現代魔女 第11回

魔女の幻視と妖精たち

円香

妖精の裁判記録

魔女狩りで裁判にかけられた人々の多くは、魔術的な実践を行ってはいなかった。産婆が告発されたケースは医療ミスを起こした場合であり、民間の治療に関わっていた人々は魔女裁判にかけられた全体の中では5%以下とかなり少数派であった。これは前の章で見てきた通りだ。

しかし、魔女裁判の記録には、拷問による虚偽の自白という枠組みでは説明しきれない証言が存在する。それは人々が自発的に語った「妖精との接触」に関連する体験談である。

16世紀のシチリア島でも妖精的存在が確認されている。当時、「外界からの貴婦人たち(ドナス・デ・フエラ)」と呼ばれる妖精的存在と睡眠中の夢の世界において交流を持つ実践者たちが存在していた。「ドナス・デ・フエラ」は妖精の名称であると同時に、妖精たちと定期的に会っていた人間たち(主に女性)を指す名称でもあり、妖精と人間との間で組織された共同体を意味している。彼女たちは、夢の中で美しい女性の姿をした妖精たちと交わり、その知識を用いて地域社会で治療者として活動していたとも言われている。

グスタフ・ヘニングセンの研究によれば、16世紀から17世紀にかけてシチリアで記録された異端審問の裁判456件のうち、約14%にあたる65件が「ドナス・デ・フエラ」に関わるものであった。妖精たちは白または黒の衣をまとった美しい女性であり、豚の尻尾や猫の足といった動物的な特徴を持つと言われていた。集会は夜、夢の中で行われ、翌朝にはベッドで目覚める。参加する女性は一団の女性たちと共に雄山羊に乗って空を飛び、ナポリ王国のベネヴェントまで飛んでいくのだという。そこで彼女たちは女王とその傍らにいる王に謁見する。さらにこの世のものとは思えないような宴が開かれ、豪華な食事の飲み食いとダンスと性交に耽った後、帰り際に病気の治療法を授かったのだという。

ヘニングセンが調査したパレルモの異端審問記録には、ある漁師の妻の証言が詳細に残されている。彼女は夢の中で「ドナス・デ・フエラ」に導かれ、雄山羊に乗って空を飛び、集会へ参加したと証言している。集会が行われるのは教皇の領地であり、ナポリ王国に属するベネヴェントである。そこには広場があり、中央には二つの椅子が置かれた台があった。そこには赤い服をきた十代の少年である王と美しい女王が座っていた。漁師の妻は8歳のときに初めてこの集会に連れて行かれ、王と女王への崇拝と引き換えに富や性愛、病気の治療法を授かったという。この集会への訪問を、彼女は当初は罪だとは思っていなかった。告解師からサタンの仕業だと教えられた後も、異端審問の二か月前まで訪問を続けていたという。そして夢から帰ってきたときには必ず悦びに満たされていたと語っている。

この証言は、典型的な悪魔崇拝の告白とは明らかに異なるものである。そこに現れるのは、妖精にまつわる伝承、民間信仰に根ざした世界観であった。スペイン異端審問所はこれらを慎重に対応し、全面的な悪魔崇拝ではなく「民衆の迷信」として処理した。1547年から1701年の間にシチリアで魔女として処刑された者は一人もおらず、多くの被告は数年間の追放や投獄といった比較的軽い処分を受けるにとどまった。また、この夢を見る集会への参加は妖精から病人の治療法を授かるだけでなく、過酷な現実を生き抜く手段でもあった。この妖精の夢を見る集会に参加していたのはほとんどが女性であり、彼女たちは貧困にあえぐ人々だった。彼女たちは夢や幻視の中で豪華な食事、素晴らしい衣服、音楽、そして性愛といった「現実では拒絶されているすべての輝き」を体験する。それは当時の女性たちが置かれていた過酷な現実から逃避し、日常とは違う世界へ旅をする手段でもあったのである。ヘニングセンはこれを「白昼夢の宗教」と呼んでいる。

「アラディア」は誰なのか?

ベネヴェント──この地名を聞いて、チャールズ・G・リーランドの著書『アラディア、あるいは魔女たちの福音書』(1899年)(以下『アラディア』)を思い浮かべる現代魔女の読者もいるかもしれない。ベネヴェントは、ナポリ王国(現在のイタリア南部)の都市で、中世から近世にかけて魔女のサバトの行われる場所として広く知られていた。

『アラディア』では、ディアナとルシファーの娘アラディアが、地上の貧しき者たちに支配者へ反抗するための魔術を教えるという物語が語られている。ルシファーは一般的には悪魔のように考えられることもあるが、現代魔女文化の中では「光をもたらす者」を意味し、魔女に伝えられた秘められた技術や知識に関連している。この書物は所謂「偽書」であり、リーランドは情報提供者マッダレーナを通じてイタリアのトスカーナ地方の民間伝承の断片にアクセスし、それを自身のロマン主義的なフィルターと文学的才能を通して、一つの「福音書」として編纂したと考えられている。しかし、偽書であるからといって、かの有名なヘルメス文書がそうであるように、そこに書かれている内容に価値がないわけでは決してない。

一般に偽書は「仮託書」とも呼ばれる。その意味で『アラディア』は、著者のリーランドがイタリアの魔女の古い伝承を引き継いだとされるマッダレーナ、そして彼女が引き継いできた伝統に仮託しているとも言える。民俗学者サビーナ・マリオッコの研究は、『アラディア』に含まれる呪文や神話の断片は、それが仮託書であるにも関わらず、19世紀のトスカーナ地方で実際に収集された他の民俗伝承と一致することを示している。

