ガザの声を聴け! 第26回

釜石へ

清田明宏
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 ガザの3人の子ども達は、学校訪問の翌日、11月3日に岩手県の釜石市を訪問した。釜石市とガザは日本のNGOを通して交流があり、2015年の凧揚げの際は釜石と合同の凧揚げがあった。その縁での訪問だ。ちょうどUNRWA「ウンルワ」の事務局長も来日しており、彼と共に私も同行した。秋晴れのとても良い天気の日であった。

 最初に釜石市長を表敬訪問した。市長さんは、市庁舎の前まで迎えにきてくださった。周りの建物の壁を指しながら、この高さまで津波が来たんだよ、と子ども達に話してくださった。津波の高さに彼らは全員言葉を失っていた。

 子ども達は釜石訪問に感謝の言葉を述べ、その後ガザのことを紹介した。厳しい生活のこと、過去3回あった大きな戦争のこと。そしてこう言った。

「私達は日本の津波を見て本当に心が痛みました。釜石は天災で大変ですが、私達ガザも人災(戦禍)で大変です。私達も頑張ります。お互い頑張りましょう」

 力強い言葉だった。

 そして訪問の最後、釜石の子ども達と一緒に3人は凧揚げをした。その日釜石では、少年野球の大会があり、それに参加した子ども達も凧揚げに参加してくれた。自分達で思い思いの絵を凧に描き、野球場のグランドでみんな勢いよく走り回りながら、凧を揚げた。

 グランドの1カ所に集まり、釜石の子ども達と即席の交流会も行った。「ガザはどういうところなの?」と聞かれ、ラワンさんが「海が綺麗で、空も綺麗、とてもいいところ」と得意げに話す。食べ物も美味しいと笑いながら話していた。釜石の子ども達も地震の時のことを話してくれた。通訳を介しての話だが、お互いに興味津々だった。

 すべての日程が終わり、ガイダさんはこう感想を述べた。

「私は今日、生まれて初めて、何の恐怖もなく、自由に走り回りながら遊べました。日本の子ども達は、鳥のようにあっちこっちを飛び回りながら遊んでいる。私も今日は日本の子ども達のように、あっちこっちを飛び回りながら遊べた」

 13歳の子どもにこんなことを言わせてしまう。これがガザの現実なのだ。

 

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ガザの声を聴け!

1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。

プロフィール

清田明宏
1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。
 
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