トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。
北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。
山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。
20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。

活性化するトレイルづくり
山形にトレイルをつくる活動を始めて4年後の2016年。山形ロングトレイルの活動が本格化すればするほど、僕の収益を生まない仕事はどんどん増えていった。もちろん、収益のない団体なので、人を雇うこともできず会計なども僕がすることになり、さらに負担は増していくのだった。トレイルを歩くだけでは収入がなく、原稿を書く仕事や、忙しい時に友人の会社を手伝わせてもらったり、個人の資金繰りはとても大変だった。設立当初、何年か後には収益を生み、僕の活動資金の助けになるだろうと法人設立に至ったのだが、それが徐々に僕を締め付けることになるとは、設立当初、誰もきっと思っていなかった。いろいろな意味で、2016年は変革期でもあり、僕自身も変わらなくてはならない時期だったと思う。
この頃、設立メンバーと新規会員の間の溝が大きくなり始めていた。打ち合わせでも、積極的に意見が出る新規メンバーと、普段の活動に参加していないので意見が言えない設立メンバー。そして僕はその間に挟まれていた。しかし、そんな状況とは裏腹に、トレイルのルート選定の作業はどんどん進んでいくのだった。
当時、宮城と山形を結ぶ縦走路以外の登山道は実質使用できない状態にあったのだったが、長年の交渉や周辺環境の調査などを行い、再び使用することができるようになったことが一番大きかった。これは大きな転換だった。それにより事実上計画通り、宮城県七ヶ宿町から面白山高原までトレイルが繋がる事が確定した。このことは大いに山形ロングトレイルの士気を上げた。僕たちは、トレイルの調査を中心に活動していたが、時折、初心者や女性むけのイベントなども開催するようになり、そうすると徐々に参加者が増えていきどんどん活気が生まれていった。
ある自治体からの連絡
すると、ある自治体から声をかけてもらうことになる。補助金を活用して、その自治体のエリアにトレイルをつくる話だった。もちろん、補助金が実際に出るかどうかは決定していないという。僕は担当者の方と何度か話し、実施のプランや費用感などアドバイスをさせて頂いた。しばらくして補助金が決定したとの連絡があった。にわかには信じられなかったが、トレイルをつくる活動を民間が行い、行政の支援を貰もらいつつ整備するという、一番理想的な方法を実現する可能性が生まれた瞬間だった。僕は、その知らせを会員の集まりで披露した。中には、会員全員が仕事を抱えながらなので作業は難しいのではないかとの意見も出た。一方でこれまでやってきた活動が現実に動き始めることに、旧メンバーも新規メンバーも嬉しくない訳が無かった。歪んだ枠が元の正常な形に戻り、山形ロングトレイルの新たな未来が始まる。参加していた全員がそう思っていたに違いない。
しかし、年度が明け、自治体との打ち合わせに行くと、なぜか担当者が変わっていたのだった。人事異動とのことだった。それまでに会ったことのない担当者2名と、某メーカーと昵懇
だという役職者が現れた。一通りその話を聞いたのだったが、以前に担当者と打ち合わせていたトレイルづくりの進め方と違っていた。しかも、役職者の口から某メーカーについての話を聞いていると妙な違和感があった。当時別の自治体に勤務していた後輩から情報が入ったのだが、その役職者は違う自治体にも某メーカーを使ってくれと触れ回っているようだった。この時感じた違和感は、現実なものになっていく。そんなこととは夢にも思わず、山形ロングトレイルの面々は、どんどんトレイル作りの準備を進めていった。
打ち合わせのため、再びその自治体を訪れた時のことだ。「斉藤さん、入札でなく仕様書を作るのに協力してくれませんか。斉藤さんの想いを実現させましょう」そんな話になった。今回のトレイル事業がプロポーザル方式で行なわれるため、仕様書が必要なのだという。一般競争入札だと、多くの企業が概ね値段ありきで落札してしまうケースがあるので、特殊な事業を行う場合には、広く一般に募集するのではなく、専門的な仕様書を元に、金額を基準にせず一番優れた提案を採用するプロポーザル方式をとることがある。今回のトレイルの事業も、非常に専門性が高く、どの企業でも実施できる案件ではなかった。
実は、この話の前に担当者から「きっと斉藤さんのところ(山形ロングトレイル)では落札は難しいと思うので」という言葉があった。意味がわからず聞き返したのだが、一切答えてはくれなかった。どうせ落札できないなら、仕様書作りに協力してくれという意味だと僕は受け取った。仕様書を僕が作る。自治体が落札させたい先に落札させる。つまり、僕のアイディアを利用したいと言っているように聞こえたのだ。仕様書作成について謝礼はお支払いします、という言葉を聞いて僕はハッとして断った。今までの事を考えると、証拠の残るメールのやり取りは、打ち合わせの日程調整などにとどまり、肝心なことは対面か電話で話すだけだった。もしかしたら証拠が残らないようによく考えて対応されているのではないかと思った。