『アラディア』に綴られていたディアナを魔女や妖精の女王と見なす信仰、ヘロディアスが魔女の集会を率いるという伝説、特定の植物の呪術的利用——これらはリーランド以外の民俗学者の記録にも見られる。マリオッコの分析によれば、古代ローマの月の女神ディアナは、小アジア起源の女神セレネ、そして死者の霊の女王ヘカテと習合していた。この三女神は月と魔術の力を共有していた。さらに、新約聖書ではヘロディアスといえばサロメの母である。娘サロメがヘロデ王の前で踊り、褒美に洗礼者ヨハネの首を要求する。初期キリスト教の伝説では、サロメは後悔して泣き叫び、聖人の口から吹いた恐ろしい風によって空中に吹き飛ばされ、永遠にさまよう運命を背負ったと伝えられている。しかし、ローマの慣習で娘が母の名で呼ばれたため、サロメは母親のヘロディアスと混同されるようになった。こうして中世の民間伝承では、ヘロディアスが永遠に空中をさまよう踊り子として語られるようになったというわけである。このへロディアスの名前は、やがて中世イタリアにおいて「エロディアード」として一体化していく。このエロディアードは、言語的にアラディアとわずかな違いしかない。こうして、キリスト教以前の異教の女神たちと聖書の悪女が融合し、夜の騎行、妖精の集会、民間治療を司る複雑な伝説体系が形成された。これが19世紀まで口承で伝えられ、リーランドの『アラディア』の核となったとマリオッコは分析している。マリオッコによれば、リーランドがマッダレーナから受け取ったのは、組織的な宗教の聖典ではなく、当時その地域に実在した呪術師たちの伝統の断片だったのだ。

『アラディア』は、完全な創作でもなければ、そのまま純粋に古代から伝わる秘教が伝承されてきた古文書でもない。むしろ、民俗学的な素材と、編纂者の文学的才能が交差して生まれる、複雑なテクストである。偽作、偽書、偽史を一緒くたにせず、その内に含まれる当時の風俗や民間信仰の痕跡を丁寧に読み解くこと——それが『アラディア』のような偽書と向き合う上で、最も重要な姿勢なのではないか。

『アラディア』が現代魔女文化に与えた影響は、計り知れない。すでに紹介したウイッカの典礼『女神のチャージ』にその要素が取り込まれ、ウイッカの世界観を形成しただけでなく、「魔術を使って反抗する」という現代の魔女のイメージそのものを創り出したと言っても過言ではないだろう。

貧しき者、虐げられた者が、集会を開き、魔術によって支配者に立ち向かう。このような物語は、20世紀のフェミニズム運動、エコロジー運動、そしてカウンターカルチャー全般において、「魔女」が政治的な抵抗の象徴として採用される際の雛型となった。その影響力はウイッカという宗教運動の枠を遥かに超えており、ウイッカ以外の伝統派の魔女やポップカルチャーへも影響がある。

カウンターカルチャーにおけるロマンティックな「反抗的な魔女」のイメージ、家父長制に抗うフェミニスト魔女たち、政治的なアクションとして魔術を行う魔女たち、自らを「魔女」と名乗ることで緩やかに小さなグループで連帯する人々の存在、そしてよりノーシス的、つまりトランスを意図的に誘発し、その状態を通じて、概念/言語的理解を超えた体験的認識によって知に到達しようとする実践、精霊と直接触れるような恍惚的な実践を行う魔女たち。これらすべての反抗的な魔女像が、直接的あるいは間接的に『アラディア』の影響下にあるか、近い世界観を持っている。故に筆者は、この魅惑的な書物を今日の現代魔女文化に最も影響を与えたテクストの一つであると考えている。

『アラディア、あるいは魔女たちの福音書』の中で最もよく知られ、最も引用される箇所は、アラディアが弟子たちに告げる以下の言葉である。

私がこの世界から旅立つとき

必要な時はいつでも

月に一度、月が満つるとき

あなたがたは秘密の場所に集うでしょう

それか森にみんなで集まって女王のスピリットをあがめるでしょう

私の母、偉大なグレート ダイアナまだ知らぬ、すべての呪術を学ぶであろう

それは深遠なる秘密

私の母は教えるだろういまだ知られざる

すべてのことを

あなたがたは隷属から自由になる

あなたがたは全てから解放されるあなたがたは真に自由である証として

男も女も裸になってこれは抑圧する者たちが死ぬまで続くだろう

さてベネヴェントのゲームがはじまります

その光が消えたあとでこうやって

みんなで宴を囲いましょう

『アラディア、あるいは魔女たちの福音書』

そして、魔女たちが集会に向かうために必要なのが飛行技術である。

この魔女の飛行という現象を理解する上で避けて通れないのが「飛行軟膏」の存在である。この謎めいた調合物は、魔女裁判記録に頻繁に登場した。

20世紀のウイッカでは、箒は男根の象徴として解釈され、豊穣儀礼のイメージと結びつけられてきた。箒を使って性器に幻覚作用のある軟膏を塗布するイメージは広く流布され、この欲望を持つ自由奔放な魔女のイメージは新しい時代の女性像として多くの人々を魅了した。この説は文化人類学者のマイケル・ハーナーが1970年代にネオシャーマニズムの文脈で広めたものだった。これはおそらく歴史的事実ではなかったにせよ、20世紀の対抗文化や大衆文化の文脈では、箒にまたがる魔女の性的に解放され、恍惚とした表情を浮かべて飛行するイメージは、実践者やフェミニスト魔女からでさえ好まれてきた。幻惑的でセックスポジティブな魔女のイメージは男性にも女性にもクィアの人々にも愛されてきたのだ。セクシャリティを問わず、一神教世界で抑圧されてきた性を神聖なものとして扱うことや快楽を肯定することは、現代魔女文化に広く共有される世界観である。『イルミナティ』三部作の著者として知られるロバート・アントン・ウィルソンは、こうした幻覚性植物を使用した飛行の実践を指して魔女を「ナス科のカルト」と呼んでいる。

「ドナス・デ・フエラ」にまつわる民間伝承が幻覚性植物を使用していた証拠はない。しかし、彼らは動物に跨って空を飛び、変性意識状態に入ることによって夢の中で集会に参加し、貧しい彼らが現世では得ることのできない夢を共有していた一種のドリーム・カルトではあっただろう。

飛行する軟膏のほかに、妖精を見ることができる軟膏も裁判記録には登場する。魔女裁判記録の中では、被告たちは妖精から治癒の技術を学んだと証言している。いくつかの事例では、妖精を「見る」ことのできる軟膏を妖精に教えてもらったという話が登場するのだ。

妖精と魔女という言葉を聞くとあたかも話がファンタジーの世界に向かっていくように思う人もいるかもしれない。しかし、実際に妖精に会ったと主張する人々が魔女裁判にかけられていることは事実であり、その証言を読むことで、どのように魔女のサバトのイメージが形成されてきたかを私たちは知ることができる。

