人文知の居場所 第2回

あの2010年代の生き残りは、こうして大人になった―文芸評論家・宮崎智之インタビュー―

宮崎智之×佐藤喬

1990年代生まれを中心とした、30代前半くらいの若い書き手が元気だ。その世代は本をたくさん売るだけではなく、ポッドキャストやYouTubeなどでの教養の発信にも積極的で、そういった若手の潮流を指す「令和人文主義」という言葉(※1)もあるという。

ところで、「令和人文主義」の一回り年長にあたる1980年代前半生まれの世代は何をしているのか? 「キレる17歳」として1990年代後半に社会に登場したこの世代は、2000年代から2010年代にかけて青春を送り、今や中年期に差し掛かっている。その間、社会ではインターネットが普及し、やがてスマートフォンが登場し、支配的な媒体は激しく移り変わってきた。

人生の折り返し地点を通過しつつある1980年代前半生まれの世代は、華やかな若手の陰で、何を書いているのだろうか。1982年生まれの文芸評論家、宮崎智之さんに聞いた。

【過去のインタビューはこちら】
谷川嘉浩氏(2026年1月9日)
水野太貴氏(2026年6月4日)

(宮崎智之)

2010年代カルチャーの「手触り」

―1990年代生まれ、30代の若手を中心とした「令和人文主義」の世代に勢いがありますね。出版業界を潤してくれてありがたい限りで、せめて足を引っ張らないようにしたいのですが、翻って、1980年代前半生まれの僕たちの世代はどうか。

10年前の2010年代には、僕らの世代がちょうど今の「令和人文主義」世代の位置にいたわけですが、当時の出版界で注目されていた同世代人というと、ブロガーのはあちゅうさん(1986~)、『まだ東京で消耗してるの?』(幻冬舎)のイケダハヤトさん(1986~)、「秒速で稼ぐ」与沢翼さん(1982~)、箕輪厚介さん(1985~)、古市憲寿さん(1985~)、あとは当時盛り上がっていたWEBライター界の皆さんなどでしょうか。なんというか、今の「令和人文主義」世代の皆さんとは、著しく「手触り」が違うような気がしますね。

宮崎智之(以下宮崎):懐かしい面々ですね(笑)。当時の僕は、地域新聞社や編集プロダクションを経て、フリーライターになっていました。僕がやめた編プロに入れ替わりで入ったのが、カツセマサヒコさん(1986~)でしたね。

また懐かしい言葉を使うと(笑)、当時はオウンドメディアに勢いがあって、WEBライター界隈は羽振りがよかったんですよ。僕も、今よりずっと収入は良かったです。

―しかし、2018年でしょうか、はじめて宮崎さんの『モヤモヤするあの人』(幻冬舎)を読んだときに、「時代に馴染めない著者が、少し無理をして書いた本だ」と感じたんです。時代に対して居心地が悪そうな文章というか、ご自身を殺しているというか。いきなり失礼な感想ですけど……。

宮崎:それはありますね。あれは僕が企画した著書としては一冊目なんですが、2010年代にあちこちで書いたWEB記事をまとめた一冊なんです。WEB記事を無理やり本にしたという点も含めて、すごく2010年代的かもしれません(笑)

いや、たしかに僕は2010年代のあの感じが苦手だったんです。でも一方で、当時はWEBライターとして時代にどっぷり浸かってもいたんですよ。

―それが、その後少し経って2020年に宮崎さんが出された『平熱のまま、この世界に熱狂したい』(幻冬舎、2024年に『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』として、ちくま文庫化)を読むとまったく違って、そこには書き手としての成熟がある。その、30代から40代に向けての変化が感動的なのですが、宮崎さんに、それをもたらしたものはなんでしょうか。

親の死、アルコール依存、離婚……

―たとえば宮崎さんは35歳のときにお父様を亡くされていますね。『平熱……』には「父が亡くなった瞬間、三五歳の僕は『子ども』ではなくなった」と書かれています。父の死という劇的な出来事を抑制的に描くこのエッセイ(「35歳問題」)は、実に美しいと思いますが、両親がピンピンしている人間がこれを書くのは難しい気がします。

宮崎:ありがとうございます。まさか、30代で父を亡くすとは思っていませんでしたね。

―あと、宮崎さんはその前に離婚されていますし、その後再びのご結婚や、お子様の誕生も経験されています。あと、アルコールの話はしてもよいですか?

