タチアナ・タラソワは、日本で出版されたムックを見ている。私が持参したもので、「羽生結弦」がたくさん掲載されている。
「きれいな雑誌。日本の女の子たちもいますね。この知子(宮原)の写真、かわいい。彼女はとてもいい子です。
ところで、羽生は昨日、スケーティングをしたそうですね」
「はい、四回転トゥループをきれいに決めました。ルッツは……」
それ以上、話す必要はなかった。タラソワは軽く頷いた。
「全部、知っています」
ムックのページをゆっくりめくりながら、
「私、こういう本、大好き」
と彼女は続けた。
「初めて見たとき、羽生はまだ小さかったけれど、偉大なチャンピオンになるとわかりました。すぐにです。
彼は素晴らしい才能を持っていました。才能と努力を融合させてオリンピックを二度勝ちました。
さて、三度目はどうでしょう。ロシア語のことわざで『神は三という数字を好む』(「二度あることは三度ある」という意味。また、その逆に『三度目の正直』という使い方をする場合もある)というのがあります。神が三を好むのなら、怪我さえなければ……。
オリンピックは、ほんとうにハイクラスな戦いです。その戦いに勝つためには、自分の持てるすべての力、ありとあらゆる力を出し切らないといけません。
単にたくさんトレーニングをするだけでは、オリンピックには不十分です。計算をし尽くして、なおかつ『もしかしたら』という次元の戦いなのですから。
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プロフィール
宇都宮直子
ノンフィクション作家、エッセイスト。医療、人物、教育、スポーツ、ペットと人間の関わりなど、幅広いジャンルで活動。フィギュアスケートの取材・執筆は20年以上におよび、スポーツ誌、文芸誌などでルポルタージュ、エッセイを発表している。著書に『人間らしい死を迎えるために』『ペットと日本人』『別れの何が悲しいのですかと、三國連太郎は言った』『羽生結弦が生まれるまで 日本男子フィギュアスケート挑戦の歴史』『スケートは人生だ!』『三國連太郎、彷徨う魂へ』ほか多数。2020年1月に『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』を、また2022年12月には『アイスダンスを踊る』(ともに集英社新書)を刊行。