平成消しずみクラブ 第3回

紫陽花は咲いていたのか

大竹まこと

 いつもの年なら、この季節は道のあちこちに咲く紫陽花(あじさい)に心を癒される。
 どこそこの寺に咲いたそれが綺麗だというのではない。
 道端の隅、塀際に隠れるように、六月の雨に濡れているその花である。
 六十を超えれば、皆、草や花が好きになるのか。
 しかし、今年は、いや確かに咲いていたとは思うのだが、記憶がない。
 そういえば、六月は私たちジジィのライブもあったし、世間も選挙やら、森友学園や加計学園の問題もあった。北朝鮮はミサイルを飛ばし続けている。
 月曜〜金曜のラジオの生放送、その合間にライブの台詞を覚えた。

 七月二日は都議選の投票日だったが、私は、その前の土曜日に期日前投票に行ってきた。
 近くの投票所は、家から歩いて十五分くらい。
 歩くのは楽しいが、坂道はつらい。シリの下のほうの筋肉がピクつく。ふくらはぎに鉛でも入っているのか徐々に重たくなる。平らな道になってからも、何もないのに蹴(け)躓(つまず)く。
「老いる力」とは誰かが書いたが、そんなものはあるのか。
 K駅は坂を下った先にあり、神田川と並ぶように電車が走っている。狭い地形のせいか、踏み切りの際までホームがせり出している。
 そして、その踏み切りは短い商店街に通じているから、当然のように車両の通行は禁止されている。
 土曜日の午前中、混むというほどではないが、雨上がりの後、人々はのんびりと散歩がてら買い物などをしている。
 自動販売機の横のベンチには、婆さまが三人、お茶を手に楽しそうだ。
 乳母車に犬が二匹、それを婆さまが押している。なんだ、これは。
 しかし、本当に老人が多い。もちろん、私もそれに入る。
 一台の軽トラックが進入してきた。近所の住人は、そこが車両通行禁止なのを知っているから、口々に「あらあら」とか「ダメダヨ」と言いながら、困った顔で軽トラックを見ていた。
 しかし、あたりの視線を無視して、軽トラックは踏み切りに進入してしまった。ナンバーは都内のものではなかった。
 荷台には農具らしきものが見える。運転手は老人だ。たぶん、都内のわかりづらい道に迷ってしまったのだろう。
 その時だ。駅のホームのほうから、何やら大きな声が聞こえた。
「ダメなのよー。ここは車は通れないんですヨー」
 踏み切りの近くホームの端に立った、水色のワンピースを着た女性が、いや、よく見ると老女が叫んでいる。
「ダメヨー。通ったらダメー、ダメなのヨー!」
 いや、老人であった。女装をした老人だ。ベージュの傘を振り回している。銀色のオカッパ頭は、かつらかもしれない。腰もすこし曲がっている。七十は超えているだろう。
 居合わせた人々は、まだこの状況を飲みこめていない。
 しかし、その妙なイントネーションのしわがれた声は、窓を半開きにして運転していた老人にも届いたらしく、軽トラックは踏み切り真ん中少し手前で止まってしまった。運転席の老人が、同乗のたぶん妻であろう婦人になにか話をしているが、声は聞こえない。
 そして、ゆっくりとバックを始めた。軽トラックの運転はおぼつかない。車は斜めに下がり、枕木のあるジャリに後輪が落ちそうになった。
 赤色のランプが点滅して警報機が鳴り始めた。
「ダメヨー。車ダメー」
 女装の老人が言っていることは間違っていない。しかし、どこかその言動は常軌を逸している。銀色のオカッパ頭のかつらが少しずれたかもしれない。居合わせた人々は、どちらを見たら、そして何に反応すべきか理解できないままでいる。

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連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。

プロフィール

大竹まこと

おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。

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