対談

近代日本の成長がもたらした「破壊」と「汚染」の中で

──生類の思想と統治①
青木 理×藤原辰史

震災、津波、原発事故という、この途方もないカタストロフィ(破局)をどう書けばいいか。15年前、3・11の現場に立った時、災害の巨大さと複雑さに呆然とするしかなかったというジャーナリストの青木理氏。長い煩悶の中で巡りあったひとつの事件が、青木氏を動かした。原発事故の甚大な被害を受けた福島県・飯舘村で、「全村避難」を強いられて自死した102歳の老農夫。彼はなぜ自ら命を絶ったのか──その背景を仔細に追跡すると、先の大戦を含めた「国策」の過ちと、それに翻弄された家族の悲痛な運命が浮かびあがってきた。現場や村人たちに寄り添い、10年の月日をかけて上梓に至ったルポルタージュが『百年の挽歌 原発、戦争、美しい村』(集英社)である。
災害や原発事故ばかりではない。日本が突き進んだ近代化は、命をはぐくむ環境をもじわじわと破壊し続けてきた。「挽歌」とは、その中で踏みにじられた命すべてへの哀悼か。人間と環境をめぐる思考の書『生類の思想』(かたばみ書房)の著者、藤原辰史氏(京都大学人文科学研究所教授)との対談では、汚染と破壊の中でどう人は生きるべきかを真摯に問う。

構成:宮内千和子 撮影:三好祐司

2025年秋、飯舘村の田園。撮影:青木理

近代日本の成長が壊してきたもの

青木 藤原さんには少し前にお目にかかった際、今作の刊行予定と内容のあらましについて伝えてはいましたが、実際にお読みいただいていかがでしたか。

藤原 いやー、面白かったです。そういうと語弊がありますが、やはり102歳のおじいさんが自殺をするというのは、衝撃的でした。一番長生きした私の曽祖母は89歳で老衰で亡くなっていますが、それよりさらに長寿の102歳の老人が自ら死を選ぶなんて、ふつうは考えられない。本の帯に、「古老は、なぜ自ら命を絶ったのか?」とありますが、私が驚いたのは、青木さんが取材を進めるうちに、その問いの意味がどんどん広がっていき、やがて日本がたどってきた近現代の過ちに行きつくことです。こういう問いの広がり方を受け入れる姿勢は、研究者ではなかなかできない。

藤原辰史氏と青木理氏

青木 正直に明かせば僕の遅筆や怠惰のせいも大きいのですが、その問いに辿り着いて解き明かすのに10年近くかかってしまったのも事実です。

藤原 その作業は絶対必要だったと思います。自死してしまった大久保文雄さんと震災や原発事故を単にたどるだけでなく、戦争も含めて、緩く長くこの20世紀前半から後半にかけて日本の歴史が失ってきたもの、破壊してきたものの総体がこの本から見えてくる。また私は、そう見なければいけないと思います。

青木 その点に関して言うと、たとえば首都圏への人口などの一極集中が近年ますます進行し、全国の地方部はほぼ例外なく高齢化と過疎化に喘いでいます。いまは僕も藤原さんも都市部に暮らしていますが、もともとはお互いに地方の出身で、僕が信州は長野、藤原さんは島根の出雲。だから地方の実像や苦境は皮膚感覚でわかると思うのですが、そうした地方部は高齢化や過疎化に歯止めがかからない一方、ある意味で金太郎飴的な画一化というか、風景もすっかり均質化してしまっていますね。

藤原 そうですね。郊外のショッピングモールとか、どこに行ってもあまり景色は変わりません。

青木 それなりの歴史を持つ街や繁華街は寂れて“シャッター商店街”と化し、一方で国道沿いのロードサイドなどには大手チェーンのファストフード店やファミレス、あるいは大型の量販店などが林立している。それだけを眺め、その中にいれば、いま自分がどこの街にいるのか分からなくなってしまうほどです。

飯舘村は違いました。その類のものが一切ないばかりか、大型のスーパーマーケットすら村内に存在せず、山林が7割以上を占める村は、平凡といえば平凡かもしれませんが、閑静な里山の合間に長閑な田園風景がゆったりと広がっている。いま藤原さんが指摘された、20世紀前半からの日本が緩く長く失ってきたものが、風景が、まだ残されているのだと幾度も実感させられました。

