旅を始めるときは正直、高をくくっていた。「目の前いっぱいに広がる宮殿とか、綺麗な絵とか見れば、子どもも楽しむでしょう」と。実際はまったく逆で、大人が目を見開くものほど子どもは眼中に入れなかった。世界遺産? それより公園で遊ばせて!
代わりにそのせまい視野が捉えるのは、音声ガイドやパンフレットを見聞きしているあいだに大人が通り過ぎてしまう、小さな生活の痕跡。文字ではなく、モノそのものからそこはかとなく伝わってくるものがある文化遺産。どれどれ、と私ものぞいてみると思いがけず世界の一隅が照らされていた。しかもそこは別の世界と結びつき、ときに自分が知っている世界とも接続している。
ヨーロッパ350ヵ所以上の文化遺産を3歳と6歳の娘とめぐった記者の子連れ鑑賞顛末記。最終回は子どもの目線をたどって見出した文化遺産の「小さな世界」を散策する。
小さな歴史の発見者
子どもは大人にはないセンサーを持っている。知識も経験もなく、背は低いし視界はせまいのに、大人が見過ごすものを、なぜか100%の確率で見つけてくることがある。
たとえば、「ゆりかご」。
伝統的な農家から、職人や商工業者の住まい、街なかの中流家庭の邸宅、豪奢な城館や最初期のマンションまで。形状や模様にちがいはあるものの、人が生活したところでは、かなりの頻度でゆりかごを見つけた。
不思議なものだ。
意味不明の文字と物質であふれかえるミュージアムなど、入ったそばからEXITめがけて駆け出す娘たちが。自分たちは現代の角ばったベビーベッドで育ったにもかかわらず、優しいカーブを描く西洋風のゆりかごを見つけると、例外なく吸い寄せられるのだから。

たぶん娘たちは空の小箱に、いつかどこかで見た赤ん坊の姿を思い描いている。
そんな娘たちを通して、私はその子をあやす親や兄姉、あるいは乳母のイメージを思い浮かべる。なかには、貧しさから自分の子どもは孤児院に預けている女性や、植民地出身者も多かったと聞く。そうやって教科書にはほとんど現れない人生の一幕が、ぼんやりと、ゆりかごのまわりに立ち上がってくる。
こんなこともあった。スウェーデン・ストックホルムにある世界初の野外博物館スカンセンで、スウェーデン南部にルーツを持つ19世紀初頭の農家を訪れたときのこと。
「ぶらんこ?」
台所や作業場を兼ねた居間の一角、ストーブの横にぶらさがる物体を3歳の次女が指さす。
天井と壁には、暗い室内を彩る鮮やかな布が張られていて、垂れさがる素朴な木の棒と、その先端についた小さな椅子に気づく人は、どれほどいただろうか。次女の指先をたどって「ベビーチェア」だと認識したとき、私は床に置かれた三本足のスツールに腰かけ、ストーブの暖気にあたりながら赤ん坊を囲んで作業や団欒をする、約200年前の家族の情景が見える気がした。
それだけではない。
「椅子って英語でなんていうの?」
「チェアだよ」と答えると、6歳の長女は近くの炉から火かき棒で灰をかきだしていた女性スタッフに、「ワッツディス(これはなんですか)? ベビーチェア?」と問いかけた。「ワッツディス?」は以前、文化遺産の旅に退屈しきっている長女を見かねた私が、「気になることがあれば自分で聞いてごらん」と、なかば突き放すように教えた言葉だった。

創設者アルトゥール・ハゼリウスが「己を知れ」をモットーに1891年に開館したスカンセンでは、歴史的建造物や民具の歴史を生き生きと伝えるため、音声ガイドが普及した現在も伝統衣装を着たスタッフが、昔ながらの生活を実演する。たどたどしい英語で話しかけられた金髪の若い女性は、長いスカートをはいた腰をかがめて「YES!」と、うなずいてくれた。
見知らぬ土地で、自分が知っているものを見つけたこと。異言語を話す人と「ベビーチェア」を介して心が通じ合えたことに、幼い娘はどれほど背中を押されたことだろう。
にわかに調子づき、今度はマナーハウス(荘園領主の邸宅)のキッチン棟で、テーブルの下に隠れるように収納されるベッドを発見した。100㎝前後の身長だからこそ目についたのだろう。私はテーブル上に用意された1790年頃のごちそうのレプリカと、鍵つきの箱に厳重に保管されている砂糖に目を奪われて、遅れをとった。
一般に北欧の伝統的な木造建築は、炊事から育児、食事、軽作業、接客、就寝までさまざまな機能を一室に集めている。デンマークで訪れた昔ながらの農家でも、炉やストーブのある主屋の壁には布をかぶせたベッドが内蔵されていて、美観と合理性を両立させていた。
においや火災を避けるために母屋から分離されたマナーハウスのキッチン棟で働く使用人は、日中に慌ただしく働いたその場所で、夜にはベッドを引き出し、炉に残った熱を頼りに眠ったにちがいない。そこには、限られた空間と資源を大切に使う日本の「もったいない」精神にも通じる、北欧の人びとの知恵と精神性が凝縮されているように思える。機能的な北欧デザインが日本で愛される理由は、こんなところにもあるのかもしれない。

スカンセンでの娘たちの快進撃。仕上げは農家の庭先で体験した「皿洗い」だった。20世紀初頭の扮装をした女性スタッフに2個のタライと1個のタワシをあてがわれた姉妹は二手に分かれ、少量の石鹸を入れた片方で皿を洗い、もう片方ですすぎをする。
姉妹にとって皿洗いの共同作業は純粋に楽しく、新鮮だったろう。ただそれ以上に、ひそかに衝撃を受けていたのが私だ。「せまくて使いにくい」とばかり思っていたヨーロッパ式キッチンの「ダブルシンク」の理由が、ようやくわかったからだ。
ヨーロッパ、特に英語圏や北欧では、シャワーや流しの水量が日本に比べて明らかに少ないのは、民泊サービスを利用するなかで日々、実感されていた。近年はたびたび干ばつに見舞われ、イギリスなどで放水規制がされていることも報じられている。けれど、節水意識自体は、異常気象が顕在化した今に始まったことではないのだ。ダブルシンクと2つのタライには、そのルーツを見る気がする。
同時に、しゃがみこんで一心に皿を洗う娘たちの様子は、かつて洗濯もタライでしていた日本の祖母の姿に重なった。私が子どもの頃にはさすがに洗濯機を使っていたけれど、皿洗いではやはり、桶にためた水を使う人だった。そのやり方を私は教わったはずなのに、今の今まで忘れていたとは。

プロフィール

大手報道機関での事件記者を経て文化遺産に傾倒し、学芸員資格を取って文化部記者に。ビジネス系ウェブメディアで働きながらアートメディアや要約サービスに寄稿。2025年に研究者の夫に同行し、幼い娘2人を連れてヨーロッパ11カ国、350件以上の文化遺産を鑑賞する旅に出た。
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