そして何より、これらの証言は、当時の人々が生きていた世界観――日常と非日常の境界が今よりもはるかに曖昧だった世界を垣間見せてくれるのである。これらの証言や民間信仰は現代魔女文化の重要な想像力の源泉になっている。

妖精

「妖精」と聞いて、あなたは何を思い浮かべているだろうか。蝶のような羽を持った、小さな人型の存在だろうか。現代魔女たちの世界で妖精の話が出てくるとき、彼らはそのような見た目をしていない。そのような小さくて可憐な妖精のイメージは、ヴィクトリア朝時代に芸術家達によって生み出された実は比較的新しいものである。小型化され、ディズニー映画にも登場する愛らしく様式化された妖精像は、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』以降、17世紀の科学革命と共に徐々に形成されてきたイメージだ。啓蒙主義の進展とともに、かつて恐るべき力を持っていた妖精は、次第に「小型化」そして「無害化」されていった。18、19世紀のヴィクトリア朝では、芸術家や作家たちによって妖精は子どもの読み物や絵画の題材として愛らしく描かれ、現在よく知られるあの羽の生えた小人のような姿へと定着していった。現在でも絵本の中にそのような可愛らしい妖精が登場するのはこの時期に形成された妖精のイメージである。しかし、それ以前のヨーロッパ、とりわけアイルランドやスコットランド、イングランド、ドイツをはじめとする地域において語られている妖精とは、ドワーフ、ノーム、ゴブリン、バンジーなどの名においても知られる決して愛らしいだけの存在ではなかった。当時、妖精は人間に富をもたらしたり、助力を与えてくれることもあれば、時には恐ろしい存在として代償を払わなければならなかったり、作物を枯らしたり、人を欺いたり、誘拐をする、より曖昧な存在として認識されていた。

13世紀から15世紀にかけて、騎士道ロマンス文学や民間伝承を通じて、優雅な宮廷生活を営み、人間との交流を持つ「妖精」の存在が形作られた。また、14世紀末までに『カンタベリー物語』で知られるイングランドの詩人ジェフリー・チョーサーは教会の権威や社会の変化によって姿を消してしまった存在として妖精をノスタルジックに描いた。

しかし、近代化の進展、人間の自然に対する支配力が増大するにつれて、妖精たちは次第に「小さな存在」となっていく。17世紀、ロバート・フックによる顕微鏡の発明(1665年)も人々の世界の見え方に大きな影響を与え、目に見えない小さな世界に対する人々の想像力を刺激し、妖精の世界を小さくしたことに関与していると考えられている。このように、もともと妖精は人間と同じような大きさを持つ異界の存在であったが、時代と共に小型化していった。私はスターホークが妖精について語るとき、 fae(妖精/精霊的存在)という 言葉をあえて使用しており、それは小さなティンカーベルのような存在ではないと説明していたのが印象に残っている。妖精とは、自然界と深く結びついた霊的存在を指す言葉として用いられることが多い。しかし、彼らは必ずしも一様な姿を持つ存在ではなく、ジェンダーがそもそもあるのかも曖昧で、文化や語りの文脈によって多様に描かれてきた。日本では、西洋の妖精の概念が受容される過程(註1)で、山や大地に関わる精霊的存在――たとえばダイダラボッチのような伝承上の存在、あるいは妖怪と連想的に結びつけて語られることもあった。また、木や森に宿る霊的存在である「木霊」は、自然界に宿る霊という点で妖精と比較されてきた存在である。

また、アイヌ民族の口承に登場するコロポックル――「蕗の葉の下にいる人々」と語られる小人的存在――を、近代以降の日本語文脈において妖精の一種として理解しようとする人々もいた。ただしこれは、異なる文化圏の伝説的存在を西洋由来の「妖精」の概念で読み替える試みでしかない。妖精という存在を論じる際、最も重要な前提の一つは、「妖精」という言葉が、特定の霊的な存在を指す言葉ではなく、異なる地域の曖昧な存在群を便宜的にまとめ上げた、いわばアンブレラタームにすぎないということである。このことは、ヨーロッパ各地に残る名称の多様性からも明らかである。たとえば、アイルランドやスコットランドのゲール語圏において、現在、いわゆる「妖精」と呼ばれている存在は、一様に fairyとして理解されてきたわけではない。ブリテン諸島には夜中に家事や雑用を手伝ってくれる「ブラウニー」や帽子を血で染める「レッドキャップ」、いたずら好きな「ピクシー」など地域によって様々な性格の妖精がいて、これらは同じ「妖精」という言葉でくくるにはあまりにも多様である。アイルランドでは古墳に住む「シー」や「ディーネワ」と呼ばれる存在がおり、北欧には「エルフ」がいる。

妖精たちの共通点

では、このあまりに多様に散らばった「妖精」たちには、何か共有されている特徴はあるのだろうか。

地域差はあるものの、多くのヨーロッパの伝承に共通するのは、妖精が人間社会にとって恐るべき存在であったという点である。玄関の前にミルクを備え、彼らを「良き隣人」と呼ぶのは人々が彼らを畏れているからに他ならない。たとえば「取り替え子」(チェンジリング)の伝承に見られるように、妖精は人間の子どもをさらう存在として恐れられてきた。この信仰はヨーロッパ各地で広く信じられていたが、イギリスでは15世紀以降に明確な記録が見られるようになった。

妖精の正体についても、単一の理解があったわけではない。アイルランドのある地域では、妖精とは元来天使でありながら天国にも地獄にも属さなかった存在、すなわち地獄に落ちるほど邪悪ではないが、天界から堕天した存在だと考えられていた。また、妖精は古き神々が格下げされたという説もあり、ここに日本民俗学の祖・柳田國男による妖怪の定義——「妖怪とは信仰を失って零落した神々である」——を想起する向きもあるかもしれない。しかし、妖精と妖怪も異なる性格を持つ言葉である点には注意したい。妖怪は人間の生活圏の影の部分に存在しているが、ドナス・デ・フエラたちは人間の世界とは違う外界からやってくると考えられている。これに関しては現代人にとっての宇宙人との遭遇のほうが体験としては近いかもしれない。また、島国に住む日本人にとっての来訪神に近い性格も持っているともいえるだろう。



