大局的な視野に立って高額療養費制度〈見直し〉を捉える必要がある【前編】
西村章高額療養費制度を利用している当事者が送る、この制度〈改悪〉の問題点と、それをゴリ押しする官僚・政治家のおかしさ、そして同じ国民の窮状に対して想像力が働かない日本人について考える連載第15回。
高額療養費制度の方向性について検討が続いてきた議論は、2025年12月に入っていよいよ大詰めを迎えようとしている。当初の〈見直し〉案が紛糾していた今年2月から患者の自己負担引き上げに強く反対の意を表明してきたのが、日本福祉大元学長の医療経済学者・二木立氏だ。

数々の著作や論文で二木氏は、国民皆保険制度が日本社会の統合を維持する最後の砦であることや、患者の自己負担額は諸外国と比較して最も恵まれた制度とは必ずしも言えないこと、高額療養費制度でも医療保険制度全体でも患者の自己負担引き下げが必要であることなどを、再三にわたって明快な論旨と重層的な検証で指摘・主張してきた。
なかでも、「医療保険の一部負担は究極的には全年齢で廃止すべき」「難病法に指定されていない難病患者やがん患者、具体的には『多数回該当』の利用患者は自己負担額を1万円に減額すべき」という持論を知ったときには、長年の制度利用者として深い感銘と共感をおぼえた。
そこで、昨年冬から続いてきた議論が石破内閣から変わった高市内閣で取りまとめられようとしている現在、高額療養費と日本の医療保険制度について、二木氏に訊ねた。
(取材日:2025年12月5日、於 日本福祉大名古屋キャンパス)
――2024年冬にいきなり浮上したように見えた高額療養費制度〈見直し〉は、もともと2023年末の政府改革工程(「全世代型社会保障構築を目指す改革の道筋」)内で達成目標年度を特に設定せずに盛り込んでいた項目を2024年に持ち出してきた、ということのようです。そもそもなぜ「高額療養費の見直し」が改革工程に盛り込まれたのでしょうか?
二木:2023年の閣議決定の時はいろんな改革項目、たとえば給付範囲の縮小や患者負担の増大が、特にどれが大事だということではなく羅列されていたんです。そのうちのひとつが、高額療養費制度の見直しでした。間口を広げて「こんなことも大事だ、あんなことも大事だ」と盛り込むやりかたは、政府関係文書の常套手段ですよ。ただ大事なのは、その後の公式文書では2024年11月まで高額療養制度の見直しには触れていなかったんです。要するに(岸田政権下で決定したこども未来戦略の)子ども子育て支援加速化プランで必要になる1.1兆円を調達するために何でもかんでも入れた、ということだと思います。
――高額療養費制度の自己負担引き上げそのものは、政府にとって長い間の懸案事項だったのでしょうか。2012年の民主党政権下では「税と社会保障の一体改革」が閣議決定されていますが、その当時から連綿と続く「宿題」のようなものだったのですか?
二木:それはまったく違います。当時はそんな議論を一切していません。なぜなら、その直後の2015年に高額療養費制度の患者負担上限は引上げられています(※1)。だからそこで一段落がついていたわけで、それ以降は高額療養費制度の話は出ていません。
(※1)2015年には、所得区分がそれまでの3段階から5段階に細分化され、高所得者層の自己負担上限額はそれまでの15万円から25万2600円へ大きく引き上げられた。一方、年収370万円以下の所得層は8万100円から5万7600円へ引き下げられた。
――二木さんは著書『医療経済・政策学の視点と研究方法』(2006:勁草書房)などで「医療費抑制という国是」とお書きになっています。政府の政策で医療費抑制が国是になったのは、いつ頃、どのような理由からなのでしょうか。
二木:これは日本の医療政策や国民皆保険の歴史を体系的に勉強してきた者なら、研究者の立場によらず常識ですよ。1970年代前半、正確に言えば1973年より前までは負担が多少増えても給付をどんどん拡大していました。その1973年10月に高額療養費制度ができましたね。それと同時(1973年10月)にオイルショックが起きて、そこで流れがガラッと変わって当時の大蔵省が1970年代中頃以降は常に「(給付を)減らせ、減らせ」と言ってきました。
(公的)医療費抑制政策が本格的に始まったのは中曽根内閣のいわゆる臨調行革路線で、その1980年代前半から、というのは研究者の間では常識です。
――二木さんは「医療に受益者負担は馴染まない」と、論文や著作のなかで再三指摘をしています。では、高額療養費のような医療サービス給付に応能負担が長年適用されているのはなぜなのでしょうか。
二木:それは少し誤解で、高額療養費制度で所得別の自己負担上限額(いわゆる応能負担)が導入されたのは2001年です。それまではずっと一律で、2001年に初めて3段階の所得別になりました。そして2015年に今の5段階になりました。つまり2001年、小泉内閣のときに自己負担に応能負担原則を取り入れるやり方がぐんと加速したんです。それ以前は、応能負担は保険料に反映する、という私と同じような考え方が社会保障研究者だけではなく厚労省の担当者の間でも常識だったと思います。
――「『きめ細かい制度設計』と称してすでに高い社会保険料を納めている高所得者の自己負担を著しく高くすると、彼らの医療保険制度への不信や、低所得者・医療扶助受給者に対する差別意識を生み、社会保険にとって重要な「社会の連帯」を弱めて分断をもたらしかねない」という『文化連情報』や『月刊/保険診療』などに二木さんが発表した論文の主張は、まさにそのとおりだと膝を打ちました。
二木:賛成していただいて、どうもありがとう。
――とはいえ、そのような指摘や、給付の公正化を促す主張が新聞・テレビなどのメディアで主流になったことはおそらくなく、むしろ「医療費抑制という国是」を信じ込んでいるような印象もあるのですが、それはなぜだと思いますか?
二木:わざと古いことを言えば、「時代の支配的思想はその時代の支配層の思想である」とマルクス、エンゲルスが言っていた、昔ながらの言葉どおりのことじゃないですか。不思議でもなんでもないですよ。もうひとつ大事なことは、1990年代末から「支配層」の医療・社会保障改革の流れは、市場原理を万能視する新自由主義的改革と、国民皆保険制度の大枠を維持しつつも医療・社会保障制度の部分的な公私二階建て化を目指す、というふたつのシナリオに分かれたというのが私の主張で、これは多くの人からも賛同を得ています。
――メディアが「医療費抑制という国是」を信じ込んでいることは、「超高額薬剤の増加が医療費を圧迫している」という〈俗説〉にも表れているように思います。
二木:「超高額薬剤により医療費が増大している」という主張は極端な誇張、もしくは事実誤認です。薬価は、2015年以来厳しく抑制され続けています。国民医療費の2015年度から2023年度までの伸びは14パーセントであるのに対して医薬品費総額の伸びは2.8パーセント、と大きく下回っている、という論文(※2)もあります。
その論文にも書いてあり、私も再三言っていることですが、たしかに高額薬には1億円を超えるようなものがあります。しかし、そのような薬品の適用患者数はすごく少ないんです。だから、高額薬が医薬品費総額、ましてや国民医療費の大きなシェアを占めているわけではけっしてない。医薬品に限らず物やサービスの経済分析の基本は、価格(P)だけを見るのではなく、価格(P)×使用量(Q)=総額(PQ)、で見る必要がある、ということです。超高額薬品はこれからも次々に登場するでしょうが、トータルの医療費を大きく押し上げる要素にならないのは、そのためです。
(※2 武田俊彦「医薬品は医療費増加の最大要因なのか」:『QOL VIEW』2025年10月号 24-27P)
プロフィール

西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。








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