たった数秒前にあった、穏やかな日常が消えた。
誰かが仕掛けたいたずらのようだ。情報の多さが判断を鈍らせる。
私は、期日前投票の紙をヒラヒラ振りながら、軽トラックにヨボヨボと走った。
「止まれ、下がっちゃダメだ。前進、前に行くんだ」
あと少しで遮断機が下り始める。危ない。私の頭も混乱している。
「え、何ですか?」
「何ですかじゃない、前に、前に行くんだ」
意味はわかったはずなのに、軽トラックは止まりはしたが、動こうとしない。
ホームの老人はまだ、傘を回している。傘と同じベージュのヒールから、老いたくるぶしが変色しているのが痛々しい。
「あ!」
軽トラックの老人が何か気づいた。
「大竹さんだ、大竹さんじゃないですか!」
確かに、私は大竹さんだが、そんなことはどうでもよい。私は大竹さんだぞ、と他人のギャグを真似ようと思ったが、そんな場合ではない。
「前進だヨ、オジサン」
軽トラックの老人が何かささやいた。助手席に乗っている奥さんが私に笑顔で挨拶した。
「だから、車、早く動かすんだ」
軽トラックは、ギアをDに戻してやっと動き始めて、踏み切りを渡り切って、反対側の道の真ん中に立っている通行禁止のマークの横まで行って止まった。その直後に遮断機も下りた。まったくやれやれである。
まわりの老人たちも警報機が鳴り始めたときには、線路を渡り切り、それぞれに散って行った。ホームの女装の老人も到着した電車に吸い込まれて行った。
軽トラックの老人は「埼玉から来たもんだから、道がよくわからなかったんだヨ」と詫びながら告げた。
そういえば、いつもその線路まで続く短い商店街の入り口には通行禁止のバス停のような立て札が道の真ん中に立っていたはずだが、それがなかったように思う。
誰かが、何かの都合でどかしてしまったのかもしれない。あの立て札さえあれば。
陽も差して、空間のヒズミが修正され、静かな土曜日が戻ってきた。
私のおせっかいは、よかったのだろうか。結局、この日も道端に咲く紫陽花は見つけられなかった。
連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。
プロフィール
おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。