僕がトレイルを歩く理由 第6話

みちのく潮風トレイルと九州自然歩道

斉藤正史

コロナ禍に歩いた九州自然歩道

 毎年必ずどこかのトレイルを歩く。そんな僕の生活は、コロナ禍に入り一気に変わった。頂いていたわずかな仕事が全てキャンセルになった。僕に残されたものは何もなく、この流れに無名のプロハイカーは太刀打ちできなかった。

 当時の僕は、ほとんどない蓄えを切り崩して生きていた。廃業することも本気で覚悟した。やがて、予想外にコロナの第2波が終わり、「GO TOトラベル」で助成金が出るようになった頃、首の皮一枚繋がった僕は九州自然歩道を歩くことにした。もちろん、出発前に抗原定性検査をし、陰性を確認してから出発した。なぜ九州自然歩道かというと、コロナで海外に行くことが難しかったこともあるが、やはり加藤則芳さんの存在がある。

 かつて九州自然歩道を数百㎞程歩いた加藤さんは、その後再び歩いた際、このトレイルが荒廃してしまうと感じ、九州自然歩道再生計画を環境省に提案した。2009年のことだった。その熱い思いは当時の環境省の担当者の心を動かした。2011年九州各地で九州自然フォーラムが開催され、九州自然歩道再生へ一気に動き出したかに見えた。僕は、加藤さんから九州自然歩道の再生に関する話を聞いていた。ご病気が進行する最中だったが、このフォーラムに参加するために九州に行かれていたことを思い出した。加藤さんが気にかけていた九州自然歩道はどこまで再生されたのだろうかとコロナ禍になってふと考えた。

 環境省の知人に聞いても、はっきりした九州自然歩道に関する進捗はわからなかった。また、九州自然歩道フォーラムにも問い合わせたが、道がどうなっているかはわからないという回答だった。ならば歩いて確かめるしかない。加藤さんが「磨けば素晴らしいトレイルになる」とおっしゃったその道がその後どうなっているのか現状を見たかった。

 日本で最初に作られた長距離自然歩道は、1974年(昭和49年)までに整備された「東海自然歩道」。おそらく、日本の自然歩道の中で一番有名で歩かれる方も多い。2番目につくられたのが九州自然歩道で、その後、中国自然歩道、四国自然歩道、首都圏自然歩道、東北自然歩道、中部北陸自然歩道、近畿自然歩道、北海道自然歩道、東北太平洋岸自然歩道(みちのく潮風トレイル)と日本全国各地に長距離自然歩道がつくられた。この長距離自然歩道の総延長は、約28,000㎞にもなるという。皆さんの地域でも見かけることがあるのではないだろうか。ちなみに東北自然歩道は「新・奥の細道」という愛称で呼ばれている。他の地域でも別名や愛称で呼ばれていることが多いと思う。これだけの自然歩道が日本全国にあると知っている方は意外に少ないのではないだろうか。そもそも、日本の長距離自然歩道は、アパラチアン・トレイル(AT)に着想を得て、1969年(昭和44年)厚生省国立公園部(現・環境省)で計画されたらしい。

 九州自然歩道の成り立ちを見てみよう。観光振興のため、九州でも長距離自然歩道を実現させたいという経済団体により計画が打ち出された。なぜ、全国で2番目の長距離自然歩道が九州にできたかというと、1975年(昭和50年)に山陽新幹線が九州の博多まで延伸されたことが大きかったのかもしれない。新幹線開通を追い風に、九州の経済界が中心となった動きにマスコミも加わり、長距離自然歩道を作る計画は、かなりの盛り上がりを見せた。完成後、環境庁(現・環境省)は国立公園の一部を除き、自然歩道の管理を各県に任せた。やがて管理だけでなく、地図の作成なども、各自治体での取り組みとなる。管理状況は各県によって変わる。やがて道標は朽ち果て、荒廃する区間が現れ始めた。ついには、九州自然歩道の利用者はどんどん少なくなっていったのだった。

