なぜ極右の躍進は止まらないのか フランスから考える 第11回

なぜ極右はメディアに強いのか

森野咲

フランスの大学院で哲学を学ぶ森野咲が、現地での最新の研究や報道の成果をもとに、極右の成長、定着の背景やメカニズムを明らかにする連載の第11回。
SNS等での効果的な発信、主流メディアに対する批判的な姿勢……。こういったイメージだけでは、「極右躍進」という現象は読み解けない。複数の回路がつながり合う、「極右メディア」のエコシステムの実態に迫る。

極右は「ネットに強い」だけ?

「スマートフォンを開き、画面をスクロールすると流れてくるショート動画。大きな字幕、怒った顔、耳に残る強烈なスローガン。給与明細から引かれる税金は高いし、そういえば最近街中に外国人が増えたような気がする。ニュースでは誰も自分の暮らしの話をしてくれないけど、画面の中のこの人は言葉にしてくれる。コメントを書き込むと、『いいね』がつき、返信が来る。ああ、同じ気持ちの人がこんなにいたのか。もっと多くの人に、この人の言葉を届けたい。スマホがあれば、毎日いつでもどこでも政治に参加できる。仲間もできる。オールドメディアは、この人の発言を「差別的」と批判しているようだ。たしかに、この人はたまに言いすぎることもあるけど、それだって既得権益のエリートたちを恐れずに、本音で向き合ってくれている証拠だ。この人が見下されると、自分まで見下された気がする。この人の言葉がまともに受け取られない世の中のほうが、おかしいのではないか。動画を拡散しよう。自分たちが支えなければ。手取りも生活もまだ何も変わってはいないけど、政治を変えようと一歩踏み出した自分のことは、前よりちょっと好きだ。」

 ――こうして蓄積されたクリックやコメントのデータをもとに、何百万もの有権者の心を掴む次の動画やスローガンが作られる。アルゴリズムはそれをさらに拡散する。嘘や差別発言すらも、「オールドメディアを恐れていない」という強みになる。失言を主流メディアが批判的に取り上げ、知識人がしかめ面をすればするほど、それがむしろ宣伝効果になり、支持者の団結はますます深まっていく。こんな光景が、世界のあちこちで広がっているのではないだろうか。

 極右の躍進を語るうえで、そのネット戦略の巧みさに言及せずにはいられない。怒りや不安を刺激する短い言葉とショート動画のアルゴリズムは相性が良い。既成政党がネット選挙時代の対応に手間取るなか、極右政党やその周辺のインフルエンサーはいち早くSNSを政治動員に利用してきた。ドイツのAfD(ドイツのための選択肢)、アメリカのトランプ支持運動、日本の参政党などについても、SNS上での強さは繰り返し指摘されている。

 フランスの国民連合もまた例外ではない。同党は他党に先駆けて、早くからネットを政治活動に取り入れてきた。ここ数年とりわけ強い動員力を持っているのがTikTokである。党首ジョルダン・バルデラのフォロワーは現在200万人を超え、そこでは演説や政策の説明だけでなく、たわいもない日常の様子や支持者との交流などのショート動画が大量に発信されている。彼は、政治家というよりインフルエンサーに近いスタイルで、若い利用者の日常的なフィードに入り込んでいるのである。

 しかし、極右の躍進をこうしたネット戦略だけで説明することはできない。極右は長年、主流メディアを「偏向したエリートのメディア」として批判してきた一方で、その主流メディアに繰り返し取り上げられることで、社会のなかで可視化され、その言葉や存在が次第に「当たり前」のものになってきた側面もあるからだ。したがって、極右がメディアを通じて影響力を広げる仕組みを理解するには、ネット上の人気や個々の発信の巧みさだけでなく、複数の回路のつながりに目を向ける必要がある。独自メディアで発信された主張がSNSでバズり、主流メディアにも取り上げられることで、人々の「常識」として定着していく。インフルエンサーは差別的な言動さえも娯楽に仕立て、収益源にする。こうした発信を通じて広まった見方や論点は、政党の側へと還流し、その主張や議題設定にも反映されていく。以下では、こうした「極右メディア」のエコシステムがどのように形づくられているのかを見ていこう。

