トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。
北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。
山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。
20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。
雪のCDTへ
2012年、7年ぶりにパシフィック・クレスト・トレイル(以下PCT)を歩いて、久々に味わったトレイルの空気感は、悪くなかった。再びトレイルを歩いた満足感で満たされたが、日本に戻ると、プロハイカーとしての仕事はほとんどなく、サラリーマン時代の貯蓄をただ費す日々に焦りしかなかった。ともかくトリプルクラウナー(アメリカ3大ロングトレイルを踏破した者に与えられる称号)になることは、アウトドアの業界で生きていくためにマストなものと信じて進むしかなかった。
協力してくれるスポンサーを探すために、名古屋にいる時、加藤則芳さんが亡くなったと長野の放送局のKさんから連絡が入った。僕は後日、Kさんや信越トレイルのスタッフの方々と予定を合わせて、加藤さんとお別れするためにご自宅に伺うことにした。しかし、連絡をもらい、Kさんと会って話してから加藤さんのお宅に伺うまで、どう過ごしたか、全く覚えていない。予想より症状が進んでいることは数ヶ月前にご自宅に伺って知っていたのだが……。あまりにも急な出来事に頭が真っ白になっていた。僕は、加藤さんから引き継いだ2つあったバックパックのうち、1つを返却した。そのバックパックは加藤さんと共に旅立った。それから2ヶ月後、僕は加藤さんから引き継いだバックパックのうち、最後の1つを背負い、3大トレイルの残る一つ、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(以下CDT)へと向かった。バックパックの替えは無い。加藤さんのバックパックで最後まで一緒に歩ききる、そしてトリプルクラウナーになると誓ったのだった。
CDTを歩くにあたり、まず僕を悩ませたのは、管理団体が2つ、北の起点が2箇所、南の起点が3箇所あることだった(当時)。
僕としては北から行っても、南から行っても条件的にはさほど変わらないと考えていた。南から出発する場合、一般的には3月に出発。残雪が残るコロラド州を通過し、モンタナ州で降り始める雪に対処する行程になる。北から行く場合は、6月の雪解けを待ってスタートし、早いと9月にコロラド州に到達する頃に雪が降り始める。降る雪か残雪か。どちらを選んでも雪が問題になるのは変わりがなかった。
僕は、雪解けを待って、確実にある雪より降るかもしれない雪を選んだ。つまりサウスバウンダー(北から出発して南向きに行くこと)で歩くことを決めたのだった。この頃、CDTをスルーハイク(単年で一気に歩き通す歩き方)で歩くハイカーは50人ほど。僕が歩いた2013年は北向きに歩くノースバウンダーが30数名、サウスバウンダーがわずか6名ほどで、彼らは前年にPCTを歩いていることが多かった。
CDTを難しくしている要因の一つが、トレイルルートの7割しか完成していない現実。また、既存のルートも消失していることだった。未完のトレイルと揶揄される道は、正規ルートとサブルートが混在する道で、サブルートを選んで歩くとほとんど道が途絶えているようだった。おそらく、歩くハイカーの数が極端に少なく、サブルートが提唱されたのだろうが、逆に歩くハイカーが分散され、その結果、どちらのルートも草が生え、自然に戻ってしまったのだろう。荒野に設置されたサインが倒れ、道が無いことでサインを再設置できないことも考えられる。そもそも未完成のままシーニックトレイル(景観のトレイル)に指定されたことが大きな要因だろうと思う。
CDTでは、トレイルエンジェル(ハイカーを手助けする人々の総称)の数も極端に少なく、沿線住民ですらコンチネンタル・ディバイド(大陸分水嶺)は知っていても、そこにトレイルがあることを知らなかった。スタートして数日後、僕は「道がない」という洗礼を受けた。これまでのように、ルートを純粋に辿るピュアハイカーとして歩くのは困難だと感じた。頭だけでなく体も精神も、今までの観念を捨てることが必要だった。そもそも道がないのだから、これまでのように、ルートに対して純粋に歩くこともできはしないのだが。
CDTは「孤独なトレイル」ともいわれる。その洗礼を最初の2ヶ月くらいで味わった。ここではスルーハイカーはおろか、セクションハイカー(トレイルの一部分を歩くハイカー)とも出会うことがなかった。ただ、ただ、歩く孤独な日々。ロスト(道迷い)して、道なき山をいくつも越えた日もあった。荒野を彷徨うことも、ヒグマが多いエリアではベアスプレーを握りながら歩いたこともあった。モンタナ州を過ぎ、ワイオミング州に入った頃、3月に南の起点を出発したハイカー達と一気に出会った。彼らにとっては終盤戦。ほとんどのハイカーが2名ないし5名ほどのグループで歩いていた。おそらく数日で30名ほどとすれ違ったので、同じゾーンの中でほとんどのノースバウンダーが歩いていたのだと思う。
中には、2012年のPCTで結構な時間を一緒に過ごしたトレイルネーム「ハイライフ」や、ウルトラライトの装備にジャンクフードを食べて歩いているのに、しっかりとした一眼レフを持っている、「ポートレイト」に再会した。彼らと話し、別れると、再び孤独なレースが続いていった。イエローストーン国立公園では、トレイルの近くのテントサイトが予約で埋まっていて、4マイル(6.4㎞)離れた場所でテントを張った。夜は狼の遠吠えを耳にした。その昔、本で読んだ20世紀の大実験、イエローストーン国立公園に狼を再編入した生態系回復計画をまさに体感した瞬間でもあった。初めて聞く狼の遠吠えに心が震えた。

