徳光和夫の昭和プロレス夜話 第7夜

デストロイヤー、ブロディ…忘れじの外国人レスラー

徳光和夫
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 最後に会ったのが。

「馬場さんの没後20周年記念大会でした。その大会でブッチャーも引退セレモニーを行なったわけですけども、最後に握手をしたときに、彼は車椅子に座ったままでしたが、ガシッと抱き着いてきてなかなか離してくれませんでした。そのとき、ブッチャーに対してはギャラアップなどの件も聞いていましたから、あまりいい印象は持っていませんでしたが、何かこう、フッと寂しさを感じましたよね。それに改めて思うと、ブッチャーってプロモーターや同業のレスラーたちには評判がよくなかったようですが、私たちアナウンサーからは、しゃべりがいのあるレスラーだったんです」

 というのは?

「これは後輩の倉持君や松永君、福沢君も言っていたことなんですけど、ブッチャーの試合における間合いというんですかね、ほら、彼はゴングが鳴ってもすぐには対戦相手と組み合わないでしょ。たまに空手の型のポーズを取ったりだとか。その相手と触れる、触れないの寸前の間合いの時間が、私たちアナウンサーの腕の見せ所となり、いろんな情報や比喩や技の表現などを語りたくなっちゃうんですね。

 あのブッチャーのリング上の所作、ちょっとした動き、そこで作られる間合いの時間を埋めるように、私たちはしゃべりまくりました。それはもう実況アナウンサーの醍醐味だったといってもいいでしょう。そういう意味で、ブッチャーはしゃべりがいのあるレスラーのNo.1。しかも、ときたま間合いを無視してゴングが鳴る前から仕掛けることもあったじゃないですか。そういう場合も、ブッチャーの姿を追うだけで気合いの入ったしゃべりができましたものね」

稀代の悪役レスラー、呪術師アブドラ・ザ・ブッチャー。『噂のチャンネル』放送当時、デストおじさんはブッチャーと抗争中で、共演のマギー・ミネンコから “ブッチャーなんて、ぶっちゃえ”とたきつけられていたのが懐かしい。 写真/宮本厚二

 

 ブッチャーは間合いの天才ですね。

「ええ、ええ。その間合いをプロレスとして魅せるほうに転化させていたところが、本当に天才でした。それと、あの血」

 ええ。

「常に流血戦ばかりでしたから、彼の額は爪で掻くだけでも赤い血がしたたり落ちる。その血の赤さをいかにして実況するかも、私たちアナウンサーは燃えちゃう(笑)。まあ、なんにせよ、普段は寝っ転がったままのブッチャーですけど、あの血を見てしまうとね、彼なりに体を張ってリングに上がっていたんだな、と思いますね」

 他に印象に残っている外国人レスラーというと?

「そうだなあ……ああ、いたいた、いました、パンピロ・フィルポ!」

お調子者のパンピロ・フィルポ(左)。右のグレート・アントニオもすっとぼけた大男で、あまりにも調子に乗り過ぎたために控え室でカール・ゴッチとビル・ミラーからボッコボコにされた。 写真/宮本厚二

 

 そりゃまた、マニアック。獣人のイメージで売っていたレスラーですね。

「そのイメージのせいなのか、私に競馬場に連れて行けってせがんできて」

 ええ、ええ。

「俺は馬としゃべれるんだと自慢するんですよ。だから、俺を厩舎に連れていけば、お前に当たり馬券を買わせることができるというんです。まさかな、と思いつつも一緒に競馬場に行ったんですね。だけど、コイツを買えって指差した馬が結局は大外れ。おいおい、話が違うじゃないかと詰め寄ったら、パンピロが、“あの馬、英語がしゃべれなかった”とすっとぼけたことを言い出して」

 ぶははははは。

「ね、笑っちゃうでしょ。いやホント、コントみたいなレスラーで、忘れられないなあ」

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 第6夜

プロフィール

徳光和夫

1941年、東京都生まれ。立教大学卒業後、1963年に日本テレビ入社。熱狂的な長嶋茂雄ファンのためプロ野球中継を希望するも叶わず、プロレス担当に。この時に、当時、日本プロレスのエースだった馬場・猪木と親交を持つ。

 

 
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