フランス極右とネット戦略の系譜

 極右がネットに強いのは、単に時代の先を読んでいたからではなかった。国民連合の前身である国民戦線時代のメディア戦略は、あくまで既存のメディアから相手にされず、資金も乏しかった中で生まれた苦肉の策だった。先見の名というよりも制約から生まれた迂回路が、やがて党の強みになっていったのである。

 極右のネット戦略の系譜は、インターネットの登場前にまでさかのぼる。国民戦線は、1980年代の結党初期から党首の言葉を支持者へ直接届けることを意識しており、当時流通していたカセットやビデオに党首ジャン=マリー・ルペンの演説を収録して支持者に送り、ミニテルというフランスの「ネットの先駆け」文字情報サービスにも進出していた。1990年代には、電話をかければ論説や党の情報を聞ける音声サービスを開始し、党機関紙の発行を待たずに情報を伝えることのできる回路を切り開いていた。

 1995年にインターネットが誕生すると、その翌年、国民戦線はフランスの全国政党として初めて公式サイトを開設した。自前のサイトなら、ジャーナリストに何を取り上げられるか気にする必要もない。内紛も離反も、都合の悪い過去は編集で消せる。ネットは単なる広報の窓口ではなく、極右が望ましい自己像を構築するかっこうの舞台でもあった。

 その後、国民戦線は危機に陥るたびに、その活路をネットに見出すことで「復活」を遂げてきた。1998〜99年の党内分裂で人材と資金を失っても、低コストのネットで発信を続けた。「ルペンショック」が起きた2002年の大統領選挙(*1)では、YouTube登場の3年前にもかかわらず、動画サイト「ルペンTV」を開設していた。自前のテレビ局を持ち、見たい人が見たい時間にルペンを見られるようにするという長年の夢を、いち早くネットで形にしたのだ。2007年の選挙敗北後には、財政難から党の機関紙までが破綻するも、その穴を埋めたのはまたしてもネットだった。余裕があるからではなく、余裕がないからこそ、ネットは党の生命線になっていった。

 ネットの利点は発信する側だけにとどまらなかった。かつて国民戦線の党機関紙は、購読を周囲に知られたくない支持者のために黒い包装で送られていた。しかしネットなら、周囲を気にすることなく匿名で読める。ネットは、発信の費用だけでなく、極右の情報に触れる側の心理的な敷居も下げたのだ。さらにSNSの普及は、極右が切り開いていたネット発信の回路の起爆剤となった。マリーヌ・ルペンは、SNSを、政策を訴えるためだけでなく、親しみやすい人物像を演出する「脱悪魔化」のためにも積極的に活用した(「脱悪魔化」については第6回記事を参照)。 バカンスや友人との時間、子猫を抱く姿をブログに載せ、Facebookでは支持者と動画で直接やり取りする。ネットでは、何を語り、どう見せるかを自分で決められる。

 極右のネット利用は、最初から政治戦略として設計されたわけではなかった。主流メディアを迂回しなければ生き残れないという実務的な必要が、直接発信の技術と文化を蓄積させたのである。しかし、党の外側に広がるネットワークにまで目を向ければ、その役割は単なる政党の広報には収まらない。独自のメディアを通じて異端的な言説を公共空間に残す。特定の政党のイメージだけでなく、社会のものの見方そのものを変える。人々が何を「常識」とし、何を「真実」とみなすかに働きかける。――あくまで必要に迫られて切り開かれた極右のオルタナメディアは、こうした「文化戦争」を支えるインフラになっていった。このような極右のネット戦略を支えた思想を読み解く鍵となるのが、「右派グラムシ主義」と「再情報化」である。

*1 「ルペンショック」とは、2002年のフランス大統領選挙第1回投票で、国民戦線党首ジャン=マリー・ルペンが社会党候補リオネル・ジョスパンを上回り、極右候補として初めて決選投票に進出し、フランス社会に大きな衝撃を与えた出来事を指す。これをきっかけに全国で反極右デモが広がった(詳しくは第1回記事を参照)。