藤原 「飯舘村には何もないけれども、じつは豊かで限りなく美しい」と、何度もこの本で繰り返されています。その感慨深さは、恐らく青木さん自身が育ってきた近代日本の成長過程と重なり合うところで起きているわけですね。目覚ましい経済成長はあったけれど、その規模以上にとんでもないものを、敵国の空襲ではないのに、破壊してきた過程があった。戦争も含めて「昭和100年」という長い期間にわたって、じっくりとゆっくり破壊してきた歴史があった。ところが、飯舘村という場所は違った。100年前の暮らしがほぼそのまま残っている部分がある。びっくりしたのは、まだ薪でお風呂を焚いていたんですね。

青木 大久保家はそうでした。自死した文雄さんは、薪で沸かした湯の方が身体が芯から温まるんだと言って、最後までこだわっていたそうです。それに周囲は山々に囲まれていますし、一時は炭焼も手がけていた文雄さんは山林を所有していましたから、エネルギー源としての薪は無尽蔵にある。炬燵の熱源も炭だったそうです。

藤原 一見、古びた方法にみえますが、それがじつはどうみても「合理的選択」だった。目の前の山から調達した薪を使ったほうが、石油やガスを買うより絶対安いし、体も芯からあったまる。そういう暮らしが100年間、ほぼ壊されないであった。稀有なことです。100年のタームでいえば、飯舘村は、日本が自分で破壊してきた日本列島に残った最後の場所のひとつだったかもしれない。近代への成長過程で、文化がこれだけ破壊される国といえば、韓国も同じですね。周縁の無機質なマンション群は、すべて開発独裁が行われた場所です。そうしたディベロッパーたちの手を逃れ、最後に残された飯舘村という場所が、原発ごときでやられてしまった。もっと言えば、日本近現代史150年分の凝縮した歴史経験を、この102歳の大久保文雄さんが自らの身に引き受けたというように読み取れました。

青木 その通りかもしれません。もちろん、ひとくちに飯舘村といっても実際はさまざまで、近年はオール電化の住宅などもありましたし、薪で風呂を沸かすような家は圧倒的な少数派だったでしょう。ただ、そうした生活もかろうじて残り、息づき、文雄さんと家族は実践者でもあった。それが原発事故で根こそぎ奪われ、文雄さんは自ら命を絶ってしまいました。

藤原 原発事故で村が放射性物質に汚染され、「全村避難」を強いられる見通しになった際、文雄さんがひとりごちる発言を読んだときつらかったです。「ちぃっと長く生きすぎたなぁ。イヤなものを見ちまった」と。この言葉に集約されていると思う。都会生活者にとっての風景とは客体化されたものですが、自分が力を尽くして開墾してつくり上げた風景は、もうこのおじいさんと一体化したものなんですよ。自分の体と切っても切れないものが、目の前で崩壊していくという絶望。きっとそういう感覚があったんだろうなという気がします。

「壊しては作る」儲け主義の代償として

青木 もとより近代化を全否定などしませんし、われわれもその恩恵を一身に受けているわけですが、しかしなぜ日本の風景はここまで陳腐な画一化、均質化に向かってしまったのか。昔ながらの長閑(のどか)な風景をもっと残したっていいはずだし、地方ごとに息づく多様性がもっと残されてもよかったはずです。それこそ「保守」を自称する者たちこそ、最も強く訴えて固執するべきだったのではないか、とも思わされます。

藤原 二つほど、理由があると思います。ひとつは、日本精神史にある気がします。あの悲劇的な戦争をもたらしたのは、日本の田舎主義や村社会に根を下ろす旧態依然とした精神性であると。そういう日本精神史的な反省があって、戦後は日本文化への蔑視や破壊が急速に進んだんじゃないかと思う。2点目は、壊して作るというスクラップ・アンド・ビルドというモデルが一番経済成長に役立つという認識でしょう。壊してはつくる、壊してはつくる。日本の使い捨て文化の圧倒的な恐ろしさは、この反復から滴る地域開発のうまみからきているわけです。日本人は、自分たちが暮らす風景さえも、そういう経済システムの中に入れてしまった。そのふたつが要因じゃないかと思います。

