伝統工藝を現代建築に取り入れた「工藝建築」で注目を集めている、Z世代起業家の塚原龍雲氏。著書『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』(集英社新書)では、日本の伝統工藝が持つポテンシャルをみずみずしい感性で読み取っていく。そんな塚原氏と、これからの日本の工藝をつくる職人との対談。最終回となる3人目のお相手は、盆栽とストリートカルチャーをミックスしたブランド「TRADMAN’S BONSAI」で注目されている盆栽士の小島鉄平氏。「老人の趣味」と思われてきた盆栽が、いまなぜ若い世代に刺さっているのか? 全2回対談の前編。
構成:高山リョウ 撮影:TRADMAN’S BONSAI
1 「本当に美しい盆栽」を世界に伝える
お気に入りのモノや、歳月とともに味わい深さが増すモノを暮らしに取り入れて愛でることは、その人の心に豊かさを与えてくれる。もっと気軽にいうなら、お気に入りの器が一つあるだけで料理が楽しくなったり、お気に入りの小物を持って出かけると気分が上がったりすることは誰にでもあるだろう。「好み」を持つことは、日々の暮らしに、穏やかな気持ちになれる瞬間を得られることにつながるはずだ。そして、それによって少し救われる人がいてもいいと思っている。(『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』塚原龍雲・集英社新書より)
塚原 小島さんとは2024年の「フォーブス・カルチャープレナー」で、同じタイミングで受賞をさせていただいて、そのときに御縁をいただきました。カルチャープレナーとは「文化資本を軸に新たな価値を創出し、経済活動と両立する新しいタイプの起業家」を意味する造語なのですが、前回対談させていただいた大工アーティストの菱田昌平さんも同時受賞でした。
その後、菱田さんと私とKASASAGIの設計士の3人で、小島さんのギャラリーでお話させていただく機会を頂戴したのですが、そのときのお話があまりに素敵で、もうすでに今回の本の進行中だったのですが、ぜひ小島さんのお話も入れたいということで書かせていただきました。
小島 本、今日受け取ったんですよ。まだ全部は読みきれていないんですけど、先ほど目を通しました。塚原さんは「フォーブス・カルチャープレナー」の授賞式に、かなりパンチの効いたスタイルでいらっしゃったので、最初は「どんなことをされている方なのかな?」と思いましたね。