右派グラムシ主義と「再情報化」

 極右政党が実務上の制約から直接発信の回路を探していたのと並行して、極右の思想家たちが構想していたのは、もっと長期的な文化戦略であった。1960年代末から、アラン・ド・ブノワら新右翼の思想家は、イタリアのマルクス主義者グラムシの文化ヘゲモニー論(*2)から「政治的な勝利には文化的な勝利が先行しなければならない」というテーゼを導き出し、自陣営の戦略へと転用していた。仮に右派が政権を握っていても、文化やメディアで支配的な左派的な価値観が残り続けるのであれば意味がない。政治的な勝利のためには、まず思想を生み出し、広め、人々の「常識」にまで入り込まなければならない――それが、「右派グラムシ主義」の発想であった。

 こうした政党政治の「手前」の長期的な文化闘争は「メタ政治」と呼ばれる。「メタ政治」は、ただ選挙で投票を呼びかけるのではない。思想や語彙、文化的な実践を通じて、社会が何を問題とし、誰を脅威とみなし、どの言葉で社会を理解するかを変え、極右的世界観を「常識」にするのだ。かつて国民戦線のナンバー2だったブルーノ・メグレは、相手を批判するために「階級闘争」という言葉を使った瞬間にマルクス主義の問題設定に入り込んでしまうと考え、代わりに「アイデンティティ」や「国民優先」という言葉を持ち込むことを提唱していた。彼らが目指すのは、相手と議論で闘うことではなく、議論の前提となる言葉や問題の枠組みそのものを変えることであった。

 こうした極右の文化戦争のために用いられたのが「再情報化」という戦略であった。「再情報化」という言葉の中には、「主流メディアは真実を隠しており、自分たちこそが隠された事実を回復する」という認識が含まれている。しかし、再情報化と言っても、彼らは独自の調査を行なって主流メディアとは別の情報を提供するわけではない。極右系サイトが実際に行っているのは、主流メディアの記事の中から、移民や犯罪に関する特定の事件だけを選び、一つの物語へ配置するという一連の作業をひたすら繰り返すことである。これによって極右に有利な情報の選別やフレーミングが、あたかも「検閲されていた事実の回復」かのように提示されるのである。

 つまり、「再情報化」とは、すでにあるニュースを極右的世界観に合わせて選別し、読者の怒りや不信を日々更新する装置として機能させることである。これは同時に視聴者を特定の政治的主体として作り上げる作業でもある。ニュースは、もはや世界の複雑さを理解させるものではなく、「やはり移民が問題だ」「やはりイスラムが脅威だ」「やはり左派と主流メディアは嘘をついている」という感覚を受け手に再認識させるものに過ぎないのだ。

*2 イタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシの「文化ヘゲモニー」論とは、政治が選挙や社会闘争だけでなく、人々の意識をめぐる文化・思想の領域でも争われるとする考え方である。グラムシは、ブルジョワジーの価値観が学校や教会、メディアを通じて社会の「常識」となり、資本主義を支えていると考え、労働者階級には経済闘争だけでなく、文化やイデオロギーをめぐる闘争も必要になるとした。右派・極右による受容では、この反資本主義的な階級闘争の文脈が切り落とされ、攻撃対象が「左派的・多文化主義的なイデオロギー」へと置き換えられている。

メディア不信と被害者意識

 再情報化とは、情報を増やすこと以上に、現実の認識を組み替える作業であった。この「隠された真実を知っている自分たち」という感覚を支えるのが、主流メディアに対する不信と、自らを抑圧された側に置く被害者意識である。

 極右は、白人や伝統的な価値観を持つ人々を、移民の受け入れや左派的な価値観の広がりによって抑圧された「被害者」として描き出す。この構図では、「ポリティカル・コレクトネス」は自由な発言を許さない「新たな全体主義」とされ、差別的な言動への批判も「言論の自由に対する攻撃」にすり替えられる。つまり、他者を排除する言動すらも「奪われた声を取り戻し、自分たちの文明を守るための抵抗」であるかのように正当化するのである。

 かつて国民戦線の創設メンバー、フランソワ・デュプラは「国家が植民地化されていると信じ込ませれば、やがてその解放のための方法も受け入れさせられる」と語った。この言葉には、「被害者意識の逆転」と「危機の捏造」という古典的な極右の戦略が詰まっている。国が移民によって「占領」されていると描くことで、移民を支援する人々は占領者への「協力者」に、排外主義を掲げる側は「レジスタンス」に位置づけられる。こうして、排除する側を「解放」の担い手に仕立て、図式を反転させるのだ。

