日本人で2人目のトリプルクラウナーに
アメリカ3大ロングトレイルを踏破して感じたのは、つぎのようなことだ。アパラチアン・トレイル(AT)でトレイルの楽しさや文化を知り、歩くことの素晴らしさを体験する。パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)では、6つの国立公園を通り、トレイルエンジェルや仲間の協力を得ながら歩く。コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)で未完成で孤独なトレイルを自分の感覚で歩き、ハイカーとしての自分を確立する。3つのトレイルにはそれぞれ特色があったように思う。このような特色があるからこそ、アメリカでは、ATからPCT、最後にCDTを歩くハイカーが多いのかもしれない。前述のように、2013年にCDTをスルーハイクしたのは40名ほどで、2019年でも約150名。ATが1年間で2,000人のスルーハイカーがいる状況を考えると、CDTはいまだ、孤高のトレイルと言えるのかもしれない。
そして、僕はこの年、日本人で2人目のトリプルクラウナーになった。「MASA、日本で2人目ということは、アジアで2人目だよ」と在米中国人のハイカーに言われたことを思い出す。当時トレイルを歩くのは、在米のアジアンハイカーがほとんどで、アジアの国からアメリカにトレイルを歩きに来るハイカーは日本人しかいなかったのだ。
僕は、アメリカ3大ロングトレイルを歩き終え、トリプルクラウナーとなった。しかし、しばらく実感は無かった。しばらくというより、僕には歩き終えたという実感も感覚も、終えたことに対して浮かび上がる「何か」すら、十数年を経た今でも無い。
プロハイカーとして自分に課した最低限の目標を達成した。しかし、現実に仕事はさほど増えなかった。
トレイルでは、PCTを歩いたハイカーやATを歩いたハイカーと出会うことがものすごく多い。しかし、トリプルクラウナーに出会うことは稀だ。多くのトリプルクラウナーは、3大ロングトレイルの踏破を目標にしているからだろう。目標を達成すれば歩かなくなるのは理解できる。スルーハイカーは、トレイルを歩くことに追われ、休むことを悪だという考えに陥ることが多い。僕もATを歩いている時に、一度だけそうなったことがある。歩き方はどんどんエスカレートして、休まず歩き続ける。明け方から歩き始め、夜の帳
が下りる頃までも歩き続けるのだ。そしてスピードに取り憑かれたハイカーは疲弊し、3大ロングトレイルを歩き終えた後、長距離トレイルを歩かなくなる。その後トレイルを歩いていて、僕がトリプルクラウナーに会ったのはたった1回だけ。彼も、トレイルで初めて会ったトリプルクラウナーが僕だったという。歩く情熱が冷めなかったのは、僕にとってアメリカ3大ロングトレイルの踏破は、ただの通過点でしか無かったからだろう。それに、自然の中で生活し、ただ単純に生きることだけを優先する生活そのものが、僕自身にとって心地よかった。
ニュージーランドの道路と自然を歩く
アメリカ3大ロングトレイルを歩ききったことで、僕の中で、アメリカ以外の地域でトレイルは盛んに行なわれているのだろうかという疑問が生まれていった。PCTではヨーロッパや中東からのハイカーに出会ったので、それらの地域にも歩く文化はあるはず。しだいに他の国を歩いてみたいという衝動が生まれた。僕自身、アメリカのトレイルしか歩いたことがなかったので未知の世界だが、歩いてみたい。
アメリカ以外で長いトレイルというと、真っ先に浮かんだのが、ニュージーランドの「テ・アラロア」だった。北島の先端、ケープレインガから南島の南端、ブラフまでの約3,000㎞の道のり。しかも全線開通したのが2011年という新しいトレイルだ。
僕は、アメリカ以外の国々にアメリカと同じトレイルがあることをどこかで期待していた。期待していたというより、同じようなトレイルが当然作られていると思い込んでいたのかもしれない。
2014年秋、僕はニュージーランドへ向かった。最初に驚いたのは、歩くための道が「トラック」と呼ばれていたことだった。テ・アラロアは、ニュージーランドに点在するトラックを結んで1つのトレイルとなっているように見えた。歩き始めて直ぐにテ・アラロアの難しさに直面した。道路歩きが多かったのだ。しかも、船で渡る箇所や、潮が引いたときにしか通れない道など、僕が今まで歩いてきたウィルダネス(原自然)を歩くどのトレイルとも違っていた。船で渡る場合、水上タクシーを利用するか、数日かけて迂回するかしかない。きっと観光の国だけに、地元にお金が落ちることを前提としているのだろう。僕は、ここで初めて地元の人と話をして、釣り船をヒッチハイクするという方法を知った。そもそも船をヒッチハイクできると思っていなかったので、そんなアイディアは頭の片隅にさえ浮かばなかった。
毎日道路を歩いたが、キャンプする場所も水を補給する場所も、日光を遮る木陰も無かった。大都市付近に入ると、いわゆるイギリス式のフットパス(歩行者専用道路)のように、トラックが住宅地の裏庭を縫うように作られていた。
アメリカのトレイルとはあまりにも違う道のりに、驚くとともに、ふつふつと言い知れぬ感情でいっぱいになった。北島で僕が1日に道路を歩いたのは、確かマックスで60㎞ほどだったと思う。1日中道路やハイウェイを歩いた。水に困り、トイレに困り、休憩場所にも困った。車がハイスピードで行き交う道路脇で昼食をとったり、座り込んで休むわけにはいかない。
ハイウェイを歩いている時、2度ほど車が停まったことがある。掛けられたのは、「数ヶ月前、ここで交通事故が起きて亡くなった人がいるから歩かないほうがいいよ」「ニュージーランドのハイウェイは危ないから早く車に乗りなさい」といった声だった。
南島に入った頃、テ・アラロアで初めて2人のアメリカ人ハイカーに出会った。1人はATを、もう1人はPCTをスルーハイクしたハイカーだった。3人で同じホステルに泊まったのだが、ATハイカーはもはや道路を歩きたくないと、歩くのを断念していた。PCTハイカーはせっかくニュージーランドまで来たので歩くと言った。彼は、ハイウェイを歩いていてドアミラーを体にぶつけられ、当て逃げされたことがあったらしい。幸いドアミラーだけだったので、怪我は無かったようだった。僕はといえば、文明の中である道路を歩くことに疑問を感じていたが、地図を見ると南島ではトラックも多く、とりあえず歩き続けることにしたのだった。
南島に入るとルートが一変した。まるで絵の具の水色を落としたような湖、世界遺産を目指すほどの星空、日本ともアメリカとも全く違った風景だった。南島で出会ったフランス人ハイカーは、道路はトレイルじゃないから全部ヒッチハイクするかバスを利用していると言っていた。実際にこうして割り切って歩くハイカーは少なからずいた。道路歩きの多い北島は歩かず、美しい景色の広がる南島だけを歩くハイカーも多かった。僕は、美しいトラックに入ると歓喜し、ルートが舗装路に変わると失望する……を繰り返していた。いま振り返ると、南島の美しい景色を見るために、北島の道路も歩いたのだと思う。

