遺魂伝 第0回

菅原文太、内田裕也、岩城滉一…の名言を引き出したインタビュー連載「いきもん伝」全回プレイバック

新連載「遺魂伝」プロローグ
佐々木徹

集英社新書プラスの新企画、インタビュー連載「遺魂伝」(取材・文/佐々木徹)が始まる。これがどういうページなのかのご参考までに、その前史にあたる週刊プレイボーイのインタビュー連載「いきもん伝」(2012~2014年)をここに再掲。

ジャイアント馬場から始まり、スティーブン・タイラーで覚醒!

初体験の相手は〝世界の大巨人〟ジャイアント馬場さんだった――。

そう書くと、何やら危ない淫靡な匂いが漂ってくるけれど、なんてことはない、私が80年代中盤頃に、ライターとして初めてインタビュー取材を行った著名人がジャイアント馬場だったということ。

以来、『週刊プレイボーイ』を始めとし、『週刊ポスト』『週刊現代』『アサヒ芸能』『週刊文春』『女性自身』といった週刊誌を主なフィールドにして、インタビューをしてきた著名人はざっと8000人弱くらい。音楽記事の連載や人物紹介の連載を担当していた結果の数字だ。

どのジャンルでもそうだと思うのだが、仕事を始めたばかりの若葉マークの頃というのは、ただひたすらがむしゃら一辺倒。自分のインタビューのスキルが高いのか低いのかもわからず、また気にもせず、必死こいて質問を投げかけ、相手の返答を待つことの繰り返し。

そんな私に分岐点が訪れたのは、1989年にぶちかましたアメリカン・ロックの最高峰、エアロスミスのヴォーカル、スティーブン・タイラーへのインタビューだった。彼は新作アルバム『パンプ』を引っ提げての来日。そう、あの日はよくある有名外国人ミュージシャンのプロモーションの時間帯に『週刊プレイボーイ』が組み込まれていたというわけ。

実のところ、当時の私は『週刊プレイボーイ』で音楽記事の連載を請け負ってはいたけども、それほど音楽に詳しいわけではなかった。専門的な知識もなければ、楽器も弾けず。系統立てて音楽の歴史を語ることもできなかったのだ。結局は毎週、各レコード会社から送られてくる新譜の資料をわかったふうな顔して読み込んでいただけ。

さらにいえば、とくに洋楽には疎かった私なので、スティーブン・タイラーのインタビューが決まったと知らされても、さほど喜びもしなかった。だいたい当時の私のスティーブン・タイラーに関する認識といえば、異様に口のデカい外タレ・ミュージシャンだったのだから、音楽業界そのものに興味がないのにもほどがある。

取材場所は渋谷のインド料理店。その店の奥の個室に、スティーブン・タイラーが穏やかな笑顔を浮かべていた。

とりあえず、通訳のおネエちゃんを通じ、はじめましてのご挨拶。すると、スティーブン・タイラーは、あのでっかい口元をゆったり崩し、いきなりこう言った。

「今日の取材は、キミが最後らしい。やれやれ、なんだか疲れたよ。もうアルバムの話は言い尽くした。しゃべり飽きた。キミが新作の話を知りたいのなら、さっきまで同じ質問ばかりを繰り返していた何人かの音楽ライターから聞き出せばいいさ(笑)。今は音楽じゃなく、何か別の楽しい話をしようじゃないか」

その提案は、こちらからすると、願ったり叶ったり。『週刊プレイボーイ』は音楽誌じゃないし、新作アルバムのココが聴きどころみたいな記事を書いても意味がない(と勝手に思っていた)。それこそ逆に、スティーブン・タイラーからアルバムに関する感想などを求められるほうがよっぽどマズい。音楽素人だということが、すぐにバレてしまう。

それに現在はどうか知らないが、昔の『週刊プレイボーイ』の音楽ページは、サウンドがどうたらこうたらよりも、いかにアーティストから素のバカ話を引き出すかに重きが置かれていたのだ。

「東京の美味しいと評判の〝たい焼き〟店をたくさん知りたい。教えてほしいな」

スティーブン・タイラーは、本当に新作アルバムとは関係のない話を切り出してきた。

「日本に来るのが楽しみなのは、たい焼きが食べられるからなんだ」

今川焼きも美味しいよ。

「なんだ? そのイマガワヤキというのは?」

う~ん、たい焼きの親戚みたいなもん。まあるくて、中にアンコが入ってる。高貴な人しか口にできない(ウソついちゃった!)