塚原 そうだ、あのときはオレンジの袈裟で行ったんだ(笑)。 僕は以前より小島さんのことを存じ上げていて、そのお取組も拝見していたので、これを機にお話しさせていただきたいと思い、僕からお声がけをしました。今のところ、まだ御一緒できているプロジェクトはないのですが、我々KASASAGIが空間の仕事をしていますので、以前こちらのギャラリーで小島さんのお話を聞かせていただいたときから、「こういうやり方で、こういうふうな取組ができるんだろうな」と思い浮かべているプロジェクトがあります。
――小島さんは過去に洋服のバイヤーをしていて、海外での盆栽の受け止められかたに違和感を抱き、そこから盆栽業を生業にしたとのこと。当時、世界における「日本の手しごと」の可能性について感じていたものは?
小島 盆栽だけの話で大丈夫ですか? 僕はもともと、ずっと趣味で盆栽をやっていたので、初めて見た海外の盆栽というものに、日本の「侘び寂び」とか引き算の美学みたいなものが全くなく、足し算しかないと感じたんです。簡単にいうと美しくなかったんですね。日本の盆栽からかけ離れたものを、彼らがかっこいいとかクールとか――そこで「美しい」という言葉が出てこなかったのですが、評価していることにものすごく違和を感じたんです。
そこで僕が持っていた盆栽の画像を見せたら、「わあ、何だこれは? 俺らが知っている盆栽とは全然違う!」と驚かれたことが印象的で、それまではずっと趣味で扱っていた盆栽を、アメリカ人が言うところのクールではない、「本当に美しい盆栽」を世界に伝えることができるのではないかと思ったんです。盆栽を生業にしようと考え始めたのはそこからですね。
塚原 美しい盆栽って、どういう盆栽なんですか?
小島 「侘び寂び」というのは完成がないわけです。海外の盆栽は「完成」みたいなものを表現しちゃってるんですよね。尊さが全くないというか。まだアメリカという国ができておよそ250年ほど。やっぱり歴史というものが浅いからか言葉とかも薄くて、彼らと話をしていても「なんでそういう表現をするのかな」と疑問に思うことばかりでした。
たぶん日本語の「美しい」という言葉の奥行があまり理解できていないんでしょうね。たとえば「虫の音を聴く」と言っても通じない。僕ら日本人にとっては当たり前の感覚でも、「虫の音って何?」「それを聴くって何?」とか言われる。季節の変わり目で、それぞれの季節が見せるものがあるじゃないですか。でも「『季節が見せる』って何?」とか、話をすればするほど通じなくなっていく。ものごとを五感で感じてはいるんだろうけど、六感が全く感じられないというか、強い違和を感じましたね。
でもそれは僕が最初に海外で盆栽を見た14年前の話で、今では日本のカルチャーとか伝統文化というものに、世界中が注目しています。きっと2019年からのコロナ禍を経て、世界的に人々の行動や意識が大きく変わり、「ものごとを見る角度」も変わってきているのだと思います。
だから日本という国の「歴史」にも目が向くようになり、「盆栽とは何百年も生きるものである」とか、なぜ「愛でる」という言葉があるのか?とか、今まで気づかなかったことに気づく人たちが海外で増えてきていることを日々、肌で感じています。
2 「置き手紙」として木を読む
塚原 ちょっと失礼な質問かもしれませんが、「盆栽のよさって何ですか?」と聞かれたときに、小島さんは何と答えるんですか。
小島 「盆栽のよさ」といっても、ひと言で言うことでもないんですよね。僕が決める定義でもないですし。ただひとつ言えるのは、何百年、何千年と生きているものを「所有している」わけではなくて、「完成させる」ものでもなくて、自分がどれだけ頑張ってこの木を育てて、愛でていたとしても、僕はこの木の「完成」も見られないし、成長の過程を見届けることしかできずに死んでいく。そして次の世代に行く。次の世代も同じことを繰り返していくんです。
もっと言えば、先人が300年前の盆栽を愛でたとき、彼らはきっとこの木に対して、銅線をかけて、成長を促して、剪定をして、毎日水をあげて、太陽の光を当てて、風通しをよくして、根っこの状態を見て、数年に一度は鉢を交換していた。日々それを繰り返していたはずです。でも彼らは死んでしまって、その盆栽は次の世代の手に渡る。それを繰り返して僕の目の前に来たときに、彼らが何をしたかったのか?みたいな「置き手紙」として、僕は木を読む。その木の姿から、先人の意図を酌み取っていくわけです。
「彼らはきっとこの第一の枝をもっと伸ばしたかったんだろうな、そしてここに空間を作りたかったんだろうな」とか、「いや、でも彼らはこの面を正面として向けていたけど、裏にすることによって、もっといいポテンシャルで枝が伸びていき、100年後にはもっといいものができるんじゃないか?」とか、盆栽士は世代を超えて、ずーっとそれを繰り返しているんです。
あえて言えば僕はそこに盆栽のよさを見ているというか、「引き継ぐ」ということですね。自分が所有しているわけではなくて、次の世代に引き継ぐ。そこにネガティブなマインドは一切ない。ポジティブでしかないし、未来のことしか考えない。
そのように未来のことを考えたとき、ひと鉢の盆栽のなかに、この世界は「ある」んですよね。僕が死んだとしても、なくなってはいない。何百年前から何百年後までも、この木が存在している世界線をいま自分は生きている。そういったことも盆栽に教えてもらったと思います。
塚原 小島さんが盆栽を見ると、その木に携わっていた方々が「どういう意図を持ってその木に接してきたのか」が木を通して見えてくる、先人の意図が木の痕跡として残っているような感覚があるんですか?
小島 あります。そうですね、全くその通りです。たとえば一本のデニムがあって、それを農家さんが履き続けた。その農家さんの動きが全部、デニムの色落ちだったりアタリだったり、いろんなものに表れていくじゃないですか。その人の生き方だったり動き方を、一本のデニムが語りかけてくる。それと一緒ですね。どんな人が愛でていたかが見えてくるんです。