また妖精とは名前の忘れられた死者の霊、別の理解としては妖精の国が死者の国と同一視される伝統も存在した。アイルランドでは死霊と妖精を分けることは非常に難しいのだという。

日本ではこうした成仏できなかった死霊は仏教の枠組みの中で無縁仏などと呼ばれるが、欧米ではゴーストと呼ばれ、文化的コードが違っても、彷徨う死者の霊は世界中で恐れられている。

14世紀初頭の説教師用マニュアル『徳目訓話集』では、夜に女王や女神(ディアナやへロディアスと同一視される)とともに踊る美しい女性の姿をとった妖精たちへの信仰が記録され、これらの妖精が人間を自分たちの国へ連れ去り、そこには過去の英雄たちが住んでいるという信仰が広まっていたとされる。この妖精の国と死者の国の結びつきは、中世後期のロマンス文学においてさらに明確化された。

妖精は木々や岩、丘、泉といった自然の中に住まう存在としても語られる。しかし、「fairy」は本来は「fay」の領域や土地など「集合的」なものをさしており、本来は霊的な存在単体を指している言葉ではない。fairyの語源である「fai/fay」は古フランス語で、もともとは名詞というより動詞として機能しており「魔法的で奇妙なものを作り出す」という行為を示していたのだという。この言葉は形容詞的にも使われ、「魔法的な状態」や性質を表す言葉としても機能していた。この動詞から派生した「faierie」という言葉も、当初は特定の人格を持った生き物や存在を指すのではなく、不思議な出来事や超常的な現象、そうした出来事に伴う体験そのものを意味していた。初期近代英語の「faerie」も、もともとは「妖精の領域」を意味している。つまり妖精とは、存在であるというよりも、場所や事柄や出来事、それに伴う体験であり、自然霊、死者の霊、堕天使的存在、キリスト教以前の異教の神々、そして不可思議な現象そのものなどが重なり合った、極めて多層的で曖昧な存在だと考えられている。私の出会ってきたフェリ派の現代魔女たちも、霊的存在や神々はしばしば「信仰の対象」というよりも「体験されるもの」として捉えられる。この点において、この妖精の語源が特定の空間、事柄、体験であるという点は非常に腑に落ちる。

「取り替え子」と考えられた子供たちは、しばしば発達に障害がある子供たち、あるいは病弱な子供たちだった。当時の人々には理解できない子供の病気や発達の遅れを説明するために、妖精が健康な人間の赤ん坊を盗み、その代わりに病弱な妖精の子を置いていったのだと考えられたのである。悲劇的なことに、こうした信仰は「取り替え子」とされた子供たちへの虐待を正当化する根拠となった。親たちは、目の前にいるのは自分の本当の子ではなく妖精の子であるという物語を受け入れ、時には暴力的な「治療法」——たとえば火にかざす、殴打する、放置する、捨て去るなど——を試みることもあった。この「取り替え子」伝承は、社会の中の理不尽さを説明するための装置だった。なぜ健康だった子供が突然病気になるのか、なぜある子供は他の子と違う発達をするのか——こうした問いに対する科学的知識がなかった時代、超自然的な説明が求められた。妖精による誘拐と置き換えという物語は、親たちが自分の子供の病気や障害を受け入れる(あるいは拒絶する)ための枠組み、説明を提供したのである。

こうしたヨーロッパ各地に固有の複雑な背景を持つ妖精が、魔女狩りの裁判に登場することとなる。ここでとりわけ注目したいのは、魔女として告発された人々が語った妖精との遭遇体験である。16世紀から17世紀にかけて、スコットランドやシチリアをはじめとする各地で、被告人たちはしばしば「妖精の女王に会った」「異界の存在と交わった」と証言している。先述した「ドナス・デ・フエラ」もその一つだ。

しかし、そこに現れる存在が、近代以降に想像されるような一義的な「妖精」であったとは考えにくい。むしろそれらの証言は、地域的に異なる霊的存在理解や、死者・自然・異界との関係性が、裁判の中で「悪魔」という語に回収されていった過程を示している。スコットランドでは、こうした存在は「シーリー・ワイト」(祝福された者たち)とも呼ばれ、シチリアでは「ドナス・デ・フエラ」という名で語られた。グスタフ・ヘニングセンによれば、彼らは妖精であり、かつ魔女でもあるような存在だが、そのどちらであるかは判別できないという。ここからは、この地域ごとの「妖精」の違いを踏まえつつ、魔女狩り裁判に現れた飛行と幻視の世界について見ていきたいと思う。

魔女の幻視と飛行軟膏

そもそも、ドリーム・カルトの女性たちはどのようにして空を飛び、妖精たちと出会う夢を見ていたのだろうか。

16世紀ナポリの博学者ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタは、著書『自然魔術』において、彼女たちが用いていたとされる軟膏に関する観察記録を残している。デッラ・ポルタと同様の飛行軟膏への言及は、同時代の医師や自然魔術師たちにも見られる。16世紀イタリアの医師・数学者・哲学者・占星術師ジェロラモ・カルダーノも軟膏のレシピを記録し、スペイン人医師アンドレス・ラグーナは1545年、フランスのメスで死刑執行人の妻を被験者とした実験を行い、36時間に及ぶ昏睡と幻覚体験を観察した。この時代の自然魔術師たちは、魔女の飛行を超自然現象ではなく、植物の薬理作用による幻覚として説明しようと試みたのである。

自然魔術師たちが記録したベラドンナ、ヒヨス、マンドラゴラ、トリカブト、チョウセンアサガオ(ダチュラ)といった幻覚性植物を調合したとされる飛行軟膏を体に塗布することで強烈な幻覚体験をもたらすという言説は、現代まで影響力を持ち続けてきたし、実際に再現実験が行われている。有名なものがエリッヒ・ヴィル・ペウケルト博士の再現実験である。ドイツの民俗学者ペウケルト博士は、1568年刊行のデッラ・ポルタ『自然魔術』のレシピに基づき、魔女の飛行軟膏を再現実験した。軟膏にはチョウセンアサガオ、野生パセリ、ヘンルーダ、ベラドンナなどのナス科植物が含まれ、赤子の脂肪の代わりにラードを使用した。博士と友人の弁護士が軟膏を脇の下と額に塗布したところ、両者とも約24時間の深い昏睡状態に陥った。覚醒後、二人は「空中飛行」「山頂での裸の女性たちとの踊り」「角のある人物が主宰する乱交儀式」という、魔女のサバトを彷彿とさせる鮮明な幻覚体験を報告した。ペウケルト博士のこの実験は、魔女裁判で語られた「サバトへの飛行」が、向精神性植物による薬理学的幻覚であった可能性を身をもって実証した重要な事例として知られている。