僕は、メンバーに事情を説明したが、みな日本で唯一のプロハイカーが提案する案がよもや落選するはずがないだろうと思っていたようだった。ともかく、プロポーザルへ応募することは決定をした。プロポーザルの評価には外部有識者が来る。トレイルを評価できる有識者なら、地元で活動する僕らの案は理解され、採用されるだろうと思った。そうならなければおかしいはずだった。
プロポーザルの募集は自治体のホームページで1週間ほど告知されただけで、直ぐに消された。僕らは万全の準備をし、プロポーザル当日に挑んだ。
不可解な決定
今回のトレイル事業で、応募する団体はないだろうと思っていた。そもそも山形ロングトレイル以外で、山形でトレイルをつくる団体などなかったからだ。当日、僕らとは別に1社あることが知らされた。会場に行くと自治体の幹部職員が数名、有識者として某観光協会の会長と山のガイドがいた。なぜ彼らがトレイルの有識者なのだろうと疑問が湧いた。トレイルの事業を決定する場なのに、彼らはトレイルを知っているのだろうか。公平に判断するのだろうか。僕は、プロポーザルのプレゼンテーションをする前に「この中でトレイルを説明できる方はいますか?」と聞いた。誰も反応はせず無表情だった。一通り提案を終え、質問を受け、プロポーザルは終了した。
正直、通ると思った。提案内容は間違いないし、日本でもトップのトレイルの専門家であり、本来は評価すべき立場にいるはずの有識者の僕がプロポーザルの提案を行っているのだから。
しかし、結果的に僕らの提案は採用されることは無かった。落札したのは、役職者と昵懇の某メーカーの子会社だったことを知った。しかも地元山形の会社でもなかった。山形ロングトレイルの面々は落胆した。設立メンバーと新規会員が一丸になれたのは、眼の前にあったトレイル事業を落札し、山形にトレイルをつくるという共通の目標だけだった。この一件から、設立メンバーも新規会員も少しづつ離れていった。設立からバックアップしてくれていたI君も自分の会社の新規事業が進み、法人から離れる事になった。
僕はNPO法人「山形ロングトレイル」を解散する事にした。自治体の前担当者であるK氏は、部署の異動に伴い個人として山形ロングトレイルの活動を手伝ってくれていた。彼は、このまま法人を廃止して、活動を終了するにはあまりにも惜しいと言ってくれた。一旦、NPO法人は廃止し、任意団体として活動を続ける事にした。当時の僕は、設立当初から関わっていた、みちのくトレイルクラブの創立会員でもあったのだが、両立することは難しくみちのくトレイルクラブからは離れさせて頂いた。そして僕とK氏との二人三脚の活動が始まったのだった。
こうした僕らの新たな活動とは別に、某自治体のトレイルづくりは知らないところで始まり、知らないところで終わっていた。どうやら登山道にいくつか看板を立てて、地図を作ったところで終わり、ルートは自治体が管理している登山道を選んだようだった。これならトレイルを整備する必要すらない。僕たちがあれほど身を削ってやってきたことが、こんな結果になるのかと思うとなんだかアホらしくなっていた。しばらくして、彼らが立てた看板の一つは倒れ、神社の基礎の下に捨てられた。おそらく誰もそのルートを歩いていないだろうし、もはやそこに自治体の事業でできたトレイルがある事を知る人はほとんどいないだろうと思う。あれだけの金額の事業が、こんな形で風化されていいのだろうかと強く疑問に思う。
プロポーザル終了後、僕は複数のメディアにこの話を伝え相談した。どこかの媒体で、この不可解な出来事に対して、真相を究明できないまでも、プロポーザル方式の正当性について一石を投じるような報道をしてくれるのではないかと期待した。しかし、どこのメディアからも返事が来ることは無かった。考えてみれば、どこの自治体にも記者クラブがある。こんな情報を取り扱ったら自治体から出禁になるかもしれない。そんな忖度があったのではないかと直ぐに想像した。特にトレイル事業を大々的に記事にした、割と中立的なメディアから全く反応すら無かったのにはがっかりした。

トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。 北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。 山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。 20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。
プロフィール

(さいとう まさふみ)
プロハイカー
1973生まれ。山形県新庄市出身。アパレルブランドやディベロッパー企業などに勤務後、
2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿、講演やイベントを行う傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「YLTクラブ(山形ロングトレイル)」に携わる。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、踏破した国内外のトレイルだけで25,000km(地球半周以上)を超える。
公式HP https://hikermasa.wixsite.com/
Instagram @hikermasa
Facebook https://www.facebook.com/saito.masafumi.3
斉藤正史




成田龍一×長瀬海
小山美砂×小山田浩子
櫻井芙紗子×田中優子
小山美砂×永井玲衣
服部孝洋×橘玲
アレックス・カー