宮崎:全然、大丈夫です。

―アルコール依存症にもなり、生命の危険もあるアルコール性の膵炎も二度、体験されていますね。そういった個人的な経験によって、宮崎さんは成熟を手に入れた気がします。

宮崎:そうだといいのですが。

僕が解説を書いた吉田健一の『余生の文学』(平凡社ライブラリー)で、「余生があってそこに文学の境地が開け、人間にいつから文学の仕事が出来るかはその余生がいつから始るかに掛っている」と書いているんですが、僕も、膵炎で死にかけて生き方を根本的に変えなくちゃいけなくなったことで、子どものころから志したかった文学に、もう一度チャレンジする気になったんですね。チャレンジして、それでもダメならまあいいか、という境地に至ったんです。

文学をやりたいけれど、「著者特性」がない

―WEBライターをされていたけれど、もともと文学への志向があったわけですね。

宮崎:はい。大学受験のときも文学部しか受けず、詩人の中原中也(1907~1937)について卒業論文を書き、出版社を志望して就職活動をしました。それこそ、この集英社でも面接を受けましたよ(笑)。でも、就職氷河期世代の最後にかかることもあって、上手くいかなかったですね。

それでも、「僕ならば面白いものが書けるはず」という信念は持ち続けていたんですが、なかなか著書を出す機会にありつけなかった。ほら、当時の出版業界だと、書き手には「著者特性」があるか、ということがよく問われたじゃないですか。あれが僕にはなかったんです。

―今もそうですが、出版社が本の企画を検討するときには、「この著者の本は売れるか」が厳しく問われるわけですね。そこをクリアするためには、タダで70日間世界一周したとか、秒速で起業して「成功」したとか、あるいはオンラインサロンなりにファンをたくさん抱えているといった「著者特性」が求められてしまう。

宮崎:僕は、そんなものはなくてもいいものが書けるという自信はあったんですが、出版社はそうは思ってくれませんでしたね。

でも、本はたくさん書いていたんです。というのも、30代のころは、WEBライターの仕事と並行して「ブックライティング」の仕事も大量に受けていましたから。

―古い言葉でいう「ゴーストライティング」を意味することが多い言葉ですね。ライターが著者に取材し、本人に替わって原稿を書く。書店に平積みされているような本、とくにビジネス書や実用書の相当数はそうやって作られています。

宮崎:当時はもうアルコール依存症だったので記憶があいまいですが、もう、めちゃくちゃに書いていましたね。最速の仕事だと、二週間で新書を一冊書いたのを覚えています(笑)

―僕もそういう仕事は経験してきました。「出版不況」「読者離れ」などといったよく聞かれる単語の裏にある書籍乱造の現実は、あまり話題になりませんね。ノルマに追われる出版社の編集者が、短期間で本を作りまくっている結果が、今も年間六万タイトルを大きく超える書籍の発行点数です。

コロナ禍に起こった「文学展開」とエッセイ復興

宮崎:2010年代の僕はそんな生活を続けていたのですが、お話ししたような様々なことがあり、「やはり僕がやりたかったのは文学なんだ、文学をやろう」と思い直します。

そうしたら、縁があって2019年に出た『吉田健一ふたたび』(川本直/樫原辰郎編)に参加できたんですね。吉田はもともと、随筆をよく読んでいました。

―僕もあそこに宮崎さんの名前を見かけて、「あれ、この宮崎さんってあの宮崎さんか?」と思ったのを覚えています。

宮崎:周囲にも「文学をやりたいんです」と言い続けたら、割とサポートしてくれる人もいて、そこからはスルスルと、『文學界』(文藝春秋)さんや『週刊読書人』(㈱読書人)さんなどに書かせてもらえるようになり、「文学転換」を果たせた感じです。収入は何分の一かになりましたけど、僕は派手な生活もし、多少の貯金もあったので、なんとかなっています。

さらに面白いのは、僕と同じタイミングで、社会の方でも「文学展開」が起こっていたことです。

―というと?