近年では、歴史家エドワード・ビーヴァーが神経科学的な観点からこの問題に接近し、魔女容疑者の飛行体験が「主観的に実在的」であり、神経学的プロセスの内に物理的次元を持つと主張している。

しかし、これらの記録が実際に魔女として告発された人々の実践を反映しているか実は疑わしい。魔女裁判の記録を見ると、発見された軟膏の多くは基本的に無害な植物から成り、幻覚成分は含まれていた証拠は無かった。

実際、歴史学者マイケル・オッスリングはこれらの主張に対する批判を展開している。オッスリングによれば、軟膏に関する記述の多くはカルダーノからデッラ・ポルタ、ヴァイヤー、スコットを経由した文献の相互参照の産物であり、その最終的な情報源は学者たちの文献にあるという。彼は自然魔術師たちの実験すら、「思考実験」に過ぎないと主張し、実際の使用の証拠に乏しいと指摘している。

確かにチョウセンアサガオなどの向精神性植物を使えば激しい幻覚作用があり得るとしても、実際に魔女として告発された人々がそのような知識を持ち、飛行軟膏を使用していたのかは、結局のところ証明されていない。

しかし、そもそも飛行軟膏の話が興味深いのは、その言説が担ってきた役割の反転にこそある。もともと飛行軟膏の理論は、16世紀の自然魔術師や医師たちが魔女術の存在を否定するために登場させた説明だった。彼らは「魔女は物理的に空を飛んでいるのではなく、軟膏による幻覚を見ているだけだ」と主張することで、ウィッチクラフトを薬理学で否定し、魔女裁判の不合理性を訴えようとした。つまり、「女性たちは薬物による幻影に惑わされている」のであり、飛行軟膏は「魔女など存在しない」ことの証拠として主張されたのである。

ところが現代の研究では、この同じ軟膏の記録が、全く異なる意味を帯びている。歴史家たちは、幻覚性植物を用いた恍惚体験や夢を通じて「夜旅」をする人々が確かに存在したことの証拠として、飛行軟膏の言説に目を向けるようになっているのだ。否定のために作られた証拠が、今度は存在の証拠として読み替えられる。

ドイツ人医師ヨハン・ヴァイヤーもまた、デッラ・ポルタと同様に「魔女の飛行体験」を特定の幻覚植物から作られた「飛行軟膏」による幻覚体験として解釈していた。

ヨハン・ヴァイヤーは後に、イギリスのレジナルド・スコットに影響を与え、スコットの『魔女術の暴露』(1584年)は魔女狩りやウィッチクラフトの存在の非合理性を痛烈に批判する理論を展開する。「魔女の飛行」という現象は、超自然的な魔術や悪魔との契約の証拠ではないとするこれらの理論は、魔女の飛行体験の種明かしであると同時に、魔女狩りへの合理的な、つまり「ウイッチクラフトは存在しない」という批判でもあった。皮肉なことに、ウィッチクラフトを否定しようとした試みは、しばしば意図に反する結果を招いた。16世紀イギリスの懐疑論者レジナルド・スコットは、著書『魔女術の暴露』において魔女術の非合理性を論証しようとしたが、この書には多くの図版や魔術の種明かしが詳細に掲載されていたため、後の時代の民間の魔術師たちがこの本を実践的なソースとして利用するという、著者の意図とは正反対の現象が起きたのである。

同様の逆説は、すでに紹介したモリトールの『魔女と女預言者について』にも見られる。モリトールの著作に挿入された魔女のサバトや悪魔との契約を描いた図像は、本来は魔女術の虚構性を示すためのものだったが、結果的にヴィジュアルの迫力によって、かえって魔女の実在を民衆の想像力の中で強化してしまった。

過去のウィッチクラフトに対する反論や暴露は、それがどれほど論理的で説得力のあるものであっても、次の世代に模倣のソースを与えてしまうというジレンマを抱えていた。20世紀以降の現代魔女文化は、まさにこれらのソースから誕生している。否定しようとする行為そのものが、否定しようとする対象をより鮮明に可視化し、保存し、後世に伝達し、それがその時代と場所、文脈にあわせて変化し、模倣、再演を招く。その中で、魔女が箒を跨ぎ飛行するというイメージは、いつしか全く別の、人々をエンパワーメントする反抗的な表象へと変容していった。10世紀の教会文書『司教法令』に描かれた、異教の女神ディアナに付き従い夜間に獣に乗って旅をする女性たちのイメージもまた現代魔女文化に決定的な影響を与えている。

この法令において、教会は当初、ディアナと共に夜を飛ぶという信仰を「悪魔的な幻想や幻影」として退け、実体のない妄想として扱っていた。しかし15世紀末になると魔女のサバトは単なる妄想とは考えられなくなる。皮肉なことに、この信仰の否定の行為こそが、魔女と女神ディアナを結び付け、ディアナとの夜間飛行というイメージをはっきりと文書として保存し、後世に伝達する役割を果たした。

ちなみにイタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグは、この『司教法令』が言及する夜間の女性集団の伝承が、ヨーロッパ各地の民間信仰——16世紀フリウリ地方のベナンダンティから、ドイツのホルダ崇拝、14世紀ミラノのオリエンテ婦人に至るまで——の共通の源泉となっていると指摘している。

ギンズブルグは、これらの信仰がヨーロッパの基層に存在したシャーマニズム文化の痕跡であると主張した。魂の体外離脱、共同体の豊穣を守るための霊的な戦い、女神的存在との交流といった要素は、シベリアから中央アジアに広がるユーラシアのシャーマニズムと構造的な類似性を持つとギンズブルグは主張する。彼の研究は、魔女のサバトという概念が、キリスト教の完全な創作ではなく、古代から続く恍惚的実践が異端審問によって悪魔化され、歪められた結果であることを示唆している。