マオリの人々と出会って
その、日に焼けた肌とクルクルの髪の毛から、現地でも先住民族のマオリの方からよく声をかけてもらった。アメリカを歩いていても、帽子を被っていると、ネイティブアメリカンの方から声を掛けられることが少なくない。例えばこんなこともあった。トレイルの道路区間を歩いている時に、1人のネイティブアメリカンが話しかけてきた。「俺はナバホ族とアパッチ族のハーフだけどお前は?」帽子を取って、日本人だと伝えると、「僕らの先祖は、太平洋をわたって、日本やトンガ、ニュージーランドへ行った。だから、僕らは兄弟だよ」と彼は微笑んだ。実は、どこにいっても僕は中国や韓国など東アジア出身者に間違われることはほとんど無い。先住民の同胞に見られることが多い。でも、このことが僕にとって素敵な出会いを作ってくれていたのは言うまでもない。ちなみに僕の両親は、共に山形県新庄市の出身の日本人で、僕自身も生粋の山形県新庄の民だったりするのだが。
ゴールの100㎞手前辺りから、再び道路を歩く道が待っていた。夏だと言うのに僕の最後は冷たい雨と風に吹かれた、寂しいゴールだった。それもそのはず、南の起点ブラフのあるエリアは西岸海洋性気候で、夏でも気温が低いエリアだったのだ。
歩き終え、達成感のようなものがあったかどうか問われると、やはりあまり感じなかった。今までのようにこれで僕のトレイルが終わるわけでもない。ただ、ブラフからオークランドまで、帰りの機内で窓の外を眺めると、まさに僕が歩いてきたテ・アラロアが見えた。数ヶ月の道のりも、飛行機を使うと数時間で終わるのかと、そんな儚さを感じていた。
ニュージーランドはイギリス領だったこともあり、国立公園の制度などは日本と同じイギリス式だ。国立公園エリアでも私有地を含んだルートが多い。ルートが私有地を通る場合、時に管理人に直接電話をしてOKをもらえないと通れない道がいくつかあった。このような事情からフットパスのような道があることも理解できる。ニュージーランドは日本と同じ島国。持ち込むアウトドア用品は、新品かしっかりと泥や土を落としたものでないといけなかった。他にもトラックの入口に靴の泥を落とすためのブラシが設置されていたり、消毒用の溶剤があったりする。釣りをする際は、藻が他の湖に広がらないように厳重なルールも存在していた。さらに、オーストラリアから入ってきたポッサム(小型~中型の有袋類)により、先住鳥類(飛べない鳥)が食べられるなど、外来種による被害が顕著だったこともあり、トラバサミ(その残忍さから日本では禁止されている罠)や、頭を挟みこむ罠など、かかったまま死ぬまで放置されている動物の姿も多く見かけた。
マオリの方のお宅に泊まった時、なにげなく「ポプラ並木は紅葉の時きれいだよね」と言うと、これは、ここに人が住んでいることを示すためにイギリス人が植えたものなんだと教えてくれた。「あのきれいな花も、この草も、そこら中にいるネズミも全てイギリス人が持ってきたものなんだ」と教えられた。僕は外来種に蝕まれた景色が、ニュージーランドの原風景だと勝手に思い込んでいたのだ。知らないでいることがいかに罪深いか知った気がした。
日本では、靴や道具に土が付着したままでも入国を止められることはない。注意されることもない。そして当たり前に目にする動植物が在来種か外来種かわかりにくい状況になっている。まして、グローバル化で人々が行き交うようになり、感染症が世界中であっという間に広がるようになった今、ますますその危険性は高い。だからこそ、自国にも他の国にも環境に変化を与えるものを持ち込むべきでないと知ることが重要だ。知ることは、意識することとなり、環境を取り戻すことに繋がるはずだ。
(続く)

トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。 北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。 山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。 20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。
プロフィール

(さいとう まさふみ)
プロハイカー
1973生まれ。山形県新庄市出身。アパレルブランドやディベロッパー企業などに勤務後、
2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿、講演やイベントを行う傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「YLTクラブ(山形ロングトレイル)」に携わる。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、踏破した国内外のトレイルだけで25,000km(地球半周以上)を超える。
公式HP https://hikermasa.wixsite.com/
Instagram @hikermasa
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