3 「完成のない美しさ」を学ぶ
塚原 そうすると小島さんが木と向き合うときに、やっぱり向こうも生き物で、気候もコントロールができなくて、自分としては「こういうふうにしたい」「こうなると美しい」と思うなかで、思いどおりにいかないこともあると思うんです。そのとき、コントロールしきってしまうのが正解なのか、それともある程度余白を持たせて木の自由に任せるところがあってもいいのか。「木」と「自分の作為」の間合いの取り方って、どう考えているんですか?
小島 それはふたつあって、オールドスクールかニュースクールかに分かれると思っています。たとえばさっき言った「侘び寂び」って、盆栽でいうとオールドスクールなんです。それは古いけれど、すごく大事なことです。僕が最初に海外で見た盆栽は、ニュースクールにもなっていない盆栽でした。足し算でしかなくて、あまりにもがさつで。それがアートだと思ったのか、ペンキを塗ったものまでありました。
でも、侘び寂びというのは完成がなくて、より自然に近い木なんです。もちろん盆栽には作家の意図がありますから、基本的には形づくりがしっかりとなされています。でも中には、より自然美を生かした木もあったりするんです。それが侘び寂びでもあると思います。
今の盆栽はオールドスクールとニュースクールの二つに分かれていて、僕らが作っている木は、もともとはニュースクールな木が多かったと思います。なぜかというと、スタンダードな修行をしていなかったから。僕は最初、ずっと我流でつくっていたんです。ただ、「このままだといつか(メッキが)めくれるな」と思ったわけです。そのときに一番恥ずかしい思いをするのは自分で、これはスタンダードな基礎を身につけないといけないと思い、ある先生のところへ修行に行き、そこでオールドスクールを学び、「完成のない完成」みたいな美しさを学ぶわけです。
また、ある時はその美しさは自然が教えてくれることでもあります。たとえば山の上のほうの風が強いところで、断崖絶壁で日の光も強い、そういった岩場に雨が降り、風が吹き、何千年もかかって少し窪みができる。そこにまた歳月をかけて砂がたまっていき、いつしか土となり、たまたま風に乗ってきた種、あるいは虫とか鳥が持ってきた種が埋まる。そこからやがて芽が出て、枝葉のある木に成長していく。でも、岩場の窪みは手のひらほどしかないので、根っこもその範囲にしか広がらない。
ということは、そこで伸びていく木というのは、本来なら300年経ったら御神木と言われるような大木で、ものすごく太くエネルギーを発するのだけれども、窪みの中での成長でしかないから、手のひら大のサイズに収まる。盆栽はそれを真似て作るんですよ。
でも、ニュースクールな盆栽はそうではないんですよね。もう少し美術的な、アート的なものになっていく。