セイラム魔女裁判と麦角菌中毒

幻覚作用が魔女裁判に関係していたかもしれないという可能性を示す事例は他にもある。セイラム魔女裁判だ。

ヨーロッパでは、最も激しかった魔女狩りの嵐も17世紀後半には既に沈静化していた。だが1692年、大西洋を越えた英国植民地マサチューセッツのセイラム村で、突如として魔女裁判が勃発する。ピューリタンの厳格な宗教観が支配するこの新世界の小さな村で、牧師の娘たちが示した奇妙な痙攣発作は、瞬く間に「悪魔の仕業」と断定された。疑惑の矛先は、カリブ出身の奴隷女性ティテュバをはじめとする社会の周縁に追いやられた者たちに向けられた。

約一年の間に200名近くが告発され、19名が絞首刑に処された。女性14人・男性5人の計19人が絞首と男性1人が圧殺刑で死亡。さらに収監中に成人3人と乳児2人が死亡し、死者は少なくとも25人とされている。魔女容疑での起訴・収監は約150〜200人、告発総数は200超。悪魔の使い扱いで犬2匹までもが処刑された。

既に本国では魔女狩りが過去のものとなりつつあった時代に、なぜ植民地で惨劇が繰り返されたのだろうか。この1692〜93年に起こった狂気はイングランドの植民地の村を翻弄した。

そもそも、この事件は少女たちが大人たちに禁じられていた占い、ヴィーナス・グラスを行い、そのことの罪悪感が大きなストレスとなり、発作を起こしたことが発端となっている。そして、少女たちの発作を「悪魔憑き」と見なした人々が、「誰が悪魔の手下の魔女であるか」を詮索し始め、告発の連鎖に歯止めが利かなくなったというのが現在知られている有力な解釈の一つである。しかし、セイラム魔女裁判には別の要因も存在した。それは1976年に心理学者リンダ・R・カポラエルが週刊誌『サイエンス』に発表した「麦角菌中毒説」である。彼女は、少女たちの奇妙な症状—幻覚、痙攣、皮膚に這うような感覚—は、麦角菌に汚染されたライ麦パンを食べたことによる中毒症状だった可能性を提唱した。

麦角菌は寒い冬と湿度の高い春の後にライ麦に繁殖しやすく、1691年のマサチューセッツはまさにそのような気候条件にあったのだという。この菌に汚染された穀物を摂取すると、激しい痙攣、筋肉の痙攣、妄想、皮膚の下を這うような感覚、そして極端な場合には四肢の壊疽を引き起こす。重篤な幻覚も症状の一つで、リゼルグ酸という物質がLSD合成の原料となることからも、その幻覚作用の強さがうかがえる。この説は後に批判もされるが、1982年には歴史学者メアリー・K・マトシアンがカポラエルの説を擁護し、気象データや症例比較などの追加証拠を提示した。彼女は当時の気候条件が麦角菌の繁殖しやすい条件に当てはまることや、被害者の年齢分布が他の麦角中毒事例と一致することを論証した。この研究はマトシアンの著書『食物中毒と集団幻想』に詳しく、議論は続いている。

麦角の幻覚作用は、古代ギリシアのエレウシスの秘儀においても議論されている。エレウシスの秘儀で用いられたキュケオーンという儀式用の飲料には、向精神性植物が含まれていたと考えられているが、その正体については諸説ある。そのなかでも、大麦に寄生する麦角菌が含まれていた可能性が指摘されることがある。

2023年、スペイン北東部カタルーニャ地方ジローナ県の古代遺跡において、古代ギリシア系の祭祀と関係する可能性のある遺物と人骨が出土した。この遺跡は、デメテルとペルセポネを中心とする信仰、すなわちエレウシス的宗教実践との関連が以前から指摘されてきた場所である。

儀礼用とみられる杯の破片および若年成人男性の顎の骨に付着した歯石から、麦角菌に由来する可能性のある化学的痕跡が検出された。歯石分析は、個人が生前に摂取した物質を直接的に反映しうる手法であるため、この発見は、当該地域において麦角に汚染された穀物、あるいは麦角由来成分を含む物質が実際に体内に取り込まれていた可能性を示すものとして注目を集めている。

LSDの発見者として知られるアルバート・ホフマンもまた、キュケオーンの幻覚作用が麦角由来である可能性を支持していた。

勿論、セイラムで麦角菌中毒が仮にあったとしても、それは人々の集団的なヒステリーの一つの要因に過ぎない。しかし、これらの研究が示唆するのは、人々がウィッチクラフトを信じた背景に、本当に超常現象と思える生理学的要因——つまり幻覚——があった可能性を完全には否定できないということだ。麦角菌に含まれるアルカロイドが神経系に作用し、幻覚や痙攣といった症状を引き起こすメカニズムは、薬理学的にも神経科学的にも実証されている。これらの研究は科学の視点から見たとき、近世の人々が魔女術と解釈した現象の中に、麦角菌のような自然由来の幻覚性の物質による影響が潜んでいた可能性があったことを示唆している。

「妖精」との遭遇体験と「ダーク・シャーマニズム」

ここで話を妖精に戻したい。

中世後期に形成された妖精像は基本的に人間と同等のスケールを持つ「異界の貴族」であり、人間の騎士たちと対等に、時には優位な立場で交流する存在だった。

スコットランドの最初期の魔女裁判では、裁判にかけられた被告が妖精から癒しの技術を学んだり、妖精の女王と関係を持ったりしたという供述が見られる。1572年、スコットランドのエディンバラのジャネット・ボイマンは、「シーリー・ワイツ」(善き隣人たち)から癒しの技術を学んだと証言している。1576年にはエリザベス・ダンロップが、約30年前にピンキーの戦いで戦死した男性トム・リードの霊を通じて「エルフの国」の「善き者たち」と出会い、治癒や予言の能力を得たと語った。そこでダンロップはエルフの女王に会い、トムと妖精的な存在たちから薬草による治癒や未来を見通す能力、失われたものや盗まれたものを探し出す術を学んだと証言している。