宮崎:僕は文学の中でもとくにエッセイを専門にしていて、2022年くらいからは「随筆復興」ということを言っているんですね。

というのも、いろいろある文学の中でも、近代以降のエッセイについては、専門家がほぼいないんですよ。国語学習の情報をまとめた『国語便覧』(第一学習社)を見ても、『枕草子』や『徒然草』、『方丈記』といった昔の随筆は分厚く紹介されているのに、近代以降になると、なんと「随筆」というジャンルがなくなるんですよ。

僕らも、高校の文学史なんかで小説や批評、詩歌などについては習いましたけれど、近代以降のエッセイ史は習わないですよね。

―たしかに。アカデミズムの世界でもそうなんですか?

宮崎:近代以降のエッセイを専門的に研究している人は少ないと思います。だから僕は、近代になって途切れてしまったエッセイ・随筆の系譜を復興させようとして、「随筆復興」と言い出した。

それは、パフォーマンスでもありつつ、理論も頭の中にはあったんですが、実は僕がそう言い始めた2022年ごろには、社会の側でもエッセイが盛り上がり始めていたんです。

―そうなんですか? その認識はなかったです。

宮崎:たとえば、年に数回、各都市で開催される文学の展示即売会である「文学フリマ」の参加ジャンルを見ると、よくわかります。2019年11月に開催された「第二十九回文学フリマ東京」だと、「純文学」が99ブース、「エンタメ・大衆小説」が132ブースなのに対し、「エッセイ・随筆・体験記」は67ブースでした。

ところが、今年の5月に開催された「文学フリマ東京42」だと、それぞれが185ブース・279ブース・608ブースです。エッセイが、絶対数でも、割合においても激増しているんですよ。

あるいは、note株式会社などが主催する「note創作大賞2026」の5月までの応募作品数を部門別に見ると、69,308件の応募総数のうち、なんと半数以上の43,921件がエッセイなんです。明らかに何かが起こっているんですよ(※2)。

―本当だ。

宮崎:あと、近年、存在感を増している独立系書店さんも、随筆復興に力を入れてくれています。吉田健一とか内田百閒とか幸田文といった、重要な随筆を残している作家のフェアの依頼が、僕だけでも10件くらい殺到しています。僕も寄稿していますが、『文学界』も2023年9月号では「エッセイが読みたい」という特集をしていますよね。

このように、僕の個人史と文学史の流れが重なる中で、僕は文学に足掛かりを作れた感じです。ここ7年くらいの動きですね。

2010年代「自分語り」からエッセイへ

―恥ずかしながら、知りませんでした。というのも、古いエッセイは多少読んできたのですが、2010年代に主にWEBで量産された「自分語り」にウンザリして、エッセイ的なものを遠ざけていたんですよ。故・小田嶋隆さん(1956~2022)が2013年に『ポエムに万歳!』(新潮社)という本を出していますが、当時は自分語り界隈・ポエム界隈・自己啓発界隈・ブロガー界隈などがオーバーラップしつつ隣接して幅を利かせていましたよね。あれが苦手で……。

宮崎:そうそう、まさにそうなのですが、重要なのは、その中から文学に移行した人たちが出てきたことです。たとえばエッセイストとしてガンガン本を出している古賀及子さん(1979~)も、もとは「デイリーポータルZ」に参加されていましたよね。