九州自然歩道再生のために

 そんな現状もあり、歩くためのデータを探すのに苦労した。まず手に入れたのは、各県で出している地図だった。3つの県の地図は見つけることができたのだが、他の県では無かった。次に見つけたのが、西日本新聞社が1976~77年に発行した『九州自然歩道』の上中下巻。だが、あまりにも古すぎて僕の欲しい情報は無かった。九州自然歩道ポータルにあるオンライン地図を利用しようとしたが、現地で必ずしも電波が入るわけでもないので、現実的に使用はできない。GPSデータも一般には配布されていなかった。そこで僕は、オンライン地図を見ながら4日ほどかけてGPSデータを作った。この準備に当たる段階で、すでに九州自然歩道の再整備計画は頓挫していることは薄々感じた。

 加藤さんがあんなに期待した九州自然歩道の再生の願いが全く叶っていなかったことに対し怒りが込み上げた。今振り返ると、環境省の知人や、九州自然歩道フォーラムの方に、かなり突っ込んだ内容の連絡をしてしまっていたかもしれない。「情熱」という言葉では片付かないかもしれないが、この場をお借りしてお詫びしたい。

 実際に歩いてみると、道がなくなったり、なぜかルートを遮るように電柵が設置されて、ルートに入れなくなっていたり、道標が朽ち果てていたり、いくつかの登山道は崩落などで立入禁止になっていた。

 ようやく地図がないということに納得した。崩落したらルート情報を消せばいい。地図がなければ、道が崩落していても整備されていなくても誰もクレ―ムを言わなくなるからだ。これは、多くの行政が行う手法でもある。

 そもそも観光振興を考え整備されたルートなので、基本的には道路を歩く道のりが多く、宿泊する場所にも苦労した。やむなくビバーク(緊急野営)をすることも、お断りして神社に泊めさせていただくこともあった。それでも沿線の方々は優しかった。歩いて観光するように構成されていたため、観光名所を通ることも多く、その点では非常に良かったと思う。登山道へ続くアプローチは道路を歩き、登山道に入ると山を登る。道路を歩き次の山を目指す。なんとなくニュージーランドのテ・アラロアに似ていて、道路を歩く距離もかなり多かった。 

九州自然歩道。ルートが竹林に塞がれ、道標は朽ち果てていた。撮影/筆者

 総延長約2,100㎞を歩き終えた僕は、「ようやく終わった」という言葉しか出なかった。そんな記事をメディアで公開したからだろうか、現在は、九州自然歩道の一部の県や地域でいろいろな取り組みが行なわれ始めているらしい。福岡県では、「Hike! Kyushu」という団体により、新たな九州自然歩道のページが作られ、イベントなども開催されている。佐賀県では「佐賀の道」、熊本県では「人吉・球磨ルート」として各県により九州自然歩道の紹介と共に、おすすめのルートなども紹介されている。宮崎県では、「みやざきハイキングクラブ」が新たなホームページの作成と地図の販売なども行っている。

 僕が住む山形でも、前述した東北自然歩道の看板が朽ち、放置されている所が多い。「トレイルは維持管理するのが一番難しい」と、よく加藤さんがおっしゃっていた。それは僕も現実に身にしみて感じている。環境省で構築した自然歩道の管理が、県や市町村に移行され、多くのルートが保全されず朽ち果てていることが全てを物語っている。作る側の責任は維持することを含めてでなくてはならない。

 登山道やトレイルの整備の多くは、ボランティアの力で維持されている。継続して整備し安全に歩くためには、行政による協力なくしては成り立たないと思う。行政も市民の良心に都合よく頼るのではなく、重要な活動には下支えする取り組みが必要なのだと思う。コロナ禍に2年続けて日本のトレイルを歩き感じたのは、作るだけ作って放置された歩道・登山道の多さと、道路を歩くことがトレイルであると認識する人が多いという悲しい現実だった。

(続く)

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 第5話
僕がトレイルを歩く理由

トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。 北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。 山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。 20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。

プロフィール

斉藤正史

(さいとう まさふみ)
プロハイカー

1973生まれ。山形県新庄市出身。アパレルブランドやディベロッパー企業などに勤務後、
2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿、講演やイベントを行う傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「YLTクラブ(山形ロングトレイル)」に携わる。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、踏破した国内外のトレイルだけで25,000km(地球半周以上)を超える。

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