スコットランドとイングランドでは妖精の扱いに違いがあり、スコットランドでは宗教改革以降、妖精は悪魔的存在として否定的に捉えられる傾向が強まった。一方、イングランドでは宗教改革後も妖精に対する態度は多様であり続け、文学作品などでは肯定的に描かれることも多かったのだという。

1662年、スコットランドのモレー湾に面したオールディアンで行われたイザベル・ゴウディの証言は、他の魔女裁判の記録とは異なり、妖精信仰と悪魔学的な魔術の両方の記述を含んでいるため、17世紀のスコットランドにおける魔術、妖精信仰、民俗信仰の研究において重要な情報源となっており、歴史家や民俗学者によって英国における魔女容疑者の証言の中で最も注目されているものの一つだ。彼女の証言はとても特殊なケースであるものの現代魔女達からも注目されることが多い。

エマ・ウィルビーが研究したように、ゴウディの自白には、治癒の魔術、呪術、魔女集会の儀式、そして妖精の一団との飛行など、驚くべき豊かさで当時の民間信仰の要素が含まれていた。彼女は動物への変身能力を詳細に語り、ウサギやカラスに姿を変えることができると主張した。そしてさらに印象的なのは、彼女が「妖精の矢」──毒の矢を作り、親指で弾いて放ち、男性や女性、動物を殺害したと自信満々に語っていたことだ。この矢は、病気や死をもたらす呪術の道具であり、ゴウディは妖精の女王からこの技術を授かったと述べている。

彼女の証言の特徴は、その詳細さと大胆さにある。妖精の国への訪問、動物への変身、呪文の詠唱―これらは韻文の形式で語られ、スコットランドの口承文化の伝統を彷彿とさせる。彼女は近隣の丘の中にある妖精の国を訪れ、その王や女王と交流したと語る。しかし、他の多くの治療師たちと異なり、ゴウディは自身を民間の医療家とは位置づけていない。むしろ、彼女の証言は、治癒だけでなく、攻撃的な呪術の実践者としての側面を強調している点が非常に興味深い。勿論この証言は言葉通りに解釈できるものではない。確かに、ゴウディの証言には、尋問官の求める悪魔学的ステレオタイプ──悪魔との性交、悪魔の尻へのキス、カブンの存在──が組み込まれており、彼女の語りがどこまで自発的な表現で、どこからが外部から押し付けられた枠組みなのかを区別することは極めて困難であるからだ。「過酷な現実から逃避するための空想」と、異端審問官が期待する物語が混ざり合い、それが精神的な不安定さや極限状態の中で増幅されて生み出された例なのかもしれない。

ウィルビーは、ゴウディの証言を「ダーク・シャーマニズム」として理解し、彼女が単なる受動的な夢想家ではなく、能動的に精霊世界と交渉し、現実世界に影響を与えようとした実践者であったと論じる。シャーマンの役割は常に善や治癒に限定されるものではなく、敵対者に危害を加える呪術もまたシャーマニズムの機能の一部である。ゴウディが語った「妖精の矢を放つ」行為は、キリスト教的悪魔崇拝ではなく、精霊との関係構築を通じて力を得る、道徳的に中立あるいは両義的なシャーマニズム的実践として理解できるとウィルビーは考える。古代シャーマニズムの痕跡を見出そうとするウィルビーのアプローチには、証拠が限られているという批判もある。だが、ウィルビーの研究やイザベル・ゴウディの証言は今なお、多くの現代魔女の好奇心を刺激している。それは、彼女の語りが単なる裁判の記録を超えて、他には見られない程力強く魔術的な力をプレゼンテーションしたものであり、「彼女の見ていた世界」──彼女が実際に生きていた精神的現実、そして17世紀スコットランドの民衆が共有していた妖精の住まう世界──への狭間を垣間見ているように感じられるからかもしれない。そしてこれらの妖精と交流したという証言は、時がたつにつれ魔女裁判の中で悪魔学的な枠組みの中に「サバト」という形に歪められて押し込められていった。

マレーの魔女カルト理論を取り込んだウイッカ神話の中では、異教と魔女の繋がりが強調された。しかし、現在現代の魔女の人々からも読まれているカルロ・ギンズブルグ、エマ・ウィルビーらの研究は意図的に「異教」という言葉の使用を避け、代わりに「キリスト教以前の」といった表現を採用している。近世の民衆文化における霊的実践は、「異教/キリスト教」というような単純な二項対立では捉えきれない複雑さを持っており、実際、民間の魔術の実践者たちは、キリスト教の祈祷文を、彼らの実践と矛盾を感じることなく併用していた。彼らは二重信仰的な状態にあり、シンクレティックでこそあれ、異教ではなかったのである。このことは現代魔女文化の中でも理解されるようになってきており、ウイッカよりも古い起源を主張する現代魔女の流派、トラディショナル・ウィッチクラフトにおいては二重信仰を許容、考慮する姿勢がみられる。幻視の実践、妖精との遭遇とは、さしずめキリスト教世界に流れ込んでいたキリスト教以前の信仰の影に触れることだった。妖精の国はキリスト教世界の外側にあったものではなく、その内なる辺境にあったのだと言うべきだろうか。

マーガレット・マレーの魔女カルト論は多くの歴史家によって否定されたものの、カルロ・ギンズブルグのベナンダンティ研究以降、幻視体験に焦点を当てた研究は今も進んでいる。これらの妖精や幻視にまつわる研究は現代の魔女たちにも影響を与えており、特にノーシスを重視するトラディショナル・ウィッチクラフトの流れや恍惚を重視するモダン・トラディショナルな実践においては、こうした夢を見る、あるいは幻視的体験が重視され、実践されている。

(次回へつづく)

【註】

註1:日本語における「妖精」というは明治後期に定着した新しい訳語であり、西洋の fairy の直訳として古くから固定していたわけではない。明治初期の翻訳実践において複数の訳語が併存し、文脈に応じて使い分けられていたことが知られている。明治期の翻訳文学や児童文学では、fairy は「仙女」「妖女」「小人」「精霊」などと訳される場合があり、一定の一対一対応関係は存在しなかったようだ。とりわけ「仙女」は、人間ではない存在であり、美しく、異界に属する女性像であるという外形的特徴から、fairy の訳語として採用されることが多かったと考えられる。しかし「仙女」という語は、fairy が本来有していた善悪の両義性、危険性、誘拐や呪い、さらには死者霊・自然霊との連続性といった側面を十分に含意するものではなかった。明治後期以降、「妖」と「精」という二字を組み合わせることで、魅力と恐怖、霊性と異質性を同時に含意しうる語として海外から輸入された fairyの訳語として 「妖精」が次第に定着していったと考えられている。

