息苦しさと不登校が増すばかりの学校は、どうしたら変えられるか

『公教育をあきらめるな!』出版記念イベントレポート第2回
木村元彦

2026年3月22日、大阪・隆祥館書店主催の『公教育をあきらめるな!』出版記念イベントが、著者の西郷孝彦先生、宝上真弓さん、本の構成を務めたジャーナリストの木村元彦さん、本にも登場する元木川南小学校校長・久保敬先生、教育研究者・鈴木大裕さん、隆祥館書店店主の二村知子さんらを交えて行われた。
当日は本の中で紹介された宝上さんの元生徒や、西郷先生や久保先生の教え子の人たちも登壇し、この手のイベントとしては一風変わった趣となった。その模様を、著者による対談メインの第一部と、久保・鈴木両氏も加わったパネルディスカッションの第二部に分けてレポートする。第2回は第二部の模様を伝える。

取材・構成:木村元彦  撮影:集英社新書編集部

 パネルディスカッションの第二部には、本書にも登場する二人の識者があらたに登壇した。

 一人は元大阪市立木川南小学校校長の久保敬さん。日本がコロナ禍にあった2021年4月19日、松井一郎大阪市長が定例記者会見で、「緊急事態宣言が出されたら、大阪市の小中学校は原則オンライン授業にする」と突然、宣言した。市教委も通さず、いきなりマスコミに発表したスタンドプレーに学校現場は著しく混乱。ほとんどの校長が、不服を持ちながらも沈黙を守る中、これに対してただ一人、立ち上がった久保さんは、大阪市に向けて提言書を送付する。その書き出しを少し引用する。

「豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために、子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。学校は、グローバル経済を支える人材という『商品』を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される『競争』に晒(さら)される」

 久保さんの提言書は、子どもの環境を無視した首長によるトップダウンの指示に対する危惧に留まらず、根本的な教育と社会の在り方への問いを投げていた。それは生き抜くのではなく、生き合う世の中であるべきではないのか、という真摯で切実な現場教師の叫びでもあった。

 現職校長によるこの行動は、教育公務員としての職の信用を傷つけたとして、大阪市から文書訓告の処分を受けてしまう。しかし、当該提言書は有志によって英語に翻訳されてネットに上がると世界中の教育者から熱い共感と支持の声が殺到し、東京の日本外国特派員協会での記者会見に繋がった。久保さんは校長になると腹話術を体得し、相棒のQちゃんという人形と一緒に子どもたちに校門前で朝の挨拶を繰り返していたが、Qちゃんも記者に向かって英語でアピールしたのである。

大阪市立小学校、「現場から市長に向けて声をあげた校長先生」の奮闘~公教育のあるべき姿を問い続ける | 時事オピニオン | 情報・知識&オピニオン imidas – イミダス

 もう一人は鈴木大裕さん。16歳で渡米し、スタンフォード大学教育大学院を修了し、日本に戻って来てからは、千葉市の公立中学校で英語教師として勤務された元教員である。2008年に再渡米し、コロンビア大学教育大学院の博士課程に学び、そこでの研究の集大成として発表した『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』、その後に発表した『崩壊する日本の公教育』はどちらもベストセラーになっている。2016年、高知県土佐町へ移住し、その3年後に町議会議員となってからは、教育を通した町おこしを目指した活動を行っている。

 鈴木さんは以前より、米国で、経済原理に価値観が支配されている新自由主義が教育の場に持ち込まれたことで公教育が崩壊していく様を研究しており、早くからこの問題の要因について警鐘を鳴らしていた。同時に、現在の日本の学校、特に大阪で起きている教育に対する政治介入を早くから予見していた。本書における座談会では起きている問題について、米国からの視点も取り込み、多角的に指摘している。また、西郷先生とも「この競争的な格差社会に子どもたちを送り出していいのか、という視点が教育にないといけない」というテーマで対談を行っている。

この競争的な格差社会に子どもたちを送り出していいのか、という視点が教育にないといけない – 集英社新書プラス

 イベントの第二部は問題提起するように鈴木さんが、声をあげたのが印象的であった。

鈴木 第一部を聞いていてあらためて思ったのですが、この社会を担っていく市民を育てるという意味で、ほんとに今、公教育が危機に瀕していると思っています。人が人として育つような空間になってない。教育基本法で明確に定められている教育の目的は、「人格の完成」です。ちょっと物々しい言葉なので自分なりに訳すと、子ども一人一人の自己実現の支援だと思うんです。どんなことを糧に人生を切り開いていきたいのか、どんな大人になりたいのか、どんな人生を歩みたいのか。そういうふうに、人格の完成と自己実現の支援を行う場であるはずの学校が、そうなっていないというところが問題なのだと思っています。

 せっかく久保先生がいらっしゃるので話しますと、僕は講演でもよく、久保先生の提言書を引用させてもらうんです。「グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないか。そして、今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はないのではないか」と。

 それに対して、松井元市長がこんなことを言うんです。「今の時代、子どもたちはスピード感をもって競争社会の中を生き抜いていかないといけない。考え方の違いだけど、義務教育の間に、世界中の同年代の中で生きるための基礎部分を培うことは大事だと思う。世の中いい人ばかりで、競争するよりみんなが全ての人を許容して、そういう社会の中で子どもが生きていければ、それは理想。校長だけど現場が分かってない。社会人として外に出たことあるんかいなと思いますね」

教育研究者で土佐町議会議員の鈴木大裕さん

 この二人の間には、相当大きな世界観の隔たりがあるんですよね。それを突き詰めていったら、大人たちがつくり上げてきた競争的な格差社会を是として、子どもたちをそこに適応させるのか。それとも、こんな社会はおかしいじゃないかと、それを非として、子どもたちにしか創れない新しい社会の実現を彼らの教育に託すのか、という違いだと思うんです。