 極右は危機の物語を通じて、自分たちの主張を、追い詰められた人々の当然の抵抗として正当化する。そのため、彼らの結束は外部からの批判によってますます補強される。訴訟やアカウント停止、収益化停止なども、主張を見直すきっかけではなく、「真実を語ったために体制から攻撃されている」という迫害の物語に取り込まれる。極右系サイトの運営者は、日々の運営費への寄付を募るときより、裁判費用への支援を訴えるときのほうが資金が集まると語っている。敵から攻撃されているという物語は、活動を支える重要な資源にもなっているのだ。

極右ネット界隈

 今日の極右の「メタ政治」を担っているのは、もはや政党だけではない。フランス語で「ファッショスフェール」と呼ばれる「極右ネット界隈」には、ニュースサイトやブログ、動画配信者、個人のSNSアカウントなどが多く存在している。

 かつてネット戦略で他党に先行していた国民戦線も、2010年代にはその優位を失っていく。しかしその頃には、ネット上の発信そのものが党の手を離れて広がっていた。FacebookやTwitterでは、活動家や支持者が自律的に情報を交換し、党の言葉を拡散する。党がすべての記事や投稿を制作し、配信を指示しなくても、ネット上の発信者に党の宣伝や文化戦争の一部を「外注」できるような地盤が形成されていたのである。

 極右メディア圏は、銀河系のようなものである。そこには明確な中央組織も、統一された教義もない。その中にはFdesouche(詳しくは後述)のような老舗の極右サイト、反ユダヤ主義・陰謀論的なネットワーク、伝統主義カトリックなど、異なる潮流が併存する。彼らは立場や主張に違いはあれど、主流メディアへの不信や、移民、治安、イスラムといった共通の争点を通じて緩やかにつながり、記事の転載や相互紹介によって互いの影響力を増幅している。あるサイトが拾った事件を別のアカウントが拡散し、動画配信者が取り上げ、政治家が反応し、さらに一般メディアが報じる。誰かが全体を指揮しなくても、情報が複数の回路を渡ることで、小さな話題でも全国的な政治問題へと押し上げることができるのだ。

 こうした「極右ネット界隈」の分散性は、ネットではむしろ強みになる。選挙で支持を広げたい政党が、露骨に人種主義的・暴力的に見える言葉から距離を取り、「脱悪魔化」を進める一方で、党の外にいる活動家やインフルエンサーは、より過激で挑発的な表現を使うことで「公に言ってよいこと」の範囲を押し広げ、「オーバートンの窓」(*3)を移動させる。「極右ネット界隈」が政党の外側で極右の世界観を広め、文化戦争を担い、政党がその選挙的利益を受け取るという、ある種の分業が成立しているのだ。

 しかし、外部の発信者は党にとっていつも都合のよい応援団とは限らない。彼らは、自分たちの期待に応えない「十分に過激でない」政治家を批判し、より強硬な方向へ圧力をかけるロビー団体のような役割を果たすこともあるからだ。両者の関係には、協力と競合、相互利用と緊張が併存している。極右のネット空間は、一枚岩の宣伝機関ではない。互いに競合し、ときに衝突する複数の発信者が、結果として同じ争点や世界観を増幅しているのである。

*3 オーバートンの窓とは、米国の政策アナリストであったジョセフ・P・オーバートンが1990年代半ばに提起した概念で、ある時点で社会的に受け入れ可能とみなされ、政治家が公然と支持できる政策や主張の範囲を指す。世論や社会規範によってこの「窓」が移動すると、それまで過激・周縁的とされた主張も、主流の政治的選択肢となりうる。

極右インフルエンサーとビジネス

「極右ネット界隈」を持続させているのは、思想的な情熱だけではない。そこには、再生数や商品販売によって成り立つ独自の経済圏が形成されている。動画の再生は広告収入につながり、知名度は書籍やグッズ、講座、コーチング、サプリメントなどの販売に利用される。支持者を集めることと、その支持者を顧客に変えることが、一つの活動のなかで結びついているのだ。

 極右インフルエンサーに多く共通する特徴は、政治思想を直接説くよりも、あくまでその思想に適合する「生き方」を提示し、商品化することにある。筋肉を鍛える、肉を食べる、武器やサバイバル技術を身につける、女性を口説く、家族をつくる、規律と自信を取り戻す――こうした一見すると非政治的なテーマにも、「強い男性」「伝統的な男女関係」「自力で生き残る個人」「衰退する社会への備え」といった極右的な価値観が埋め込まれているのだ。