註2:『アラディア』は19世紀ロマン主義と民俗伝承が融合した魔女術文献だが、同時代の深刻な差別意識を内包している。ディアナがアラディアに教えを授ける場面に「カインの娘のようになってはならない……ユダヤ人や放浪するジプシーのように 彼らは皆、盗人であり悪党である」という一節があり、ユダヤ人とロマ(ジプシー)を「苦しみによって堕落した種族」と断罪している。この記述は19世紀ヨーロッパに蔓延していた反ユダヤ主義とロマ差別を如実に反映している。編纂者リーランドが情報提供者マッダレーナから得た民間伝承をそのまま記録したのか、編集過程で加えたのかは不明だが、いずれにせよ当時の民衆レベルと知識階級の両方で、こうした差別的言説が流通していた証拠となっている。ここには看過できない根本的矛盾がある。『アラディア』は「貧しき者、奴隷とされし者」の解放を高らかに謳いながら、別の被抑圧集団であるユダヤ人とロマに対しては露骨な差別を行っている。この矛盾は19世紀民衆文化の限界を示すと同時に、いかなる解放運動も特定集団の苦しみを他者への差別によって相対化する危険性を孕むことを教えている。一つの抑圧からの解放が、別の抑圧の正当化と同居しうるという教訓的事例である。20世紀後半以降、ウイッカをはじめとする現代魔女文化の実践者たちは、この問題に真摯に向き合ってきた。実践者たちはこの差別的箇所を批判的に読み替え、あるいは意図的に除外した。ドリーン・ヴァリエンテが創作した『女神のチャージ』は『アラディア』の核心的な要素を取り入れながらも、差別的表現の個所は一切含まない。また、そもそもトラディーショナル・ウィッチクラフトにおいてはカインの子供たちと魔女の繋がりが強調されるため、『アラディア』のこの記述と真逆の世界観を持っている。現代の魔女たちは魔術による「抑圧への抵抗」というメッセージを借用しつつ、そこに含まれていた差別的要素を明確に拒絶している。このような過去のテクストを扱うとき、何を受け継ぎ、何を乗り越えるべきかを判断する批判的読解力が求められ、このテクストがどの様にウイッカの典礼に組み込まれたかはその実践の一つの例である。

【参考文献】

黒川正剛「表象としての魔女―図像と生成されるリアリティ」(『思想』2018年第1号)

マーガレット・マレー『魔女の神』(西村稔訳、人文書院、1995年)

カルロ・ギンズブルグ『ベナンダンティ 16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼』(竹山博英訳、せりか書房、1986年)

カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史 サバトの解読』(竹山博英 訳、せりか書房、1992年)

ロバート・A・ウィルソン『サイケデリック神秘学——セックス・麻薬・オカルティズム』(浜野アキオ訳、ペヨトル工房、1992年)

キース・トマス『宗教と魔術の衰退』(荒木正純訳、法政大学出版局、1993年)

メアリー・キルバーン・マトシアン『食物中毒と集団幻想』(荒木正純・氏家理恵訳、パピルス出版、2004年)

田中雅志『魔女の誕生と衰退 原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』(三交社、2008年)

武内大「「妖精の宴」から「魔女のサバト」へ――儀式と軟膏――」(『立正大学人文科学研究所年報』第59号、立正大学人文科学研究所、2022年)

Charles Godfrey Leland. Aradia, or the Gospel of the Witches. London: David Nutt, 1899.

Bengt Ankarloo and Gustav Henningsen, eds. Early Modern European Witchcraft: Centres and Peripheries. Oxford: Clarendon Press, 1990.

Gustav Henningsen. “‘The Ladies from Outside’: An Archaic Pattern of the Witches’ Sabbath.” In Early Modern European Witchcraft: Centres and Peripheries, edited by Bengt Ankarloo and Gustav Henningsen, 191-215. Oxford: Clarendon Press, 1990.

Ronald Hutton. The Triumph of the Moon: A History of Modern Pagan Witchcraft. Oxford University Press, 1999.

Sabina Magliocco. “Who Was Aradia? The History and Development of a Legend.” The Pomegranate: The Journal of Pagan Studies, no. 18 (February 2002): 5-22.

Emma Wilby. The Visions of Isobel Gowdie: Magic, Witchcraft and Dark Shamanism in Seventeenth-Century Scotland. Brighton: Sussex Academic Press, 2010.

Ronald Hutton. The Witch: A History of Fear, from Ancient Times to the Present. Yale University Press, 2017.

Howard, Michael. Children of Cain: A Study of Modern Traditional Witches. Three Hands Press, 2011.

【取材協力】

狐弾亭

 第10回
現代魔女

フィクションの世界のなかや、古い歴史のなかにしか存在しないと思われている「魔女」。しかしその実践や精神は現代でも継承されており、私たちの生活や社会、世界の見え方を変えうる力を持っている。本連載ではアメリカ西海岸で「現代魔女術(げんだいまじょじゅつ)」を実践しはじめ、現代魔女文化を研究し、魔術の実践や儀式、執筆活動をおこなっている円香氏が、その歴史や文脈を解説する。

プロフィール

円香

まどか 

現代魔女。アーティスト。留学先のLAでスターホークの共同設立したリクレイミングの魔女達に出会い、クラフトを本格的に学びはじめる。現在はモダンウィッチクラフトの歴史や文化を日本に紹介している。未来魔女会議主宰。『文藝』『エトセトラ』『ムー』『Vogue』『WIRED』などに現代魔女に関するインタビューや記事を掲載。2023年から逆卷しとねとキメラ化し、まどかしとね名義でZINE『サイボーグ魔女宣言』を発売。笠間書院にて『Hello Witches! ! ~21世紀の魔女たちと~』を連載中。

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魔女の幻視と妖精たち

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