青木 さらに細かく見れば、大店法(大規模小売店舗法)の改変による影響なども大きかったのではないですか。かつては中小の商店を保護する目的で大型商業施設の新設はかなり規制されていたけれど、1990年代に入ると日米構造協議、つまりは日本の市場開放を迫るアメリカの圧力などを受け、規制は大幅に緩和された。これにクルマ社会の本格化なども相俟って、それなりの個性を有した駅前や地域の商店街、繁華街が廃れ、郊外や国道沿いなどへと人の流れが移っていってしまった。

藤原 その通りだと私も思います。大店法の規制緩和などによって、イオンのような大型店舗がショッピングモールに入り、そこにマクドナルドやケンタッキーといったグローバルチェーンが入居するフードコートができる。アメリカ牛を使った牛丼屋さんもそうだし、ドーナツ屋さんもインドネシアのパームヤシのオイル使用なので、海外のグローバルな食品産業のネットワークが大店法を通じて地域に組み込まれていくと。それで何が起こるかというと、地域の食文化が徐々に崩壊していくわけです。20世紀に欧米が辿ってきた同じパターンを日本は凝縮して繰り返しているようにみえます。

青木 グローバル化にも功罪はもちろんあれ、明らかに罪に類すべき部分まで無定見に受容して希少な地域文化や景観を破壊してしまった面があると。

藤原 ありますね。グローバリズムには、みんな同じような文化と技術を謳歌できるというイメージもありますが、それと裏腹に、そこにしかない人と自然とのネットワークを破壊していく側面もある。僕の研究からいうと、食べ物に一番出ると思うんですが、食だけでなく、木組み細工や、陶芸、木工、金工、漆芸とか、地域の特徴がどんどん失われていくことと深く関わっていると思います。

青木 なかでも藤原さんが専門とする食に関しては、僕が感じた飯舘村の「豊かさ」についてあらためて考えてみたいんです。今作のなかでも記しましたが、「近くにスーパーもなければ不便だろう」などと言われるけれど、そんなものの必要性はさして感じていなかったんだと、僕が取材した村人たちは言うんですね。田畑ではコメも獲れるし野菜も獲れる。それこそ天然の山菜やキノコ類なんて、高級スーパーをいくら訪ね歩いても容易に手に入らない。これは僕の実家あたりもそうですが、家の畑で育てた野菜が食べきれないほど収穫できたら、近所の知人にお裾分けし、すると近所の知人からは別の野菜や山菜などが返ってきたりする。

それに飯舘村は、南相馬市の市街地などがさほど遠くないんです。だから週に1度程度、そうした街にあるスーパーに行って肉や魚、それに調味料の類をまとめ買いしておけば、村内にスーパーがなくても不便などほとんどない。調味料だって、家によっては味噌なども自家製で手作りしたりしている。かなり自給自足に近い生活を営んでいたわけです。地元できちんと食の営みが回っていた。ある意味、これほど豊かで安全なことってないでしょう。

藤原 おっしゃるとおりで、食べ物とは本来できる限り自分でつくって、仲間内で交換しやすいものであって、資本主義が高度化しなければ、商品化しなくてもよかったジャンルだと思うんです。一事が万事そうで、これでは金にならんと思われて、自給自足圏が崩壊していく。これは世界史の原理ともいうべき現象です。列島全体が開発主義で壊された挙げ句に残っていた桃源郷である飯舘村を、青木さんが取材対象に選んだのは、ある意味、宿命的なものを感じました。

青木 特に近代化した生活を謳歌する大都市を支え、だから過疎地に押しつけられた原発という巨大発電装置が、かろうじて残っていた自給自足の豊かな村落を破壊した。そういう村落を取材対象にしたのは、これは宿命というより偶然かもしれませんが、あまりに巨大な災害を目の当たりにして何をどう描くかたじろいでいた僕が、大久保文雄さんの自死という事実を知り、取材を進めるうちに描くべき道筋が見えていったわけですから、偶然が必然に変わったとはいえるのでしょう。言葉を換えれば、文雄さんが僕をそこに誘(いざな)ってくれたのかもしれない。

取材で見えた稀有な人間関係

藤原 もうひとつ意外だったのが、青木さんが主な取材対象とされた大久保家のお嫁さんの美江子さんです。この方の明るい前向きさ加減というか、田舎の女性たちには、なかなかこういう人はいないですよね。私の田舎もそうでしたけど、女性は基本的にはいろんなシャドーワークをさせられて、それがつらくても、自分のアイデンティティーとして生きざるを得ない状況に追い込まれている。でも、美江子さんにはそんな影がなく、舅である文雄さんとも非常にいい関係を築けているのが不思議でした。「農業はしなくていい」と言われて都市部から嫁いできたとはいえ、古い村社会に縛られているような気配が全くない。むしろ、自給自足の生活を楽しんでいるように見える。

