トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。
北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。
山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。
20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。
「みちのく潮風トレイル」の成り立ち
インターナショナル・アパラチアン・トレイル(IAT)を歩いてからは、オーストラリアにあるビブラマントラック(約1,000㎞)を歩き、そしてウィルダネス(原自然)を求めるように、アメリカ連邦政府が指定するシーニックトレイル(景観のトレイル)の1つアリゾナ・トレイル(約1,280㎞)を歩いた。
プロハイカーを名乗り、歩く中で、この頃の僕の感覚はアメリカのハイカー達と同じように、ウィルダネスにあるトレイルだから歩くという思考で固まっていたのかもしれない。逆にいえば、自然を感じられない、文明の一部である道路が大部分を占めるトレイルなんて歩く価値はないと決めつけていたように思う。そんな中、加藤則芳さんが環境省に提案したことで始まった「東北沿岸トレイル」が、「みちのく潮風トレイル」と名前を変え、2019年ついにオープンしたのだった。
加藤さんが構想したトレイル。トレイル作りに際して、すでに多くのアウトドアや山の関係者の方に声が掛かっていた。いくらプロハイカーでも無名の僕に声はかからなかった。関わることは無いと思っていたのだが、早くにオープンしたエリアのルートのほとんどが道路だったと知らせが入った。それを聞いて、きっと加藤さんは道路を歩く道を選ばなかっただろうと思った。すでに調査も進んでおり、一部区間でもオープンしている今、僕が参加したところで何か変わるはずがない。そもそも望まれていないのに一方的にこちらからお願いしたところで、調査に参加できるとも限らなかった。悩んだが、ルート設定に過去にアメリカの長距離トレイルを歩いたハイカーが全く関わっていないことが僕の中で決断に繋がった。いまさら無名で影響力のないプロハイカーが加わったところで焼け石に水かもしれない。だが、中にはトレイルはこうあるべきと賛同してくれる人も必ずいる。わずかなエリアでも本来のトレイルの姿に近い道が残せたら……。こうして僕は、知人の伝手を辿り、ようやく2013年から手弁当で調査に参加させてもらえることになった。まず、調査を兼ねて岩手県釜石市から、福島県の松川浦まで歩いた(一部区間を除く)。
すでに決まったルートは仕方ないにしろ、加藤さんが望んでいただろう、いわゆるトレイルのルートに少しでも近づけたらという想いだけが僕を突き動かした。当時のことをよく覚えている。津波前に付けたカーナビが、瓦礫で覆われた地に、被災前の町を映し出していたこと。行方不明になった息子さんが見つかるようにとお百度参りしているお母さんに出会ったこと。まだ、津波の被害の爪痕が大きい地域を歩き、多くの被災者の方に出会ったこと。
一度山形に戻り、再び歩き始めたのは、宮城県の名取エリアだった。当初、調査中の大学生と合流して一緒に歩くつもりだったが、僕は沿岸部を歩き、大学生は被災者のいる内陸部を歩いた。1日、2日と歩く。無くなった住宅の基礎に花が手向けられている。基礎だけが残った家からは線香の匂いが漂っていた。ほぼ壊滅した沿岸部には、僕と工事に関わる人の姿しかなかった。ブルドーザーで均された瓦礫の中には、子どもが使っただろうアニメの絵がプリントされたコップや、おもちゃ、汚れのついたお皿やガラスのコップなど、人々の生活の匂いが残る物がいくつもあった。ブルドーザーはその痕跡を消すかのように壊し続けていた。大きなエンジン音と瓦礫を均す音だけが1日中辺りに響き渡っていた。
僕は、一気に歩いた。無心だった。どうしても景色を眺めながら歩く気持ちにはなれなかった。福島県相馬市松川浦で調査終了の記念イベントがあるから、参加しない?という連絡が来たが、とてもそんな気分になれなかった。予定より1日早く松川浦に着くと、滅入った気分のままバスに乗り込み山形に帰った。以降、特に大船渡エリアを中心にみちのく潮風トレイルの調査等には参加していたが、2018年ころからは、地元山形にトレイルを作る活動が消滅の危機にあったことから、みちのく潮風トレイルからは離れることになった。