「男性性の回復」を謳うインフルエンサーは、「筋肉をつける」「強い男になる」という自己啓発の言葉を使って、月額90ユーロの筋トレ指導を提供し、栄養サプリを売る。「フェミニズムによって男性は弱くなった」と説く者は、女性との出会い方を教える音声講座を販売し、「支配的な男になる方法」をまとめた短い電子書籍や月額制の男性性講座へ誘導する。「社会はいずれ崩壊する」「自分の身は自分で守らなければならない」という世界観は、武器やサバイバル用品、自給自足の指南に変換される。「近代社会は人間を不健康にした」という自然回帰思想は、オーガニック食品や自然療法、サプリメント、高額なジュース抽出器の販売につながる。

「主流メディアが真実を隠している」「自分たちは体制から弾圧されている」という物語も、有料動画や独自プラットフォームへの加入を販売し、寄付を募るために利用される。さらには、そこで築いた支持者の信頼を利用して、動画編集や暗号資産投資など、政治とは直接関係のない数百ユーロの情報商材まで販売されている。

 このような極右インフルエンサー界隈を「思想か、ビジネスか」と二者択一で捉えるだけでは不十分だ。刺激的な発信が人を集め、共通の敵や価値観が仲間意識を生む。インフルエンサーと支持者の間に生まれる擬似的な親密さが、商品購入や寄付へとつながる。「攻撃されている発信者を支える」という物語も、支援に政治的な意味を与える。収益化を停止された発信者は、有料チャンネルや独自サイトへ移り、「体制から攻撃されている自分を支えてほしい」と訴える。思想が共同体をつくり、共同体が市場になり、その市場がまた思想の発信を支える。彼らが商品化しているのは、単なる講座やサプリではなく、極右の世界観に沿って設計された生活そのものなのである。

主流メディアも極右を増幅させる

 極右と主流メディアの関係は、単純な敵対ではない。極右メディアは主流メディアを「システム」の一部として攻撃しながら、その情報生産には大きく依存している。フランスの代表的な極右系情報サイト「Fdesouche」(*4)はその典型である。同サイトは、主流メディアの記事や映像を選び取って紹介することで知られる。ある調査では、同サイトが引用したコンテンツの45%がフランスのニュースメディア、10%が外国メディアの記事だった。

 極右メディアは、主流メディアの報道を「再情報化」することで、「移民によって治安が悪化している」「国が脅かされている」という物語を作る。しかも、元の記事や映像をそのまま示すことで、「これは大手メディア自身も報じた事実だ」と主張し、自分たちはそれを伝えているだけだという体裁を取ることもできる。しかし、元の報道に手を加えていないからといって、その発信が中立になるわけではない。何を選び、どの文脈に置き、何を繰り返すかにも、受け手を特定の認識に導く政治的な働きがある。主流メディアは批判の対象であると同時に、極右的な物語を組み立てるための巨大な素材庫としても利用されているのである。

 他方で、主流メディアの側にも極右の言説を広げる仕組みが大きく二つある。資本によってメディアを掌握し、編集方針を内部から変えていく政治的介入と、視聴率やアクセス数を追求する商業的な論理である。

 前者の代表例が、実業家ヴァンサン・ボロレ(*5)の築いたメディア帝国であろう。かつての極右は、主流メディアで十分な発言機会を得られなかったため、自前の媒体をつくり、ネット上に独自の情報空間を築いてきた。ところが、ネットで大規模な視聴者を獲得すると、そこで育った人物や論点が、今度はテレビ、ラジオ、新聞、出版へと逆流入するようになる。それを象徴するのが、ボロレ傘下のメディアである。そこでは、主流メディアそのものが内側から作り替えられ、極右の文化戦争を全国規模で展開するためのインフラに変貌する(フランス超富裕層と極右の接近については第3回記事を参照)。