つまり、コロナ禍前後に、僕を含めた2010年代的・WEBライター的な書き手の一部が文学に転向したんです。それは、自分の文章を発表できるプラットフォームであるnoteが広まったり、自主出版物であるZINEの流通ルートが増えたりといったインフラの整備も後押ししていますね。

―なるほど、たしかに。宮崎さんと並んで塩谷舞さん(1988~)なども、「2010年代的」な空気から出てきて落ち着いた書き手になった方でしょうか。文学という感じではないけれど、「ゆる言語学ラジオ」の堀元見さん(1992~)も、実は2010年代カルチャーから出てきていますよね。

宮崎:塩谷さん、懐かしいな。昔、彼女がCINRAにいらっしゃったころに、よく一緒に仕事をしていました。

2020年代の文芸復興

―2010年代の生き残りが、今の文学シーンを支えている面があるんですね。

面白いのは、「令和人文主義」の担い手が始動したのも、同じコロナ禍前後であることです。三宅香帆さん(1994~)が最初に著書を出したのが2017年、「コテンラジオ」の配信開始が2018年、「ゆる言語学ラジオ」が2021年。同じタイミングで違う世代が始動しているわけですが、全体として、文学や教養を復興する方向に向かっている印象です。

宮崎:たしかに。2010年代カルチャーと今の連続性はあまり考えたことはなかったけれど、あきらかに影響していますよね。他でもない僕がそうですし。

―この「復興」の動きはポスト令和人文主義でもっと強まりそうで、江戸時代の国学者である平田篤胤について書いている石橋直樹さん(2001~)とか(※3)、政治の文脈で古典を読もうとしている白坂リサさん(2004~)などが現れています。

お酒の話になっちゃいますが、石橋さんがアルバイトしていたとあるバーで彼に「『角』の水割りをください」と言ったら、「角ってなんですか」とおっしゃいました(笑)。篤胤は知っているのに角瓶を知らない世代が登場しているなんて、心強い限りです(笑)

(宮崎智之氏が企画した随筆・エッセイ専門の文芸誌「隋風」。2025年3月の創刊以来、すでに3号まで発行されている。「隋風 04」は2026年9月末刊行予定)

なぜ書くのか、なぜ文学なのか?

―ただ、「2010年代の生き残り」当事者である宮崎さんに聞きたいのですが、宮崎さんや塩谷さんのように文学的な方に進んで成熟しつつある書き手がわずかにいる一方で、2010年代にもてはやされた方々の大半はそうなっていない。その違いは何だと思われますか?

宮崎:それは、その方の根底に文学があるかどうかではないでしょうか。吉田健一の言葉を借りると、文学とは「言葉によってつくられた世界」ですよね。そういった認識の上で、言葉へのこだわりを持っていたかどうか。

2010年代にバズったWEBライターさんやブロガーさんの大半は、たまたま表現手段として文章を選ぶことになったのであって、背景に文学を持っていたわけではなかったと思うんです。ほら、当時って写真とそのキャプションがズラッと並ぶような記事がたくさんあったと思うんですが、あれは単に動画のプラットフォームが未整備だった中で生まれた形式だった気がするんです。

―つまり、言葉よりも視覚情報で訴求すると。

宮崎:そういう記事を書いていた人たちは、YouTubeなどの動画プラットフォームが整備された今は、そちらに移行したと思うんです。

2010年代後半に「読モライター論争」というのがあり、まあ僕が勝手に言い出したことなんですが(笑)、当時の、過剰に顔出しをして自分語りを展開するWEBライターたちは、YouTuberが一般化してからは、そちらの道に進んだと思いますね。

―「読モライターは物書きの本流ではなく、広義の芸能ジャンルにいる。だから今後は動画コンテンツに移行していくだろう」という意味の予想を書かれていますが、来る2020年代を予見しつつ宮崎さんの次の飛翔も暗示している、大事な文章だと思います(※4)