青木 もともと天真爛漫というか、とても朗らかで明るい美江子さん自身の性格もあるでしょう。ただ、美江子さんにとっては義父にあたる文雄さんも夫も、世代のわりに開明的というか、本当に人が良くて優しいんですね。また、外からの開拓民が多かった飯舘村自体、他の村落よりも開明的な側面があったのかもしれません。政府主導の町村合併が進んだ平成期、飯舘村はそれを拒み、村内の若い女性を海外研修に送り出すプロジェクトを手がけたこともあったそうです。そうした村のありようも、明治生まれの文雄さんたちに影響を与えているかもしれません。

藤原 珍しいですね、明治の男で、これだけ開けているって。

青木 ええ。夕食を準備中の美江子さんが「じいちゃん、じゃがいも取ってきて」と頼むと、文雄さんは「あいよっ」と言って腰をあげ、土のついたジャガイモをすぐ調理できるよう水できれいに洗って台所まで持ってきてくれたり、ほのぼのとして本当にいい関係ですよね。街場から村に嫁ぎ、あまりくよくよとしない朗らかなお嫁さんと、生涯を土と向かいあって生きつつ偉ぶるところなどまったくない、そんな関係性には僕も稀有なものを感じました。

藤原 日本の村社会の中では、大変レアな家族のように思います。それだけに文雄さんの自殺は、美江子さんにとっても家族にとっても強烈なショックであったろうし、より一層、悲劇性をより痛感させられましたね。

修復不能な土壌の痛み

藤原 さらに私がこの本ですごく痛みを感じたのが、おじいちゃんが開拓した水田の土壌がはぎとられて、その上に無造作にフレコンバックが置かれているシーンです。都市生活に慣れている人にはわかりにくいでしょうが、私がそこに痛みを感じるのは、大久保文雄さんとそのお父さんが、厳しい環境の土地を一生懸命開墾して、作物を育て上げる土を作ってきた大変な労力が想像できるから。土ってそう簡単にできるもんじゃないんですよ。土壌って、一回はぎ取ってしまったら、もう回復不可能なんです。

青木 おっしゃる通りです。

藤原 冷たい雨とともに大量の放射性物質が村に落ち、山々や田畑が汚染されてしまったとき、恐らく文雄さんにはその土壌の痛みが伝わってきたのだと思う。これまで自分の父親や家族とともに、やっと育ててきた数センチ、数十センチの土の蓄積が、一瞬にして使いものにならなくなった。あのシーンは、ただ読んでいるだけの私自身でさえ耐え難いものがあります。たしかほかにも福島で、有機農法家が自殺をされていますが、やっぱり土だと思うんですよ。土を地力を保つことは単調な作業の繰り返しと土や水に対する知識が必要。土を相手に日々の仕事を営んでいる人たちは、体の一部として土を「感じて」いる。青木さんは、文雄さんが汚染された土壌がはぎとられる場面を見ずに亡くなったのは、不幸中の幸いであって、それを目撃していたらとても耐えられなかっただろう、という趣旨のことを書いていますよね。そこは私も身に沁みました。

青木 これは飯舘村に限った話ではありませんが、原発事故の被災地ではいわゆる「除染」が広範囲に実施され、田んぼにしても畑にしても汚染された表土を剥ぎ取り、代わりに山土などが大量に投入されました。なかには大量の石が混じっていて使い物にならなくなったと嘆く農家の人もいましたし、なによりも長年丹精込めて耕してきた田んぼや畑の土っていうのは、単なる土ではないんですね。藤原さんがおっしゃったように、土が入っていればなんでもいいというものではなく、ましてや山土などを投入すれば土壌が別物になってしまうんだという話は何度も聞きました。

藤原 あ、やっぱりおっしゃっていましたか。もうレベルというか、位相が違うものだと思うんです。山の土を持ってきて、はい、元どおりというレベルでは全然ない。土によって全く作物の味も変わるし、育ち方も違うし、癖もある。圃場整備のときでも、古い土を残しておいて、新しく整備された田んぼで再利用することが多い。土って生きているんですよ。だからこそ非常に痛々しいんですね。