塚原 その違いは何ですかね? 作家さんの中に最初からゴールがあって、そのゴールに近づけていくのか。それとも木が自然に育っていって、ゴールがないなかで「ああ、こうなったんだ」という形に落ち着くのか。ゴールがあって、そこに最短経路で行くような向き合いかたがニュースクールで、ゴールのない向き合いかたがオールドスクールということになるのでしょうか?
小島 まあ、そうかもしれないですね。ニュースクールはちょっとケミカルに近いというか、作り込みすぎている。オーガニックなのか、ケミカルなのか。オールドスクールとニュースクールの違いは、それに近いものがあるかもしれません。
4 次の世の中のことを考えていく
小島 今、ヨーロッパをはじめ世界規模で、盆栽の市場規模が急激に拡大しているんです。現在の市場規模は1兆2400億円ぐらいですが、ついこの間までは数千億円の規模だったんです。そして2030年には3兆4000億円ぐらいに到達するんじゃないかと言われています。僕はガーデニングのことは全くわからないのですが、もともとガーデン文化がヨーロッパでは浸透していたので、その人たちがどんどん盆栽に切り替わっているという背景がひとつあります。
なぜ彼らが盆栽に切り替わっているのか? それはまだわからず調べているところですが、間違いないのは、大きい盆栽が海外ではやっているということ。それはやはりガーデン文化があるからなんでしょうね。
たとえば先日もベルリンに行きましたが、向こうの盆栽屋さんを見て回ると、小さい盆栽がほぼないんです。大きい盆栽しかない。なぜかと聞いてみたら「ガーデンに置きたいから」。「僕らはガーデニング文化だから大きい木が売れるんだ、小さい木は売れないよ」みたいなことを言っていました。でもその傾向も、これから切り替わっていくと思っています。彼らが言うノーは絶対イエスになりうるので。
塚原 ニュースクールとオールドスクールの話と少し関連したところで、僕の問題意識として「工藝とアートの違いって何だろう?」ということを考えていた時期があります。その違いを明快に説明している言葉に、「工藝的造形」という概念があるのですが、ものをつくる素材へのアプローチというか、向き合いかたが違うんですね。アートは基本的に表現が先に来る。まずコンセプトというもの、作家さんから湧き出る「私はこれを世の中に問いたい!」というコンセプトがあって、それを表現できるだけのデザインとかテクニックがあって、それに適したマテリアルを選定していく。より大きなコンセプトというものから、デザインを媒介として、マテリアルという小さなものへのプロセスをたどるのが「アート」なんです。
ところが工藝というものは全く逆で、素材から発想します。たとえばここに土がある。この土というものを、どうやって人と暮らせる形にしていこうか?という発想でアプローチするのが工藝です。
だから土との向き合いかたも、自分が望む形にするには「素材に負けるものづくり」をしないといけない。たとえば陶器を作るときも、ある程度は土の言うことを聞かないと、窯から出てきたら割れている、というようなことが起こる。「自分はこんなものを表現したいから、土をこういう形にしてやろう」という話ではなくて、土から作る、土のなりたがっている形を土に聞きながら作っていく。ある種、「素材と形の性質が一致したものづくり」みたいなものが「工藝的造形」、すなわち工藝の美しさであるというのが、今のところの僕の結論です。
小島さんがおっしゃっていた盆栽のオールドスクール、すなわち「侘び寂び」という伝統的な価値観は、この工藝的造形に通じるのではないかと思います。自然に身を委ねて、同時に「こういう形になってほしい」という対話をしながら、ゴールはないですけれども、美しい造形を目指していくプロセスそのもの。それが工藝的造形という美。
今回、本を書かせていただいて、隈研吾さんに推薦していただいたのも、隈さんは「負ける建築」を提唱されているからです。全部が全部そうではないかもしれないですけど、「建築とは地域にある小さな素材を使って、そこから発想していく大きなもの」という考え方でものづくりをされている。それもやはり「工藝的造形」と近しいと思っているのですが、今日の小島さんのお話を聞いていて、盆栽の美の形成のされかたも、ものすごく工藝と近いと思いました。

小島 そうだと思いますよ。お話しされていたように、盆栽って「自分が理想としている形」に近づけていくんだけれども、やっぱり木は生きているので、そうはいかないときもある。たとえば気温まではつかさどることができないから、桜の木にしてみても、本当はここで開花することによってお客様に喜んでもらえる、そのつもりで頑張っていたけど咲いてくれない。そこから1週間後に咲いた、イベントは終わっちゃった。(笑)そんなふうに言うことを聞いてくれない、生きているからこその歯がゆさもあるのですが、それがあるから面白いというか。
塚原 小島さんが木と向き合っている中で、一番学ばされたことは何ですか?
小島 「引き継ぐ」ということですかね。次の世の中のことを考えていく。自分たちのことだけだと利己。だけど次のことを考えるというのは、利他主義なのだと思っています。盆栽と出会うことで、利他の精神を知ったのかもしれません。
塚原 自分の寿命とか物質にとらわれない生き方や発想、人との接し方ができるということなんですかね。小島さんも含めて、僕がこれまでに親切にしていただいた職人さんや経営者さんって、お子さんがいる人が多いんですよ。それは何でだろう?と考えたことがあって。
お子さんがいらっしゃる方って、自分の寿命よりもお子さんの寿命のほうが長い確率が高いので、自分の寿命にとらわれず、「その先のこと」まで考えることができる。だから僕らみたいな若者に対しても、見返りを求めず接してくれるのではないかと思っているんです。
5 やっぱり愛が大事なんじゃないか
塚原 本の中でも書かせていただいたのですが、小島さんとのお話の中で一番印象に残っていることって、「盆栽と向き合うなかで一番大事なことは愛だ」というお話で。
小島 はい、「愛でる」ですね。