宮崎:2010年代の僕は、物書きを志望するなら当然、文学は読んできたよね、と思い込んでいたんですよ。でも実際に聞いてみて驚いたのは、そうじゃない人が多かったんですね。たまたま、WEB記事というプラットフォームがあっただけで。

―それはまったく同感で、当時引っ張りだこだった書き手(?)の方と仕事をしたときに、その方が小林秀雄(1902~1983)を知らないことに驚いた記憶があります。

宮崎:それはすごいですね(笑)。でも、本当にその通りで、多くの人にとっては、表現手段は文章ではなくてもよかったんですよ。

中年期の喪失による成熟

―話をぐるっと戻して、このような2010年代を経て文学に移行できた宮崎さんですが、その背景にあるのは出版状況の変化だけではなく、冒頭で伺った、アルコール依存や離婚、お父様の死といった30代での個人的な経験でもあるわけですよね。それが、宮崎さんが書くものに重さを与えている。

人は、中年期に差し掛かると、どうしてもそのような出来事を経験せざるを得ない。アルコール依存も離婚も経験しない人でも、親の衰えには直面することになる。でも文学には、そういった苦しみから生まれる面が確実にあると思うんです。

宮崎:そうです、それは間違いありません。

―宮崎さんが卒論のテーマにした中原中也は30歳で死にましたけれど、とても早熟で、よい詩をたくさん残した。でも中也は子どもに先立たれているし、長谷川泰子との別離も有名ですよね。そういった喪失が彼の詩を非凡なものにした。

同じように、今の宮崎さんの文章には、先ほど言った喪失から来る成熟が間違いなくあって、それは一回り若い「令和人文主義」の世代にはまだないかな。

宮崎:たしかに、30代で色々と経験を重ねたのは大きかったですね。世界の全体に比べたら自分が知っていることなんてほんのわずかで、実は、既存の理屈じゃ語り切れないことが膨大にあると知ったんです。

たとえば、それまでの僕は自分の人生は自分で理性的にコントロールできると思っていたフシがあるけれど、アルコール依存症は、自分で自分をコントロールできなくなる病気ですから、その自信を徹底的に打ち砕いてくれました。

あるいは、父の死も……。僕の父は理性的で知的な人だったんですが、その父が、亡くなる直前にはがたがたっと崩れるのを見てしまった。

―深夜にお父様から、ショートメールで「助けてくれ」と送られてきたと書かれていますね(※5)。

宮崎:父が僕にショートメールを送ってきたのも、弱音を吐いたのもそれが最初で最後でした。依存症や肉親の死といった現象を目の当たりにして、なんとかそれについて語りたいと思ったときに、それを可能にするのが文学だったのかもしれません。

―親しい人の死を含めた、避けられない別離って、ありますよね。誰も悪くないのに、なぜかさよならをしなければいけない。若いとつい「合理的に解決しよう、話し合おう」などと思いがちですけど、仮にそう試みても、どうしてもダメになるときがある。そういうやるせなさを語れる言語は、合理的体系が機能することを前提にしている科学やビジネスの言葉よりは、文学のそれだと思います。

宮崎:あえて単純化して表現すると、歳を重ねたことで世界の複雑さを知った、という感じでしょうか。でも、それでも「世界って不思議だよね」で終わらせることはできず、何らかの真実性みたいなものを探したいと思ったときに手がかりを与えてくれるのが、ずっと人間について考えてきた文学だったんです。

学問がなかなか扱えないような、人間の愚かさや弱さも考えられるのが文学だと思います。

自分を語るということ

―「令和人文主義」の世代の人たちも遠からず、宮崎さんのようなプライベートな領域での危機を経験すると思うんですが、そこで試されそうですね。宮崎さんたちごく少数の書き手は、2010年代を生き延びて書き手としてのスタートラインに立ったわけですが、「令和人文主義」世代はどうなるだろう。

宮崎:そうですね。それは結局、書き手としての自負があるかどうかだと思います。2010年代の書き手は実は表現手段は文章でなくてもいい人がたくさんいて、そういう人たちは去り、書かざるを得ない人だけが残った。