飯舘村は日本の最後の「未来」

藤原 この『百年の挽歌』という本は、2011年の出来事を扱っているように見えて、実はそういう本ではない気がしてなりません。さきほどお話しした昭和100年、戦後80年も描いていますが、それだけでもなくて、何かの原型を見せてくれるような気がします。今の土の問題もそうだし、まきのお風呂で温まる話もそう。人が健やかに生きていくためには何が必要なのか、それを思い起こさせる。

原子炉の火を最先端の技術というけれど、突き詰めれば、タービンを回してお湯を沸かすだけの技術に過ぎない。一方で、人間がずっとやってきた、薪を焚いてお風呂に入るという方法は、熱の極めて合理的な使い方であり、安全性もある。私たち人類は、火を起こせなかった時代が長かったんです。山火事の中で得た火を大切に守りながら、消えたら隣の村にもらいに行っていた。そのくらい火は重要で、火を中心に食を囲んでいた。この本に感じるのは、そういう人間の営みの原型です。人類学的にそこに引き戻してくれた。それが印象に残りました。

青木 たしかにそう言われてみれば、湯を沸かすのにウランを核分裂させるのと薪を燃やすのは、原理としてはまったく同じですね。しかも大久保家の湯沸かしに使う薪は周囲の山林からいくらでも調達できたし、着火材代わりに使っていたのは杉の枯れ枝でした。僕も田舎育ちだからわかるのですが、乾燥させた杉の枯れ枝って、油分を含んでいてよく燃えるんです。余談ですが、白樺の木の樹皮も同様で、焚き火の際に着火材として使うと都合がいい。

藤原 そんなに燃えるんですか。

青木 ええ、よく燃えるんです。そう考えると、わざわざ外国からウランを持ってきて、人間の手に負えないような廃棄物を大量に出すエネルギー源より、身近にあるもので湯を沸かす方がずっと合理的であり、すべてをそれでまかなうのは現実的に困難とはいえ、地球の裏側からエネルギー源を調達するより、それぞれの地の特性に応じた再生可能エネルギーなどを中心とし、地産地消で回していく方途を追求したほうがいい。

藤原 なぜそれを私たちは、近代や現代、あるいは未来と呼ばなかったんだろうかと思うんです。今バイオマスと言われているたくさんのエネルギー源をみすみすほおっておいて、多くの森林を東南アジアからカッティングして大型船に乗せて石油を使って持ってきている。そうやって何重にもロスをしながら、そのロスをした分、誰かにお金が入るような経済システムにしているんですね。青木さんのお書きになった飯舘村の物語は、近代化に駆逐された日本の最後の未来だった気がします。(つづく)

関連書籍

百年の挽歌 原発、戦争、美しい村
生類の思想 体液をめぐって

プロフィール

青木 理

(あおき おさむ)

1966年生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクションライター。慶應義塾大学文学部卒業後、共同通信社に入社し、社会部で警視庁などを担当、その後は外信部に移ってソウル特派員などを歴任。2006年に退社後はフリーランスとして独立し、各種の事件や事故、災害、刑事司法、朝鮮半島、メディアなど多岐にわたるテーマの取材・執筆を続けている。主な著書に『百年の挽歌 原発、戦争、美しい村』(集英社)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『日本会議の正体』(平凡社新書)、『絞首刑』(講談社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)等、共著に『スノーデン 日本への警告』(集英社新書)等多数。

藤原辰史

(ふじはら たつし)

1976年生まれ。京都大学人文科学研究所教授。専門は農業史、環境史。主な著書に、『生類の思想 体液をめぐって』(かたばみ書房)、『ナチス・ドイツの有機農業』(第一回ドイツ学会奨励賞、人文書院)、『ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』(第1回河合隼雄学芸賞、共和国)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『戦争と農業』(インターナショナル新書)、『給食の歴史』(第10回辻静雄食文化賞)、『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』(第41回サントリー学芸賞、青土社)、『縁食論 孤食と共食のあいだ』(ミシマ社)『食権力の現代史 ナチス「飢餓計画」とその水脈』(人文書院)などがある。

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近代日本の成長がもたらした「破壊」と「汚染」の中で

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