 だから、例えば2003年にPISAショックというのがありましたよね。OECD、経済協力開発機構が始めたのがPISA、いわゆる国際学習到達度調査なのですが、それで日本のランキングがガタ落ちして、これは教育の危機だと言われて、それから「PISA型学力」とかっていう言葉まで生まれました。でも、そもそも、何で市場経済の活性化を担うOECDが、世界の公教育の権威として振る舞って、世界の公教育を評価して、競争させて、監視して、しかも政策の操作までするのか? そもそもそれがおかしいじゃないかっていうふうに思うんですよね。

 だから、子どもの自己実現の支援の場であったはずの学校が、いつしかグローバル市場における競争力向上のための人材育成になってしまっている。今日の社会ありきで子どもたちの教育がゆがめられている。でも、本来は、子どもがあって社会があるはずなんです。そういう意味で久保先生の提言書にはいろんな本質が含まれている。

久保 いや、すごい、僕、そんなカッコええこと言うてた?(笑) 僕はそんな特別な何かができたっていう教師でもないし、きっといっぱい迷惑もかけたし、西郷先生みたいにすごい一気に学校を変えたとかいうこともないんです。それでいったら、もっとすごい実践した先生もおられたと思うんです。

 でも、今、その学校において普通のことができなくなってきているのは、あまりにもおかしいことじゃないんかって考えたんです。どんどん社会が普通じゃなくなってきて、子どもが自由でいられるストライクゾーンは狭められて、そこに入れない人たちはみんな排除していくみたいな。こんな社会を許していて、ほんとに子どもたちが幸せになれんのかなっていうのがありました。

元大阪市立木川南小学校校長の久保敬先生

 教師生活を思い出したら、いろんなめんどくさいことも起こったし、悩んだりもしたけども、そんな子どもたちとの毎日が楽しかった。その大阪の普通を、僕はほんまに取り戻したいっていうのが、提言書を書いたきっかけなんですが、書いていくうちに、「あれ、これは自分に向けて書いているんや」と気がついたんです。

 鈴木大裕さんが、きれいに言語化してくれはりましたけど、あの文章は松井市長にというよりも、今までこれはおかしいと思っていても愚痴るだけで沈黙していた自分に対して、「それではあかんやろ」という怒りから書いたような気がします。

鈴木 一ついいですか。あの提言書が出て、その後、久保先生が受けられた取材の中でこんなことを言っていたんです。「ずっと教員をやりながら自問自答していたのは、戦前、戦中、子どもたちに国のために命を投げ出してこいと先生たちが言っていた。それに比べて、現在のこの競争的な格差社会に『よし、行ってこい』というふうに送り出してる自分は、その当時の教員とおんなじことをしていたんじゃないか」。まさにそういうことなんだと思います。

 子どもたちも学校環境のおかしさに肌感覚で気づいているんじゃないかと思います。黒柳徹子さんのコメントで、「私はいろんな国に行って紛争でひどい経験をしている子どもたちに会ってきたけれど、そこで自殺をする子たちはいない。ところが、日本は子どもの自殺が増加している。これはどういうことか」と。そして不登校。さっき宝上さんも言っていましたけど、学校にほんとは行きたいに決まっている。でも行けない子どもたちが今、35万人もいる。それで、自死率だって非常に高いし、だいたい、若者が教員になりたがらない社会って病んでいるじゃないですか。ほんとに危機的だと思います。

宝上 5年生だった子に手紙をもらったことがあるのですが、「6年生でちゃんと生きられるかな、みんなに好かれるかな、自傷もやめられるかな、ちゃんと普通になれるかな、自分を好きになれるかな、死にたいって思わなくていいかな、誰かの迷惑にならないかな、生きていけるかな」という非常に切実に追い込まれているような状態で、本当に子どもの命って当たり前じゃないんです。

 この子にもしものことがあったらどうしようって、すごく不安になって、学校に訴えかけて体制を組んでもらいましたが、まだ声を上げられる子どもはいいんです。それもできない子がいて、私たちが聞こうとしないと聞こえてこない。ルールを押しつけていると、子どもの声が聞こえてこない気がするんです。

元大正西中学校英語教師、現在はスクールカウンセラーの宝上真弓さん

西郷 僕は、久保先生の提言書を書くようなタイプじゃなくて、自分の手の届くところでがんばるというやり方ですね。「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」は、天台宗の開祖・最澄の言葉で、たまたま出会った子どもたち、たまたま校長になった学校、そこで全力を尽くす。僕がもし久保先生とおんなじ立場だったら、提言書を書くのではなくて、市長の指示を勝手にスルーして、うちの学校は勝手にやらせてもらうよっていうタイプ。

 安倍総理がコロナで全面休校を告げたときでも、僕は学校に来たい子は来ていいよって言っていました。そしたらみんな学校に来て、バスケットをやったりサッカーやったりして遊んでいましたね。実際、僕は文科省の通達とかほとんど興味はないし、勝手に自分のやりたいようにやるんです。久保先生は僕より公共性があるんです。僕は自分の周りだけ良ければいいっていうような感じです。

桜丘中学校元校長・西郷孝彦先生

久保 それはロックンローラーって感じですね。アナーキスト。

西郷 そう、僕は好きですね。アナーキズムが。

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プロフィール

木村元彦
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)『オシムの言葉』(2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞作品)、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル、2012年度日本サッカー本大賞)等。新刊は『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)。
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