―その点では、「令和人文主義」の人たちの文章は、口語的というのではないけれど、「動画的」ですね。優秀な塾講師が、生徒たちを目の前にしてわかりやすく解説しているようなところがある。

宮崎:そうですね。解説や考察はとても上手いと思うけれど、文章に自己をベット(Bet:賭ける)しているかどうかは、問いたいですね。「令和人文主義」の方々には、自己の追求というより、学問とか、外的なものに依拠する傾向が見られると思います。

―「令和人文主義」には、内省性はかなり弱いですね。2010年代に自分語りが量産された反動ですかね?

宮崎:2010年代にあふれた自分語りも、結局はバズって数値を獲得するのが目的で、本当の意味で自己の内面を掘り下げていたわけではないと思います。でも、今のエッセイブームは、自分と向かい合わざるを得ない人が増えてきたことの表れじゃないかな。

―本インタビュー記事編集者(吉田):自分語りとエッセイのイメージが近くなっているせいで、なんとなくエッセイを忌避している人も多いと思うんです。でも、宮崎さんの活動は、そこを切り分けて新しい道を拓こうとしているのかなと。

宮崎:そもそも、エッセイは自分語りではなく文芸ですからね(笑)。「文」の「芸」をわきまえているから文芸なのであって、僕のエッセイも、別に何でもかんでも書いているわけではなくて、選んでいる。それも芸のうちです。ただ、2010年代は文芸ではない形で自分語りをしている人が多かったということですよね。

―なるほど、自分語りが文芸から離れて、アテンションエコノミーのほうに行ってしまっていた。それを文芸と再接続させようとしているわけですね。

自分語りの陳腐化や、成熟が軽んじられるようになったことで、文学は、あるいは文章は複雑な経験の積み重ねや苦しさから生まれるという、自明だったことが忘れられている気がします。でも、宮崎さんが書くものを読むと、その当たり前のことを思い出しますね。

(聞き手:佐藤喬 撮影:内藤サトル)

※1 谷川嘉浩「深井龍之介、三宅香帆…新世代が再定義する教養「令和人文主義」とは」朝日新聞デジタル、2025年9月11日

※2 Xアカウント「note」2026年5月29日

※3 石橋直樹「なぜ人は死を怖がるのか」集英社新書プラス、2025年10月28日

※4 宮崎智之「ライターが“読モ化”していることについて」幻冬舎plus、2017年10月5日

https://www.gentosha.jp/article/8848/?srsltid=AfmBOor15ef5E89Dg3F0MSFf5r6wfi7SRQDtFPwOQ2r9MKQky0e328p5

※5 『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』(ちくま文庫)所収「わからないことだらけの世界で生きている」

 第1回
人文知の居場所

SNS以降の情報環境の変化、旧来型メディアの衰退、世界の政治状況の混沌……そのような時代の人文知はどのような形で存在しうるのか?ライター・編集者の佐藤喬氏が、新しい「知の居場所」を作ろうとしている人々に話を訊く。

関連書籍

プロフィール

宮崎智之

みやざき・ともゆき 文芸評論家。1982年、東京都出身。著書に『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』(ちくま文庫)、『モヤモヤの日々』(晶文社)など。共著に『文豪と犬と猫 偏愛で読み解く日本文学』(アプレミディ)など。『精選日本随筆選集 孤独』『精選日本随筆選集 歓喜』(ともにちくま文庫)では編者を務める。随筆・エッセイ専門誌「随風」企画人。

佐藤喬

さとう・たかし フリーランスの編集者、作家。「令和人文主義」周辺の仕事としては、『歴史思考』(深井龍之介、ダイヤモンド社)、『QuizKnock 学びのルーツ』(QuizKnock、新潮社)、『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極寿一・鈴木俊貴、集英社)などを手掛けた。著書に『1982』(宝島社)など。1983 年生。X:@SatoTakash1

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