平成消しずみクラブ 最終回

君は誰かね

大竹まこと
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    その後も私は職を転々とした。六本木のクラブのボーイ。新橋のバーテン、高田馬場の「寄場」では日雇いの列に並んだ。中野坂上に建つ十四階建てのマンションの工事。トビの兄さんは危険な仕事を私にはさせず、地上でのセメント捏ねやブロック運び、十四階のビルから私の真横にネコ(一輪車)が落ちてビビった。
    堀ノ内のスナックでは、経営するママの男のヤクザの親分に月一で一万円の祝儀を頂いた。そして、決して、堅気の私をその道に誘わなかった。なぜか。
    渋谷の仁丹ビル裏にあるスナック。私が落ちた青山学院大学の学生がよく顔を出した。そして私は彼らとよく揉めた。
    また、銀座に戻って、今度は大通りに面したカフェ「むね」の調理場。一度に三十個のプリンを焼く。この店の女性店長に「君は何をしたいの」と聞かれ、「まあ役者かなあ」と偉そうに答えた。女性店長は親身に「まず基礎が大切ヨ」と、渋谷にある俳小(俳優小劇場)を紹介してくれ、私は母親に金を無心して入学することになる。
    私は、それが当たり前のように仕事を替えた。
    しかし、俯瞰で見れば、街をさまよい歩く、無軌道で無鉄砲なたどり着く場所さえも定かではない、学びのない若者の姿である。
    銀座のネオン、まだ名所ではない中目黒の桜の下で私は何を考えていたのか。
    東急東横線の窓外の景色がまるでトーキー映画のように、色を失っていた。
    灰色の街に行き交う人をいつも傍観者のように、私には関係のない、縁のない人々だとも思っていた。
「君は誰かね」
 老人の声なのか、父の声なのかはわからない。いつもそんな声が聞こえた。
 しかし、すぐに忘れた。私は食べていかねばならなかった。
 パチンコにも麻雀にも勝たなければならない。しかしいつも結果はその逆であった。
 小さなツキを大切にしなければならないと体で覚えた。そして、そのツキをいつも逃した。
 女にもすがった。時々の女たちは皆優しかった。温もりが体に残っている。また、その女たちを無下に突き放した。
 過去、二度、女に振られた。ひどい振られ方であった。もう少しでストーカーになるところだったが、なぜか踏みとどまった。理由はわからない。ただ振られて良かった。本当に良かった。それがなければ、今の私はいない。

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 第14回
平成消しずみクラブ

連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。

プロフィール

大竹まこと

おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。

 
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