 ボロレ・グループの傘下には、テレビ局のCNews、ラジオ局のEurope 1、週刊紙JDDに加え、多数の出版社が置かれている。買収後の各媒体では、人事や番組編成を通じて、経営者の政治的意向に沿った編集方針への転換が進んだ。既存のジャーナリストが退職や排除によって姿を消し、経営陣は代わりに極右系媒体の出身者や反動的な論客を、司会者や編集幹部、レギュラーコメンテーターに起用した。 i-TéléがCNewsに変わる際には、編集部の4分の3を超える70人以上のジャーナリストが離職した。こうした人員の入れ替えにより、移民、イスラム、治安、「ウォーキズム」といった話題が報道や討論の中心を占めるようになった。編集部の上層部は、扱うテーマとの選定とその切り口までを強く統制し、現場のジャーナリストの自律性を狭めていった。

 しかし、極右の言説が主流メディアで増幅される過程を、ボロレ個人の政治思想だけで説明することはできない。なぜなら、ボロレ傘下ではないメディアも、視聴率やクリック数を求めるなかで、極右の論点やインフルエンサーを繰り返し取り上げてきたからだ。こうした背景には、限られた広告収入と人々の関心をめぐるメディア間の競争がある。アテンション・エコノミーの性質上、複雑な社会問題を丁寧に説明する記事や調査報道よりも、事件や対立を前面に出し、恐怖や怒りを喚起するコンテンツのほうが、短時間で注目を集めやすい。移民による犯罪、イスラム、治安、男女間の対立といった問題を、明確な敵を伴う単純な物語へと変換する極右の言説は、こうした論理に適合しているのだ。

 この傾向は、番組制作をめぐる経済的な事情によってさらに強められる。現地取材や長期の調査には時間と人手がかかるのに対し、スタジオに論客を集め、時事問題について意見を対立させる番組は、比較的少ない費用で長い放送時間を埋めることができる。そのため、専門的な知識や綿密な分析よりも、短い時間で刺激的な断定を繰り出し、論争を生み出せる挑発的な論客のほうが重用されるのである。このようなオピニオン番組や討論番組が増えるにつれ、保守・反動系の論客がテレビ、ラジオ、新聞、出版を横断して活動する機会は増加した。極右の浸透を支えているのは、一部のメディア所有者による政治的な介入だけではない。注目を奪い合い、低コストで絶えず話題を生み出そうとするメディア産業そのものの構造が、極右を増幅させているのである。

*4 Fdesouche(エフ・ド・スーシュ)は、国民戦線(現・国民連合)などで活動していたピエール・ソートレルが、2005年に個人ブログとして開設したサイト。名称は「生粋のフランス人」を意味するフランス語 Français de souche に由来する。2006年以降、移民、イスラム、治安・犯罪に関する主流メディアの記事や映像を集中的に転載するニュースまとめサイトへと移行した。
*5 ヴァンサン・ボロレはフランスの実業家。1981年に一族の製紙会社を兄とともに引き継ぎ、物流、広告、メディアなどへ事業を拡大した。2000年代以降はメディア企業の買収を進め、Canal+、CNews、Europe 1、新聞JDD、出版社アシェットなどを傘下に収めている。

極右の強さは「循環」にある

「極右はネットに強い」。それ自体は間違いではない。だが、極右の本当の強さは、ネットだけに閉じた情報空間を築いたことではなく、ネットと主流メディア、周縁と中心を往復する循環をつくり出したことにある。極右はかつて、新聞やテレビで十分な発言機会を得られなかったため、自前の媒体をつくり、ネット上に活動の場を築いた。ところが、そこで大量の注目と視聴数を獲得すると、今度は視聴率や広告収入を求める主流メディアが、極右の人物や論点を番組へ取り込むようになる。SNS上で仕掛けられた論争がテレビで増幅され、その放送映像が「切り抜き」となって再びSNSへ戻っていく。極右は商業メディアに視聴率と話題をもたらし、商業メディアは極右に社会的な認知と全国的な発信力を与える。両者は対立しているように見えながら、実際には互いを必要とし、互いを増幅させているのである。

 極右の支持者もまた、二つの情報空間を行き来している。一つは、テレビや新聞から社会で起きている出来事を受け取る「外側の公共圏」であり、もう一つは、極右系メディアや政治家のSNS、家族や友人との情報共有を通じて、それらの出来事に独自の意味を与える「内側の公共圏」である。主流メディアを信用しないと言いながら、その報道を材料として利用し、「メディアが隠している真実」という物語へ組み替える。こうした「二重の公共圏」がかみ合うことで、主流メディアの発信も、極右の政治的影響力へと変換されていく。だとすれば、極右への対抗を「もっと上手にSNSを使うこと」へ還元してはならない。問題がネット、テレビ、広告市場、メディア所有、政治権力を結ぶ循環構造にある以上、対抗策もまた、こうした構造そのものに切り込む必要がある。