孤独のトレイル
実は、CDTを歩いている時、コロンビアスポーツウエアジャパンのスタッフの方に連絡を取りながら歩いていた。コロラド州でCDTを一時休んで、カタログで使う写真を1週間撮影するという予定だった。日本人2人目のトリプルクラウナーを目指すという過酷なチャレンジと両立できる仕事では無かったのだが、少しでもトレイルが話題になればと、中断を決意したのだった。撮影した写真は、翌年のカタログに使用され、我が人生において最初で最後のモデルのような仕事となった。しかし、この1週間の遅れによりコロラドで積雪に見舞われるという大きな代償を払うことになった。標高3,000m以上の高所が続く9月のコロラド州はほとんど雪景色だった。幸い、大きな町にアクセスしやすく、防寒ウエアを買う幸運に恵まれたが、テントの中は日々凍える寒さ。ハイドレーション(歩きながら水分を補給できるチューブ付きの水筒)は凍り、時にはナルゲンのボトル(プラスチックの厚手の水筒)も凍っていた。そんな状況をSNSで見ていた、ジェニー(友人のマークの奥さん)は、マークにお金を渡して僕に会いに行くよう言ってくれた。
マークは、2005年アパラチアン・トレイル(以下AT)を歩いていた時に出会い、後半の2ヶ月ほど一緒に歩いたハイカーだった。彼の奥さんが芸術家で来日した際、会社を休んで彼女の展示ブースを手伝ったこともあった。
マークは雪のコロラドの山奥まで僕に会いに来てくれた。思いがけず来日した時以来4年ぶりの再会と2泊3日の温泉旅で、僕は心も体も満たされた。ATを歩いていた頃、僕のヒアリングは惨憺
たるものだったが、マークの言っていることは不思議と聞きやすかった。再会した時も、やはりマークの英語だけはよく理解できると再確認した。
サウス・サンファン・ウィルダネス(コロラド州)を越える前、一組のスルーハイカーに追いついた。彼らは僕より1日多く町に滞在したのだが、僕が通過したすぐ後、更なる大雪に見舞われたらしい。あの状況では、彼らが峠を越えて来るには数日かかるだろうと思った。僕が休まず一気に抜けたのはいい判断だった。それにしても、歩き始めて実に約4ヶ月、最後のニューメキシコ州にさしかかる頃まで同じ方向に歩くスルーハイカーに出会わないとは想像もしていなかった。
ニューメキシコ州に入っても寒さは全く変わらず、暖かさを求めるようにただ南を目指して歩いた。そしてパイタウンという街で3人のスルーハイカーに追いついたのだった。車のサポートがついていて、スラックパッキング(お昼ご飯と水など最低限の荷物だけ持って歩く)で歩いていた。パイタウンで一緒になった時、グランドキャニオンに行かないかと誘われたが、日本人の僕にはビザの滞在日数の制限があった。僕は先に行くことにし、彼らと分かれ、再び1人で歩き始めた。この頃の僕は、残りの行程のほとんどをスラックパッキングで歩くことを良しとする気持ちがまだ持てなかったのだと思う。いろいろな歩き方があるのは頭では分かっていたのだが、なんとなく正当な行為として受け止められない自分がいたのだった。結局、孤独な歩みはそのまま続き、最終的に僕は孤独なトレイルらしく1人で最後を迎え、CDTを歩き終えたのだった。

トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。 北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。 山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。 20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。
プロフィール

(さいとう まさふみ)
プロハイカー
1973生まれ。山形県新庄市出身。アパレルブランドやディベロッパー企業などに勤務後、
2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿、講演やイベントを行う傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「YLTクラブ(山形ロングトレイル)」に携わる。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、踏破した国内外のトレイルだけで25,000km(地球半周以上)を超える。
公式HP https://hikermasa.wixsite.com/
Instagram @hikermasa
Facebook https://www.facebook.com/saito.masafumi.3
斉藤正史




天野慎介×西村章
速水健朗×福尾匠

樋口恭介×中路隼輔
アレックス・カー