の出来事がすべて予約制になってしまうと、日常全体がわずらわしく感じる。
「予約疲れ」は、誰しも身に覚えがあるだろう。旅行のときに事前計画を建てる。航空機や新幹線のチケット、宿泊先、レンタカー。最近では新幹線に大きな荷物を持ち込むにも専用座席の予約が必須だ。こうした事前の計画や段取りは、旅の楽しみの一部でもあるが、すべてをウェブ上で登録・認証し、ひとつのミスも許されない環境では、機械の操作を苦にしない人でも次第に「予約疲れ」を感じることがある。
すべてに段取りが必要な社会には、便利さと引き換えに、ある種の息苦しさがつきまとうのだ。
■日常生活のフラグメンテーション
予約がすべてオンラインで完結するようになったことで、別の問題も生じている。スマートフォンにはアプリやチケッティングサービスが乱立し、それぞれから大量の通知が届く。例えば、図書館で本を借りただけでも「返却前日です」とメッセージが送られてくる。前日と当日に通知が来たりすると、メールやSNSのスパムと同様、それを選別する作業の負荷も高まっていく。
コンピュータの世界では、ハードディスク内のファイルが細切れになって断片化することを「フラグメンテーション」と呼び、それを解消するために「デフラグ(最適化)」が必要になる。同じように、現代の日常生活にも、情報と予定の断片化が進む中で、意識的な整理、すなわち生活のデフラグが求められている。
現代のオフィスワークもまた、そうした細切れの予定の連続で成り立っている。グループウェアやスケジュールソフトを通じて、次々と予定がなだれ込み、個人の時間は埋め尽くされていく。オンライン会議が普及したことで、かつては移動を前提に午前・午後に1件ずつ程度だったミーティングも、今では1日に3件、4件と詰め込まれるのが当たり前になった。意識してバッファータイム(余白)を確保しないかぎり、あらゆる空白時間は予定に占拠されてしまうのだ。
「予約の常態化」は、いつから始まったのか。誰もが自分の端末とアカウントを持ち、オンラインで予約を行うことが当たり前になったのは、2000年代に入ってからのことだろう。リクルートが始めた「ホットペッパー」は、紙の無料情報誌からスタートし、2005年4月にウェブ版を開始。サービスが拡大する中で、美容院や飲食店などのウェブ予約と紐付いたサービスを充実させ、オンラインでの予約文化を広めていった。
■「調整さん」が調整しきれないもの
そして「Googleカレンダー(日本語ベータ版)」が登場したのは2006年のことである。当時はまだ常時接続環境が十分ではなく、個人の予定をクラウド上にアップロードする行為は、非合理的だと見なされていた。ローカルに保存しておけば足りるし、インターネットに接続しなければ閲覧できないスケジュール帳に、わざわざ意味を見出す理由がなかったのだ。それでも、熱心なGoogleユーザーの中には、これを「ソーシャル・カレンダー」として使いこなす人々が現れる。
Googleが掲げる「世界中の情報を整理し、誰もがアクセスできて使えるようにする」というミッションに沿って、個人の予定がシェアされることで見える未来は、このビジョンに適ったものだったのだろう。
「調整さん」が登場したのも同じ2006年だ。
当初はリクルートが提供していたこのサービスは、飲み会やイベントの日程調整に特化したツールで、参加候補日を○×△で入力するだけというシンプルな使用法で日常的なツールとして定着した。
この「調整さん」は複数人の予定を合わせる際に非常に便利なツールだが、親しい友人同士で安易に使うのは、少し考えものかもしれない。友人関係というものは、互いの状況を察しあい、どちらかが譲ったり、あえて相手のために時間を作ったりする関係性の中で育まれるところがある。互いの予定のすりあわせを合理的に行い過ぎると、かえって互いの遠慮を生み、関係性を希薄にしてしまう。平等過ぎるツールは、むしろ自然な人間関係の構築には向いていないということかもしれない。
iPhoneが登場し本格的に普及する以前の時代に、まずこうしたプラットフォームが生まれ、現在の「事前予約社会」の原型が作られていったのである。
■ディズニーのファストパスの進化
予約前提の社会のあり方を先取りしていたのが、東京ディズニーリゾートの「ファストパス」だったのではないか。ファストパスの導入と、それに伴い、テーマパークの楽しみ方が変化した。この経緯は、事前予約社会の生き方を考える上での大きなヒントになるだろう。
