文化遺産「子連れ鑑賞」顛末記 第一回

ドイツの黒い森野外博物館が「遊び」に秘めたメッセージ

mina

旅先や教養コンテンツとして人気の「文化遺産」。先人の精神と技術が結晶した歴史的建造物やミュージアムは、多様な文化への理解を促し、探究心や感動、未来への示唆を与えてくれる。ただ、そんな文化遺産の価値も、幼い子どもにはまるで通用しない。ミュージアムに入るやいなや想定外の方向に駆け出す子どもに辟易するのは、私だけではあるまい。

本連載は研究者の夫に同行し、ヨーロッパ350カ所以上の文化遺産を3歳と6歳の姉妹とともにめぐった記者の「私」の顛末記。制約の多い子連れ鑑賞を通して図らずも見えてきたのは、ガイドブックには載らない文化遺産の魅力。ときに遊び、ときに注意を受けながら。文化遺産に潜む次世代へのメッセージをひも解いていく。

〝おとぎ話の森〟の野外博物館

ドイツ南西部、「黒い森」と呼ばれる森林地帯に位置する「黒い森野外博物館」は、シュヴァルツヴァルト(黒い森)地方特有の大型多層農家をはじめとする20数軒からなる伝統的な農村風景が、約7ヘクタールの敷地に再現されている。広大な敷地に100軒以上がひしめく場合も少なくないヨーロッパの野外博物館において、比較的こぢんまりとした造りだが、冬季をのぞく7カ月の開館中に22万人が訪れる人気観光スポットなのは、たぶん、周囲の「黒い森」の影響が大きい。

「黒い森」は、『グリム童話』のイメージと分かちがたく結びついている。19世紀初頭、ドイツの古い伝説や伝承を研究したグリム兄弟が童話を収集したのはドイツ中部の町で、シュヴァルツヴァルト地方とは地理的に離れている。直接の関係はないはずだが、密集した針葉樹に覆われて昼でも光が届きにくく、霧が発生しやすいミステリアスな「黒い森」は、約200話のうち半数近くに「森」が登場するグリム童話のイメージと重なりやすい。

私たちが訪れた日も、朝からの雨のために森にはもやがかかり、まるで童話の世界に迷い込んだような、幽玄な雰囲気があった。息を吸い込むと、夏でもひんやりとした山間部の湿った空気、農村の生活に欠かせないハーブと家畜のむっとした匂いが鼻腔に充満する。田園にどっしりとたたずむ大型多層農家は、年月を経て黒ずんだ木材が風格ある輝きを放ち、晴れ間に差し込んだ陽を受けて、黒い神殿のように威厳ある姿を見せていた。

黒い森野外博物館の大型多層農家。周辺には薬効のあるハーブが植えられている。

ここで少し、黒い森野外博物館を特徴づける大型多層農家について紹介したい。草、板、瓦などを葺いた巨大な屋根を持つ大型多層農家は、元から現在の場所に建っている1棟をのぞいて、シュヴァルツヴァルト地方各地から移築されてきた。いずれも16世紀以降に建てられたもので、内部にはストーブのあるリビングルーム、煙で石壁が真っ黒にすすけたキッチン、引退した老夫婦の居室、ゆりかごが揺れる寝室といった家族の居住空間のほか、家畜舎や、干し草、脱穀機といった農機具を置いたロフト(屋根裏部屋)、旅回りの職人がカゴや馬具を作った作業場など、生活と農耕、家内労働に必要な、さまざまな機能が1軒のなかに集約されている。屋根裏部屋には、後方にあるなだらかな山の斜面から、荷車が直接出入りできるようにスロープが設けられていることもある。

農家の外壁にはキリストの磔刑像がかけられ、路傍には聖母像をおさめた小さな祠がたたずんでいる。人々に時間を知らせるのは礼拝堂の鐘だった。8歳ごろから羊飼いとして働いた村の少年たちは、学校で学ぶことは重視されなかった(黒い森野外博物館には「学校」の展示がない)けれど、日曜の礼拝には欠かさず行かされたという。農村はまぎれもなく、キリスト教を中心に回っていた。

一方で、人びとの心には常に、キリスト教とは違う「何か」も寄り添っていた。そのことを示すものが、伝統的な農家建築のなかにある。本稿は、シュヴァルツヴァルト地方の農村の人びとの精神性を垣間見せる、2カ所のプレイエリアを紹介する。

農家の外壁に取り付けられたキリスト磔刑像。

屋根裏のプレイエリア

「屋根裏部屋は、ある種の薄暮の世界を表している」

「ホッツェンバルトハウス」と呼ばれる織物農家の屋根裏にある、プレイエリアの入口に掲げられた言葉だ。

たしかに屋根裏部屋は、夢想と現実の境界がゆらぐ、黄昏的な空間かもしれない。ふとのぞくと、遠い昔に家族の誰かが遊んだおもちゃ、ガラクタ、よくわからないガジェットといったものが出てきて、物思いにふけった経験がある人も多いのではないか。誰も住んでいないのに、住んだ人びとの記憶や、捨てきれない思いが詰め込まれている。そんな「掃き溜め」的な雰囲気はそのままに、ホッツェンバルトハウスの屋根裏部屋は博物館の見学に訪れた子どものためのプレイエリアとして改装されている。

椅子と机が並び、回転遊具などレトロな玩具が置かれている。

内部は、ある時期まで農村の子どもにとっては遠い存在だったはずの「学校」風に椅子と机が並べられ、教壇のあるべき場所には遊園地のコーヒーカップのような古ぼけた回転遊具が、子どもを満載して回っている。人形劇の演台から子どもが手を振り、3歳の次女は赤ん坊のように木馬で揺れる。6歳の長女は手で動物の形を作り、他の子のまねをして影絵で遊ぶ。レトロな遊びに興じる子どもと、小さな机に頬づえをついて見守る大人。どこかノスタルジックな狂騒を、鋭い眼窩で見下ろしているものがいる。湾曲した大きなツノを持つ動物の頭蓋骨だ。

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プロフィール

mina

大手報道機関での事件記者を経て文化遺産に傾倒し、学芸員資格を取って文化部記者に。ビジネス系ウェブメディアで働きながらアートメディアや要約サービスに寄稿。2025年に研究者の夫に同行し、幼い娘2人を連れてヨーロッパ11カ国、350件以上の文化遺産を鑑賞する旅に出た。

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