フェミニストはなぜ反戦・反体制運動に身を投じるのか

高柳聡子×水上文 『ロシア 女たちの反体制運動』刊行記念対談
高柳聡子×水上文

ウクライナへの軍事侵攻開始後わずか25時間で結成された反戦運動の最大勢力「フェミニスト反戦レジスタンス」をはじめ、ロシアにおける女性の反戦・反体制運動はさまざまな形で存在してきましたが、日本ではあまり知られていません。

高柳聡子さんの新刊『ロシア 女たちの反体制運動』では、ロシア革命以前から現在のプーチン政権に至るまで、作家・詩人・ジャーナリスト・市民の女性たちが声をあげて闘ってきた歴史を描きました。

今回は、著者の高柳聡子さん、ゲストに文筆家・批評家の水上文さんをお迎えし、本書の内容を切り口に、日本ではフェミニズムと反戦運動が必ずしも強く結びついているわけではない状況を踏まえながら、「フェミニストはなぜ反戦・反体制運動に身を投じるのか」について縦横無尽に語っていただきました。

※2025年5月17日、東京・マルジナリア書店にて行われたイベントを採録したものです。

高柳聡子さん(左)と水上文さん(右)

ロシアにおける「詩」の立ち位置とは

高柳 私はもともと専門がロシアの現代文学なんです。その中でも特に女性作家や女性詩人について調べていたのですが、彼女たちの多くは熱心なフェミニストなんですね。そこから、ロシアのフェミニズムについても研究するようになりました。

 さらに、2022年2月にロシアのウクライナ侵攻が始まると、私が研究してきたようなフェミニストの作家や詩人たちはみんな、こぞって反戦運動に身を投じていきました。それで私もそのまま、彼女たちの反戦運動を追いかけることになったんです。

 本の中でも書きましたが、ロシアの女性たちによる反戦運動は最近始まったわけではなく、たとえば19世紀に帝政ロシアを倒そうとした「ナロードニキ」運動にも、たくさんの女性たちが関わっていた。ひどい拷問などに遭っても最後まで闘い続けたすごい女性たちだなと、以前からその存在がずっと気になっていました。そうした、ロシアの女性たちが政治権力と闘ってきた歴史の「点」をつないで、150年くらいのスパンでまとめたのがこの『ロシア 女たちの反体制運動』です。

水上 私は文学関係のライターをしているのですが、SNSでこの本の出版を知ったときから、絶対読もうと思っていました。自分がロシア文学やロシアの歴史に明るくないということもあるのですが、学校で習うロシアの歴史に出てくるのは、男性──少なくとも見た目は──ばかりですよね。知らないことがたくさんある、自分の知識に偏りがあると感じていたので、とにかく「知りたい」と思って。実際に読んでみると、これだけ恐ろしい弾圧がありながら、たくさんの女性たちがさまざまな形で闘ってきたんだということが分かって、とても力づけられました。

 それと、現代の日本文学を主に扱っている立場としては、文学が反体制運動と非常に密接につながっているというのが、とても刺激的に感じられました。特に、文学者の中でも詩人がかなり反体制運動の先頭に立っているように思えたのですが、ロシアにおいて文学、特に詩とはどういう存在なんでしょうか。

高柳 まず、文学自体が非常に人生に密着した、人の生き方を導いてくれる芸術として受け止められていて、作家という存在もとても尊敬されています。中でももっとも親しまれているのが詩です。それはアレクサンドル・プーシキンなどが活躍し、「金の時代」と呼ばれた19世紀初頭からまったく変わっていません。

 若い人たちも19世紀、20世紀の詩を当たり前のように読み継いでいますし、みんな自分の好きな詩人の詩をいくつも暗唱できます。人がちょっと集まると、私たちにとってのカラオケみたいな感じで詩の朗読が始まったりもするんですよ。

 そして、プーシキンが帝政に反対する詩を書いて流刑になったように、常に詩は体制に対する異議申し立ての役割を果たしてもきました。もちろんソ連時代には反政府の詩なんて書いたら逮捕されましたが、それでもアンダーグラウンドなどで書き続けた人たちがいた。そうした伝統があるので、詩人は政治体制がおかしいと思えばちゃんと声をあげなくてはならないという意識が強いのだと思います。

水上 日本の詩の立ち位置とまったく違うんですね。もちろん日本にも声を上げる詩人はいますが、ロシアのような反体制と詩の結びつきはないように思います。反体制運動の中で詩が特に重視されてきたというのは、非常に切迫した状況で何かを伝えようとしたとき、小説よりも「詩」という形式が一番適していたということもあるのでしょうか。現代アラビア文学研究者の岡真理さんが、パレスチナのガザでは日々を生き延びることで精一杯で、小説を書いている時間などないから小説が生まれづらいというお話をされていたのを思い出します。

高柳 そうですね。詩はやっぱり機動力が高いし瞬発力があるんだと思います。小説って複雑で、複層的な構造があるから、それを構成するにはいくつものエピソードが必要で、ある程度の時間もかかってしまう。それに対して詩の場合は、ある一瞬の出来事や感情をその場で書き留められる、インプロビゼーション(即興)みたいな面もありますよね。だから、何か出来事があったときにまず詩が出てくるんだと思います。

 あとは、ロシアでは文学の中でも一番親しみやすい、とっかかりやすいジャンルだということもあるんじゃないでしょうか。学校でも詩についての教育を受けますし、何よりもこれまでに蓄積されてきた豊かな詩の文化がある。だから、ロシアでは作家やジャーナリストとして活躍している人たちの中にも、最初は詩人になろうとして詩を書いていたという人が非常に多いんです。

水上文さん
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プロフィール

高柳聡子×水上文

高柳聡子(たかやなぎ さとこ)

福岡県出身。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。文学博士。現在は早稲田大学、東京外国語大学などで非常勤講師を務める。専門は現代ロシア文学、フェミニズム史。ロシア・ソ連で歴史に埋もれた人たち、特に女性たちの声を拾い集め、記録することに努めている。著書に『ロシアの女性誌』『埃だらけのすももを売ればよい』『ロシア 女たちの反体制運動』、訳書にダリア・セレンコ『女の子たちと公的機関』などがある。

水上文(みずかみ あや)

1992年生まれ。文筆家・批評家。書評・文芸批評等の執筆に加え、ジェンダー・セクシュアリティに関連したエッセイも執筆。「文藝」と丸善雄松堂「學鐙」で文芸季評、「朝日新聞」で「水上文の文化をクィアする」、「小説TRIPPER」で「客体から主体へ 変革の現代日本クィア文学」を連載中。また「SFマガジン」で「BL的想像力をめぐって」を瀬戸夏子と共同連載中。単著に『クィアのカナダ旅行記』(柏書房)。企画・編著に『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)。フェミニズム雑誌「エトセトラVOL.13」にて「クィア・女性・コミュニティ」特集編集。

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