2000年に導入されたファストパスは、アトラクション脇の発券機で事前に取得する公式の”横入り”の権利だった。利用客は、これを取得するため、入園と同時に家族のパスポートを抱えて発見場所までダッシュする。それが、かつてのディズニーリゾートの日常の光景だった。
このシステムにはいくつかの複雑な要素が絡み合う。まず、同時に複数のファストパスを取ることはできない。その取得時間から2時間が経過するなど、いくつかの条件をクリアすると、2回目のファストパスが取得できる権利が復活する。ファストパスを使いこなすには、攻略の知識や事前の予習が不可欠になる。
そのファストパスのルールは、2019年のアプリ化によって大幅な変化を遂げる。園内で操作できる予約の仕組みが導入されると、発券機へのダッシュは不要となった。また、その後に感染症対策としてファストパスが一時休止された後は、「スタンバイパス」や「エントリー受付」などの新制度へ移行した。さらに2023年には、ファストパス廃止が正式に発表され、有料の「優先体験プログラム」へと切り替えられる。人気アトラクションやショーの観覧席は、専用アプリで購入する有料制へと変化する。
こうしたディズニーリゾートの仕組みは、列に並ぶ待ち時間を減らし、事前に情報を得ることでより確実な楽しみ方ができるために導入された。熱心なマニアは、そもそもランド内の効率のいい導線や、システムを利用して、その楽しみ方を最大限にする手法を学び、実践しようとする。つまり、利用客も運営側も、それぞれが得をするシステムがファストパスだ。こうした顧客の満足度を引き上げる仕組みは、ビジネスの戦略としてもよく知られるもので、京都の老舗の料亭などが行ってきたものと同じ仕組みである。
つまり熱心な利用客であればあるほど、その満足度は高くなる。同時に、一見さんには敷居が高いものになる。行き当たりばったりでこの場所を楽しもうとすると、どうしても割を食ってしまうことになる。
■「約束なしで会うこと」が失礼になったのはいつからか?
社会全体でITの活用=DXが進むことと、あらゆる場面で事前予約を前提とする社会への変化とは、一見似ているようで、実は異なる現象である。たとえば、複数の交通機関を1枚のICカードで乗り継げることは、誰にとっても便利なテクノロジーの恩恵といえる。これに対して、すべての行動に予約を求められる社会は、利用者に過度な能動性や先読みを要求し、かえって負担と感じられることもある。
ただし、人が予定を立て、そのスケジュールに従って行動するようになったのは、何もITやデジタルによる変化だけではない。それ以前のテクノロジーである「電話」の普及がアポイントメントの日常化を生んだのだと、社会学者・吉見俊哉は指摘している。
ある時期までの日本では、「たまたま近くに来たから」という理由でふらりと知人宅を訪ねることは、ごく自然な行動だった。これが普通のことでなくなるのは、電話が広く普及したからである。つまり、「訪問前に一報を入れる」ことが当たり前になり、個人宅への突然の訪問は失礼とされるようになった。
吉見俊哉は『メディアとしての電話』の中で、コラムニスト山本夏彦の「電話によって手帳がスケジュールでいっぱいになるようになった。アポイントという言葉が日本語になった。(中略)だしぬけの訪問は失礼になった」という言葉を紹介している。
相手の家を出し抜けに訪れるという直接的な行動を避けるために電話を利用する。その行動が日常化すると、次第に人は互いの未来を「予定」で埋め尽くすようになっていった。そして、その延長線上に、現代の事前予約社会が訪れたと考えるべきだろう。
■電話は相手の時間を奪うメディア
電話が普及することで人々は互いの家への突然の訪問を遠慮し合うようになった。一方、電話は、突然、かけてもかまわないものだった。だが現代では、そうした感覚は変化している。むしろ、着信に出ず、電話を「スルー」することが一般的になりつつある。
電話をかける際も、あらかじめ相手の了解を得るのが新たな常識となりつつある。なぜ、かつてのように気軽に電話をかけたり受けたりできなくなったのか。それは、リアルタイムの同期メディアである電話が、相手の時間を強制的に奪うからに他ならない。対照的に、メールやメッセンジャーのような非同期メディアは即時の応答を前提とせず、受け手が都合の良いタイミングで対応できる。これらの普及が、相対的に電話の必要性を薄め、電話への苦手意識、いわゆる「電話嫌い」を生み出しているのだ。