 まずは、メディアの所有構造に切り込むことである。メディア所有者の政治介入を規制し、編集部の独立を保障するとともに、広告や富豪に依存しない独立メディアと公共放送を支えなければならない。また、極右に無条件の可視性を与える「ショーケース」を作らないことも重要だ。彼らが仕掛けた炎上や挑発を自動的にニュースにせず、扱う場合には、発信者の経歴や思想、過去の差別発言まで含めて伝える。また、憎悪や対立を収益化し、その拡散を支えるプラットフォーム側の責任も問う必要がある。違法な憎悪扇動や利用規約違反に対しては広告配信や収益化を停止し、放送事業者が違反を繰り返す場合には、規制当局が放送免許を更新しないなど、実効的な措置が求められる。

 しかし、規制だけでも足りない。極右が動画、音楽、出版、娯楽を通じて一つの文化を築いている以上、対抗する側もまた、別の文化と世界の見方を作る必要がある。動画、配信、ポッドキャスト、音楽、歴史解説などを通じて、極右とは異なる世界の見方を提案する。政府による上からの啓発よりも、ネット文化を理解した発信者が、その場に合った形式でつくる「下からの対抗言説」のほうが力になる。その際、すでにメディアで主流になった極右の語彙や問題設定を借りれば、最終的には極右を正当化するだけである。必要なのは、メディアを利用しながらも、そこで支配的な問題設定には隷属せず、独自の論点を保つことだ。 極右が築いたのは、単なるネット上の人気ではない。彼らの真の強みは、思想、娯楽、広告、テレビ、出版、政治を結び、注目を影響力へ、影響力をさらに大きな注目へと変える循環である。したがって、それに対抗する側も、制度改革、ジャーナリズム、独立メディア、文化運動を結び直さなければならない。問われているのは、誰がSNSをうまく使うかだけではない。何がニュースになり、誰の言葉が社会に届くのかを決める仕組みそのものなのである。

参考文献

Dominique Albertini, David Doucet, La Fachosphère. Comment l’extrême droite remporte la bataille d’Internet, Flammarion, 2016.
Achraf Ben Brahim, Pourquoi l’extrême droite domine la toile. Le grand remplacement numérique, Éditions de l’Aube, 2023.
Marie Bénilde, Le péril Bolloré, La Dispute, 2025.
Samuel Bouron, Politiser la haine. La bataille culturelle de l’extrême droite identitaire, La Dispute, 2025.
Pierre Plottu, Maxime Macé, Pop fascisme. Comment l’extrême droite a gagné la bataille culturelle sur Internet, Éditions Divergences, 2024.
本間圭一, 『フランス極右とメディア——公共圏の歴史的変遷』, 勁草書房, 2025.

 第10回
なぜ極右の躍進は止まらないのか フランスから考える

昨今、日本では排外主義や自国第一主義を掲げる政党が選挙で議席を伸ばしている。ヨーロッパをはじめとする世界各地での極右政党躍進の流れが、いよいよ到来したとの見方もある。では、極右の「先進地」とも呼べるヨーロッパでは、極右はどのように勢力を拡大してきたのだろうか? フランスの大学院で哲学を学ぶ森野咲が、現地での最新の研究や報道の成果をもとに、極右の成長、定着の背景やメカニズムを明らかにする。

プロフィール

森野咲

(もりの さき)

1996年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、大杉栄や石川三四郎に憧れて渡仏。パリ郊外サン=ドニにあるパリ第8大学哲学科の修士課程2年に在籍中。専門はフランス現代哲学。現在、『ふぇみん』に「極右とフェミニズムの不幸な結婚」を連載中のほか、自身のnoteで「極右の傾向と対策」と題したマガジンを発表している。

プラスをSNSでも
Instagram, Youtube, Facebook, X.com

なぜ極右はメディアに強いのか

集英社新書 Instagram 集英社新書Youtube公式チャンネル 集英社新書 Facebook 集英社新書公式X