塚原 盆栽をこういう形にするとか、木が病気になったらこういう手当をするとかのテクニックはいろいろあるけれど、毎日見て、触れて、変化に気づいてあげる。その愛みたいなものが一番大事だというお話でした。
陶器などの工藝品も落とすと割れちゃうし、耐久性のある素材でもないんですけど、割れた陶器を漆で接着して金粉を蒔く「金継ぎ」という伝統技術があるので、器を長持ちさせることができます。
建築でいえば、日本で一番長くもっている木造建築は法隆寺です。法隆寺は建築様式が素晴らしいので1400年近く経過しても耐久性がある、それは確かなことですが、その1400年の間に何度も何度も宮大工さんたちが修繕してきた、その手しごとのおかげで長持ちしている事実もあります。それって本質的には建築様式がどうこうというよりも、「愛されるものが一番長もちする」ということではないかと思っていて。
今、社会における持続可能性が大事ということで、「サステナブル」とか言われていますけど、壊れたり消費することをベースとしたサステナブルではなく、修繕するときも「エコのために直さないといけない」というような義務感ではなく、「直してでも使いたい」と思わせてくれるもの、つまり「使い手に愛されるもの」をつくるのが、職人さんの手しごとの一番いいところだと思うんです。やはり工藝でも「愛」が根底にあるのではないか。愛というものがないと、工藝の魅力というものは出てこないんじゃないか。そういう考えに思い至ったのは、「やっぱり愛が大事なんじゃないか」という小島さんのお話がきっかけでした。
小島 それって「盆栽を育てるところで何が大切か?」という話で出た言葉だったと思います。僕たちが盆栽をお客さんに手渡すとき、最初に「お水をあげてくださいね」とか、「太陽の光に当ててあげてくださいね、光合成が大事なんですよ」とかいうのは当たり前の話なんです。ただ本当に大切なのは、やっぱり「愛」なんです。だけどいきなり「愛です」って言っても、お客さん構えちゃうので。(笑)
でも愛があること、毎日その木を愛でることによって、木のコンディションがだんだんわかってくる。「昨日とちょっと違うな」とか「あれ? 先週と色が変わってきちゃったな」とか、愛があるとそういう些細な変化に気づくようになる。親が子供の変化に気づくのと一緒だと思います。
なので、盆栽を枯らしてしまったお客さんに、それも何度も枯らしてしまったときに、初めて言う言葉なんです。「愛ですよ」って。愛でてあげてくださいねって言うんです。(後編に続く)

プロフィール

(こじま てっぺい)
1981年、千葉県柏市松葉町出身。アパレルのバイヤーから盆栽業界に転身。「盆栽」を世界に伝えるというミッションのもと、2015年に「TRADMAN’S BONSAI」を結成。翌年に株式会社松葉屋を設立し、CEO兼プロデューサー、盆栽職人として活動。盆栽の販売・リース事業を行う。NIKE、DIOR、RIMOWA、Champion、ランドローバーなど数々のハイブランドとコラボレーションしている。TRADMANS BONSAI

(つかはら りゅううん)
2000年生まれ。高校卒業後、米国の大学に入学。留学先で日本文化の魅力と可能性を再認識したことをきっかけに「KASASAGI」を創業。日本の美意識で世界を魅了することを掲げ、伝統工芸品オンラインショップ「KASASAGIDO」や、伝統技術を建材やアートなどの他分野に応用する「KASASAGI STUDIO」を展開。インド仏教最高指導者佐々井秀嶺上人の許しを得て出家した、インド仏教僧でもある。著書に『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』(集英社新書)。


小島鉄平×塚原龍雲