「そうか、日本にはまだ、そんな神秘的な食べ物が隠されていたのか」

大好きなんだね、たい焼き。

「昔さ、メンバーが勝手に俺のたい焼きを食べちゃったことがあって。あんときゃブチ切れた。ヘドが出るくらい怒ったね。真面目な話、解散まで意識しちゃったよ(笑)」

そんなどうでもいい話やダイエットに関する話を延々とした後、ふと私の頭にある事柄がよぎった。

それは「ドラッグ」について。

あの頃、海外からのトピックスでちょくちょく流れてきたのは、スティーブン・タイラーのドラッグ関するトラブル。

ともあれ、せっかくだからと勝手に理由付けし、とにかく本人に確かめてみたいとの欲求を抑えられなくなっていた。そして、ついに我慢できなくなり、本人に問うてみた。

あなたのドラッグに関する、あんなそんなの噂話は本当なのか――。

通訳のおネエちゃんが嫌そうな顔をし、「マジに訳すの? あんた、バカじゃない?」と耳元で私を罵倒したが、それを右から左に受け流し、目で頼む、聞いてと合図を送り、スティーブン・タイラーの返答を待った。

「まあ、ドラッグをやっていたのは確かだ。そのせいで、ヤバいこともやらかした。でも、すべて過去のことだね。今は一切、手を出していない。ウソじゃないよ、信じてほしい。

……うん……去年の春の話になるけど、娘(リヴ・タイラー)が友達の誕生日パーティにお呼ばれしたんだ。そのとき、彼女はみんなの前で他愛のないイタズラをしちゃったみたい。そうしたら、友達たちが口を揃えて〝あなたのパパがドラッグばっかりやっているから、あなたもヘンなことをする〟と言ったそうだよ。その夜、俺が家に帰ると、娘は泣きながらパーティでの出来事を報告してくれてね。俺は優しく彼女を抱きしめながら、もう二度とドラッグはやらないと誓った。それまでの人生の中で、一番涙を流した夜だった」

通訳のおネエちゃんも、涙声でそう訳してくれていた。

「娘のパーティでの話を他人するのは初めてだよ。メンバーも、この事実を知らない。だけど、不思議だね。初めて会ったキミにしゃべったら、心がスッキリした。ありがとう、今日はいい夜だ。それにキミとのインタビューは、ジャズみたいに楽しいものだったよ。キミの問いかけのフリで、俺の言葉は気分よく踊れた。あれだな、うん、俺とユカリ(通訳のおネエちゃん)とキミとでジャズのセッションをしているようだった」

そのインタビューから、確実に私の話を聞き出すスタイルは変わったと思う。

それからは、いかにしてインタビューする相手の言葉を踊らすかに苦心するようになった。もちろん、下準備、いわゆる相手がどのような経歴を持ち、今回は何のために取材を受けるのかといった初歩的なことは念入りに勉強する。そんなもんは取材する者として当たり前。大事なのは、そういった下準備を踏まえた上で、実際にインタビューがスタートしたら、その場で相手が口にした言葉をとっつかまえ、気分よく踊らせることだとわかってきたのだ。

つまり、ジャズのセッションのように、お互いの言葉を基本的な譜割に乗せつつ、あとは自由に弾け飛ばす。そこから、インタビュー相手のしゃべるつもりがなかった想定外の本音を引きずり出せるかどうかが勝負どころだと定めたのである。

さらにいうと、スティーブン・タイラーのインタビューで、さりげなく彼が私に教えてくれたのは、きっとコレだったのではないか。

言葉が踊れば、心も躍る。

心が踊れば、その振動で魂の破片みたいなものがパラパラと剥がれ落ちる。私はその破片を拾い集め、記事にする――。

あのスティーブン・タイラーのインタビューから30年近く経つが、私はそのスタイルを追求し続けている。

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第1回 石坂浩二  

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プロフィール

佐々木徹

佐々木徹(ささき・とおる)

ライター。週刊誌等でプロレス、音楽の記事を主に執筆。特撮ヒーローもの、格闘技などに詳しい。著書に『週刊プレイボーイのプロレス』(辰巳出版)、『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(古谷敏・やくみつる両氏との共著、集英社新書)などがある。

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