被災地を歩く
時は流れ、みちのく潮風トレイルがオープンすると風の便りで聞いた。僕が調査で参加したエリアはどんな道になったのだろうか。わずかな期待は間違いなくあった。それに、完成したトレイルを僕が歩いてメディアでレポートすることで、同じ東北人として被災地を応援できるのではないかとも考えた。だからオープンから半年が過ぎて、ある程度落ち着いた2019年、紅葉の始まる秋にスルーハイク(単年で一気に歩く方法)で歩くことに決めた。
スタート地点に選んだのは、みちのく潮風トレイルの南の起点、福島県相馬市の松川浦。歩き始めてすぐ、延々と続く道路歩きとテントを張る場所がないこと、ほぼ町中を歩くことに驚いた。僕は、沿線の人に話しかけて、テントを張れそうな場所を聞いたり、トレイル沿線に宿がある時は泊まった。もちろん、国立公園はキャンプ場がないとテントが張れない。
もともと東北太平洋側沿岸部には陸中海岸国立公園(岩手県大船渡市)があった。被災を機に、多くの県立公園などが再編入され、2013年に青森から宮城県牡鹿半島までが、三陸復興国立公園に指定された。その三陸復興国立公園エリアにみちのく潮風トレイルが設定されたのだが、国立公園に指定されてしまったがゆえに、テントが張れないのである。しかも復興国立公園地内にキャンプ場はそもそもほとんどない。ハイカーがテントを使って泊まれる場所がほとんどないのだ。あえてそうしたのだろうか。ハイカーが毎日宿に泊まってお金を落とさなければ歩けないのだろうか。あのニュージーランド北島のテ・アラロアを歩いた時のように、有料で船に乗るルートもあり、週末しか船が出ない島もルートにあった。北部では潮の引いた時にしか歩けないルートもある。僕はどんどん生気を失っていった。
道路を歩いていても、津波の被害の大きい町では高くそびえ立つ防潮堤で海が見えない場所も多く、多くの河川では大規模な護岸工事が施されていた。スルーハイカーとして、ウィルダネスを好んで歩く僕にとって、この道のりは精神的に苦痛で過酷だった。
みちのく潮風トレイルがオープンする前、某アウトドアメディアでこのトレイルの成り立ちを書いたことがあった。加藤さんの構想では、おそらく久慈辺りから牡鹿半島辺りまでがルートになっていたと関係者から聞いていた。実際、このトレイルができる前に、加藤さんから岩手県の沿岸部、北山崎エリアは素晴らしい景色だと何度も聞いていた。しかし、復興予算を使う関係上、被災地に該当するエリアを含めるため、結果的には北は青森県の八戸まで、南は福島第一原発事故の避難区域外になる松川浦まで伸びたのだろうと直ぐに思った。
大人の事情があるとはいえ、調査に関わったハイカーとして、なんとも言葉にできない虚無感に襲われた。意見は承るが、採用するとは限らないのが世の常か。無名のプロハイカーの声は届かないのだろうと再認識した。だが、歩き終えて僕の頭に浮かんだのは、道路歩きを全否定することだけではなかった。
東日本大震災の教訓をどう次の世代に残すべきかは、被災者、その周辺に住む人、他の地域の人で考え方や感覚は変わると思う。僕の頭を離れなかったのは、道路を歩くからこそ見える景色だった。観光で来て、いきなり防潮堤を見れば、「随分高い防潮堤だね」で終わるだろう。しかし、みちのく潮風トレイルは、道路も多いが、自然の中の登山道を歩くルートもある程度含まれている。そんなトレイルを歩いて一連の景色とともに震災後に作られた構造物を見ると、どう感じるだろう。きっと違和感を覚えるのが普通だと思う。たとえばトレイルを歩き、山間部から沿岸部に出るとする。突如現れた高く作られた防潮堤を見て、人はどう感じるだろう? 嵩上げされた土地を見てどう感じるだろう? 無機質なものを新たにつくることが本当に復興に繋がるのか、被災地の現状を考える良い機会になると思う。
このトレイルは道路を歩くので集落や町を多く通る。だから、地域の人が復興についてどう考えているのか、直接自分の耳で聞くことができる。誰かが作った誰かの意図的なフィルターを介さないで事実を知ることができる。そうすれば、現地で何が起こって、今までどう経過してきたのかを、よりリアルに知ることが可能になるのではないか。

僕が歩いた2019年も、まだ、何十億もの予算の付いた工事現場がいくつもあった。聞いた話では、防潮堤の耐用年数は60年ほど。東日本大震災級の津波が来る確率は100年に1度。大きく護岸工事された河口には鮭が遡上しなくなるといわれている。被災地だからこそ、自然と文明を対比して見つめることができる。みちのく潮風トレイルが被災地にできたトレイルだから、トレイルが本来目的とする自然に直接触れ、自然の中で生活することで感じる感覚と非常に近い思考を持つことができるのではないかと思う。ハイカーが歩いて巡るからこそ、後世に伝えるべきことは、沿線の人々だけでなく、ハイカーを通して日本中の人の記憶に残る。そして、復興がどうあるべきかを知るのではないか。そう考えれば、きっと道路を歩くことにも意味が生まれる。まだ、被災地を訪れたことがない人は相当数いるのではないかと思う。ぜひトレイルを歩くという気軽な気持ちで現地を訪れて欲しい。そしてその体験の中からいろいろと感じ取って欲しい。そうなれば、みちのく潮風トレイルはきっと未来の子供たちに多くの物を残していくことになるのだと思う。

トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。 北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。 山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。 20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。
プロフィール

(さいとう まさふみ)
プロハイカー
1973生まれ。山形県新庄市出身。アパレルブランドやディベロッパー企業などに勤務後、
2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿、講演やイベントを行う傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「YLTクラブ(山形ロングトレイル)」に携わる。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、踏破した国内外のトレイルだけで25,000km(地球半周以上)を超える。
公式HP https://hikermasa.wixsite.com/
Instagram @hikermasa
Facebook https://www.facebook.com/saito.masafumi.3
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