産業カウンセラーで『電話恐怖症』の著者・大野萌子によれば、2015年以降、新入社員の退職理由に「電話対応」が挙げられるケースが増えているという。突然始まる会話への緊張や不安、クレーム対応、上司からの叱責、そうした体験が、電話そのものを「怖いもの」に変えてしまっている。
また、ある調査では、ミレニアル世代の76%が着信音に「不安を感じる」と答えている。こうした電話への恐怖心は、他人からの評価を過度に気にする性向とも結びつき、一度の失敗が強い記憶となって、電話を避ける行動につながるのだという。
もっとも、こうした傾向は若い世代に限られたものではない。程度の差こそあれ、現代人は全般に電話への苦手意識を抱き始めている。これは、電話の登場によってアポイントなしの訪問が「失礼」になったのと同じように、メディア環境の変化が、コミュニケーションのあり方そのものを再び変えたということなのだ。
この変化の根底にあるのは、「他者のプライベートな時間へ、直接的に介入することを避けたい」という現代的な意識である。そして、これと「事前予約社会」は同じ原理で成立している。
テクノロジーによってスケジュールを事前に確定させることで、「自分の時間」に他の何かが予期せず踏み込んでくる事態を回避する。しかしこれは、時間における一種の「フィルターバブル」ともいえる。自ら選択し、合意した予定に囲まれる一方で、「突然」や「偶然」、「不規則」といった、かつては日常であったはずの時間感覚が、私たちの生活から排除されてしまっているのである。
■事前予約社会の未来
そもそも、人間の時間感覚に決定的な変化を与えたのは鉄道である。かつては地域ごとに異なっていた時刻が、鉄道網の発達により運行密度が高まるにつれ、「標準時」として全国で統一されていった。こうして時間は均質化され、労働時間は厳格に管理され、劇場には定時開演が導入された。鉄道が「時間」を、電話が「予定」を、そしてスマートフォンが「事前予約社会」を生み出したのである。
しかし、この事前予約社会は、安定した常時接続環境に過度に依存している。スマートフォンが圏外になればQRコードで入場できず、サーバーがダウンすれば予約情報すら照会できない。近年も、鉄道やテーマパークで通信障害が発生し、購入済みの電子チケットが表示できずに長蛇の列ができた例は記憶に新しい。自然災害や停電などの不測の事態において、この仕組みは真っ先に機能不全に陥る脆さを抱えている。
今、私たちは「事前予約社会」に過剰適応してしまっている。ただ、この制度が定着する以前の状態に戻すことも、もはや現実的ではない。テクノロジーは一度普及すれば、それ以前には戻らないという性質を持つ。そもそも人間の意識やコミュニケーションのあり方は、メディアの普及や社会構造と相互に絡み合っており、特定の要素だけを取り除いて元に戻すといった単純なことはできない。
とはいえ、この仕組みをつくり、運用してきたのは私たち自身である。アルゴリズムや生成AIによって強制されたわけではない。時間というものは、効率化を追い求めるほどに、逆説的に人を時間に縛るようになる。働き方にゆとりをもたらすはずだったオフィスのテクノロジーも、導入の目的とは裏腹に、かえって非効率の温床となることがある。
これからも私たちの生活は「予定」によって形づくられていくだろう。そして、その流れに身を任せることに私たちは、少しずつ慣れてしまっている。良くも悪くもだ。

20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利なはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。 なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。
プロフィール

(はやみずけんろう)
ライター・編集者。ラーメンやショッピングモールなどの歴史から現代の消費社会について執筆する。おもな著書に『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)『1995年』(ちくま新書)『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』(朝日新書)などがある。