大局的な視野に立って高額療養費制度〈見直し〉を捉える必要がある【前編】
西村章リアリスティックに日本の皆保険の未来を考えると?
――高額療養費制度の多数回該当利用者には疾病の種類にかかわらず毎月の自己負担額を、血友病、人工透析、HIV患者と同様に1万円にするべき、という主張は、長年の制度利用者として非常に心強く感じました。
二木:これは私の主張ですが、日本の今の政治状況を考えるとすぐの実現可能性はちょっと厳しいと思います。
――難しいですか……。
二木:私は言うべきことはちゃんと言います。ただリアリストなので、それが実際に実現するかどうかは、今の政治状況から考えるとちょっときついだろう、という答えになりますね。
――「それを実現するためには、保険料の広く浅い引き上げと公費の負担増が必要」と二木さんは主張されています。社会保険料の引き下げは喫緊の急務、という政党や新聞・TVが多いなかで、そのような主張は世論に受け入れられるでしょうか。
二木:おそらく当面は無理でしょう。ただし、2025年11月に私が調べた六つの全国世論調査(※3)では、「給付も社会保険料も現在より減らす(べき)」という意見は、すべての調査で1~2割に留まっていました。マスコミの宣伝と違って圧倒的に少数派なんです。
やや意外なことに、負担増の容認意見が多いのですが、これには3種類あって、ひとつは「給付を拡充して負担も増やす」、これは1~2割です。あと、「給付水準は今のままで、人口高齢化などがあるため負担増はやむを得ない」「給付は少し減らして、負担は多少増えてもいい」という負担増を容認する回答があって、この3種類を合わせるといずれの調査でも4~6割、と「給付減・負担減」の意見を大幅に上回っていました。
だから、日本維新の会が主張するような「医療給付を大幅に下げてなおかつ保険料も下げる」という意見が受け容れられる可能性はほとんどないだろう、ということです。ただし、逆に言えば「給付を増やす代わりに負担もかなり上げる」という主張もほぼ同様にしか支持を得られない。
つまり、国民の大半は給付を増やすか減らすかはともかく、「少しくらいの負担増はやむを得ないかな……」と思っている、ということです。これにはもうひとつの背景があって、日医総研(日本医師会総合政策研究機構)の調査で「貧富の差によって受けられる治療が変わってもいいですか?」という問いに対する肯定的な回答は、この20年間で2割を超えたことは一度もないんです。それに対して「平等な医療がいい」という人は7割です。これが日本人のメンタリティなのでしょうね。
だから、その両面を考えると、「保険料を広く浅く引き上げてでも多数回該当の月額上限額を1万円にするべし」という私の提案が実現する可能性は当面ないと思うけれども、逆に言えば、日本の皆保険がガタガタになるということもまたないだろう、というのが私の予想です。
(※3)「第9回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」(内閣府/調査年:2020)、「令和4年社会保障に関する意識調査報告書」(厚生労働省政策統括官付政策立案・評価担当参事官室/調査年:2022)、「医療・介護に関する国民意識調査報告書」令和5年3月(健康保険組合連合会/調査年:2022)、「社会保障制度改革の中長期提言」2024年6月(三菱総合研究所/調査年;2024)、「高齢者の社会保障に関する意識調査取りまとめ報告書」令和6年11月(長寿社会開発センター/調査年:2024)、「2025年日本の医療に関する世論調査」(日本医療政策機構/調査期間:2024年12月26日~2025年1月7日)
この調査内容と結果は二木氏の論文(「国民は本当に社会保障・保険料の負担増を容認していないのか?―6つの国民意識調査の検討」[『日本医事新報』12月6日号掲載:「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」258号に転載予定]で詳細に検証されている。
――とはいえ、「賃金上昇分が社会保険料負担に消えてしまう」という声は近年ますます大きくなっているようです。
二木:これに対しては入部寛氏(日本社会事業大学社会福祉学部教授・当時)が論文で検証(※4)しています。それによると、若年世代(39歳未満の2人以上勤労世帯)でも、2018~2024年の6年間の社会保険料負担の増加は6201円で、同じ期間の世帯主収入の増加3万3341円の18.6パーセントに留まっていました。
一方で、社会保険料は逆進的なので税金で面倒をみるべきだという大沢真理(東京大学名誉教授・経済学者)さんのような意見(※5)もあります。大沢さんが指摘するとおり、たしかに社会保険料に逆進性はあります。ただし、それは年間所得が極端に低い場合や極端に高い場合です。具体的には100万円以下の人で負担率が非常に高くなります。また、保険料は上限が決まっているので、富裕層では負担率が下がります。私は以前から「国民皆保険の主財源は保険料」と主張していますが、低所得者に対する保険料減免と保険料の標準報酬月額上限の大幅引き上げを行う必要があるとも主張しています。
つまり、普通の低所得者、中所得者層、それなりの高所得者の負担率は、大沢さんも上記論文で記しているとおり、「中ほどでフラットである」というのが事実です。ただし、それはあくまでも客観的な事実であって、世間では政党の宣伝やメディア報道などを通じて誤解もされているようですね。
(※4 入部寛「社会保険料増加は賃金上昇を無効化しているか」:『社会保険旬報』2025年6月21日号 10-13P)
(※5 大沢真理「社会保険料 誰の負担が重いのか」:『世界』2025年9月号95-102P)
――そこなんですよ、釈然としないのが。客観的な事実はそうであったとしても、負担の重さという体感的な印象にそぐわないという……。
二木:それはレトリックで、昔からあることですよ。たとえば、健保連(健康保険組合連合会)は以前からずっと「これ以上の負担増は無理だ」と言っていますよね。でも、健保連は大企業の健保組合です。中小企業労働者が加入する協会けんぽよりも、保険料率はかなり低いんです。しかも、協会けんぽの場合は保険者と加入者の負担割合は50:50ですが、健保組合の場合だと60:40や70:30という場合もある。
だから、ここがポイントなんですが、「保険料負担が上限だ」と言っているのは要するに、企業が「これ以上は払いたくない」ということなんですよ。素直にそう言えばいいのに、労働者をダシにして「これ以上負担できない」というのは論理のすり替えだと私は思います。保険料を引き下げると言うと、労働者本人の負担が引き下がると思うじゃないですか。だけど、同じ額だけ企業負担も減るんです。それはちょっと、今のご時世ではよろしくないんじゃないでしょうか。
――「社会保険料の負担を下げる」という公約を、強く前面に押し出す政党もあります。
二木:保険料負担に対して人々がそういう気持ちになるのは、よくわかります。でも、昔から似たようなことはどこでも言われていましたよ。
古い話で恐縮ですが、私は1970年代まで東京の代々木病院に勤務していました。当時も労働組合の総会などでは、委員長や執行部が「賃金が上がっても保険料と税金が増えて手取りが増えない」と普通に言っていました。1985年には愛知の日本福祉大に移ってきたのですが、その労組でも同じことを言っていました。だけど主張の最後が違うんです。東京だと「こんな状況だから家が買えない」と言うんですが、愛知に来ると「我々も家を買わなきゃいけないからこれでは困る」と言う(笑)。
だから昔から、「給料が増えても税金と社会保険料に消えて手取りが増えない」と言っていたんですよ。そもそも、給付と負担のバランスを聞かずに「負担が重いか?」とだけ訊ねれば、8割の人が重いと回答するに決まっているじゃないですか。
プロフィール

西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。








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